▼文章を書くことにはどんな価値があるのかという意味のことを問われることがある。即答に困る。しかし、書くことは「考える」こと、自分を変えることだろうと思うことに時々出会う。

▼百年後の世の中をテーマにした作文を書いた子がいる。「家の中には、食事が勝手にできる機械ができていると思います。この機械は、自分が食べたいものをインプットすると、その料理やおかしなどが何でも出てきます。」ということから始まり、夢のような生活ぶりが書き綴られていた。

▼ところが、途中から、考えが変わってくる。「その機械から出てきた自分の好きなものばかり食べていると、栄養がかたよったり、糖分の取り過ぎなどの病気にかかってしまうことです。」とか「コンピュータの利用は、便利になるけど、問題も出てくるでしょう。」と、立ち止まって考えている文へと変化していく。

▼文章を書いているうちに、多面的な見方が出てきたのだろうし、望ましい生き方について、自然に考えが向いていったのであろう。

▼日記や生活ノート、一枚文集等、書くことにこだわって実践を続けてきた。上手な作文の書き方は身につけさせられなかった。作文を好きな子に育てることはできなかった等、反省することは多い。

▼少なくとも、書いているとき、自分について考える時間を持てたのではないかと、ささやかに言い訳を考えている今頃。(吉永幸司)