巻頭言
言葉のルーツに想う
岩 ア 奈 緒 美

 言葉は、様々なルーツをもっています。このルーツに触れる度、私は「言葉の創造者」の思いに感動せずにはいられません。先日、ある方と着物の色について話しておりましたところ、「茶色」に様様な色のあることを知りました。赤茶と薄茶とチョコレート茶ぐらいに思っていた私は、体中からわき出てくる熱い感情を久しぶりに味わうことができたのです。

 まずはいろいろな茶色をご紹介しましょう。藍海松茶(あいみるちゃ)、礪茶(とのちゃ)、黄唐茶(きからちゃ)、江戸茶、路考茶(ろこうちゃ)、芝翫茶(しかんちゃ)、璃寛茶(りかんちゃ)、団十郎茶、相伝茶、紫鳶、利休茶、鶸茶(ひわちゃ)、鶯茶、等々。藍海松茶(あいみるちゃ)って、どんな色なのかしら? ふと言葉から色目を想像してみました。海の碧さに茶色が浮かんだものでしょうか。滋賀ならさしずめ蒼湖松茶(あいみるちゃ)でしょうか。

 路考茶なんて言うのは、インドか中国のお茶の色だと確信しておりましたら、なんと、江戸時代の歌舞伎役者二世瀬川菊之丞の俳号が路考と言ったそうです。彼は世の女性方を虜にする美貌の女形で、当時人気絶頂でした。その路考が好んだ茶色が路考茶。女性方がこぞってこの色の襟を掛けたという記録が残っています。ほぼ時を同じにして団十郎茶。やはり人気絶頂の歌舞伎俳優市川団十郎に由来します。少し遅れて大阪の歌舞伎役者三世中村歌右衛門の芝翫茶。同じく大阪の二世嵐吉三郎の璃寛茶。高嶺の花の役者に近づきたい一心で、当時の女性方は、着物や小物に、これらの色をこぞってとりいれたに違いありません。ではこれらの色名は誰がいつどのように創造したのでしょうか。それは、名もない大衆の力によって、あっという間に確立したのです。

 当時江戸庶民は、紫色や紅色といった綺麗な色の着用を規制されていました。だからこそ、その規制の中で人は楽しみを追い求め、四十八茶百鼠と言われるように渋色が発達しました。これらの渋色は、見た目とは異なる大衆の遊び心や華やかな町人文化から発生したわけです。今、この路考茶色の織物を目の前にし、私は250年前の女性方の心意気を味わっています。

 路考茶という言葉は、色という視覚と共に、見事に250年の時を歩んできました。これぞ大衆パワー? 私達は、言葉の操縦者であると共に言葉の伝達者でもあります。言葉と共に、言葉のルーツから得た感動も後世に伝えたいと思うのは、私の傲慢でしょうか。
(彦根市立城西小学校)