巻頭言
最期に何をするか
藤 田 弘 之

 4月の末、所用で吉永先生に会ったときに原稿を依頼された。辞退したが、先生のソフトで、真綿のような語りに、ついつい言いくるめられてしまった。原稿の締め切り日が過ぎ、何を書くべきかと迷っていた時に、先生から渡された「さざなみ国語教室」第264号の中の田中朋子さんの文が目に留まった。研修医として医師の経歴を始められた田中さんは、様々な死を経験し、ひとりとして同じ死はないこと、医師はこうした患者から逃げるべきでないことを述べ、医師としての思いをつづっておられる。

 私自身、すでに60歳に手の届くところまで来た。生きられる時間も格段に短くなったと思う。最期にどういう形でこの生を終わるのかは、仏様が知っているのであろうが、できれば自分に満足のいく最期をむかえたいものと思っている。

 このようなことを書けば、この高齢化時代にと嘲笑されるかもしれない。しかし、こうした意識は各人の生活史と密接に関わっている。私事にわたるが、40歳ごろまでは、全体的には明るい、笑いのある生活を送ることができた。しかし、このころより様々なことが急速に逆回転しだした。近親者が次々となくなり、様々な逆流が堰を切ったように押し寄せた。40歳半ばから50歳半ばまでは、健康の面でも精神の面でもどん底であったと思う。

 八塚実先生は、『一生一度の学び』のなかで、教師をやめ、お母さんの介護に尽くした経験から、それまで気がつかなかったことについて様々な学びをしたと書き綴っている。私の場合も同様であった。特に、末期の肝臓がんでなすすべがなく、自宅で3年間療養を続けた母からは、自分がいかに人間の本質的なことを考えずに生きてきたかを悟らせてくれた。こうしたことを自分の学びに昇華できたのは後になってである。

 人にあからさまに言えることではないが、今これから自分に残っているであろう時間を、何に捧げ尽くすべきかと密かに考えている。自分が取り組んできたイギリス研究の最後のまとめもしたい。しかし、それ以上に、草の根の現場で教育に命をかけ、生涯を子ども達に捧げつくした先生達の生き方の根底への興味や関心が急速に高まっている。
(滋賀大学教授)