巻頭言
シングル・マインドとシンプル・マインド
緒 方 伝 治

 シングル・マインドとシンプル・マインドという英語がある。平たく訳してみると、「一途」と「単細胞」という言葉が対応するのだろうか。同じような意味にも取れそうだが、「グ」と「プ」という一字の違いで、意思が「ある」のか「ない」のかという大きな違いがありそうだ。一昔前、日本が世界一として光輝いて見られていた頃、欧米人のビジネスマンたちは、賞賛とも恐怖ともみられる顔つきで、日本のビジネスマンと日本企業を「シングル・マインディド(一途な)」と評していたのを憶えている。決められた目標に、一丸となって努力しているように見える日本人=日本民族の姿は、彼らには異様であり、個人主義という価値観からは、容認しにくい集団の行動にも思われたことであろう。実態は不確かであった「日本株式会社(Japan Inc.)」という呼称も、欧米人のこうした価値観の文脈から見れば、理解しやすい。

 ある時、私が間違えて「シンプル・マインディド」といったところ、話し相手のビジネススクールの教授に「ノットシンプル、バット シングル・マインディド」(単細胞じゃない、一途なんだ)と訂正されたことがあった。その教授の表現の裏には、明らかに「努力を惜しまない日本人への賞賛」の気持ちが込められていた。

 バブル崩壊後、かつての賛辞も聞かれなくなって久しい。また、談合事件のような不祥事が次々に摘発されてくると、「日本株式会社」の実態らしきものも次第に明らかになってきた。 60年前の敗戦の廃墟から、経済規模で世界第二の大国を築いてきたのは、日本人の一途な努力であったことに、異論はないだろう。しかし、「努力が報われ、成功する」ということが「あって欲しい」ことであるとしても、「幸運に恵まれるかどうか」ということも成功の大きな要因ではなかろうか。その意味では、バブルという現象が「強 運」を信じるものたちの一睡の夢という側面をもっており、「強運」を「実力」と取り違えたとき、夢の泡であるバブルは崩壊する必然性があったといえるだろう。 「盛者必衰」という古い言い回しがあるが、私個人としては、日本がこのまま衰退の道を辿るとはみていないが、しかし、こうしてみると、「シングル・マインド」と「シンプル・マインド」という言葉の差も、やはり一字程度にしか違いはなかったようにも思われる。
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