た か が 砂 遊 び
好 光 幹 雄

 「土だんご作り楽しいか。」
 「うん、先生な、こうしていると心が落ち着くんや。」
 前任校でのこと、教室に入れない6年生のA君が、校庭の隅で土だんごを一生懸命作っていた。そのとき、そうか、この子は今、わがままなのではなく、自分に必要なことを無心にやっているんだと直感した。砂場がブランコやすべり台と同様に、保育園や幼稚園に必ず設置されているように、砂遊びが子どもの成長に重要な役割をしていることは言うまでもない。
 しかし、重要なことと言いながら、低学年を担任するまでは、それほど重要なものだと実感してはいなかった。恐らくA君に、「わがままばかり言ってるな」と、叱っていたことだろう。

 ところが、低学年を受け持つようになってから、今の子どもたちには砂遊びや粘土遊びは欠かせないと考えるようになった。授業中でも、プリントが早く終わった子には、粘土遊びをさせることがある。
 そう考えるようになった根拠は、母子分離のできていない不登校ぎみの子、何をするにしても自信がなくすぐに弱音を吐く子などに、何人か接してきたからである。気づいたことは、砂遊びや粘土遊びができなかったり苦手であること、また、雑巾を持つことができなかった場合もある。

 土は本来、子どもにとって、自分や母親の身体の次に、一番身近なものの一つである。その土をさわるべき時期に十分さわらなかった子ども、また、汚いと言ってさわらせてもらえなかった子どもは、外界に対して閉鎖的である。自信を持って行動することが苦手なようにも見受けられる。友達づくりやコミュニケーションのとり方も一方的であったり、ポイントがずれていたりするため上手くいかない場合もある。
 ところが、粘土や砂遊びを存分にやらせることで、少しずつではあるが、心が開かれていく様子をうかがうことができた。

 都会の生活では、土を見ずに過ごすことだって、特別のことではなくなってきたように、土がさわりたくてもさわれないように子どもを取り巻く生活環境・家庭環境は大きく変化した。ならば、園や学校でフォローすることだって必要なのかもしれない。「心の教育」と文部省は言うが、何も難しいことをすることではなく、子どもにとって必要なことを必要なときに十分できるように配慮することではなかろうか。
 とにかく、子ども達には、直接自分の肌で、指で、ねとねと、どろどろ、にゅるにゅるなど、未分化的な状態をもう十分だと言うほど体験させたいと思っている。
(大津市立堅田小)