巻頭言
流行の学力向上策についてもの申す
西 村 喜 雄

流行の学力向上策
 学力低下や、学びからの逃走が指摘されて以来、学校現場でも、学力の向上が大きな課題として認識されるようになりました。ただ、いくつもの学校で取り組まれている学力向上策はというと、特定教科の指導が中心で、いわゆる基礎・基本にかかわるドリル学習や反復練習が重視され、学習の形態も少人数・習熟度別指導に力が注がれています。
 しかしながら、このような学力向上策だけで果たして本当によいのでしょうか? 皆さんと共に考えてみたいと思います。

単純な計算練習の繰り返しだけでいいのかな?
 「単純な計算練習等の繰り返しが、大脳新皮質・前頭前野の血の流れをよくし、脳を活性化させる」という研究成果が出されています。しかし、例えば、体育の学習でストレッチ等の準備運動で、体が温まるからといって、ストレッチばかりしていて、逆上がりができるようになるでしょうか?
 例えば、算数では、単に九九を暗唱して習熟させるだけでなく、九九を使うことのすっきりさや鮮やかさといった「算数のよさ」に子どもが気付けるように指導していくことが大切ですし、国語であれば、言語事項のトレーニングに終始するのではなく、詩の学習で一つの言葉に魅了され、それを心に刻んだり自分でも使ってみたりするといった「言葉の美しさや豊かさ」との邂逅を大切にした授業をしたいと考えます。言霊の幸わう国の住人として・・・。

習熟度別、少人数、等質の集団からは、生み出されないもの
 本年度の本校の研究を通して、「学ぼうとする力」を引き出す「学習を深め・広げていく喜び」や「友だちの共感・賞賛」などが、友だちの考えとのぶつかり合い、子ども同士の練り合いの中から生まれることが確かめられました。「学ぼうとする力」を引き出していくことは、「子ども同士が、練り合い、高め合う学習」を大切にしていくことと密接にかかわっているのです。異なる考えや違った能力を持つ、いろんな仲間・友だちが、約四十人もいる集団であればこそ生み出されるものを、本校では大切にしています。
 少人数・習熟度別の等質の集団からは生まれてこないものが、そこにあると考えるからです。
(滋賀大学教育学部附属小学校)