読 み と は ?
藤 井 隆 一

 「名前を見てちょうだい」の第五場面の学習の時のこと。
 場面のあらすじは以下である。
 木よりも高い大男が、主人公えっちゃんの物と思われるぼうしをぱくんと食べる。そして、したなめずりをして、じろりとえっちゃんたちを見下ろす。「もっとなにか食べたいな。」と大男は言う。自分の帽子だと主張していたきつねや牛は風のようにその場を去る。しかし、えっちゃんは、気丈にも「あたしは帰らないわ。」と言い、体が大きくなっていく。
 そして、この続きの文章を読み、次のような学習課題を与えた。
『たたみのような手のひらをますぐのばして、「あたしのぼうしをかえしなさい。」と言ったときのえっちゃんの気もちを考えよう。』

 子どもたちの意見は、2つに分かれた。
A「ほんとうにあたしのぼうしなのかな?」(わけは、これまで、ぼうしのなまえが自分の名前ではなかったことが2回あったから。)
B「ぜったい、あたしのぼうしだと思って、かえしなさいとおこっている。」(わけは、手のひらをぴんとのばしてって書いてあるから。)

 私は、Bと読んでほしいのだが、子どもたちの約半数は、Aと主張する。しかも、「Aだと思う人」という私の問いに対して、自信ありげに、ピンと手を伸ばし挙手をする。私は、「『手のひらをぴんとのばして』と書いてあるからBではないですか?」と言うが、それでも、その子どもたちはAを主張する。
 これまで、どうしてそう思うのかを主に教材文のことばを根拠にさせ考えさせてきた。授業を進めれば進めるほど教師の揺さぶりには簡単になびかない子どもたちになってきていると感じてる。
 Aの子どもたちの考えの読みは、果たして間違っているのであろうか?

 もう一度、教材を読み直してみた。すると、Aの考えを完全に否定することは難しい。
 今の私のクラスのこどもたちは、やさしく、気のかわいい子どもが多い。気丈な子どもは少ない。その子たちは、どうしてもBではなく、Aの読みをしてしまうのであろう。
 人物の気持ちを想像するという課題は、どうしても、その子その子の性格が反映されてくるとと感じた授業であった。
(栗東市立治田小)