読んで読んで読んで
森  邦 博

 研究所の研究協力校瀬田小学校の1年生の研究授業を参観した。
 「あいうえおのうた」の授業である。子どもたちは、「先生と」「全員で」または「一人で」と、いろんな音読に、嬉々として取り組んでいる。

 5校時なのに実に元気な音読の声が響く。すごい1年生のパワー。子どもだけではない。担任の若い先生も、子どもに勝るパワーを発揮している。おまけに、突然先生がタンバリンを取り出して拍子をうつ。その音も子どもの声にかき消されている。
 パワーとパワーの相乗効果で、学級は大いに盛り上がっているといった状態であった。

 校長先生の話では、普段はもっと大きな声が教室から響いているとのこと。研究会の席でも「どうしてあそこで、タンバリンを使ったの」との質問に、「ちょっと子どもの声に元気がなかったもので」との答えが返ってきて一同思わず笑い。そんな授業であった。

 このように書くと随分粗削りな授業のように伝わるのではないかと思うが、パワーだけではない。子どもの活動意欲を支えている先生の細やかな配慮にも感心する。
 例えば、教室には、子どもが見つけたひらがな言葉の絵カードが、たっぷり掲示されていた。自分で「あいうえおのうた」を作る活動場面で、参考にできるように教室環境が整えられている。

 それよりも、子どもが発表したあとの先生のみじかいコメントがすばらしかった。
 このときの声はささやきに似てとても小さい。それで子どもは先生の顔を見て聞きしっかりと注意を向けて聞いている。先生のコメントも、その子のよさに注目した適切なものだった。

 ある子は教室の「あめ」のカードを見て「あめだまにじいろあいうえお」と書いた。その子へは、「あめの絵の色を見ていい言葉を見つけたねえ」と感心した顔でコメントを返された。ぱっと子どもの顔が晴れやかになって、とっても自慢げな顔になった。
 この先生はぼくのことを見ていてくれている。私の工夫を認めてくれるという信頼感は子どものやる気を大いに引き出す。そんなことを教えられた場面であった。

 当の先生にとってはあまり意識しない、自然にでてきたごく普通のこととのこと。そこで思い出した。鳴門教育大学の梅澤実先生が研究所の講演で、そういう先生の体験や経験的に身につけた授業の「知」を「暗黙知」とおっしゃったことを。それを「明示知」として指導のポイントとして言葉にし共有できるようにすること。授業の視点を得た思いであった。
(大津市教育研究所)