悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

07.08


2007.08.31:

出勤時にはものすごい豪雨、そして退勤時には小雨。前線が日本海側に停滞しているせいだが、日が暮れて強い風が、それも少しひんやりしたものがずっと吹いている。
夏休みももう終わりで、息子は必死で宿題に取り組んでいる。そのせいで昼飯を食べるのを忘れたとか。私の方は月末で「のぞみシステム」の問い合わせに追われた。

2007.08.29:

早いもので8月もあと2日。昨夜から早朝にかけて雨が降り、少し気温が下がってきたようだ。
それでも、会社の周辺にはまだ夾竹桃が満開のままで、雲がなければ日中は暑い。
まだまだ残暑は続くが、受粉を終えた稲穂に黄色が混じり始め、垂れ下がるようになってきた。セミの声も次第に静かになり、そう、季節は秋の準備を始めている。

2007.08.28:

安倍改造内閣が発足したが、顔を変えても中身はほとんど変わらないようだ。
詳細はマスコミにまかせるが、前内閣と同様改憲派が大半を占める。前回は「お友達内閣」とか「論功行賞内閣」と言われが、実は「靖国派」とでも呼ぶべき、戦前の体制に戻そうという意見の持ち主ばかりである。今回もその流れは変わらず、桝添厚労相のようなタカ派の代表格が入っていることが典型である。
いずれにせよ国民の意見を反映させようという意図は感じられない。相変わらず「改革」を叫び、参院選「敗因の3点セット」を省みることもないようだ。

2007.08.26:

神戸の造船所で、修理中の大型クレーンが倒壊して3人が死亡したという。
こんな事故は今まで聞いたことがない。べアリングを交換するためにブームをジャッキアップしたらバランスが崩れて倒れたようだが、報道を聞いていると不思議に感じることがある。
まず最大の問題はクレーンの取扱説明書がなかったことである。40年以上前に作られたクレーンだが、どうやら紛失したらしい。定期点検や部品交換は亡くなったベテランの責任者の頭の中に全部納められていたようだ。すべてをマニュアルに頼るのも非現実的だが、今回のように数十年もやっていなかったベアリングの交換作業は、責任者でももはや記憶になかったのだろう。それを手探りでやろうとした時に、何か盲点が潜んでいた気がする。
私も自分のPCのHDDを交換したり、頼まれて友人のPCを触ることもあるが、困った時にはマニュアルが威力を発揮する。他人のPCだと、メーカーのサイトでマニュアルをダウンロードすることもある。それでもわからない場合はサポートに電話するしかない。
今回のクレーン事故の場合はマニュアルもないまま緊急の修理を行っているし、メーカーに問い合わせもしていない。製作したメーカーは「聞いてもらえばよかったのに」と語っている。
しかしもっと不思議に思うのは、この修理を休日に行っていることである。ベアリングの交換は重要な部品であるから、きちんとしたスケジュールを組んでやる必要がある。確かに造船業界は忙しい。だが、だからといって休日2日間に少人数でやってよいということにはならない。今回、一度ジャッキアップしようとして失敗したのだが、それを安易に油圧の圧力を上げるだけで対応しようとした。平日なら誰かに相談もできただろう。しかし責任者は早く修理を終えないといけないというものすごいプレッシャーがかかっていただろう。そこにベテランの落とし穴が待ち受けていたのではないか。
もはやベアリング交換の経験者もいなくなって、自らが決断をする必要がある時に、とっさの「ひらめき」がベテランにはあるが、失敗しないという保証は何もない。そのことは彼自身もわかっていただろう。だが結果は悲惨だった。
こういう場合、冷静な補佐役が必要だと思う。また、図面やマニュアルの類も、また修理計画も必要だった、しかし会社の幹部を含めて、そのことが忙しさの中で忘れられ、思わぬ結果を生んだように見える。

2007.08.25:

