さざなみ「温故創(想)新」
森  邦 博

 私の「さざなみ国語教室」との出会いは25年前の春になる。この会創立の発起人は滋賀児童文化協会の高野倖生氏。滋賀県内の子どもの作文・書・絵画で構成された地域作文集『近江の子ども』の事務局長・編集長であった方である。

 『近江の子ども』発行の前の学年別編集会議では、応募作文への「指導のことば」を検討するのだが、メンバーは県の国語教育をリードする先生方ばかり。私のような未熟者にとっては、作文の題材や指 導方法など大変勉強になった。子どもの作文をどのように読み解き、思いをどのように受け止め、そし てどのように子どもに返すのか、実践的な課題について学べるよう高野氏の深い配慮があったのだ。

 毎夏8月10・11日には合宿作文研究会が開催された。私が初めてこの研究会で実践報告の機会を 与えられた年には、野地潤也先生が講師であったと記憶している。もう茶色く変色した当時の発表資料を読み直すと、「第一級の講師、実践者の集う研究会でよくこんな提案をしたものだ…」と赤面する ばかりだ。
 帰路の車中にまで研究会の興奮が続き、参加した中嶋芳弘さんと「作文をなぜ書かせるのか、僕の考えでは…」「いやそれは違う」と口角泡を飛ばして議論して、いつのまにか彦根に着いていた(当 時私は彦根に住まいしていた)ことも懐かしい思い出である。

 こんなご縁があり、30の春にお誘いを受けたのだった。
 そこには吉永幸司先生がおられた。当時、滋賀大学附属小学校にご勤務で、先生の実践批評や指導助言はいつも、“実践の鬼”とも言うべき迫力であった。教材研究のいろはから、指導案の意味や大切なポイント、授業記録とその考察の仕方や読み方等々、なぜ今この実践なのかその背景や子どもの見方、何を志向したものなのかと、具体的でしかも理論的、抜群の説得力である。先生の生の言葉で直に、実践理論構築の実際を学ばせていただけることが何にも代えがたい場であった。それは我々若い同人全員のあこがれだった。常に目標でもあった。

 先生は毎年ご自身の実践をまとめて刊行されておられたが、(何冊かは表紙を描かせてもらった。) 自分も試みたものの到底続かず、そのエネルギーのすごさには舌を巻くばかりであった。国語教育に かけるエネルギーは、京都女子大学教授の今もますます増大中である。

 「さざなみ国語教室」はこの2人の巨人に道を拓かれ、導かれて今日を迎える。あれから25年、高野氏が逝かれてからもう十数年を数えた。改めて創設当時に倉澤先生(国語教育学会会長)からいただいた「心臓のように」の言葉を思い出している。止むことなく常に新しい実践を作り出す熱意を持ち続けたいものだ。そう、「温故創(想)新」の思いで、実践の工夫と創造できるよう“さざなみ”同人とともに今後も切磋琢磨してゆきたい。
(大津市教育研究所)