巻頭言
パソコンとこれからの作文指導
山 尾 健 一

 国際的調査において若者の国語力低下が危惧されているのに反比例するかのように、現在パソコンの日本語変換能力は目覚しく向上している。パソコンは、鉛筆などの筆記用具に変わるツール(道具)というよりも、もはや総合的な文書作成ツールへと変貌しつつある。例えば、文脈を解析して同音異義語の動詞を変換したり(着物を着る・刺し身を切る)、文書作成時に最適な表現が見つからないときには、ひとつの言い回しから多彩な変換候補を提示(会う→出合う・逢う・接する・お目に掛かる等)したりできる。更に尊敬語と謙譲語の間違えさえも指摘する。現在、小中学生以外が文書作成する際には、公私を問わずその大部分でパソコンを使用することが多くなっている。これらの現状を踏まえ、鉛筆で書く作文もその指導法を見直していく必要はないのだろうか。

 確かに、パソコンは機能が向上したというものの、所詮は文字を書いたり、文書校正を支援したりするツールであり、文書の内容を考えるのは人である。そのことは、人が石に文字を刻んでいた時代から不変であり、今後も変わることはないだろう。石も鉛筆もパソコンも書くツールであることに違いはないのだから、その指導のあり方も不易なものと考える教師が多い。しかし、鉛筆とパソコンの文書作成には大きな違いがある。

 野口悠紀雄氏は、その著書(「超」文章法 2002年)の中で「パソコンを使った文書作成は、これまでの書く作業の本質的な性格までも変えてしまった」と言う。鉛筆の文書作成は、構想をメモに書いてから、原稿用紙の頭から順に一字ずつ字を埋め込んで、文章を作る。修正が増えると、清書が必要となる。しかしパソコンはコピー、切り取り、貼り付けが簡単なので、メモを書き、そこに足りない部分の追加、表現の改良、削除、順序の入れ替えなど「行きつ戻りつ」という書き方で文章化できる。自分の書きたい場面から書くこともでき、もちろん清書はない。これは文書作成の苦手な私にとっても画期的であった。逆に鉛筆に慣れている人は、清書をパソコンで行うという二度手間をしている。小中学生も近い将来パソコンを使って文書作成を行うことになる。そこへスムーズにつながるために、鉛筆の作文で大切しなければならないことは何だろうか。パソコンの文書作成につながるための作文指導が必要だと考える。

 温故知新。「これまで」の作文指導を見つめ、子どもたちの「これから」を見据えた作文指導を模索することが大切ではないだろうか。そのことが若者の国語力向上にもつながると信ずる。
(大津市教育研究所・科学館)