▼国語科教育において思考力を育てるということは誰もが納得をする。しかし、今日の授業のどこでそれを意識したかと問われて明確に答えられるだろうか。

▼国語教育としての論理教育ということについて、「自分の言いたいことを、無理解と誤解の緊張に晒されながら伝えようとすること。そのときこそ、言葉が論理的に研ぎ澄まされる。あるひとつのことを伝えるためにあらかじめ何を言っておけばよいのか、分かりにくい部分はどこか、それをどう説明すればよいのか、補足すべきことはないか。あるいはまた、相手と自分と違う意見を持っていて、こんなことを言ってくるかもしれない。だとすればそれにはどう応じればよいのか。こうして、言葉が有機化されてくる」(矢野茂樹・国語教育研究7月)という意見がある。

▼ある対話の授業で、「僕が気をつけたのは書き出しだけど、どこをがんばりましたか。」と問いかけをした子があった。この子の場合、自分の聞きたいことをはっきり示し、相手の答えを導くという筋道がある。「僕は、今の考えと違うことで意見を言います。違うところは、二つあって、一つはまとめのところです。」「だから、一番大事なことは次のことです。」というように話をまとめる子も出てきた。表現力を育てることを意識した教室では確実に言葉の力が育っている。(吉永幸司)