悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
05.10
2005.10.31:
今日で10月もおしまい、今年もあと2ヶ月である。
先週あたりから仕事は雑用中心で、やりたいことは手付かずのまま1日が過ぎるということを繰り返している。
今日も臨時のデータ抽出を3件頼まれ、Business
Objectをフル回転させた。元データはもちろん「のぞみシステム」のバックアップデータなのだが、テーブル構造までそのまま引き継いでいるから、そのクセを知っていないと意図するレポートが作れない。実は経理にも閲覧権を与えているのだが、「のぞみシステム」の流れを理解していないために混乱してしまい、欲しいデータが取れないと私に相談してきたのである。
仕方がないので私が雛形を作り、細かいところはそれを一部向こうで改造するということになった。雛形は1時間もせずに作れた。だが経理ではどういうことになるか、明日もまた「データが化ける」と泣きが入るだろう。
2005.10.29:
どうも私と同年代の連中とPCの話をしていると疲れることが多い。特にHPに関する話では。
最近あるHP作りの手伝いをしているのだが、あるメンバーから原稿をWordで送ってきた。しかし驚いたことにファイルサイズが1MBを超えている。理由はスキャナで取った高解像度の画像をそのまま貼り付けたからである。HTMLにするために画像を抜き取っても750KB。こんなものをそのままアップしたら読者から読めないとクレームが来ることは必定。念のためアナログ接続の別のメンバーにダウンロードのテストをしてもらったら、「10分くらいかかったけど、問題ないですよ」との回答。おいおい、事情を知ってるアンタは良くても一般読者は故障と勘違いするぞ!
そうかと思えば、最近ネット接続を始めたあるオッチャンが私に相談を持ち込んだ。聞いてみると「検索で目当てのサイトを見ようとしたが、沢山該当のものが出てくるので、どれを開いたらいいかわからない」というものである。検索のキーワードが適切でないために起こる典型のヤツである。もちろん絞込みをやれば解決するのであるが、この話で意外なことに気付いた。
何人かとこの話をしたら、絞込みのやりかたは年代に関係なく意外と知られていないのである。つまりキーワードをスペースを開けて並べるというAND検索の手法を知らない人が少なくないのである。ひどいのは「てにをは」の助詞を加えたがために、逆にヒット数が極端に減ってしまって困っているというのもあった。
しかしオッチャン連とのつきあいで最も困るのは、「返事をくれ」とメールを打っても「イエス」とも「ノー」とも言ってこないヤツがいることである。これが最も腹立たしい。
2005.10.28:
ちょっと気分が乗らなくて日記をサボった。
思えばこのHPを始めてから間もなく7年、日記はほとんど欠かさなかった。自分でも関心するくらい長続きしている。やはりこういう好き勝手なことを書き綴るのが楽しく感じられるせいだろう。もちろん題材は私の独断と偏見でやっているから、範囲は狭い。
もちろん「こんなテーマはどうか」との提案があればやらないこともない。しかしそれとて私独自の視点で書くしかない。批判は覚悟である。世の中十人十色だからそれぞれ見方が違う、当たり前だ。但し互いに罵詈雑言を浴びせることだけはしたくない。ただそれだけが私地震へのの戒めである。
2005.10.25:
日本シリーズが始まったが、タイガースの3連敗では面白くない。それも完敗だからである。
せめて緊迫したゲーム、競り合いで緊張感のある試合を見たいものだが、打てない、抑えられないではどうしようもない。リーグ終了から時間が空いたことも影響しているのだろうが、それは言い訳にはならない。
このままでは無残だ。ファンとしては「猫」ではなくて「虎」が見たいのだ。
2005.10.24:
急激に気温が下がって、朝の職場では暖房を入れる始末。昼からはポカポカ陽気になったが。
それにしても変化が派手すぎる。まだ年老いてはいないが、これだけの気温差があると体が慣れるのに時間がかかるようになってきた。
今までが暖かすぎて、やっと本格的な秋になっただけのことではあるのだが。
そういえば六甲山小学校ではストーブの「火入れ式」が行われた。季節はやはり巡る。
2005.10.23:
「あの日」がやってきた。もちろん阪神・淡路大震災ではなく、中越地震である。
