巻頭言
一 字 の む こ う に
杉 み き 子
小学校5年生のとき、国語の教科書に「水彩画」という詩がのっていました。当時の国定教科書には作者名が明記されてないので、だれが作ったのかはわかりません。 この夏かいた/水彩画、 今出して見て/夏こいし。 青葉のそよぎ/日の光、 カンナの花の/血の色よ。 町のいとこが/帰る時、 あれ程ほしいと/言ったのを、 ついやらないで/そのままに 別れたことも/思われる。 ふとえがき出す/夏の夢、 外はちらちら/雪が降る。 この授業のとき先生が「主人公は、町のいとこに絵をやらなかったという、そのことだけを思い出しているんだろうか」と問われました。何人かが手をあげて「違います」「もっとほかのことも思い出しています」と答えると、先生は「そう、それでは、もっとほかのことも思い出しているということが、どこでわかるだろうか。たった一字でわかるはずだよ」と言われました。 友だちがつぎつぎに手をあげますが皆あたらず、私も「夢」「夏」と答えましたがどちらもハズレ。結局、仲よしだったKさんが正解しました。「別れたことも」の、「も」だったのです。 これはショックでした。国語が大好きで得意科目だったのに、自分が答えられなかったくやしさもあったのですが、それ以上に、ことばというものの、はかりしれない強烈な力に圧倒されたものです。 たった一字の「も」。この一字のうしろには、ラジオ体操に行く道の朝顔の花や、木の上から滝のように降ってくる蝉の声や、海のかなたにもくもくと湧き立つ入道雲や、風鈴が鳴る縁側でかぶりつくとうもろこしや、そんなありとあらゆる夏の思い出が、どこまでもひろがっているのでした。たった一字のむこうに! ことばというのは、なんてすごい力を持っているのでしょう。そしてまた、なんておもしろいものなのでしょう。私は、本を読むことや文章を書くことが、今まで以上に好きになりました。 小学校時代の、いちばん印象に残っている授業の記憶です。 (児童文学作家)
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