巻頭言
娘に伝えたいこと
前 田 松 敬

 「今日の体育の時間、子ども達と一緒に体操座りをしていると、他の子達が『先生、子どもみたい』『先生が子どもになった』って言いながら、うれしそうに大はしゃぎを始めたの。子どもの純粋な感受性と、それを素直に表現するパワーって本当にすごいのよ。小学生ってとってもおもしろいわ。」
 これは、今年から特別支援学級の補助教員として小学校に勤務し、毎日新しい発見をしては驚いている娘が、ある日の夕食後に語ったことである。

 娘が、子どもたちとの生活の中で、人間理解を深め人間信頼の感情を育てていく姿をうれしく思いながら、数日前の若い男性職員の話を思い出していた。
 小学校3年生の子が給食を時間内に食べられず、担任の先生から「もう片付けますよ」と言われ、その悲しさ、悔しさを家に帰って泣きながら訴えたという。
 職員の妻は、担任に対して、我が子の食の細さを説明し、食事時間を延ばしてもらうお願いをすることを職員に相談した。彼は、子どもの肩を抱きながら、「先生に、ごはんが多いから減らしてもらうように、勇気を出して相談してみたらどうかな」と、9歳の子に優しく語りかけたそうだ。
 次の日、その子は、家に帰って来るなり、先生がごはんを減らしてくれたこと、給食が遅い理由をよく自分の力で話したと先生が頭をなでてくれたこと、時間内に給食を食べ終えたことなど、目を輝かせて語り続けたそうだ。
 これを聞いた私は、子どもの気持ちをしっかりと受け止め、適切な対応をされたご両親と、子どもの願いを受け止め、その行為を賞賛した教師に感心した。しかし、最も感銘を受けたのは、子どもに天性のものとして備わる素直な感性とパワーのすばらしさであった。

 最近、親が幼児化しているとよく言われる。その現象の一つに、「口を出しすぎる」ということがある。
 子育てにおいては、常に「■啄同時」的な関わりをすることは難しいが、我が子が自立の機会に出会ったその時にこそ、温かみのある奥深い接し方ができる大人でありたいものである。そのための第一歩として、普段の口出しは極力控え、じっと待つことのできる親でありたいと思う。(■の字は、くちへん「口」に「卒」)
 これは、私自身が肝に銘じ、人生の先達として娘にも伝えたい事柄の一つである。
(宇部市教育委員会教育長)