巻頭言
教 育 の 忘 れ 物
間 場 和 夫

 若い現役の記者時代に書いた連載コラムに「教育の忘れ物」がある。執筆のきっかけは、こんなエピソードで始まる。

 舞台は京都の小学校。小学三年の女生徒と教師、それに高名な植物学者で知られた女生徒の祖父。
 夏休みの自由研究で女生徒が挑戦したのは、当然ながら植物採集だった。一つだけ名前が分からない標本があり、彼女は新学期に担任の教師にたずねた。「う−ん、難しいね。」
 やっぱりと思った彼女は早速、祖父に相談した。が、祖父は標本を見ながら、首をかしげた。「おじいちゃんも知らないよ。」
 彼女が去ったあと、祖父は担任の自宅に電話をかけた。「実はあの植物は」と、学名と特徴などを詳しく説明した。
 翌日、下校した女生徒は、目を輝かせて祖父に報告した。「先生って、すごいんだもん。一晩調べて教えてくれたんよ。」笑顔で聞いていた祖父は、頭をかきながら孫の顔をのぞきこんだ。「よかったね。おじいちゃんも、先生に負けないように勉強をしなくっちゃ。」
 祖父はふだんから、孫が学者としての自分を誇らしく思うあまり、担任の教師を見下している傾向を危ぶんでいた。よい機会でもあった。この植物名の一件があって以降、女生徒は担任への信頼を深め、全体の成績もぐんと伸びたという。

 この話を1回目のコラムに仕立てたのは、今も当時もそうであるように、教育論争は百家争鳴。理念とか制度が先走り、何かが忘れられ、取り残されている。
 教育の根幹は人間への信頼を差し置いて成り立たない。しかも、信頼とは言いやすくして、行い難い。お互いに全人的な努力と思いやりが欠けていては成り立たない。

 このコラムでは教育に限らず、実際に様々な取材の場面で気に掛かっていたものを支局長時代に地域の読者に問いかけた。大小は問わず、なぜか書棚のある家庭のこどもに読書好きが多いとか、向かい合うより、横に並んで話す方がこどもの心が開き安いと語ってくれた少年補導の警察官。
 とりわけ、現場の先生の指導面での悩みから頂いた「九歳の壁」。連載から二十年経った今、東京・品川区で小中の六・三制の枠組みを弾力化、「四・三・二制」カリキュラムを打ち出したとか。感無量の気持ちで受け止めている。
(ジャーナリスト、元産経新聞編集局次長兼経済部長)