悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

05.08


2005.08.31:

トップページにもリンクさせてもらっている「サポートセンターの秘密」が閉鎖になった。残念である。
開設から7年、人伝に聞いたところ、オーナーのHIROMIさんはサポーターの仕事から遠ざかって長くなること、またプライベートの仕事が忙しくなったことから、コンテンツ更新の意欲も次第に薄れていったようである。
98年から、(彼女の場合は正月で私は11月だが)足掛け7年を費やしながら断念するのは忸怩たる思いがあろう。私もこうしてほぼ毎日のように日記を書いているが、もし仕事・生活の環境が変わればHPの意欲もまた変わるかも知れない。
人の生活は永遠ではない。かく言う私も10年以内には定年を迎える。だからHPも始まりがあれば終わりがある。絶対の永遠はない。
拙文の一部を本に掲載してもらったり、個人的にも交流のあった人だけに、「サポセン」が消えるのは誠に残念だ。しかし本人が「ヤメタ」と宣言した以上、第3者が勝手にサーバーを書き換えることはできない。
月末になって寂しい話はしたくなかったが、事実を隠しても仕方がない。ひとつのHPが消えていくのを、そのまま認めるしかないのだ。

2005.08.30:

昼前から本降りとなって、ちょっと蒸し暑い日中となった。しかし朝は秋の雲が出ていて、上空はすでに秋空ということがわかった。
さて、年に一度の健康診断の結果を貰ったのだが、血液検査は例年どおり。というか毎月通院して血液検査をやっているので驚きはしない。しかし今年は心電図に所見ありというのを初めて見た。病的ではなく、自覚症状もないきわめて軽微なものであるが、要観察である。私には若い頃から「洞性頻脈」という妙な心臓の癖がある。寝不足とか緊張が強いと夜中に突如心拍数が増えるのである。原因は心臓の神経が一部バイパスしているらしい。しかし実害はないのでずっと放置したままでもかまわない。
しかし今年は従来とまったく違う所見が出ているので、ちょっと信じられない感じがしている。だからといって狭心症のように自覚はないので精密検査も不要、気をつける点も何もない。但し来年もまた出るようならヤバいのだが。
ということで、明日以降はこの話は忘れているだろう。

2005.08.29:

朝夕の暑さが峠を越えたようだ。8月末らしく、蒸し暑さが和らぐようになった。
子供達もあと少しで学校に戻る。
暑い夏は終わりを告げるが、熱い選挙が明日から始まる。

2005.08.27:

靖国問題を斬る・10
さて、この話も終章を迎える。
もう一度整理しよう。まず小泉首相のように毎年連続して靖国参拝を行った歴代首相はいないことである。中曽根首相でさえも1回きりである。今年は「まだ」参拝していないが、これは選挙があるからだろう。とにかくこれほど靖国参拝に固執するのは異常である。
靖国神社の本質的性質は戦争賛美である。先日のNHK特番でもやっていたが、A級戦犯を祀るようになったのはそれほど古くはないとのこと。これは私にとって初耳だったが、もっと驚いたのは極東裁判について、日本政府は対外的に正式にその判決を認めているが、国内法では犯罪として扱われていないことである。ドイツではナチスの戦犯には時効がないことを法律で定めているのと比べて、いかに甘いことか。それを知りつつ「英霊」とする戦争賛美の姿勢は、日本国憲法の精神とは絶対に相容れない存在である。首相が靖国神社の戦争賛美の体質をを知りながら、重ねて参拝することは許されないことである。それはまた、95年の「村山談話」として侵略戦争を認めた政府見解とも矛盾する。
靖国参拝への固執はまた、憲法改悪の動きとも一致する。それも、私が指摘したようにアメリカが起こす戦争に公然と参加するための意図が盛り込まれている。そして靖国問題がそこにからむのは、戦争を美化することで若者を戦場に送ることをやりやすくするためである。その昔、中曽根首相がこう語った。「靖国がなくてどうして若者が喜んで戦争に行くことができるか」と。
重ねて言う。首相の靖国参拝はやめるべきだ。また憲法改悪を許してはならない。軍服を着ようが着まいが、敵か味方に関係なく、戦争で真っ先に犠牲になるのは我々庶民だ。

