巻頭言
国 語 の 教 師 は 幸 せ 者 で す !
夏 原 淳 子

「先生が来た!」 ドタドタ、ササッ。(慌てて教科書を出す)
「『来た』じゃないでしょ。『来られた』とか『いらっしゃった』って言ってほしいもんだ。」
「えへへ。『きやあた』ならいい?」
 こんな会話をしていた時代が確かありましたね。ほんの数年前のような……。今はどうでしょう。教師の姿を見ても、チャイムが鳴ろうが、お構いなし。傍若無人。小学校はどうですか?
 今、私の学校は荒れています。私の教職経験初めての体験です。
 授業エスケープ十数人。教室に入らずぶらぶらし、自転車を乗り回し、気に入らないと物を壊す子もいます。空き時間は、その子らとおつきあい。放課後はすぐに部活動指導。終わるのが夜7時前。それからやっと授業研究です。疲れもたまります。が、「明日はどうしていこうかな。」と、私はワクワク(?)してやっています。

 昨年まで落ち着いていたのに、なぜ? 現状分析と原因解明を行って対策を考えていますが、苦慮しているところです。何とかしようと学校全体でもがいています。そこででるのが「わかる授業」ということ。でも、私は主張しました。「わかる授業」とともに「学ぶ楽しさ」をこそ教えることが大切だ。わかろうとするその知的好奇心を育てること、「わかった、できた満足感」を味わわせることが必要だ、と。
 修学旅行で長崎に行き「原爆一人芝居」を鑑賞しました。なんと280名水をうったように静まりかえり聞き入っていました。時と場をわきまえた言動がほんとはできるのです。魅力ある内容と手応えの感じられる学び、子どもにとっての必要感を持たせられる学びを創っていかねばと痛感しました。

 いろいろやっても徒労に終わり、むなしさが残るだけのこともありますが、なんとか国語だけでも出るという子を増やします。
 そうそう、多くの子はしっかり考えていて、手を挙げて意見を述べ合うこともできるということを紹介しておきます。
 「うっさい。うっとい。どっか行け。むかつく。ついてくんな。しらんしー。」 彼らの言葉はだいたいこのぐらいです。感情を表す言葉を知らないのか、感情が豊かでないのか。通じ合いたくないのか。表現が下手なのか。このすべてのことに関わる「国語科」の教師は、責任重大だけど幸せ者です。がんばらなくちゃ!
(彦根市立東中学校)