高学年の話し合いに思う
森 邦 博
授業研究会が終わってからの話。 授業者と話しているところへ、研究主任が、 「今日Yさんがあそこで、よく発表したね。いつもと違うYさんが見られてよかったわ。」 と話し出した。Yさんは、めったに発表しない子だそうだ。でも、その子が今日の授業で、 「暗記しておいたらよい、と思いました。」 と、はっきり聞こえる声で発表した。 そのことに話題が集まる。担任の先生は、 「大丈夫かな? 声も小さいんじゃないかなと思ったけど、当ててよかった。」 と振り返られた。 Yさんは、O児の発言、 「挨拶もだめ、質問もぐちゃぐちゃになったから、前よりもだめだった。」 と、前の時間のインタビュー活動と比べて反省を発言している。さらにその前にはM児が、 「質問することを書いたノートにたよらないようにしてたけど、できなかったのが惜しい。」 と、発言している。 Yさんは、O児M児と同じグループで記録係として、2人のインタビュー活動を記録していた。記録 しながら、2人が苦労していたり、困ったりした場面を見ていたのだろう。だから、ここで自分のアド バイスが必要だと考えたのだろう。それが、あの発言になった。 このように私には思えた。すると、Yさんは、「普段からあまり発言しない子」という捉え方で終わらず、「だけど、しっかりと聞いてよく考えている子」という面をプラスさせて捉えることができる。事実Yさんはそうだった。 高学年になると、発言や挙手が急に少なくなるから困ると言われることがあるが、発問・反応という学習場面のイメージだけでなく、むしろ、友達の発言を聞いて自分の考えにつなげたりする発言を育てていきたいと思ったのだった。 できればYさんから、 「私は、暗記しておけばよかったと思ったんだけど、どうですか。」 と、YさんからOさんに返せるといい。 それが難しければ、先生が、 「今のYさんの考えは、Oさんに参考になると思うけどどう?」 と代わって「見本」になってみたらどうかな?と思った。 さらには、こんどはO児からも、 「今のYさんの発言を聞いて、僕はこれから…。」 と子ども同士のやりとりになるともっといい。 (大津市教育研究所)
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