コンテクストのずれ
廣 瀬 久 忠

 今年2月に文化審議会から『これからの時代に求められる国語力について』の答申が出た。
 今後の国語教育の方向が示されており、学校の「国語科教育」にも反映されると、国語の時間数が増えたり、教科書に物語教材が増えたり、音読や暗唱と古典が重視されたり、演劇を取り入れた教材が登場したり、読書指導のボリュームが増えたりするのかと思われる。実際、17年度版教科書には、この答申の中間報告を受けて、巻末付録の内容を変更したり量を増やしたり、「交ぜ書き」を避け、ルビをふって上学年の漢字を多く登場させたりした教科書も見受けられる。

 さて、この答申の説明会が6月大阪で行われた。滋賀からは高校教師が数名参加。小中学校の教師は私一人だった。関心が低いのか。
 審議委員である作家阿刀田高氏の審議会の様子についての解説では、「これからの時代」を各界のシンクタンクの叡智を集約して慎重に審議したことが伺える話しぶりであった。

 続いて演出家平田オリザ氏の講演。これが実によく分かる楽しい内容で、こんな講演ならいくらでも聞きたいと感じた。氏は委員ではないが、演劇教育の立場からの登場である。
「演出家の仕事は、演出家と役者、役者と役者のコンテクストのずれを摺り合わせる仕事」
「舞台の上の役者のコンテクストがバラバラじゃ、演劇という作品は完成しない。そんな作品ではお客を感動させられないでしょう」の話になるほどと膝をたたいた。
 「コンテクスト」とは、直訳すれば「文脈」である。平田氏は「一人ひとりの言語の内容、一人ひとりが使う言語の範囲」と説明している。

 オーディションで女子高生21人と芝居を作る企画で、平田氏のコンテクストと女子高生のそれが甚だしく乖離していて、「帰りにマクドナルドへ寄ってかない?」の台詞が言えない現象が起きたという。前後は自然に言えるのにマクドナルドが言えない。なぜか。平田氏は言う。「彼女たちのコンテクストの中に『マクドナルド』の単語がない。『帰りにマック寄ってかない?』ならOKだった」と言う。さらに氏は言う。
「大事なことは、『コンテクストのずれ』をまず認めて、そこからコンテクストの接点を見つけ出していくことだ」

 これを聞いて、はたと気づいた。
 これまでの国語授業の中で、子どもと「コンテクストのずれ」を摺り合わせる努力を大切にしていたか。互いがわかったつもりでいたのではないか。初心にかえり、言葉の共有を大切にしたい。
(石部町立石部南小)