2005.08.26:

職場のモバイル機、以前イギリス出張などで使っていたやつだが、ここ1年くらい誰も利用せずに放置されていた。このままでは良くないと思ってWindowsUpdateなどをやり始めたのだが、驚くなかれモバイル専用のプロバイダにあるメールが何と367通も溜まっていた。
1日平均約一通、その9割はスパムである。よくぞまあ・・・というのが正直な感想である。それにしてもアドレスはどこで抜かれたのだろうか??少なくとも私は誰が使うかわからないモバイル機で掲示板にアドレスを書くような真似は絶対にやらないのだが。

2005.08.25:

台風がやってきた。関西はあまり大きな影響が出なかったが、東海から関東にかけては今夜から明日に亘って風雨にさらされそうだ。被害が出ないことを祈る。
明日は東京から人を呼んでの会議が予定されていたが、台風の影響で新幹線が動かないことも有り得るとの予想から、急遽来週に延期となった。

2005.08.24:

盆休み中の友人サポートの結果から、会社のさる女性(私と同世代のオバチャン)に、一般の人達の意識はどうなのか、素朴な疑問をぶつけてみた。

Q:PCは家電製品とは違うと思うか?
A:そう思うが、使い方がわからない
Q:一般の人達はPCを買ったら、そのまま何もせずに使い続けているか?
A:大半はそうである
Q:ウィルス対策などの意識はあるか?
A:まったくない。情報もわからない。メールとインターネット閲覧・検索を適当にやっているだけ

予想通りの回答である。大金を払って(それも最近は大手メーカーの戦略で高いものが店頭に並んでいる)買ったのに、もったいない使い方であり、かつウィルス作者などの格好の餌食が腐るほど転がっているというのが実情だ。
別に失望はしないが、IT関連業界の戦略に踊らされて、家電製品や乗用車と同じ感覚で付和雷同的に買わされている一面が見える。
私自身も息子に1台与えているが、親の心配をよそにというか、最低のセキュリティー対策を私が施しているので何とか持ちこたえているが、オンラインゲームなどに使うのが関の山。学校でOffice関係の授業を受けても、その実用性はわからないままだ。
いずれにせよ、PCに対する基本的教育が一般の大人も含めてもっと必要だと思う。私の場合、手始めとして、手助けをしているHPの関係者にセキュリティーとHPのハード・ソフトに関する基本的知識の講習会を開いている。多くの人達はHPを作る側と見る側でのスタンスの大きな違いを理解していない。

2005.08.22:

一週間ぶりに出社。しかし体はまだ寝ている。
それでも休み前に約束していたデータ作成を必死で作って、何とか一日は終えた。途中で「お助けコール」も入ったので、一瞬ヒヤッとしたが。
休みの間に何か変わったことは起こっていないかと、あちこちの掲示板を巡回していたら、本社でお触れが回っていた。曰く「本社ビル内ではミュールを禁止する」。原因はミュール履きの若い女性が階段で転んで足を怪我したからである。
さもありなん。あれはかかとが浮いて不安定そのものである。駅の階段で大きな音を立てながら歩くのを聞いていると、実にそう思う。また、あのやかましい音が気にならないのかとも思う。
考えるに、女性が身に着けるもの、それも流行ものは実用性に乏しいものが多い。すぐに廃れたが重心が高くて不安定な「上げ底靴」、外反母趾になりやすいパンプス、そして転げやすいミュール。実用性がないどころか危険ですらある。
流行で売れればいいのかもしれないが、作る側はもう少し考えてほしいいものだ。

2005.08.20:

