対 話 “言 葉 で 伝 え 合 う”
杉 澤 周 一

 あまんきみこ先生は、戦前、満州で一人っ子七人家族で育ち、祖父母、母、叔母が枕元でお話を聞かせる中、眠ったとのこと。その「語りかけの温かさがよい」とふり返られた。また、病気がちで寝ていた部屋の窓から見えるのは青い空ばかり。作品によく出てくる空は、その頃窓から見た「空の絵本」が原風景か。

 吉永先生は、二つの作品にまつわる秘話を引き出された。
 『白いぼうし』のぼうしは、被るだけでなくいろんなことに使って何度も洗った白のイメージ。また、松井さんはやさしい人なのではなく、普通のおじさんがやさしさを示している。ぼうしも松井さんも、実は奥深い意味があった。
 『ちいちゃんのかげおくり』は、ちいちゃんが母になる設定の三代の物語にするはずが、「あの頃の 空」だと、どうしてもちいちゃんが昇天してしまう。一年ぐらい書き直し抵抗したが、やはり天へ送らざるを得なかったそうだ。私はまた、戦争が恨めしくなった。死なざるを得なかった人がどれ程いたか。

 それらの作品を学習した教室から、よく手紙が届くそうだ。「1クラス分読むと、その教室の声が聞こえてくる。自由な空気の教室、先生主導の整い過ぎた教室、…」
 作品は、1つだけ世に送るラブレターのようなもので、何度も何度も推敲されるそうだ。そうして生まれた数々のファンタジーは、中学校の頃の先生が授業の最初に板書した詩とのつながりがあるかもしれないとその詩を詠まれた。

 一粒の砂の中に 世界をみる
 一輪の野の花に 天国をみる
 掌(たなごごころ)に無限をつかむ
 一瞬に 永遠を知る

 ウィリアム・ブレイクの「出会い」という詩だそうだ。興味をもった私は、調べて見た。ブレイクは、英国の詩人で画家でもあり、「無心のまえぶれ」と題した詩の中の一節に次のように書いていた。

 To see a World in a Grain of Sand
 And a Heaven in a Wild Flower、
 Hold Infinity in the palm of your hand
 And Eternity in an hour.

 吉永先生は、“真実と事実の間にあるファンタジー”と指摘され、あまん先生は頷かれた。

 感動的なフィナーレが待っていた。吉永先生が『ちいちゃんのかげおくり』の朗読をお願いされ、場内に、少し高めのトーンのやわらかい先生の声だけが静かに静かに響いた。私は、長い時代を永遠の少女が生きて、悠々、真実を響かせているかのような錯覚に陥り、しばし、幻想の中にいた。全文を読み終えられた後も場内に、その余韻が残った。涙を流している参加者さえいた。夏の大津に、優しい時間が悠々と流れていた。
(能登川町立能登川西小)