▼1年生担任の青年教師であろうと推測できるHPを楽しみに読んでいる。先生の変化と子どもの成長の記事は読んでいて楽しい。その中に悩みが記されていた。クラスの子が上級生にいじめられたというのである。学年も名前も明らかになっているのに該当の上級生は「知らない」と言い張るという内容であった。青年教師の正義感と苦渋が見えるようで胸が痛んだ。

▼同じような出来事を知人が話題にしたことがあった。ボールが菜園に入り込み迷惑をうけたという近隣の家庭の苦情が届いた。子どもを指導したら潔く非を認めお詫びに行くというので、さすがに我が校の子どもと思ったという。しかし、そのお詫びの仕方は、家へ入ることなくガラス越しにその家の主人を呼び出したというのである。

▼2つの出来事を同じ時期に知ったので複雑な気持ちになった。「知らない」「窓越しに呼び出す」という言動に初めは呆れたが、よく考えてみると学年を問わず子どもたちの常識はその程度ではないかと思ったのである。正直に話しても何も得にならないという知恵は言い訳が上手な子を育て、お詫びをする指示はしてもお詫びの仕方を教えていないのではないかと考えるようになった。

▼この出来事だけでなく、このくらいは知っているだろうという幻想は何か大きなものを失っているような気がする。(吉永幸司)