あれからちょうど1年となる。被災地では様々な行事も行われた。しかし復興への道のりはまだ長い。旧山古志村のほとんどは手付かずのままだ。阪神でもそうだったが、支援の手があまりに薄いからだ。
民営化がどうのこうと言うが、大企業を儲けさせるために必死になる前に、その一部でも被災地に回せば本当の意味での生活・経済が潤うはずなのに。
2005.10.22:
ちょっと外出したついでに行きつけの飲み屋に腰をすえた。
マスター曰く、前に勤めていた会社で若者の指導をしていたら、ある日母親が「怒らないでくれ」との申し入れがあったという。この手の話は時々聞くが、親離れしない子供がいるのはいずこも同じようだ。
それに比べ、昨日書いた女性社員はホームシックもなくきわめて元気に過ごしているという。アトピー肌もなく、また化粧もほとんどしない極めて健康な若者である。おまけに作業服とヘルメットが似合う。
そういえば最近JRでも車掌だけでなく運転士に若い女性が進出するようになった。誰が言った言葉かは忘れたが、「男は愛嬌。女は度胸」という発想が必要な時代になってきている。会社で怒られたことを母親に告げるような男は願い下げにしてもらいたい。
2005.10.21:
久しぶりの職場の飲み会、楽しい会話をさせてもらった。
だが私には少しだけ不満が残った。というのも30代の若手がまだ入社してから1、2年の若手女性社員に生意気な説教を垂れたからである。
曰く、「結婚はどうするのか」、「会社が儲かるためにはどうすればいいのか」ということをさも重大な命題であるような口ぶりで問題提起したからである。私に言わせれば「大きな口を叩くな!」である。
結婚するかどうかと働くかどうか、また今の会社で働き続けるかどうかということに立ち入った質問をする権利は誰にもない。そんなことは本人の選択の問題である。
次に会社が儲かるかどうかということについてだが、まず仕事がどういうものかということを含めて、新人はまず仕事に慣れることが重要なのであって、会社としての方針や判断についての意見を求めても何の役にも立ちはしない。
もちろん自分がどういうことをやりたいか、あるいは社会人としてどういう観点で将来を考えることは重要である。そういう意見を若者に聞いてみたいと思う。だが人生観の形成と仕事をこなす能力・意欲とはまったく質が異なる。ましてや結婚がどうのこうのということを仕事と同列に扱うのは筋違いだ。
私の偏見かもしれないが、30代は意外と古い固定観念に縛られているように感じた。
2005.10.19:
電気・電子系でない企業に勤めている電気工学系の人間は、どうしても誤解されやすい。まず基本的な点は、電気と電子の違いがまったく知られていないことである。
学科としても電気と電子ははっきり分かれている。英語でもElectricあるいはElectro-mechanicに対してElectronicという使い分けがなされている。電気はどちらかというと「強電」すなわち送配電や動力を扱い、電子は「弱電」すなわち電子回路を主に扱う。一般の人にはこれがわからない。ウチの会社は特に極端で、「電線が繋がっているものはすべて電気屋の仕事」という固定概念がある。だから機械の運転に必要なセンサの位置調整も電気屋に押し付けられてしまう。機械の運転なのだから、どういう動きをさせるかは機械を知っている人間がやるべきなのだが、その責任逃れの口実に使われるのである。
しかしもっと悲惨なのは制御系を学んだ連中である。彼らはシーケンス制御、油圧制御、あるいは自動制御のための数値解析をやってきた、どちらかというと数学系の人間である。コンピュータもどちらかというと制御系に近い。ところがウチの会社では彼らも電気屋の一部としてみなされる。可愛そうに彼らは電気のことはほとんどわからないのにである。
世間では「電気は目に見えないから怖い」との声を聞く。確かに目には見えないが、ちょっとした数学の力を借りれば理解は困難ではない。「数学」と聞いただけでそっぽを向く人があるかも知れないが、慣れればどうってことはない。初めてマウスを手にした時の緊張が解ければ後は気が楽になるのと同じである。
2005.10.18:
朝夕が大分涼しくなった。特に今朝は台風の影響か強めの風が吹いて、首筋がやや寒く感じられた。
しかし昼間はポカポカ陽気で、眠気さえ感じる。今年の紅葉は間違いなく遅れる。そして今年の冬は・・・どうなるだろうか?
