第33回国語研究集団合同研究会
「べき」より「たい」と「ふり」「つもり」
森  邦 博

 今夏の国語研究集団合同研究会2日目は、山本隆三先生(東風の会)と、吉永幸司先生の講話で締めくくられた。

 山本先生は、「東風の会」の機関誌作りが大変勉強になったとのこと。「例会でのさまざまな話題からテーマを立てて自分なりの考えを書き続けることは、考えをまとめる勉強になるとの話に「確かにそうだ」と頷きながら聞いた。山本先生の言葉の幾つかの私のメモから。

○教育は受け手(子ども)を無視しては成り立たない。子どものできることの上に、少し力を付け足してやれる。それが先生。
○次の自分の進む方向を見つける。それが研修の価値だ。研究会では「背伸びさせてもらう」つもりで、発言をして恥をかけ!知らないことの自覚が意欲の出発点だ。
○職人のプロ意識を語る言葉に、「もの言わぬ、もので物言う、職人魂」という言葉がある。教師も。(私なりには、授業が勝負と解釈)そして、「べき」より「たい」で指導すること、子どもを立派な大人にしてやる、そういう熱い思いを込めて日々の実践に邁進するべきだとの激励をいただいた。

 最後は、吉永先生。
 吉永先生には、研修するということの私たち実践者にとっての意味、「話すこと・聞くこと」の指導の不振についてを話題にしての講話。

 教育実習生の授業と担任の授業とで子どもが見せる姿が違う、これはすなわち先生の指導力の大切さの裏返し。では、どのようにして力をつけるのか?「指導力の脱皮」には研究授業での「失敗」と子どもへの「ごめんなさい」の経験が不可欠と話された。
 最近隆盛の「話す聞く」の授業研究を例に。ある研究校でスピーチ原稿を書いて発表するというので、「1人何回話しましたか?」とたずねると単元で1回と言う。それで力はつくか?と問題を投げかけられ、指導者に力は使わないとつかないという思いが薄い。「十分やらせられなくてごめんなさい」との意識がなく「失敗」と見てないので改善の視点もない。

 改善の具体的視点の例として「子どもの学習活動の量は大丈夫か」と問い直すことを提案いただいた。問題意識がなければ指導した「ふり」「つもり」で終わってしまい、子どもの言葉の力の変容がないままの指導に流れてしまう。

 実践する者への先生からの夏休みの宿題である。
(大津市教育研究所)