▼子どもだけのせいではないが、最近次のようなことがあった。一つは学校の入り口が分からなくて下校途中の子に「玄関はどこですか。」と尋ねた。子ども達は、互いに顔を見合わせて、すっと避けるように遠ざかって行った。もう一つは、言語に少し障害をもっているのだろうという子(仮にA君とする)に出会ったこと。A君は、自分から「先生、どこへ行くの。」と話かけてきた。どこから先生と判断したのか分からないが、精一杯の言葉で話しかけ、学校まで案内をしてくれた。

▼悲惨な事故の発生で、多くの子ども達が見知らぬ人に声をかけられたらどうするかを指導されている。だから、見知らぬ人を避けていった子どもの姿をとやかく言う筋ではないが。

▼後者のことの続きで、A君と学校の近くまで来たとき、A君が名前を知っていた子なのであろう。「○○ちゃん。」と大きな声で呼んだ。すると、呼ばれた子は振り向いたが、急に走り出していった。それが私たちを避けているようにも見えた。

▼命を守るために敷かれている緊急事態が、子ども達の心の中にどのようにしみこんでいるのか気になる。カーナビで道案内はまかなえる時代。人と人と互いに言葉を交わし合わなくても生活に不都合はない。むしろ、交わした方が危険な時もある。おかしな時代である。(吉永幸司)