まだまだ残暑はきびしい。夜は少しだけ涼しさを感じるようになったが、昼間は猛烈な日差しで汗がドッと出る。
さて、「モンスターペアレント」という言葉をご存知だろうか。
これは和製英語で、アメリカでは「ヘリコプターペアレント」のような表現をするそうだが、要するに学校に無理難題をふっかけ、不当な要求を突きつける親のことを称する。
例として、「何故卒業写真にウチの子供が真ん中にいないのだ」とか、若い教師を集団でつるし上げたり、気に入らない教師ということで授業参観のときに教室に盗聴器を仕掛けるなど、常識では考えられない行為をする。しかもそうした親が少しづつ増えていて、学校としても対処が困難ということで、弁護士の協力を仰ぐところもあるいう。
このことで思うのは、常軌を逸した行為もさることながら、担任や校長をはじめ、学校側が毅然たる態度で臨めないのは何故だろうという疑問である。
それとともに、親の側の特徴として学校を単なる「授業の道具」としかみなしていないことが挙げられる。特に東京都などで学区制を廃止したことから「この学校を選んだのは我々だから、その親の要求を呑むのは当然ではないか」という発想が助長される傾向にある。以前私のネット仲間であるピアノの先生からこんな話を聞いた。ある親から、教える側と教えられる側の関係をきちんとわきまえて指導していたことについて、「先生にとって生徒はお客さんじゃないのね」と言われたことがあるという。ここには「教育」ということについての無理解が見事に現れている。
教育は単なるサービスの売買でも取引でもない。
人を育てるという行為は、社会に生きる人間としての豊かさをはぐくむことにある。それを理解しない親も問題だが、それに対して対処しきれない学校は、文部行政を含めて考え直すべきだろう。今、若い教師がこうした親と管理主義のかたまりのような学校側の間で、板ばさみになって悩み、ノイローゼに陥っている。

2007.08.23:

今朝も早くから激しい雷雨。家を出る頃には小降りになっていたが、傘を忘れるわけにはいかなかった。
さて、リサイクルに出したFMVについて検索したら、処理を完了したとの表示。これで私の頭の中の思い出だけが残ることになった。

2007.08.22:

日が暮れてから雷雨になった。久しぶりの雨である。
一発だけだが近所に落雷、激しい音がした。昔だったら停電しただろう。さすがに近所だと明かりが一瞬暗くなる。実際問題、CRTの場合は故障の原因になることもある。もちろん昔に比べればそういうことは少なくなったが。
いよいよ猛暑も下り坂に入ったようだ。しかし今年の夏の水道代はすごいだろうな。連日麦茶を作り、息子は1日に2回シャワーを使ったから。

2007.08.21:

会社を休んで司法書士と遺産相続について打ち合わせをした。基本的に取り揃えた書類をすべて渡して話が進んだのだが、両親の戸籍のことで意外な問題がわかったのである。
法務局としては「出生から死亡までの記録をすべて記載した戸籍の謄本」がないと受け付けないという。しかし私が役所で手に入れたのは両親が結婚して移り住んだ時からの除籍簿しかなく、それ以前のものは残っていなかったのである。当たり前といえば当たり前だが、両親の出生時からのもの、すなわちそのまた両親の原簿はそれぞれの親の本籍地にしかなく、場合によっては戦火で失われている可能性もある。だから不動産の相続手続きを何代にもわたって放置すると、世代を遡って戸籍を追求しなくてはいけなくなるのである。
さて、両親の原簿を調査して謄本を取るのは個人では無理な話で、司法書士に頼むしかなかった。もちろん彼は専門家だから役所とのコンタクトは慣れているので、委任状を渡しておいた。
それはさておき、謄本を見ていたら意外なことがわかった。
今なら婚姻届と同時に新しい戸籍を作ることが法律で決まっているので、出生からということになれば亡くなった人の両親の原簿までたどれば事足りる。ところが戦前は大家族制で、「分家」などの手続きがなければ新しい戸籍は作られず、「戸主(本家)」の戸籍に嫁入りした女性や子供達が次々と書き加えられる仕組みになっていたようである。
そのことが女性週刊誌に良く出てくる「入籍」という言葉の源流になっているようだ。明らかに古い「家」制度をいつまでも引きずっている概念であり、現民法の精神とは合わないものである。
ちなみに私の両親の場合、結婚した時は母方の姓を受け継いだ。いわゆる「養子」である。父の出生時の戸籍は単純で父の戸籍に入籍されたが、母は出生時にそのまた祖父の戸籍に入籍されていた。その後母の父(私から見れば祖父)の死亡後に母の母(私から見れば祖母)と共に「分家」。分家後は、理由は不明だが2回転籍。最後が実家だった。
しかし、この最後の戸籍簿を作るいきさつも今の民法から見たら変なやり方である。
まず父は一旦祖母の養子として、祖母の戸籍に入籍。その2日後に婚姻届を出しているが、新しい戸籍は作られていない。これは1948年施行の新民法以前のやり方であった。その後、新民法になってから、長男(私の兄)が生まれたことをきっかけに、初めて新しい戸籍が作られたのである。司法書士によると、このような経過措置で新民法による新しい戸籍が作られるのが遅れた例はざらにあるという。
いやはや、こんなややこしいいきさつがあるとは知らなかった。