また六甲山に行ってきた。今度は下から歩いて登ることに決めたが、何年かぶりなので非常に辛かった。足もなかなか前で出ないし、息切れもひどい。若い頃なら1時間半もあればドライブウェーに出ることが出来たが、今回は2時間。足が痙攣を起こすようなことはないのだが、明らかに運動不足と年齢が影響している。
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靖国問題を斬る・9
今の日米関係の根源は1951年のサンフランシスコ平和条約に始まる。
戦後処理の流れの中で、アメリカが当初徹底した民主国家を作ろうとしたのが、次第に日本を自分たちの思いのままにできる体制にしようと動いたことは明らかで、それがこの条約に集約されていると言っていいだろう。そのあたりのいきさつは何人もの方が書いているので深くは追求しない。いずれにせよ、軍事のみならず経済的にも日本はアメリカの戦略に忠実に従うことを要求されたのである。米軍基地の存在はその典型で、「例外として他国軍の駐留を認める」としたものが今や恒久化している。かつ米軍基地は朝鮮戦争のほか、ベトナム戦争、そしてアフガンやイラクの関連にまで米戦略の重要な拠点として使われているのである。
これに対して日本政府は絶対に逆らわない。逆らわないどころかいくらかの譲歩でさえ要求しない。唯一は日本の重要な輸出産品である自動車の輸出規制だけだった。普天間基地の代替施設問題で沖縄県知事が貸借期限の設定を申し入れても、政府はアメリカに要求すらしなかった。簡単に言うと、戦前は「畏れ多くもかしこくも・・・」と言われると最敬礼をしたのが、今はアメリカに対して「この星条旗が目に入らぬか」と言われると地面にひれ伏す状態なのである。
ここには軍事・経済の首根っこをアメリカに完全に握られている日本の姿が見える。
このような現状を国民に覆い隠したまま、逆に憲法に盛り込もうとするのが改憲論者の考え方である。アメリカによる「押し付け憲法」と言いつつ、このようにアメリカに追随することを当然視する神経は信じられないが、実にそうなのである。
しかしこのような動きは海外からは丸見えで、だからこそアジア諸国が日本の再軍備と侵略を警戒するのである。
もし本気で自衛軍を憲法に盛り込むなら、いびつな日米関係でなく対等平等のものに変えてから、改めて国民に問うべきだろう。そうならばアジア諸国も文句は言わないし、日本側も堂々と正論を述べることができるはずである。

2005.08.19:

靖国問題を斬る・8
靖国参拝を肯定し、戦死者を「国のために戦った」と強調する政治家その他は、口先だけでは「平和」とか「反省」とか言うが、実際は後ろを向いて「あの戦争は間違っていなかった」と本音を吐く。また「極東裁判は違法だ」とか、「今の憲法は押し付けだ」とも言う。例の反憲法的歴史教科書はいかにして日本が「正当な」戦争を行ったかの証明を試みようと、必死になっている。60年経っても何故このように本気で反省する気がないのか。また、何故執拗に今の平和憲法を攻撃するのか?
それはもう一度日本を「戦争をしてもよい国」にしたいからである。最近出た自民党の改憲草案は紛れもなく9条を攻撃し、自衛隊を正式な軍隊としていつでも参戦できることを目標にしている。「自衛」という言葉はどうにでも解釈できる。
では何故今日本が攻撃の危機を迎えているでもなく、国連によって一定の歯止めが存在するのに、敢えていつでも戦争ができるようなオプションを作りたがるのだろうか?
そこには明らかにアメリカの存在がある。自民党の改憲案もそうだが、現実に自衛隊はカンボジア以来イラクに至るまで海外派兵を続けている。言い訳をするために、サマワで警備活動はしていないが、クウェートから物資を輸送したり、インド洋で米艦船に給油するなどの後方支援をやっている。従って現在政府与党がやっている、アメリカに対する軍事支援をおおっぴらにやるために、憲法までを変えようというのが彼らの意図である。自民改憲案はそこのところを「国際貢献」というオブラートで包んでいる。
では何故そこまでしてアメリカ支援に突っ走るのか。そこから先は次回にする。

