発 見 の あ る 授 業
吉 永 幸 司

 読書百遍という言葉がある。何回も繰り返して読む中から、新しい意味を発見するという意味と勝手に思い込み、若い頃、四年生の子に実践したことがあった。
 取り扱った教材は「ごんぎつね」、文庫本だった。(まだ、教科書に採用されていなかったという理由で)
 指導の形態としては、一回読むごとに、感想を簡単に書くというもの。何回読んだかということを記録し、百回を目指そうというもので、深い意味はなかった。

 ところが、一回ごとに、子どもたちの感想が新しく、心を寄せていることに違いがあることに気づいていった。
「百回読みをしていてよかったのは、一回一回、いいなあと思うのがちがうことです。はじめは、ごんぎつねが、かわいそうと思っていたけど、三十回目くらいから、兵十もかわいそうという気持ちになった。」
「ひがん花のところは、何回読んでも好き。でも、読んでいくと、一本一本が見えてくるみたいになったのがうれしい。」
 今も、こんな感想を書いて伝えてくれた子のノートの文字や話し方を、昨日のことのように覚えているほど印象に残っている。
 一回ごとに新しさを見つける授業と名づけることができる。

 最近、子どもの学習自立ということに関心を持っている。その中で、ふっと思い浮かんだのが、かつての「ごんぎつね」の百回読みの授業。
 子ども自らが発見し、面白さや大事さに気づいていこくとが、本当は大切ではないかと。
 ちょうど、三年「ヤドカリのひっこし」の授業をする機会があった。
 教材は、子どもにとって、そう難しいものではない。この文は、子どもに任せてもいいのではないかと大胆に考えて、読みを重ねて発見していくことを大事にしようと考えた。
 方法は、簡単である。一回ずつ理解したことを一言ずつ書かせた。

 読みが苦手と自称していた子。
<一回目>書くことがない。
<二回目>ヤドカリって、よく考えているな。
<三回目>成長するってどういうことかな。
<四回目>相手のヤドカリは、どうするのだろう。
 時間と、次の展開の関係で、ここで一区切りにした。この子の場合、「書くことがない」から「ヤドカリって、よく考えているな」までの飛躍がすばらしいと思った。内容の発見だけでなく、学習方法も発見したからである。
(大津市立仰木の里小)