2007.08.20:

久しぶりに会社に出ると体がだるい。それとやたら眠い。
冷房はきいているのかどうかわからないくらいゆるくなっている。明らかに連休中に建物が熱をたっぷり吸収し、溜め込んでいるからである。
仕事については連休中にトラブルが発生したこともなかったので、極めて平穏だった。

2007.08.19:

連休9日目。
いよいよ連休最終日。日が暮れてから雷が鳴って、少し風も入ってきた。
ところで、「白い恋人」で有名な北海道の石屋製菓が賞味期限の改ざんを行っていたことがわかり、大問題になっている。私も食べたことがあるから愕然とした。
この改ざんは以前から行われていたようで、なおかつ社長も関与していた疑いが濃厚である。こうなると、ミーとホープ同様会社の存続さえ危うくなる状況だ。TV出演したこともある社長は北海道の著名人。しかし不祥事が発覚した時の問題を予想できなかったのだろうか。もしも甘く考えていた、あるいは気にもしなかったとしたら、今の経営者全体に不祥事に対する認識の薄さが蔓延している可能性を感じる。
これは単なる危機管理の問題ではない。経営に関する商売上の倫理が確立されていないのである。「金儲けのためなら何でもあり」ということが優先されている背景には、大企業を中心とした経営陣や投資家には当面の利益だけを追いかける傾向が強く、それに対する規制も弱いということがある。
「勝ち組」のわがままな論理が大手を振ってまかり通ることと、不祥事が多発する根源は繋がっている。

2007.08.18:

連休8日目。
連休もあと1日と少し。
猛暑のほうもどうやら峠を越えたようだ。今夜は少し風が出ている。
明日は連休最後の掃除と洗濯。

2007.08.17:

連休7日目。
連休中の昼食はほとんどが麺類。そうでなくても普段の週末は決まって麺類だが、この猛暑では熱いラーメンをすする気にもならず、大抵は素麺あるいは出来合いの出汁付きそば・冷麺である。
しかしこれも飽きるので、一度手作りの冷麺に挑戦してみたいと思ったが、「たれ」を作ったことがないし、面倒である。そこでネットで調べたら即席タイプの冷麺を売っていることがわかった。そこで近所のスーパーを訪ねたら、一軒だけ置いてあったので買ってきた。値段も即席ラーメンと変わらない。
作り方は乾燥麺を茹でた後、水で冷して付属の「たれ」をかけるだけ。味はやや濃いが、食えないことはない。注意すべきは麺が水分を吸収する速度が早いので、「たれ」の中に長く放置するとのび切って強烈な醤油の味がする麺に変わってしまうことである。
それにしても体温を超える日々が続くことだけはもう勘弁願いたい。じっとしているだけでも体力が消耗するのは、正直参ってしまう。50代だからまだ体力を維持できるが、年を取ったら間違いなく熱中症で倒れているだろう。