2005.08.18:

昨日から今日にかけて友人宅のPCサポート。
親父のデスクトップ1台と娘のノート1台、99年製Windows98に01年製Windows2000という、そろそろ引退が近くなっている機種である。
本件は「サポート日記」に書いても良かったが、職場ではないことと家庭での使い方の典型みたいなところがあって驚くような話ではないので、こちらに書くことにした。結論から言うと、「買ったときのまま何一つ手を加えず使っていた」PCだということである。
当然ウィルスソフトのデータ更新もWindows Updateもやっていない。
旦那は私と年が変わらず、これも典型的な中高年ユーザーで「OAに手を出すことに猛烈な恐怖感を覚える」タイプだった。しかしながら諸般の事情で私が手伝いをしているHPの関係者になったということから、彼も覚悟を決めて単なるWordの入力者から一歩前進しようと決めたのだった。諦めるのではなくて少しでも知っておきたい、そこに彼の意欲を感じる。
しかしながら現状は現状である。同時に現状を放置しておくのはあまりに危険であるから、彼に機種名などを事前に聞きだして必要なファイルをCDに焼き、自宅で作業を開始した。
ある程度予想はしていたが、猛烈に時間がかかった。理由は今もってダイヤルアップだからである。ネットからのダウンロードがままならない。それも56Kどころか32〜36Kしか出ない、最悪の環境である。そのせいでデスクトップ1台は中途半端、ノートは拙宅に持ち帰りと、不満が残る結果となった。
それでも幸いだったのはノートに1個ウィルスを発見しただけで(それも2003年に感染したまま放置されていた)、悲惨な結果にはならなかった。理由はダイヤルアップが逆に作用して、メールをチェックするときとウェブ閲覧のわずかな時間だけしか接続していないために、ウィルスが侵入したり活動する暇がなかったものと考えられる。とは言え、必須であるウィルス対策ソフトの最新版導入と自動アップデート、Windows Updateだけは何とか実施した。
それにしても、最も典型的なPCは娘さんのノートだった。
まずPCの蓋や横腹にはハートマークなどのステッカーがいくつか貼ってある。PC自体は新品のインストールのまま。壁紙だけは例によってアニメキャラクターのもの。何やら必要とは思えない違法コピーのソフトもいくつかインストールされていた。驚いたというか極めて筋違いなのはCD−ROMドライブなのに「CD焼付けソフトが2つも」インストールされていたこと。友達の誰かが「ねえねえ、いいソフトがあるわよ」と勝手にインストールしたものと思われる。おまけにDVDプレーヤーまで入っていて、「DVDを見たいけど何とかならない?お父さん」とのたもうたそうである。これには外付けDVDドライブの増設を薦めた。
このノートPCは持ち帰って、ほぼ完璧と思われる程度にまで身奇麗にしたが、これまた一般ユーザーらしく、テンポラリフォルダとゴミ箱合わせて数百MBの巨大な残骸が放置されていたことを付記しておく。

2005.08.16:

お盆の最後ということで、息子が京都大文字の送り火を見たいと言い出し、実家への顔出しついでに行ってきた。
送り火を見るのは小学校以来、実に40年振りである。点火の8時少し前に出町柳に着いて、炎が次第に大きくなる光景を見た。
もはや学校の屋上は開放していないので、残念ながら五山全部を見ることはできなかったが、それでも壮大な光のモニュメントは何となく敬虔な気持ちにさせる。今年は戦後60年、この日記でも戦争についてのコメントを例年になく大きく取り上げたから、多くの戦死者の霊が安らかにという気持ちをという思いも少しあった。
この日を区切りに京都の夏、いや日本全国の夏のピークは終わりを告げる。セミの声も若干下火になり、夜にはやや凉し目の風が吹く。
この夏の夜空に光る大文字に、息子も楽しんでいた様子だった。

2005.08.15:

