巻頭言
彼が教えてくれたこと
大 熊 文 子

 目は口ほどに物を言いというが、文章には、その人が現れる。

 最近まで、知人の写真家が初めて文章付きの写真連載をするというので、個人的に文書校正と指導を頼まれて、していた。

 彼に言わせると「写真における“直木賞”と誉高いコンクールで受賞できたのは、私がした“応募の動機”の校正が奏功したからだ」そうだ。「大熊さんの御蔭で、受賞できました」のひとことにおだてられ、引き受けたが、大変なことをしょい込むことになった。

 というのも、送られてくる文章は一筋縄ではいなかいものばかり。最初に説明したのは、主語と述語の呼応。「上司にも『お前の文章はわかりづらい』っていわれるんだ」と彼。そりゃそうだろう。上司でなくても言いたくなる悪文だ。

 その直後にでてきたものは、呼応の跡形さえない、まるでパズルのような文章だった。話を聞き始めると、本人自ら「僕が言いたいことはいったい何なのだろう」と言い出す始末。「私は霊能者じゃないから、他人が何をいいたいかわからないよ」と言いつつ深いため息をついてしまった。そういえば、彼がNoと言うのを聞いたことない。もしや優柔不断さん?

 暫くして送られてきた次なる原稿は、「過疎化が進み里山の交通網が次々廃止されている。これは大きな社会問題だ」と力強いものだった。この1カ月に何があったのだろう?と思って話をよくよく聞くと、言うことと文章のトーンがどうも一致しない。「これまで落選したコンクールの審査員からも『写真と“応募の動機”にある文章のイメージがそぐいません』って何度か指摘された」とのこと。

 流石、審査員!見る人がみればわかるんだ。「新聞に書きたてられている内容には間違いがないだろうと考えて、心にもないことを引っ張り出してきて、マス目を埋めても、表面を取り繕っているだけだって、人は簡単に見破るんだよ」とうんちくをたれてしまった。

 かくして、知人の文章と半年間格闘して彼のことはよくわかった(気になっている)。しかし、悲しいかな自分のことはわからない。

 書くことを仕事にしているからって、“できない人”のことを酷くいう“意地悪な奴”と映っているかもしれない。その通り!私は嫌な奴だ(開き直ってどうする)「言いたいことをはっきりさせなければ、思いは伝わらない」このことだけを私は言いたかった。
(フリーライター)