2007.08.16:

連休6日目。
ここまで猛暑が続くと色んなことが起こる。
高校野球で選手が熱中症の症状でグロッキーになっていることは先に書いたが、老人を中心に死者が次々に出ている。それだけではない。レールがゆがんで電車が止まることもあった。そして今日、遂に最高気温の日本記録が更新、それも2ヶ所で観測された。
40.9度、これはもう体温をはるかに超えているので、屋外にはいられない。というかいると危険である。
毎朝、汗でぐっしょり濡れたパジャマを脱ぎながら、「今日は昨日よりも涼しくなりますように」と祈るしかない毎日である。

2007.08.15:

連休5日目。
今年の8月15日だが、思い立って終戦の詔勅、いわゆる「玉音放送」の全文がどんなものかを調べてみた。
もちろん私は全部を聞いたことがない。ドキュメンタリーなどで「堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ」という部分の声を何度も聞いたことがあるだけだ。いいチャンスだからその全文を下に掲載する。戦前特有の難解な文章で、私も8割くらいしか理解できない。若い人なら完全にお手上げだろうと思う。
それはともかく、私はこの中の2点について批判を加えたい。

ひとつは侵略戦争に対する無反省である。
本文に「米英支蘇 四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ」とあるように、ポツダム宣言を受諾したことを明らかにしながら、一方で「曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦 實ニ帝國ノ自存ト 東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 他國ノ主權ヲ排シ 領土ヲ侵カス如キハ 固ヨリ朕カ志ニアラス」と、日本の軍国主義が「正しいものであった」と居直っている。
現代文にすれば、「米英2国に宣戦布告したのは、日本を守るため、東亜の安定をはかるためであって、他国の主権を侵害したり領土を奪うことは私(昭和天皇)の本意ではなかった」と侵略の事実をごまかしている。しかしポツダム宣言はまさに日本の軍国主義の排除を日本に要求したのであり、それに対する天皇の答えがこれでは、反省になっていないのである。
しかもそのずっと後で、「朕ハ 帝國ト共ニ 終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ 遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」として、東亜「開放」に協力した諸国に遺憾の意を表明している。だが戦後に一部のかいらい政権は倒され、アジアの諸国は日本「からの」解放を祝ったのである。
これも天皇が自らの立場とポツダム宣言の内容が理解できていないという証明になっている。

次は戦争責任と謝罪の問題である。
アジア諸国に対する「遺憾の意」は前に述べたとおりだが、日本国民に対しては謝罪の表現が明確にされていない。「遺憾の意」の直前で、「このまま戦争を続ければ、わが民族の滅亡を招き、人類の滅亡を導く」とした上で、もしそうなれば「朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ」と述べている。ということは「億兆の国民を抱えた私は、どのようにして天皇の祖先に謝ればいいのか」と嘆いただけで、国民には申し訳ないという気持ちすらない、ということがわかる。
逆に玉音放送の最後では、「爾臣民 其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ」と国民に天皇の言い分を理解し、実行せよと叱咤激励しているのである。
ここには、戦争に深くかかわってきた天皇自身の責任はあいまいにされ、自らの地位を保つために、国民には戦争責任に触れさせまいとする意図が見え隠れする。

