巻頭言
生 涯 の 杖
磯 野 理 香

 なぜ作家になったのかと、聞かれることがある。そのとき、必ず思い出すエピソードがある。
 小学校3年生のときだった。当時のクラス担任の先生が、夜分、私の家に電話をかけてこられた。
「明日までに読書感想文を書いてくるように。どんな本でもよいから。」
 急なお話に戸惑ったが、先生のおっしゃることには絶対の信頼を置いていた。すぐに取りかかった。
 とはいえ、今からどんな本を読んで、感想をまとめたらよいのか。時間がたりない。急いで読める短い作品をと考え、本棚から『そんごくう』の絵本を選び出した。

 何を書いたか今も覚えている。
 孫悟空がきん斗雲に乗って、お釈迦様の大きな手の中で、ぐるぐる回っている挿絵があった。暴れ者を気取って、遠い空まで自由自在に飛び回っているつもりでいても、それはお釈迦様の手の内でのことに過ぎない。お釈迦様の慈愛に見守られている孫悟空を、両親や先生に育まれている自分に重ねた。

 この感想文は、県のコンクールで入選した。他の入選者達が、『坊ちゃん』や『杜子春』のような文学作品を選んでいるのに、ひらがな文字のタイトルの絵本を題材にした、私の感想文はやけに目を惹いた。今なら恥ずかしいばかりだが、子ども心には誇らしく思えた。それから中学2年生まで、感想文のコンクールで、毎年、賞を取り続けた。文章を書くという行為が、私の内でしっかりと根づいた。自然と文筆家を目指していくようになり、大学院生のとき、児童文学作品でデビューを果たした。

 あの頃、私は引っ込み思案で、自分に自信がなかった。国語が好きで、まじめな文学少女だったが、特別、作文が得意だと思ったこともなかった。
 先生は、そんな私の資質を見抜いておられたのだろう。内省的な私が自信を持って歩いていけるように、こうした形で、生涯の支えとなる杖をくださったのである。

 先生とは今も折々に、季節のお手紙のやり取りをさせていただいている。高校や大学に進学した時も、作家になったときもご報告したが、実は一度もお褒めの言葉をいただいたことがない。
「貴方はもっとできるはず。まだ努力が足りない。」
と、いつもしかっていただく。
 そのたびに自分を省みる。もう少し頑張ろうと、心の紐を締め直す。いつか先生に褒めていただけるような、自分になれるようにと。
(児童文芸家協会会員・児童文学創作集団プレアデス同人)