▼「親切」を考えさせる道徳資料に次のようなお話があった。主人公の小学生がスーパで買い物をしている時、孫を連れているお婆さんに出会った。孫が、商品の山を崩したのでお婆さんがあわてて商品を元通りにしようとしているうちに孫の姿は見えなくなる。商品の始末と孫の行方を捜す両方の問題を抱えて困り切っているお婆さんに小学生が商品の後始末を買ってでる。

▼資料を学ぶ子どもたちは、どのように自分と比べ、読むのだろうか。手伝おうとする小学生に共感する子もいるだろうし、そのような行為ができない自分を恥ずかしいと思う子もいるだろう。とりたてて心が動かない子もいるのだろう等、教室を想像した。

▼資料のお話は更に続く。そのスーパーでは、いつも子どもにいたずらをされているらしく商品の後始末をしている小学生を「また、いたずらをしたの」と厳しく注意をする。小学生が嫌な気持ちになっている時お婆さんが戻ってきて、事の次第を店員に説明する。後日、小学生の行為に心を動かした店員が学校へ出来事の子細を報告する手紙を届ける、校長先生が全校に伝えるというところでお話が終わる。小学生の善意の行為が小さな波紋を描き、様々な人の心を動かす話である。

▼言葉の世界も例外ではない。「ありがとう」「ご苦労様」が、心に豊かさを運ぶ。資料の小学生の行為のように。(吉永幸司)