▼日本では人はこれまで増え続けてきた。「密」の時代を進んできた。逆に、これからは、「疎」に向かっていく。このことについてある大手広告会社の研究者が、次のように話しているのが心に残った。

▼「密の基調となる価値観 は量でした。企業でいえばやみくもに売上高を追いかけることになります。密の価値観に縛られすぎると“疎の時代には量が確保できない”ということを過剰に心配することになります。しかし、利益重視に転換すれば、状況は違ったものになるでしょう」と。結論として「退化は悪化でなく変化としてとらえれば、変化に対応すればいい」という。

▼教育改革の正否は、教師の意識改革がどこまでできるかである。生活科が誕生した時、研究会で「生活科」の名が付いただけで、多くの参加者が会場を埋めた。支援が大事だと言われると、指導をせず、子どものなすがままに放っておき、「自主性を大事にしています」という教室が増えた。結果として「活動あって指導なし」と評されることになった。「総合的な学習の時間」が生まれると、生活科と同じ現象が生まれた。ここ10年以上、各教科の研究は確実に手薄になっていたのではないだろうか。

▼大手広告会社研究員の言葉の背景に企業哲学を感じる。ここ数年の教育の世界には哲学を感じない。教育における「変化の対応」って何だろう。(吉永幸司)