靖国問題を斬る・7
今日は8.15、言わずもがなの日本が敗戦を認め、戦闘が終結した日である。
私の意見の繰り返しになるが、「国を守るために死んだ」という「国」とは何を指すかがひとつの焦点である。そして戦前と戦後の「国」の質はまったく違うものであるということを認識しないといけない。戦前の「国」とは天皇が絶対的権力として君臨した存在であり、「国を守る」とはそのまま「天皇を守る」ことであった。これは紛れもない事実である。しかし戦後は憲法を中心として国民が国民自身のために政治を行う「国」である。
これに対して靖国を崇拝する勢力は意図的にこの違いを不問にし、赤紙1枚で戦争に駆り出された人達と、侵略戦争を推進した責任者を一緒にして「国」という言葉で一括りにしてしまう。責任者の頂点にはもちろん絶対的な存在であった天皇がいる。
それにしても何故靖国神社が戦争犠牲者の慰霊の場所として強調されなければならないのか?
国内でも靖国を唯一のものとする完全な合意はない。靖国を疑問視する人達は、私のように戦争犠牲者を「英霊」とするような考え方に賛成しない、あるいは犠牲者のすべてが正しく網羅されていないことなどを挙げる。宗教的理由で反対する人もいる。
いずれにせよ、国内外からこれほど批判を浴びる慰霊の場所というのは他国でも聞いたことがない。それも参拝に最も積極的なのは首相をはじめとする政権与党が中心だ。しかも彼らは戦前の政府関係者が多く含まれた政党の後継者である。だから余計に戦前の臭いが漂うのである。
では靖国に今も固執する本当の理由は何か、そのことは次回に詳しく書きたい。

2005.08.14:

靖国問題を斬る・6
小泉首相は15日前後の靖国参拝はしないと示唆した。彼の例の執念からして、参拝は止めるとは言わない。
それにしても相変わらず閣僚が参拝する。彼らは戦前の軍国主義者たちの思想的後継者である。そしてその精神的支柱として靖国神社が存在する。靖国神社の参拝行動は「伝統」ではない。言い尽くされた話だが、靖国神社は明治になって建てられたもので、古くからある神社ではない。
建立の目的は明らかに「英霊を祀る」ことであって、天皇家につながるとされる「八百万の神」ではないのである。この違いを意図的に混乱させておいて、「伝統」を口実に靖国参拝を強行する。しかしこんな欺瞞は日本軍に苦しめられたアジアの人達に通じるわけがない。
中国政府はこの点を日本人に対しての配慮から、靖国神社そのものに対しての完全な否定はせず、「せめてA級戦犯ははずせ」としている。一般の兵士と積極的な軍国主義者を分けて考えているのである。ところが小泉首相をはじめとする連中はこの区別を絶対に容認しない。
もうひとつ、「英霊」には空襲などで死んだ人達、そして広島・長崎の犠牲者も含まれていない。また、戦争に反対したがために「治安維持法」などで軍国主義によって殺された人達も同じである。ところがこうした戦争犠牲者の慰霊の問題は、靖国崇拝論者の頭からは抜け落ちている。
このA級戦犯の問題と、民間犠牲者の問題をどうするかは、靖国参拝とは不可分の問題であると考える。もちろんそれは靖国神社が唯一の戦争慰霊の場所であるかどうかとも結びついている。
日本人として、中国から言われたかどうかに関係なく、この問題のきちんとした決着が必要ではないだろうか。

2005.08.12:

しつこく解散・総選挙に迫る。
小泉首相は自らをガリレイになぞらえる発言をしたようだが、ガリレイに失礼だ。
ガリレイは地球が回っているかどうかの「事実」について固執したが、郵政民営化はそうではない。地球が太陽のまわりを公転しているということは、それが人間にとってであろうと、蛆虫にとってであろうと、等しく事実なのである。それを宗教とか思想によってねじ曲げることはできない。しかしながら、郵政民営化は人間社会の仕組み、政策の問題であり、蛆虫にとっては何の関係もないのである。それをごちゃ混ぜにしてはいけない。
そもそも、自らを殉教者のように語る人間が高い評価を得たことがない。本物の殉教者はテロリストのように他人を巻き込まず、ひたすら他人のために喜んで自らの死への道を選択していく。また自らを語ることは決してないのである。

