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第六章 ヒラタシデムシ (3)

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2003/09/22 Mon.

 総合的学習の時間、グラウンドの石ころ拾いをする生徒たちのかたわらで各組のリレー選抜チームがバトンタッチの練習をしていた。
 僕から数メートル離れたあたりに、同じクラスの女子がふたり並んでしゃがんでいた。のんびりしたおしゃべりの声が聞こえた。
「うちの組の男子、一番遅いんやないの」
「しゃあないわ。陸上部がおれへんねんから」
「クラブに入ってなくても足の速そうな人もいてるやん。葺合くんとか」
「授業態度の悪いやつはあてにできひん」
 間髪入れずにひとりの男子が言い返した。目の前で練習している選手の友達だ。
「そうなん?授業休んだことはない思うけど」
「掃除や草むしりなんか、大概の男子よりあてになるよ」
 女の子たちの忍び笑いに、男子がむきになって反論した。
「女子の人気取りしとうだけや。あいつが陰で何やっとうか知らんやろ」
 僕はため息をついて場所を移動した。

 体育大会の練習は小学校とはずいぶん違っていた。
 組体操は練習時にメンバーがそろわない。騎馬戦はけが人が出る恐れがある。あれこれ理由をつけられて、残った種目はほとんど陸上競技ばかり。目玉のクラス対抗リレーは教師たちが運動部員から勝手に選手を選んでしまった。
 行事を見に来る保護者への配慮もあるのだろうけど。

 本館の隅の部屋のカーテンが開いて、住之江がひょこりと顔をのぞかせた。騒動のあった日からさらに肥ったようだ。青白い顔がうらめしそうにこっちを見ていた。僕が目を向けると母親の手がすっと出てきてカーテンを閉めた。

 結局、週末は一度もキアに会わなかった。
 学校で顔をあわせてからも互いになんとなく気をつかってしまい、一緒にいる時間が今までより少なくなった。
 僕は堂島さんのことを打ち明けられずにいたし、キアは先週のケンカ以来、僕を巻き込むのを避けようとしているみたいだった。
 青池の隣の林は伐採され、学校からの抜け道も資材置き場にふさがれてしまった。キアはあいかわらず昼休みになると教室から姿を消したが、どこで何を食べているのかは教えてもらえなかった。

 放課後、煮え切らない気分をもてあましながらひとり帰り支度をしている僕のところへ、大宮が遠慮がちに近寄ってきた。
「烏丸君。急いでへんのやったら、ちょっとお願いしてもいい?」
 最近ふさぎがちな大宮のことは気になっていたけれど、御影をはじめとする女子たちが側にいてくれたので敢えて声をかけることもしなかった。そんな僕なのに、まだあてにしてくれるのか。
「僕でいいのかい?」
「ムシのことやから……」
 大宮は僕をプール棟の裏の畑に連れだした。
 園芸部の人数が多かった頃にはここでサツマイモやカボチャを育てていたと聞いたことがある。今は畝の筋もわからないくらい、ぼうぼうと草が茂っている。
 大宮はプール棟の外壁と草むらのあいだにわずかに露出した地面を指さした。消しゴムくらいの大きさの黒っぽい甲虫が数匹、わらわらと何かにたかっていた。
 オオヒラタシデムシ。五月に見かけたモンシデムシよりもずっと数が多く、市街地でもざらに見かける掃除屋だ。
 僕は足元の細い枯れ枝を拾って、ムシたちをそっと追い払った。姿を現したのは、ぼろぼろの羽毛をまとった薄い肉と細い骨のかたまり。小鳥の死骸だ。あたりに散らばった羽根は、クラスで飼っていた文鳥と同じ灰色をしていた。
 大宮は僕の頭の上あたりに視線を漂わせながら、両手をかたく組み合わせた。
「ごめんね。こんなときにだけお願いして。私、よう触らへんかったから」
「どこかに埋めてやりたいのかい?浅いところだと、またムシにほじくり返されると思うけど……」
 宇多野先生が探しまわっていた小鳥。人間の都合でカゴに閉じこめられ、人間のいさかいに巻き込まれて失われた小さな命。
 どくん、と胸が鳴った。急に思いついたことがあって、僕は素手で死骸をつかみあげた。
「ちょっ……烏丸君、何を……」
 大宮の狼狽など耳にはいらなかった。シデムシが喰いちぎった箇所から小鳥の腹に親指をつっこんでぶちぶちと引き裂いた。茶色く濁った汁が噴き出し、僕の手首をつたってぼとぼとと垂れ落ちた。
「いやあぁっ」
 大宮は両手で顔をおおったまま走っていってしまった。申し訳ないとは思ったが後を追うわけにもいかず、僕はそのまま作業を続行した。腐りかけた消化管をたぐって小指の爪ほどの大きさの硬い肉塊をさぐりあてた。さすがに素手で切り裂くことはできなかったので、必要な部分だけちぎりとってティッシュに包んだ。
 そのあと畑の隅になるべく深い穴を掘り、残骸をまとめて埋めた。目印に丸い石を載せて一応手をあわせたが、気持ちはもうポケットの中の物体を急いで検分したくてたまらなくなっていた。

2003/09/24 Wed.

