[特別寄稿]
私と鉛筆の持ち方
荒 木  歩

 私の右手の薬指にはペンダコがある。それは、22年間の勉強量の証しだと自負している。しかし、問題はそのペンダコが薬指にあることである。普通は中指にできるべきであるペンダコが薬指にあるのは、もちろん私の鉛筆の持ち方が間違っていたからだ。
 このことは、もう小学校の頃からわかっていたことである。親には何度も注意されたし、あまりにも私が直さないのでつねられて痛い思いをしたことも何度もあった。しかし、それでも私の鉛筆の持ち方は直らなかった。理由は、自分でもわからない。別に親に反抗するつもりもないし、言われれば気がついて直す。しかし、気がつくとまた間違った握りしめるような持ち方になってしまっていた。
 中学校にあがるころにはもう鉛筆の持ち方が間違っているということを気にもかけなくなっていた。逆にお箸も持てない子のほうが可愛いという変な思い込みもあったし、親には時々注意されるけれど、別に生活に不自由を感じたこともなかったため、鉛筆の持ち方のことなど頭になかった。

 しかし、高校、大学と進み、大人になるうちに少しずつ間違った鉛筆の持ち方をしていることを恥ずかしく感じる場面が増えてきた。パソコンを使う機会が増えたとはいえ、やはりまだまだ「書く」という動作は日常の中で多い。しかし、そう思う頃にはもう正しい鉛筆の持ち方もわからなくなってしまっていた。また、今さら正しい持ち方に直すことなどできないと思っていた。
 大学を卒業し、大学院に入学してもそれはずっと変わらないと思っていた。しかし、大学院に入って半年、講義を担当された先生に久しぶりに鉛筆の持ち方を指摘された。大人になればなるほどみんなが見て見ぬ振りをしていた鉛筆の持ち方を指摘し、改めて一から鉛筆の持ち方を教えてくださった。22歳にもなって鉛筆の持ち方を指導されるなんて、と最初は恥ずかしく思った。しかし、同時に今を逃したら私は一生正しく鉛筆を持てないとも思った。そこで、私は先生の熱いご指導のもと、一生懸命正しい鉛筆の持ち方を学んだ。

 初めはどこに力を入れたらいいのかもわからず、何度言われても正しい持ち方のコツがわからなかった。たとえ正しく持てたとしても、書こうとすると違う持ち方になってしまったりもした。しかし、先生は熱心に、あきらめずに教えてくださり、そのおかげで私はようやく正しい持ち方を理解することができた。先生にとっても小学生ではなく、大人相手に鉛筆の持ち方を教えるのは初めてのことだったようで、お互いに試行錯誤しながらの取り組みとなった。その成果が実り、今では正しい持ち方で文章が書けるようになった。もちろん22年間の蓄積というのは大きいもので、今でもあわてたり、考え事をしたりしながら書くと昔の持ち方に戻ってしまうこともある。しかし確実に薬指のベンダコは目立たなくなってきている。

 今回、このような鉛筆の持ち方を直す機会が与えられたことは、本当にありがたいことだった。何よりも感謝したいのは両親と大学院の先生である。両親は私がいつまでたっても鉛筆の持ち方が直らないことに半ばあきれながら、それでもずっと注意し続けてくれた。そのことで、私の心のどこかに小さな罪悪感が残った。この罪悪感があったおかげで、私は鉛筆の持ち方を直すチャンスに飛びつくことができたのだと思う。そして、そのチャンスを実際に作ってくださったのが大学院の先生である。普通なら、この歳まで直らなかったのだから今さら教えても無駄だと思うところだ。しかし、先生は丁寧に一から指導してくださった。どちらも私に愛想を尽かさず、最後までわたしの成長を見守ってくださった。「いつか必ずできるようになる」と信じてもらえたことが私にとっての大きな力となったことは言うまでもない。
 私も教員を目指している身だ。教師になれた時にはこの貴重な体験を通し、どんなことがあっても粘り強く教えていきたい。また、いつか母親になる日が来たなら小うるさいと言われても、いつまでも子供のことを注意できる暖かい母親になりたいと思う。
(京都女子大学大学院)