2005.08.11:

今日からそろそろ盆休みが動き出した。駅で親子連れの姿がチラホラ見える。私は明日まで出勤して、その後9連休となる。
さて、再び選挙について考える。
小泉首相は郵政民営化反対派を殲滅させる挙に出ようとしている。しかしふと思ったのだが、これで再び同じ法案を出しても通るのだろうか?
私にはひとつ解せないことがある。たとえ総選挙で反対派をことごとく落選させたとしても、改選される議席はあくまで衆議院であって参議院ではない。つまり、衆議院は反対派を減らさなくても通る可能性はあるが、参議院では少なくない議員の心変わりがなければ再び否決されるのである。
解散が筋違いということもあるが、現実問題として解散を何度繰り返しても参議院にはほとんど響かないのである。
世論を味方に付け、かつ自民党参議院にプレッシャーをかける意味がないわけではないが、実に回りくどい方法になる。
そのことを知ってか知らずか、郵政民営化を通すことだけに執着して目の色を変えている小泉氏の精神構造は、常人には理解不能である。

2005.08.09:

今日は長崎の原爆忌。11時2分、私は職場で人知れず黙祷した。
昨日の補足だが、もし郵政民営化だけを問うなら、法的根拠はないものの国民投票にかけるべきだ。またその代案としては郵政法案だけに絞った選挙に限定して、もう一度選挙をやり直すことが必要だろう。
さて、小泉首相が再々にわたって「戦争犠牲者の上に平和がある」との発言をしている。後で改めて書くが、犠牲者を悼む気持ちがあなら謝罪の言葉と不戦の誓いをするのが自然な流れであって、犠牲者が平和を築いたなどというこじつけは出てこないはずである。ここに問題の焦点があるのではないか。

2005.08.08:

郵政法案が参院で否決された。予想通りである。それを受けて、小泉首相はかねてからの自己の筋書き通り、強権的に衆議院を解散した。
このことには2つの問題があると思う。
ひとつは筋違いの解散だ。参議院で否決されたから衆議院を解散というのは、二院制での意見の食い違いを認めず、否決された法案を復活させるために強引な手段を使ったものである。予算の衆院先議権を除いて、どちらかで否決されたら廃案というのは憲法の基本である。最高議決機関である国会が判断したのだから、それを受け入れるべきだ。首相の解散権を、国民の圧倒的な支持もない自身の意見を通すために使うのはやはり濫用と断定せざるを得ない。
もうひとつは、郵政民営化には合理性・緊急性がないことだ。もちろん自民党内での郵政族の猛反対が大きかったことはあるが、国民の不安、特に「儲からない部門の切り捨て」、わけても「地方の特定郵便局の廃止」に対する反対の声は無視できない。それと、首相が声高に叫ぶ郵政民営化がすべてに優先すべき問題という認識にも、国民はまったくついていけないのである。
靖国参拝、年金・福祉の財源問題、消費税をはじめとする増税問題など、急ぐべき問題は山積だ。それを知ってか知らずか、郵政民営化に血道を上げる首相の神経は完全に国民世論から浮いているのだ。
このまま解散、総選挙が行われ、結果自民党がもし第一党になったとしても、それは郵政民営化を強引にでも通せということの反映ではない。よしんば自民党が99%の議席を得た(そんな可能性はまずないと思うが)としても、国会は郵政法案を通すためだけに存在するのではないからだ。

2005.08.07:

昨夜は所用で書き損ねたが、8月6日は言わずと知れた広島に原爆が投下された日。
「ピカドン」とともに灼熱地獄が広島市内を中心に覆った。その惨状が今も伝えられるのは、もちろんあまりにもむごい光景が展開されたからである。さらには破壊された遺伝子が今も被爆者の体を蝕む。被爆者にとっていつ発症するかもわからない恐怖を心に刻まれることの恐ろしさは、これまた私の想像をはるかに超える。
それでも一部の事実は、原爆資料館を訪れることで知ることができたし、衝撃的な映像は東海村での核燃料施設で起こった臨界事故の映像を見てもわかった。あの「瞬時にして皮膚の細胞は死滅した」というアナウンスを聞いて、背筋に冷たいものが走ったことはまだ記憶に新しい。
幸いにして、広島・長崎以降に兵器として使われた核はない。核実験などによる犠牲者も出たが、それはそれとして、万を超える人々が瞬時にして閃光に焼かれた例は、今日まで経験していない。
人類は今も核兵器の存在によって、地球破滅の恐怖と背中合わせにいる。それは被爆者から今も消えない恐怖と同質のものだ。この恐怖から逃れる唯一の手段、それは核兵器廃絶、これ以外にない。

2005.08.04:

国民にとって意味のわからない、かつ害悪しかもたらさないと思える郵政民営化案が無理矢理採決されようとしている。
小泉首相の独裁的発想は今回も発揮されている。彼の背後には急かされるような何か、財界・銀行の意向とともにアメリカの影も見えるのだが、が感じられる。その恐怖感があるのかもしれないが、彼はその恐怖感を徹頭徹尾ゴリ押しすることで跳ね除けたいようだ。これは自衛隊のイラク派遣や靖国発言でも見られる。
そしてもっと問題なのは、彼のような危険なキャラを諌めることの出来る勢力がいないことである。本当は国民がもっと怒らないといけないのだが、残念ながらその声を反映する手段が今はあまりに限られている。

2005.08.03:

メールなどでコミュニケーションを取っていると、私にとってわけのわからない反応を示す人がいる。
ひとつはほとんど自宅のメールを開かない人。ひどいのになると1ヶ月放置というのもある。今時インターネットを見たいという人がプロバイダに加入しながら、メールをまったく利用しないというのも変な話である。大企業などでは社内メールを最低でも30分おきくらいに送受信を行う設定するのが半ば常識のはずだと思う。もしメールをチェックしていないことがわかれば上司から怒られると思うのだが。
PCではなくてケータイを主な通信手段としている人もいるかもわからないが、もしそうなら最初から相手に告げるのが礼儀だろう。
次が一方的なメールを流す人である。これは掲示板にも見られるが、掲示板と違うのは頓珍漢なレスを付けるのではなく、こちらからの質問や呼びかけに応えない。応えないのならメールを寄越すな、と言いたいところである。
こういう人は恐らくメールが問題なのではなくて、根本的にコミュニケーションの取り方が下手なのだと思う。誤解が生じそうだったらそう返事を書けばいい。拙い文章でも反応があれば意思は伝わる。そういう会話のキャッチボールがあってこそ相手を理解できるのではないか。メールが苦手というのなら電話やFAXもある。要は意思を伝えようという努力だ。

2005.08.02:

敗戦にまつわる話を書いたが、こんなニュースを耳にした。次の日曜日(7日)に明石市内のある工場で戦時中米軍が落とした不発弾が見つかり、その処理をするという。午前中、付近のJRは運休、国道も閉鎖である。
中国で毒ガス弾が見つかったり、日本でも時として不発弾が見つかる。戦後60年過ぎてもその爪痕はまだ完全には消えていない。

2005.08.01:

8月になって、学生のいない通勤電車はすこぶる静かになったと気付いた。特に女学生のけたたましい地声は目立つから尚更である。
でも、休日になると今度は、須磨の海水浴場へ行く若い娘のケバい化粧とこれまたいっそううるさい地声が社内に響くことがある。
さて、今月は敗戦にまつわる行事が続く。そして盆休み。今年はどこかへ出かける予定もないので、汗をかきながらディスプレイに向かう日々になるだろう。それもこれまたけたたましい蝉の声に囲まれながら。
今月は靖国問題にもう少し力を入れたいと思う。