 手下どもにわずらわされずに江坂に会いたかった。予鈴が鳴る前に将棋部の部室に行ってみたのは、とりあえずの手がかりが欲しかったからだ。
 部屋でひとり、机にのせた将棋盤に向きあっているのが当の本人だとわかって、ちょっと意外だった。
 古い建物なのでドアを開けたときにも部屋をよこぎったときにも、がたがたギシギシとひどい音がしたが、江坂は何も聞こえないみたいに下をむいたままだった。
「江坂……さん」
「取り込み中や」
「失くし物を返しに来たんです」
 江坂は面倒くさそうに目だけで上を向いた。僕の手のなかで輝くピアスを見ても何の感慨もうかべず、また盤に視線を落とした。
「まだ捜しとったんか」
「たまたま見つけたんです。クラスで飼っていた文鳥の筋胃から」
「ズリか。昔そんな推理小説があったな。ルパンやったか」
「ホームズです。宇多野先生がピアスを餌箱に放り込んだときに、片方だけ喰っちまったんでしょう。これで宇多野先生が逃げた小鳥を捜しまわっていたわけがわかりました」
「それで?」
「ピアスを盗んだのは宇多野先生です」
「あのなあ……」
 江坂は苛立ちもあらわに僕を見据えた。
「宇多野とお前と、二人とも疑いが増えただけやんか」
「僕でないことは僕が知っています」
「あほか」

 文鳥の腹から盗品を見つけたからといって、犯人が決まるわけではない。そのことは昨夜連絡を取った堂島さんからも指摘されていた。
「その女子はお前が小鳥の腹をさばいたところで逃げ出してもたんやろ。他に証人はおらんのか?」
 生徒たちの行状に直接からむ話ではないと知って、刑事さんはあきらかに気乗りしない声だった。
「家で筋胃を解剖するとき、御影を呼んだけど断られました」
 それどころか「女の子の気持ちなんかちっとも考えてない鈍感男」と、ののしられてしまったのだが。
「まあ、二個とも鳥かごに放り込まれとったてわかったところで、それが担任のしたことやとまでは言えんな」
 堂島さんの話はもっともだった。僕個人は宇多野先生を黒と確信したが、第三者に自分の潔白を証明するすべはない。
「だいたい、教師の不始末なんざ俺の仕事やない」
「うちの学校の中でおこっていることは、お互いに無関係じゃすまないと思うんです」
「そんなら、そこをちゃんとつなぐ話を持ってきてんか。こっちも忙しいんや」
 電話はそこで切られてしまった。これだから大人は。子供を利用することは思いついても、まともに話し合う相手だとは思っていない。

 僕は気を取り直して江坂に言った。
「ともかく、もとの持ち主に返そうと思って来ました。受け取ってください」
「勘違いすなよ。俺のもんやない」
「でも、本山さんが捜してたのは……」
「俺が買うたもんやない。俺ん家に来たときにあいつが持ち出したんかしらんけどな」
「以前聞いた話と違いますよ」
「さて、なんか言うたかなあ。お前の聞き間違いと違うか?」
 江坂はわざとらしく耳の穴を小指でほじってへらっと笑った。
「教室でなくなったモンやったら、担任に渡すのがスジやろなあ」
「宇多野先生に……」
「当たり前やろ。そのまんまババこいたら、お前が犯罪者や」
「先生にどう説明しろと」
「んなもん俺の知ったことか」
 がたがたとドアを開けて女子生徒がひとりはいってきた。本山ではない。名前も知らない隣のクラスの子だ。僕を見下すようににらんで、江坂の隣にすわった。
 江坂は手を伸ばして盤上の将棋の駒をぱちぱちとさし始めた。頭の中で手順を組み立てていたのだろう。流れるように自然な動きで王将を追いつめていった。
「どや。一局指してくか?」 
 女の子をじらすためだけの科白だ。
「もう授業が始まりますから」
 握りしめたピアスをポケットにころがして、僕は部屋を後にした。

 放課後、ピアスの拾得を玉出先生に届け出た。小鳥が死んでいたのは校舎外なのだから、担任にこだわることはないだろうと理屈をつけた。
 先生は露骨に疑わしげな顔をして根ほり葉ほり事情を聞いてきた。僕はともかく客観的な事実だけは聞かれるままに答えた。宇多野先生への疑惑や江坂とのやりとりまで話すつもりはなかった。死骸の内臓をわざわざ持ち帰って切り開いた理由について「生物学的興味関心」と説明されて先生が納得したかどうかはわからない。
「持ち主に心当たりはないんか?」
 そう聞かれたときも、肩をすくめて
「鳥が校内だけ飛びまわってたとは言い切れませんしね」
とだけ答えた。
 黙っていることはあっても、ぎりぎり嘘はついていないつもりだった。

2003/09/26 Fri.

