▼国語を適切に表現し、正確に理解する能力を育成し……から、小学校国語科の目標が示されている。表現力を育てることを目的に「話すこと・聞くこと」の指導も重視されるようになった。

▼ところが、この「話すこと・聞くこと」の授業があまり振るわない印象を受ける。学級会かなと思ったり、「総合的な学習の時間」だと思ったりして、国語科らしい形が見えてこない。

▼教科書も実践を著した冊子ももう少し明確でないし、一番とまどっているのが指導の先生方であろう。

▼話すことの力は、多くの本を読み理論に精通したとしてもそれで上達するものでもない。しかし、いかに上手に話をしていても内容や人柄に魅力がなければ聞き手の心を捉えることができない。

▼話すこと・聞くことの指導は急にクローズアップされたのではない。今までも繰り返し徹底することが求められていた。しかし、「物語を読む」という活動の中に織り込み「感想を言う」「主題について話し合う」ことも「話すこと」の中に押し込んでいた。そのツケがきているように思う。

▼指導が見えてこないのが課題。場を設定すれば話すことの力がつくという幻想。何かを話していればいいという錯覚。すぐに力が身につくという妙薬がないだけに、ツケの大きさを感じる。

▼よい話し手が育つということは、国語の力の総合力だという重さを感じる。(吉永幸司)