▼落語を教材にした授業を参観した。活動する子どもたちは真剣で教室は落語の雰囲気で盛り上がった。ところが、発表者が言い方を間違えた部分で、急に笑いが起こった。

▼笑いは人を和ませ仲間意識を強めるという働きがある。落語を教材にしたのも、笑いについて考えさせるという意図も含まれているのであろうと推測していたので、教室の笑いに一瞬とまどった。失敗を笑うあざ笑いで嫌な気持ちになった。

▼人を馬鹿にして面白がるという風潮がある。子どもだけでなく、テレビでは毎日のように漫才やワイドショー、トーク番組で笑いにふれる。漫画も同じ。多くは失敗が対象である。大人は、ギャグの世界と現実の違いを知っていて区別できる。が、子どもは区別ができない。その違いが大きい。

▼鉄棒で落ちて怪我をしている子を笑う。困っている子に周りがはやし立てる、その様子を笑っている。取り立てて国語科の目標「相手の気持ちを考えて」を盾にするつもりはないが、学校という場では、自らの言葉について考えさせる必要があるのではないだろうか。「笑ってはいけません」という指導ですませず、国語力という範囲で考えることが大切であろう。

▼人を馬鹿にして面白がるという前に、失敗した子にいたわりの気持ちを持つ指導も国語の大切な力であろう。(吉永幸司)