 下校する生徒達の流れに逆行して、何人かの大人達が正門をくぐり、本館の出入口にすいこまれていった。
 僕が知っている顔もあった。同じ小学校だった生徒の両親だ。呼び出しをくらうような悪さをするやつじゃないのに。何かもめごとがあったんだろうか。
 気にはなったけれど、今日はもう次の予定をたてていた。
 金岡の家に行くことにしたのだ。前もってかけた電話は留守番サービスになっていたので伝言だけ残しておいた。
 楠さんの住んでいたゴルフ場の少し東側、田んぼと畑に囲まれた昔からの集落のはずれ。生け垣に囲われた広い前庭の奥に木造の古い家が建っていた。
 庭木はここ数年剪定されていないようで、虫喰いだらけの葉をつけた枝が地面まで垂れ下がっていた。
 人のいそうな気配はするのに、玄関チャイムをならしても誰も出てこない。すぐに立ち去るのもいやで、ぐずぐずと様子をうかがっていると、誰かが僕の横をすりぬけて家へはいろうとした。
 農作業用のつばの広い帽子をかぶった女の人だ。
「あの、金岡くんのお母さんですか?」
 声をかけると女の人はびくっと振り向きかけて、すぐにあわてたように足早に歩き去った。僕のほうもちょっとびっくりして立ちすくんだ。帽子から垂らした日よけ布に隠れてちらっとしか見えなかったが、片目の周りと頬骨のあたりに黒ずんだ痣があったのだ。
 女の人と入れ違いに、ずっと年輩の男の人が家から飛び出してきた。
 僕が挨拶しようとするのをさえぎって一気にまくしたてた。
「今日は忙しいよって、客の相手なんぞしとれん。去んでや」
 在宅なら、さっさと応対してくれりゃいいのに。女の人が通らなければ居留守を決め込んでいたんだろう。
 あきらめて来た道を引き返した。十字路に建つ郵便局の前でばったりと思いがけない顔に出会った。
「長居!」
「烏丸かあ」
 ひさしぶりに会った長居は少し背が伸びて、肩幅が広くなったようだ。
「金岡に会いに来たのかい」
 単刀直入に聞かれて、僕は苦笑いした。
「よくわかったな」
「僕もそうだから」
「へえ。あいつ、お前とは会えるのか」
 長居は残念そうに首を横に振った。
「一学期の僕よりガードかたいよ。お母さんさえ会ってくれない」
「さっきの女の人かなあ。顔にけがしてたみたいだけど」
「金岡にたたかれてんだよ」
 目を見開いた僕の前で、長居は郵便局の植込みからツバキの葉を一枚むしりとった。。
「家の人は秘密にしてるつもりでも、古い集落じゃすぐ噂になっちゃうんだ。夏休みにここの郵便局にお使いに来たら、おばちゃん達がぺちゃくちゃしゃべってて、いやでも聞こえちゃった。一学期からけっこうやってたみたいだね」 
「そんな……どうして……」
 長居は固い葉をくるくると巻いて指の腹で押しつぶした。
「なんとなくだけど、わかる気もするんだ。それで話をしてみたくなった……難しいよね、あっちが会いたいと思ってくれなきゃ」
「……いつ頃から来てたの?」
「始業式の日。母さんが学校に通知票持って行って、あいつが休んでるって聞いてきてから」
 長居はまるめた葉の片端を口に含んで吹いた。草笛、のようなものはすうすうと息の音を通しただけだった。
「今日はもうやめとくよ。烏丸が行ってくれたんなら」
 生ぬるいはずの午後の風がひやりと感じるほど、両頬がほてっていた。僕は金岡が休んでいることを知りながら、今まで何も考えず何もせずにいた。
「ごめんな。本気で心配してくれてるのに、邪魔しちゃったな」
 長居は葉を捨ててちょっと笑った。
「烏丸だって、じゅうぶんおせっかいな性格だろ」
「僕のは打算だ。自分勝手な都合だよ」
 宇多野先生のことを金岡から聞きだそうと思いついただけなんだ。
「自分勝手?ほかの誰かのためじゃなくて?」
 今日の長居には驚かされてばかりいる。返事をできずにもじもじしている僕をしばらく黙って見ていたが、やがて何かを決心したようだ。
「明日、会えるかな。話したいことがあるんだけど」
「いいよ。じゃあ昼前にそっちに行くから……」
「僕んちじゃなくて外にしよう。そうだな。西明智駅の東の国道ぞいに、古本屋ができただろ」
「ああ、大きなチェーン店だね」
「あそこのワゴンコーナーでいいかな」
「わかった」


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