2005.10.17:
とうとう小泉首相が靖国神社を参拝した。いくら一般の参拝者のようなフリをしても、考えていることは同じなのだから批判が弱まることはない。
それよりももっと問題なのは、アジアの中での日本の孤立がさらに深まることである。これは国民の本意ではない。なのに敢えて参拝した。これはアジアの人達のみならず、国民に対する挑戦とも受け取れる。
彼は本当に歴史を理解していない。戦後60年、いかにどう取り繕おうと歴代政府与党がやってきたことは戦争に対する無反省である。そのことを徹底して無視し、自分の偏狭な考えに固執するならば、それは猛烈なしっぺ返しを受けるだろう。
2005.10.16:
最近マスコミが騒ぎ立てている「村上ファンド」などのいわゆる「IT成金」の動きだが、私には所詮「利ザヤ稼ぎ」としか見えない。
「ニッポン放送」、「阪神タイガース」などでの発言を聞いていても本気で経営を考えているとは思えないからである。業務提携みたいなことを口にするが、儲からなくなったらたちまち手を引くだろう。
それとマスコミもほとんど触れないが、彼らの資金源は大銀行あるいはアメリカの元ヘッジファンドのような連中が金を貸しているのである。そうでなければあれだけの株の買占めなどできるわけがない。それを「IT成金」達が意識しているかどうか、ほとんど報道されないので明らかではないが、見ている限り自分の客観的役割の認識は低いようだ。
資本主義社会だから、誰がどれだけ公開された株を買うかの規制はない。しかし経営権を握るということは会社を維持していく責任は一定程度ある。会社を買ったあくる日に解散では誰も信用しない。そういうことがあるから彼らはモノづくりの会社には絶対に手を出さない。投資をして商品を作り、売れてから資金を回収するまでに一定の時間がかかるからである。好きなときに投資をし、好きなときに資金を回収できる金融・サービス業のみが彼らのとっての「市場」である。同時に自由に振舞うためには経営権に深く関わることを嫌うのである。
マスコミがはやしたてているこのような経済のあり方だが、私には何か肝心なことが忘れられている気がしてならない。
2005.10.14:
決算後のデータ整理をしていたら、6年以上の長期在庫で不良資産と化している鉄板があることがわかった。現物を確認したら野ざらしで錆がひどく、何かに使えるようなものではなくなっていた。錆が鉄板の奥深く食い込んでいるので普通の錆落しでは再生不可能である。
合わせて約8トン、関係者にこうなった理由を尋ねても過去のいきさつを知る者も定年などでいなくなり、放置されていたのである。引き取り手は誰もおらず、恐らく屑鉄として引き取られていくだろう。
「もったいない」という言葉が最近注目されているが、その典型のような話だ。
2005.10.13:
パキスタン・インドにまたがるカシミール地方で起こった大地震、大変な被害が出ている。
山岳地帯であることや、貧困に基づく粗末な建物が2万人を超える死者を出すことになった。イスラマバードのような都市でもビルが倒壊している。このような大きな被害が出るのは、トルコやイラン、アフガニスタンなどの中近東で使われている日干し煉瓦を主とした建築物に共通することであるが、歴史的に地震が多い土地であるにもかかわらず、以前と同じような耐震性のない家が再び建てられてしまうことにある。
そこには、耐震建築に変えることすらできない、食べるのが精一杯の暮らしをしている人達の現実でもある。人命が失われ、二度とこんな目に遭わないようにという気持ちがあっても、それを現実化できない悲しい経済状態が反映しているのである。
この悲しむべき現実の根本は、テロを生み出す原因と同じものである。彼らの自助努力も必要だが、国際的な支援がなくてはできないものである。当然のことだが、武力行使は支援ではない。
2005.10.11:
秋祭りのシーズン、あちこちで神輿や山車が見られる。
今朝、出勤の電車の中から外を眺めていると垂水駅付近の国道が渋滞しているのが見えた。まだ7時前、いつもなら混雑することなどあり得ない時間帯である。しかしその原因はすぐにわかった。何と神輿が道路を練り歩いていたのだ!
