巻頭言
教え子からの年賀状
石 丸 憲 一

 公立小学校の教員をしていた時の教え子から年賀状が届いた。中学三年生になる男の子からだ。その年賀状には年始の挨拶のほかに、「先生と闘ったときのことは一生忘れません」と書かれていた。もちろん私も、「あの時のことは教師としての僕の一生の宝だ。絶対忘れないさ」と返事を書いた。

 「あの時のこと」とは、彼が小学六年生で、総合的学習の授業をしていた四時間目のこと。グループ学習の時にもめて何度目かの注意を受けた後、突然彼は教室を飛び出した。何度かそういうことがあったと過去の担任から聞いていたので、すかさず追いかけ、階段の踊り場で取り押さえた。運悪くそこは、屋上に向かう階段で人通りのない場所だった。

 小柄だが人並み外れた運動能力をもって逃げようとする彼を逃がしてしまうわけにもいかないし、かといってこんなご時世だから手荒なまねもできない。彼を最もソフトに留めおく方法として私が選んだのは、柔道の寝技で優しく?押さえ込んでおくことだった。結局一時間ほども格闘は続いた。高校時代の柔道部での辛い練習が初めて役に立ったと実感できるひとときでもあった。

 ちっとも給食を食べに来ない二人を心配して一人の子供が探しに来たので、他学級の担任を呼びにやって何とか闘いは終わった。

 別室で給食を食べながら、彼の話を聞いた。
「先生は、僕たちにばかり注意したでしょ。」
 私としては、学級のボス的存在の彼に対する意図的なものであり、そのことは彼も十分承知してくれていると思っていた。しかし、彼の中では徐々に不満が大きくなっていたのである。

 日頃、国語の教師として、「しっかりと話さないと相手に分かってもらえないよ」と言っていた私自ら、しっかりと思いを伝えていなかったことで、彼との人間関係を崩す結果になってしまった。
 まだまだ体力と熱さでしか勝負できなかった私。
「逃げ切れなかったの初めてだよ、先生が」
という彼の言葉で溜飲が下がることもなく、少なからず落ち込む出来事であった。

 そして、今年の年賀状。冒頭の一言に触れ、熱い教師であり続けたいと思うと同時に、日本語の使い手として少しはましになっただろうかと振り返る年始めとなった。
(創価大学教育学部)