巻頭言
三行詩で言語感覚を磨く
藤 井 正 人

 子どもたちに、日々折々、事あるごとに三行詩をつくらせている。三行詩とは、七五調のリズムに言葉をのせて三行で書き表す短詩である。石川啄木の作品の多くが三行詩である。
 以前担任した六年生の作品をいくつか紹介する。

  一年生
  小さな体に
  夢いっぱい

 上の作品は、児童会行事「一年生との対面式」で、自分(六年生)が一年生をおぶって退場している場面を表した三行詩である。「小さい」と「いっぱい」の対比がいい。また、一年生へのあたたかい思いがあふれている作品である。

  全校が 燃えたグラウンド
  片付けて
  今 砂だけが走っている

 これは、運動会の後始末の場面を表現している。盛り上がった運動会の後に感じる一抹の寂しさを「砂だけが走っている」と表現したところがいい。松尾芭蕉の「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」に通じる心である。
 ところで、歌人の俵万智さんは、次のように述べている。
「短歌を詠むはじめの一歩は、心の『揺れ』だと思う。どんな小さなことでもいい、なにかしら『あっ』と感じる気持ち。その『あっ』が種になって歌は生まれてくる。」(『短歌をよむ』岩波新書)

  笑うとね
  鏡みたよう
  母の顔

 毎日見慣れてる母の顔。その母がにっこりほほえんだ。そのとき「あっ 私そっくり」と心が揺れた。日常のありふれた一瞬に親子の絆を感じ、三行詩が生まれたのである。
 また、三行に分けて書く意味の一つに、「三行目の落ち」がある。これは、特に教えなくても、多作する中で子どもは体得する。例えば、次の作品である。

  スマップへ
  となりの人の声ひびく
  それにも負けない母の絶叫

 三行目は、見事な「落ち」である。スマップのコンサートへ行き、母の意外な一面を垣間見た驚きを一行でずばっと表現している。
 「心の揺れ」を七五調のリズムで三行詩にする。その過程で、言語感覚が磨かれる。
(新潟市立新津第一小学校)