▼「お隣へ行ったら挨拶はこうするのだよ」「用件はこのように言うのだよ」と繰り返し教えられてお使いに行く。それができたてのおかずであったり、家でとれた野菜であったりした。おつかいの帰りは、お菓子をもらってご機嫌で帰る。しかも、「上手にいえましたね」とほめ言葉をもらって少し大人になったような気分も。

▼少し前まではこのような風景が日常的にあった。生きた場で生きた言葉を教えるのは祖母であり母であった。改まった時はどのような言葉を使うか等覚えた。「習得と活用」など難しいことを言われなくても、繰り返し教えられるうちに丁寧に話すことの大事さを身に付けていった。

▼「先生、チョーク」「先生、紙」と言いながら職員室へ入って来る子に、「先生は、チョークではありません」「先生は、紙ではありません」と指導を受けている子がいる。おそらく、この子は先生に仕事を頼まれて、進んで職員室に来たのであろうに。教室を出る子にお願いの仕方を教えてあげればいいのにと思うことが時々ある。軽い怪我であれば「保健室へ行きなさい」という指示でだけだはなく、ひと言、怪我の状況の伝え方を教えておくことは担任として愛情だと思う。

▼子どもの生活を丁寧に見ていると伸ばすチャンスは限りなくある。祖母、母の気持ちで見ていけば。(吉永幸司)