巻頭言
中堅教師のひとり言 ープロの教師とは…ー
高 瀬 典 子

 民法の某テレビ局では、今まで人気だった教師像を打ち砕くような鬼教師が主人公となり話題を呼んだ。視聴率を高めるために、かなり子どもの姿や教師達、親の行動を脚色し、悪者だらけのような舞台設定であった。

 普段は、TVドラマなどほとんど視聴しない私が、クラスの子どもの勧めもあって全編視聴してしまった。主人公の女教師は体罰を平然と行い、給食を食べさせない等、人権を無視した教師としてあるまじき行為をしていた。しかし、主人公の姿が私の心に焼きついたドラマであった。

 親の評判、子どもの受けや同僚からの評価を気にせず、自分の信念を貫く姿に、私自身の弱点を見た。
 子どもの指導に悩み、親からの苦情に涙をこぼしている若手の先生方に、先輩として声をかける。
「もっとプロの教師として自覚をもちなさい。子どもは教師を選べないのよ。」

 そんな私自身は、親の反応や子どもの評判を心の中では気にしている。外部から招いた指導者の評価に一喜一憂する自分がいる。正直に書いてくれた同僚からのコメントに内心ムッとすることもある。
 なぜだろう。こんな自分が恥ずかしくもあり、情けない。
 原因は、自分の指導に自信がないためである。年令を重ねても満足のいく授業ができない自分を隠すため虚勢を張って子ども達の前に立っているのだ。

 最近やっと、自分自身を厳しく見つめ、教師としての己を分析できるようになった。分析し、悩むことで、子ども達をいろいろな角度から見られるようになった。わずかな変化も見落とすことがなくなってきたようである。高い学力は望まない、確実に学力を身につけさせられる教師になりたい。
 一年間で子ども達のやる気に火をつけられる教師、落ちこぼれを生まない教師、思いやりの心を芽ばえさせる教師、欲張りと言えるかもしれないが、全て出来て当然なのがプロの教師だと考える。

 先のドラマの教師のように、子ども一人一人をじっくり見つめ、「教え子のためなら眠らなくてもよい」と言い切る情念までは身につけられないが、「プロの教師たれ」と自分に毎日活を入れ、奮起しているこの頃である。
(埼玉県鴻巣市立松原小学校)