巻頭言
「育てる」ということ
新 川 淑 恵

 私が初任だった頃、懐かしく思い出すのは先輩の先生方の厳しさと一生懸命授業に取組む姿でした。特に初任二年目に出会ったF先生の実践から多くの示唆をいただきました。

 国語の授業「一つの花」を見せていただいたときのことです。『一つだけの喜び。いや喜びなんて』の父親がつぶやく場面で、先生は子どもたちと二つの『喜び』について話し合う場面を設定していきました。子どもたちは、人生という中でめぐりあう『喜び』とゆみ子自身の『喜び』というふうに話し合いを深めていったと記憶しています。何より書かれている文脈と言葉にそって、あるいは行間を読むことで、豊かな心情よみが広がり、授業が進んでいきました。その時の子どもたちの語彙力と真剣な瞳は今でも忘れることはできません。理科の授業では「水蒸気と水のちがいを温度、蒸発、水滴などの言葉を使って説明しましょう」と習得した言語知識や言語能力を使うことを常に子どもたちに伝えていました。

 先生の勧めで、当時私は一時間ごとの授業の振り返りを子どもたちに書かせ、その返事を一人一人に返していました。綴られた子どもたちの感想は、今思えば授業のねらいに即したものであったといえませんが、次時の授業を再構築するのに非常に役立ちました。あの頃、毎日のように先生に一時間ごとの授業のねらいと発問について教えてもらい一緒に教材研究をしながら「今日はつまらない授業でしたね。子どもたちの考えは文脈からそれていましたね」等、言われました。それだけに、褒められたときは心から嬉しく授業の面白さ、教師としてのやりがいを体感したものです。
 F先生との一年間は、私にとっては大変充実した日々でした。あの一年間が教師として今在る私自身の原点になったと思うのです。

 あれから二十数年。いつのまにか貴重な意見、大きな示唆をくださった諸先輩の先生方の年齢を、私は遥かに超えてしまいました。
 今、本校では若い教師を集め、放課後授業研究を行っていますが「褒めて伸ばす」という美名のもとに上辺だけの研究会にはしないでおこうと伝えています。それは私自身が先輩の先生方に厳しく温かく育てられ、教師として人間として生きるための多くの示唆をいただいたと思うからです。
 厳しいことも言えてこその学校研究、現場の仲間であると思います。そしてそれが若手を育てることであり、自分自身を育てることにもつながると思うこの頃です。
(石川県能美市立浜小学校教頭)