子どもの言葉を考える学校に
森  邦 博

 2学期の始業式、2つのことが子ども達に提案された。
 1つ目は「廊下歩行をしよう」。
 本校の校舎は2棟あり、2棟が渡り廊下でつながれている。両校舎にはまっすぐの長い廊下が走っている。追いかけっこができそうなためついつい走ってしまうのか休み時間の怪我が多いのが悩み。落ち着いた学校生活で充実した2学期を送らせたいという思いである。
 2つ目は、「チクチク言葉をなくし、ほのぼの言葉をふやそう」。

 中学年の授業を参観していたときである。
 グループで実験をしてその結果を記録する活動の場面で、小さなもめ事が起こった。ある子が実験をするのだがうまくできなかった。それを見つけた他のメンバーが「何や、おまえできひんのか」とやった。するとその子が「うるさいわ、あほ」「ウザイ、死ね」とやり返した。相手の子も負けてはいない。その結果そのグループは実験もスムーズに進められなかったし、結果もうまく記録できなかった。
 できなかったときにそのことをわざわざ「できないのか」と、からかい半分で指摘された子は悔しくて言い返したのだろうが、「死ね」とはちょっと言い過ぎだと、私は思った。しかし当の子ども達にはそれほどのきつい言葉のやりとりだとは自覚せずに使っている様子なのである。そのことの方がむしろ怖い。自分の使う言葉が相手にどのように受け取られるのか相手の気持ちを考えることなく自分の思いだけ、自分の気持ちだけしか頭にない。そのためにお互いが傷つけ合ってしまっている。

 だからこの提案には大賛成である。
 そこで、機会を捉えて先生方に「チクチク言葉」の封印・追放の取り組みをしておられる実践校での取り組みや授業例を紹介したりしている。授業実践を通じて「子ども達自身が冷たい言葉、相手を非難、攻撃、からかうような言葉」が相手を傷つけていることに気付き、また同時に「温かい言葉、励まし、元気づけ、感謝の気持ちを表す言葉」が相手との親しみを倍増させてくれることを知り、だからそういう言葉の使い手に自分もなりたいと思い、実行できるようにと願っている。

 するとある日、初任者の先生がクラスの掲示板に「言われてうれしかった言葉」を短冊に書き出し掲示しておられた。道徳の時間に実践したとのことである。早速、先生方にも紹介したのだった。
 言葉の育ちと心の育ち共に関わり合っている。そんな思いで学校ぐるみの言葉育てをしていきたいと思っている。
(大津市立田上小)