ちょうど垂水駅の南側には海(かい)神社があり、10〜12日は秋祭りだったのである。それにしても早朝から神輿が繰り出すとは・・・まったく想像できなかった。
2005.10.10:
選挙制度を斬る・3:
政党助成金というのは小選挙区制とならんで民主主義を破壊する制度だ。最大の問題は国民の政党支持の自由が奪われることだ。自分が支持しない政党に対しても払った税金の一部が流れるからである。例え喫茶店で飲むコーヒー一杯の金額であってもだ。
政党は根本的にボランティア、国民のために自ら志願して活動するものである。活動を制限されない替わりに資金は自助努力、結社の自由とはそういうことだ。だが自民党などは既に政治資金の半分以上が政党助成金である。これでは資金集めのための努力、支持を得るための努力はしなくなる。努力しなくても金は入るからだ。
これでは絶対にまともな民主主義は育たない。その点で共産党だけが助成金受け取りを拒否しているのは理解できる。彼らは一度金を貰ったら無意識のうちに活動の熱意が低下することを知っているのである。例えが適切でないかも知れないが、ボクシングがハングリーでないと勝てないことと同じである。
今回の選挙の後、自民党の郵政民営化に反対した連中の多くががいとも簡単に寝返ったことは、政治資金と無縁ではないと考える。そもそも投票前、無理して新党を結成した背景には政党助成金がもらえるかどうかが動機のひとつになっている。そして選挙後は支持者が何故彼らに投票したかを顧みることもなく自らの保身に走るのも、新党が解散してしまった場合に自民党に戻って再び金が貰えることが無意識であっても頭の中にあるせいだろう。
金の力は恐ろしい。そのことは漫画「ナニワ金融道」を読めばわかるし、作者の故青木雄二氏がいつも語っていたことである。
2005.10.09:
連休だが午後に所用があって外に出たついでに、ちょっと飲みに行った。
すると隣に座っていた私と同年輩のオッチャンは何と私と同じ会社。事務所が違うので互いに顔見知りではないが、二人とも「え"!!??」ということになった。
大企業だから入社以来ずっと知らないのは当然なのだが、世の中狭いとつくづく思ってしまう。
2005.10.08:
選挙制度を斬る・2:
小選挙区批判は今回が初めてではない。実は2003.11.13の日記で詳しい分析をやった。
そして今回も私の考え方が間違っていなかったことを証明することになったのである。
2年前の繰り返しになるが、小選挙区制は得票率と議席獲得率の乖離が激しすぎて民意を正しく反映しないという点で、民主的でないということである。下に過去の自民党のデータを示しておいた。今回特に目立つのは、得票率が4%しか増えていないのに議席は17%も増えたことだ。
得票率 |
議席獲得率 | |
1996 |
38.63% |
56.33% |
2000 |
40.97% |
59.00% |
2003 |
43.85% |
56.00% |
2005 |
47.80% |
73.00% |
2005.10.07:
昨夕、私が帰宅してからの話。私の上司に現場で製造コストの管理をやっている課長から電話があり、いきなり「決算なのに原価として処理していないデータが残っている。あんたのとこではやるべきことをやっていない」とのクレームを付けた。
上司は個別のデータのことを理解しているわけでもなく、私が明朝来てから調査するとの返事をした。
さて、そんなこととは知らずに今朝私が顔を出したら、上司からのメールで調査依頼が来ていた。彼は冷静にクレームの発言をそのまま書いて、1時間程度で結果を報告して欲しいと結んであった。