朕深ク 世界ノ大勢ト 帝國ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ 忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ 帝國政府ヲシテ 米英支蘇 四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ
抑々 帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ 萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遣範ニシテ 朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦 實ニ帝國ノ自存ト 東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 他國ノ主權ヲ排シ 領土ヲ侵カス如キハ 固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ 交戰巳ニ四歳ヲ閲シ 朕カ陸海将兵ノ勇戰 朕カ百僚有司ノ勵精 朕カ一億衆庶ノ奉公 各々最善ヲ盡セルニ拘ラス 戰局必スシモ好轉セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之 敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ 尚 交戰ヲ繼續セムカ 終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
是レ 朕カ帝國政府ヲシテ 共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ 帝國ト共ニ 終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ 遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ 非命ニ斃レタル者 及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内為ニ裂ク
且 戰傷ヲ負ヒ 災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ 國體ヲ護持シ 得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若シ夫レ 情ノ激スル所 濫ニ事端ヲ滋クシ 或ハ同胞排儕 互ニ時局ヲ亂リ 為ニ 大道ヲ誤リ 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ 朕最モ之ヲ戒ム
宣シク 擧國一家子孫相傳ヘ 確ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ 總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ 誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民 其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

2007.08.14:

連休4日目。
急遽友人Oを呼び出して飲んだ。ひょっとして連休中に遺産相続の件で司法書士のところに顔を出すことになるかも知れないので、無理に出てきてもらったのである。
彼には息子の保証人など色々骨折ってもらったので、足を向けて寝られない立場にある。
それはともかく、自由にものが言える間柄ゆえに今の私の気持ちを正直に話した。彼も家族問題では悩みがあるらしく、愚痴を聞かせてもらった。
今の世の中、親子間でも抜き差しならないほどまでにこじれた関係になることがあり、場合によっては殺人事件になることもあるが、私の考え方では、まず先に親が妥協をはかるしかないと思う。
事の是非はともかく、子供が自らの主張を親に出すということは、「言い分を聞いて欲しい」という気持ちの表現なのだから、それを受け入れる環境を作る義務がある。もしそれさえも否定したら、子供には頼るべき相手を失って地獄の底に突き落とされたと感じるだろう。
人生経験は明らかに親に分がある。しかしそれをあからさまに顔に出したら、一方的な説教に終わるし、子供は親の人生観の押し付けに反発するだけである。最も重要なことは子供自身が自らの誤りを反省し、行動に移すことにある。親は単にアドバイザーとして手助けすることしかできない。親の人生と子供の人生は全く別のものであり、干渉することは不可能である。

2007.08.13:

連休3日目。
猛暑はまだ続く。高校野球でも選手が熱中症と思われる症状でグロッキーになっているようだ。監督も本人が「頑張ります」とか「大丈夫」と口にしても、危ないと思えばそれなりの対処が必要だろう。根性論はこの際役に立たない。
それにしても、甲子園では数回夕立のような雨が降ったのに、神戸はまったくの雨量ゼロである。
少しはこっちにも回してくれ(笑)

2007.08.12:

連休2日目。
屋内にいてもものすごい汗が出る。それくらい気温が高いということなのだが、肌で感じる温度は体温よりも高い。よって体力を消耗する。
若い頃、北アフリカの某国で過ごしたことを思い出した。40度を超える夏の屋外での作業は長時間にならないよう、また水分の補給はこまめにやった。
最高気温は52度。砂漠から熱風が来るときに起こる。とにかく仕事は全面中止。アルコール温度計は沸点を超えたので全部破裂した。まるでサウナである。自動車で移動する場合は窓をしっかり閉める。熱風が顔に当たると痛いのである。
日本の夏はそれよりましだが、湿度が高いので汗が引かない。こんな猛暑はいつまで続くのだろう。

2007.08.11:

連休1日目。
まずは洗濯。とにかく毎日下着がびっしょり濡れる。今日も35度を超え、ぐったりする。
洗濯の後は買い物。炎天下を歩くのは辛い。だから日陰を選んで歩く。スーパーまでの往復でこれまた汗だく。急いで水分を補給する。
夕食は手作りの丼にしたが、熱くてこれまた額に汗がにじむ。冷たい麺類にしたいが、連日だと栄養が偏るのでそうもいかない。メニューには悩んでしまう。

2007.08.10:

盆休み前ということもあろう、通勤電車がいつもより少し空いている感じだった。
私も明日から9連休になるが、どこかへ出る予定もない。実家にはもはや母もおらず、行事めいた話も無い。よってごろ寝ということになるのだが、今は猛暑の最中でこれまたしたたる汗と戦わねばならない。
これでは落ち着く場所がない。

2007.08.09:

広島に続き、長崎にも62年目の暑い夏がやってきた。しかも長崎のあの日は「熱い」が加わった。原爆から放射されたガンマ線は人間の骨をも通過したのである。
にもかかわらず、政府は被爆者に対する償いも不十分だし、平和を守ろうという姿勢も希薄だ。だから広島・長崎の両市長から痛烈な批判を浴びるのだ。

2007.08.08:

今日から夏の甲子園。
高校野球は今、特待生問題などで揺れているが、すべての問題の根源は生徒達の側に原因があるのではなくて、すべて大人の側にある。
しかも従来の丸坊主や、不祥事による連帯責任など、生徒に異常なくらい従順さと潔癖さを求めるやり方は、民主主義の時代にふさわしくない。
子供達が自由に、のびのびとプレーできる環境を作ることこそが大人の役目だ。

2007.08.06:

今年もまた原爆忌がやってきた。
核兵器に対する私の思いは、先月の「しょうがない発言」で語ったので再び書くことはしない。今日はただ多くの犠牲者に対して哀悼の意を表すだけにする。
あれから62年、核実験、劣化ウラン弾、核燃料処理施設での事故などによる犠牲者を除き、核兵器そのものによる被爆者は出ていない。その理由は多くの世界の声とともに、広島、長崎の被爆者を先頭とする核兵器廃絶の運動、そして憲法9条の力が大きい。
今、憲法を改悪をたくらみ、核兵器による先制攻撃の可能性を否定しない米政府が進める戦争に加担しようとする動きがある。これだけは絶対に阻止せねばならない。
核兵器のない平和な世界、そのことを目指して闘う決意を新たにしたい。

2007.08.03:

「のぞみシステム」のあまり目立たない不具合がずっと続いていたが、ようやく終わりを迎えた・・・
と思ったら、7月の月末データを下流に流す時におかしな動きになり、今日データを見たら在庫金額が数百万円も少なくなっていることがわかった。それで情シスに連絡したら、とんでもないことが起こっていた。
通常月末データは1日に入力されたものまでを集計し、翌朝各種の処理を行ってから下流に転送する。ところが今回は転送中にプログラムが何故か止まってしまったのである。あわてたSEはプログラムを再度起動したのだが、誤って2日入力分を含めて処理を開始した。それで終了後に再度データを作り直してから、「3度目の正直」を期待したのだが、予想を裏切って数百万円の狂いが生じたのである。
狂いがわかったのが今朝月報を受け取った私の検算。6月末の在庫と7月の入出庫の差額を足し算したが帳尻が合わない。しかも在庫明細はドンピシャなのに総額だけが違う。明らかに累計ルーチンがおかしな計算をしているのだが、不思議なことにこれまでの累計計算は狂ったことが無かった。
何故今月だけおかしなことになるのか、SEも頭を抱えている。
問題を絞り込むのに四苦八苦し、その原因を情シスが追求し始めたのは既に夕刻。私は帰宅したが、SE連中は徹夜、あるいは休日出勤をしてねじり鉢巻で作業することになる。かわいそうだが、徹底追求しないと来月以降もおかしな動きを繰り返すことになるので、解決してもらわねばならない。

2007.08.01:

台風5号が近づいている。下手をするとあさってくらいに直撃になるだろう。まだ遠くにあると思っていたら、意外に速度が早く、いつの間にか接近していた。
さて、役目を終えたFMVが引き取られていった。7年の命だったが色々勉強させてもらった。特にサーバーにしてからはXPを入れて酷使した。650MHz、256MBの老体には辛かっただろう。改めて詫びを入れたい。
やがて分解され、一部は再生されて新しい命を吹き込まれるパソコン。新たな旅立ちを遠くから見守りたい。