巻頭言
初 志 貫 徹
佐 田 壽 子

 「学校の先生になりたい。」
 小学生時代に抱いたこの思いは、中学生になるとますます熱くなるばかりであった。夜、床に就いてからも自分が教師になった姿をあれこれ思い浮かべ幸せな気分に浸っていたりもした。「先生」になっていない自分なんて考えられなかった。実は私、このとき、すでにそのための学校まで決めていたのである。そして、万難を排して(大げさなようではあるが、私にはそうであった。)望みの学校に合格。念願の「学校の先生」になることができた。

 さて、教師になった私であるが、「授業が上手になりたい」とか「子どもからも保護者からも信頼されるようになりたい」とかこのようなことは少しも思わなかった。ただただ、目の前のことに一生懸命だった。

 2年目のこと、体育に関する専門的なことを何も学んでいない私が体育主任に就くことになった。実は就任した学校、山の百人あまりの小規模校ではあったが、当時、奈良県の小学生の陸上記録会で好成績を収めていたのである。早速、大阪の書店に出向くなど陸上指導に関する勉強を始めることになる。そして、結局、私は転勤するまでの7年間、体育主任を務めさせていただいた。

 国語科との出会いは、就任6年目、僻地研究大会の公開授業で「大造じいさんとガン」をさせていただいたことということになる。この2年後、「一つの花」の校内研究授業を行ったが、このとき指導にこられた県教委の木村千佶先生のお誘いで奈良県国語教育研究会の事務局に入れていただいた。
 また、巳野欣一先生や米田猛先生にもお出会いでき、以来、あたたかいご指導を頂戴している。
『課題条件法による作文指導』(奈良国語教育実践研究会編 明治図書1990)の出版記念の公開授業では、飛田多喜雄先生に授業をご覧いただいた。
 さらに、たまたま足立悦男先生のお子様を担任させていただいたことから野地潤家先生にお会いでき、著書出版という夢のようなことも実現した。
 今回、吉永幸司先生からはこうしてありがたくも原稿を書く機会を与えていただいた。

 「先生になる」というかなわないかもしれなかったことがかない、信じがたい出会いに恵まれ今日まで歩んでこれた。初志貫徹。努力を惜しまない自分でありたい。
(奈良県宇陀郡榛原町立榛原小学校)