展覧会を指導に生かす 2
中 嶋 芳 弘

 昨年も取り上げた「全国書画展(書写のワールドカップ2006)」について書く。

 全国一の「筆」の産地、広島県の熊野町は、昭和6年以来続けてきた「全国書画展」の74回目の募集を行った。書写に限らないが、展覧会への応募や見学は、児童のみならず、指導者にとって、「作品を見る機会」「自分の学びや指導を振り返る機会」となる。この書展は、書写教育の振興と保護の立場から、出品無料で全校児童が出品できるシステムになっている。極論かもしれないが、それだけで、学級の一部の児童しか出品できなくなっている行事化した展覧会とは趣を異にしている。授業の一環として取り組みやすいよう、教科書から課題が選べるようになっているのもうれしい。この書展に今年も応募した。

 次は、書展の審査結果から考えたことである。私は、1学期の課題(1字書き)より、2学期の課題(2字書き)を出品すべきだろうと思い、2字書きの作品を多く出品した。しかし、少なくとも本校の結果で見る限り、どうやら1学期の課題(1字書き)での応募の方が、結果はよかったように思った。(私がおおむね、同等の力と評価している子について比べてみて)ここで、反省である。審査員は、ただ形のよいものをではなく、線質や筆使いのしっかりとした作品がよいとされている。つまり、同じ力なら、1文字を大きく、確かに書ききっている作品が取り上げられたということである。

 私の師、故・三原研田(滋賀大学教授)はよく、「手本に酷似するのみを求めない」と言われた。それは、手本はいらないという意味ではなく、手本に何を見つけさせ、手本から何を学ばせるのかが大切であるということであった。線質や筆使いのしっかりとした作品がよいということ。つまり、課題の字数にとらわれていた私は、この師の教えと児童の取り組みに反した応募をしたことになるのだなと反省した次第である。

 さて、スポーツの競技会の盛んな時代であるが、「書写のワールドカップ2006」という呼び方には、スポーツのように盛んにしたいという主催者の思いを感じる。書写に限らず、図工美術、作文や朗読・弁論、音楽といった「表現」についても多くの児童が自分の力を試してみる場が増えていくことを期待したい。

 そして、その表現に求められるのは、「その子らしさ」であり、「長さ」や「複雑さ」「巧みさ」「力強さ」や「清らかさ」と多様であろう。つまり、「表現力」の指導は、「その子らしさ」を表すことの指導なのである。
(彦根市立河瀬小)