第16回「新しい国語の授業」研究会
もっと、教室の知恵を
森  邦 博

 時はまさに子どもの学力、読解力の低下が危惧され、また、「学ぶ意欲が希薄だ」と指摘されている。今、これらの課題に正面から取り組む実践が求められている。そんな中で、第16回「新しい国語の授業」研究会を迎えた。

 これまで私たちは、子どもが意欲的に学び、確かに言葉の力をつける授業を常に目指してきた。これは決してお題目ではなく、授業者としての不易の願いでもある。その思いを1時間1時間の国語の授業中の具体的な子どもの姿の変容に置き換えて工夫・努力してきた。そして「確かに子どもが伸びた!」と実感できる授業もある。そのときの子どもの姿を見つめなおしてみると、そこにはきっと課題に対する答えが見つかるのではないかと思う。

 今研究会のテーマ「子どもが勢い込む国語科の授業の知恵」で言えば、「子どもが勢い込む」授業の場面には、授業者の具体的な手立て(工夫や・努力・留意点や配慮など)が授業の「知恵」として必ず働いていると考えるのである。つまり授業者の手立てが「知恵」として働くときは、「子どもが勢い込む」授業場面である。それを学び合いたい。これがテーマにかけた願いでもある。

 提案者 西秋英子先生は、物語教材の読みの授業場面で「話し合うってすばらしい!と、子どもとともに実感した」と報告された。そして、その授業を振り返り、そのとき何がそこに働いていたのか、自らの取り組みを振り返ってレポートしてくださった。
 この時間は、子どもの相互指名で話し合いを続けた授業であった。私は、先生の学級通信に紹介してあるA児の感想(レポートによると「普段から挙手して発表することのほとんどない子」である)「ぼくは、ふだん発表しないのでいっぱい発表できてよかった」に注目した。
 はじめ、友人関係に引きずられていた指名は、「意見を聞きたい子」へと内容中心に変わり、「話し合いの流れを把握しなければできない」「聞かなければならない」話し合いに高まっていったという報告である。話し合いが本物になって、A児の「勢い込む」姿も生まれた。その時先生が日ごろから続けてこられた、様々な取り組みが進んで学ぶことを促す手立てとして生きた、すなわち授業の「知恵」と呼べるものになったと考える。
 A児は「発表しない」で平気だったのではなく、「いっぱい発表」したかったのである。この思いに応えるためにも、授業の「知恵」を私たちは身につけていくことが、今求めらる教育の課題に答えることであると考えるのである。
(大津市教育研究所)