巻頭言
「ま・つ・な・が」から「まつなが」へ
末 政 公 徳

 13年目の単身赴任生活が、もうそろそろ終わる。早いものである。この間数え切れないほど実家のある尾道と京都を往復した。当初は新幹線ばかりであったものが、いつのころからか、気分転換に在来線や長距離バスも利用するようになった。しばらくして1年のある期間には、「青春18きっぷ」なるもののあることが分かってきた。この乗車券は1日乗り放題、その間、どの駅でも乗り降りはフリー、JRもなかなかやるものである。

 新幹線を利用した帰省は、ほぼ前期・後期の講義期間中となる。週末に帰省した後は、あの「海が見えた、海が見える〜」尾道からの釣行が定番となっている。古里の小さな舟溜りに係留している愛艇「古都」が、備後灘のポイントへ主を運んでくれる。都会と仕事を離れて過ごす大海原でのひと時が、間違いなく元気な自分を取り戻してくれているように思えてならない。

 新幹線と違い「青春18きっぷ」は、道中時間がかかる。じつはそこがなかなか楽しいのである。ローカル駅で入れ替わってくる乗客と、何かのはずみで会話が始まる。ある時、岡山から乗車した三人組の乗客の一人が話し掛けてきた。頭はスキンヘッド・目は澄んで輝いている。検札にきた車掌に示されたのは、三人分の乗車が分かる「18きっぷ」であった。対話を繋ぎ合わせていくと、早朝熊本を発って目的地は奈良。張りのある声・澄んだ眼差し・凛々しい立居振る舞いからして、僧侶とお見受けした。

 こんなこともあった。福山から乗車してきた若い母子の様子は、いまも鮮やかに蘇ってくる。列車は「松永」に到着し、その坊やはホームの立看を読み始めた。始めは「ま……、つ……、な……、が……」。これを繰り返しているうちに、「……」の部分が短くなっていく。そして遂に「まつなが」となり、「ママ、ここ松永や−」と言いながら、母親に投げかけた瞳は喜びに溢れていた。先程来この様子を、じっと関心を持って見守っていた母親は、にっこり笑いながら大きな相槌で受け止めてあげていた。安心したのかこの坊やは、ゆっくりと動き始めた列車の窓から、見えなくなるまで立看に目線を投げかけていた。日常生活の中で「松永」はよく聞き使っていたに違いない。それが「書きことば」として読めた感動が「ここ松永や−」となったのである。
(京都女子大学教授)