▼トラブルの解決の事例が二つある。一つは「先生は、何故僕たちだけを注意するのですか。みんながしていることなのに」ということから始まる教室。もう一つは「僕も悪いところがあるのだけれど、どうしても我慢ができないことがあったので聞いて下さい」と、自分の非を認める言葉がある教室。国語の授業でいえば、後者は国語好きの子が多い教室。話したり書いたりすることを繰り返すうちに、考える力が育ち、場や状況に応じた話ができるからだろう。

▼「海の命」(光村六年)の授業を参観した。学習場面は、「巨大なクエを岩の穴で見かけたのにもりを打たなかったことは、もちろん太一は生涯だれにも話さなかった」の一文をどう読むかであった。一つの教室では、「太一は自分のしたことを封印した」という意見が出た。しかし、子供達には、発言者の意図が理解できなかった。すると「発言の意味が分からないので、僕に分かるようにいってほしい」という注文がでた。発言者はかみしめるように自分の考えを述べた。もう一つの教室は、「どうして話さなかったのでしょう」に答える子供の発言を、教師は「そうだね」「よく考えたね」と一つ一つ評価し教師の意図通りにまとめた。前者は話し合いの前にじっくりと読みを蓄えていた学級。後者は、問答の授業。

▼教室も授業もいろいろである。(吉永幸司)