巻頭言
馬 好 き の 教 育 論
目 賀 田 八 郎

 スポーツマンシップという言葉の初出は、1749年である。フィールディング作『トム・ジョーンズ』である。狩猟家精神と訳されるところを『スポーツマンシップ』としたのである。ツルゲーネフの猟人日記が『スポーツマン・ダイアリー』と訳されたのとの同じである。当時スポーツといえば、騎乗の狩しかなかったのである。

 人間と馬の、共存の歴史は古い。スキタイ騎馬民族の発生の地ウクライナでは、BC3700年頃の、家畜化された馬の骨が発掘されている。その後東西へ、スキタイ族の侵出と共に伝播したのだろう。BC2000年頃の『殷墟』から、駟車(戦闘馬車)が、BC1700年頃のエジプトからは、『騎士を乗せた馬車を描いた壺』が発掘されている。
 また、BC1300年頃から現れた、乗馬に便利な『胡服』が、今日のズボンの起源である。直刀が、今日の反りをもったのも、騎馬戦に便利だからである。

 ともあれ、そういう歴史を経て、騎士道が生まれた。それは『巧みさ』と共に『優雅さ』が求められた。近代馬術でも、騎士としての優雅な『心』が最も重視さているのである。当時は、騎士の心がない者は、ロバに乗ったのである。
 騎士に好まれたのが『騎乗槍試合』である。団体で行う勝抜戦をトーナメントと言うが、これば仏語の『馬を回す』の意味である。勿論個人戦のマッチゲームも、馬術から生まれた言葉である。  この『巧みさ』と『優雅さ』を、そのまま競技として独立させたのが、独に生まれた『器械体操』である。鞍馬・跳馬の名が示す通り、もとは乗馬の訓練だったのである。だから、馬の具象である平行棒の下はくぐらない。馬の腹の下は、くぐらないのが鉄則だからである。

 長々と馬術の話をしたが、これだけ歴史のあるものに、現代の鑑がないわけがない。それを説きたい為である。
 馬を御するに、古来より三態ありとされている。近代馬術にも、この継承はある。
 独に『馬を御するを主とする』法が生まれた。伊に『馬の自然に従うを主とする』法が生まれた。今も、これを尊奉する派もある。
 しかしほとんどは、仏の『馬の自然を尊重しながら、人為で御す』が主流である。
 子供を馬に置き換えては……と思いつつ、今の現場の反省にならないであろうか。
(総合初等教育研究所)