朝からうっとおしい話とは思ったが、知らん顔をするわけにもいかないので「のぞみシステム」のデータを調べ始めた。すると問題のデータに見覚えがあることに気付いたのである。その理由は後で書く。
調査の結果は「シロ」である。だがそれがどうして決算のデータとして見えなかったのか、私には理解できなかったので情シスに助けを求めたら、こんな結論になった。原因となったのは原材料の原価データなのであるが、それは決算となるジョブ番号から別のジョブ番号へ流用したもので、もはや処理は済んでいたのである。ところが製造現場で見ているデータ管理システムがこのような流用に対してのデータ検索条件が十分でないために、未完データとして表示されるという現象が起こったのである。
この結論を上司に伝えると同時に、この現場の課長に対して直接メールを打った。顔を知らない仲ではないので、ちょっとだけ暴言に対する釘を刺しておいた。私の上司もアタマに来ていたので電話で逆襲していた。
実はこのデータ、私も決算前に未完であることに気付いていて、現場に問いただしたら流用の事実がわかったため、担当者にジョブ番号の振替処理を督促していた。それが決算前に何とか処理を終えてホッとしていたのに、何を今頃と思ったのである。
「事件」の解決後、この課長から私に直接電話があって、別の話で何やら言い出したのでこれも一蹴した。詳細は長くなるので割愛するが、要するに自分たちの管理不十分を「のぞみシステム」でリカバーしてくれないかというものであった。そんなことやってられるか!
2005.10.05:
決算処理がほぼ終わって一段落。私が作った「のぞみシステム」から決算データを抽出する仕掛けも抜けなしで安定して動くことを確認した。ここまで試行錯誤しながら約1年かかった。
しかし決算以外の部分で意外なことを発見した。1年以上経っても完結しないデータが散見されたのである。これにはわけがある。
通常、引渡しの済んだ製品については売り上げと原価を集計して最終損益をはじきだす。これが決算である。原価には製品を作るために消費された材料費、外注費、人件費などが含まれる。「のぞみシステム」は人件費や雑経費などを除く材料費や外注費を処理するが、それらの費用には引き当てるジョブ番号が指定してされているので、決算の時には該当するジョブ番号のデータがきちんと原価計上され完結しているかどうかを調べれば良い。
ところがジョブ番号を割り当てられない費用というものが存在するのである。それは事務所経費や電気・ガス代、工場で使う工具類、固定資産、一般事務所経費などである。これらは引き当てするジョブ番号に分割することができないので共通経費として経理処理される。もちろんこれらも「のぞみシステム」のデータとして含まれている。しかしながらこれらは決算の時の完結データには含まれず、その期内にかかった費用として「完結したデータのみ」が経理処理される。ここがポイントである。
おわかりのように決算データには「完結していない」共通経費は除外される。だからこれらは何年経とうが完結するまで未来永劫原価として処理されないのである。完結しない原因は手配漏れとか支払い手続きが忘れられていることが圧倒的に多い。下請企業で小額なために営業マンが請求を忘れていることもある。
それらのデータがそろそろ目立ち始めた。ということでこれら未完データを洗い出す作業が近いうちに必要になりそうだ。
2005.10.04:
選挙制度を斬る・1:
この前の総選挙の結果ということもあるが、今の日本の選挙制度はやはりおかしいと思う。最近こんな話を聞いてから特にそう思うようになった。
報道によれば、自民党の政治資金の半分以上は政党助成金である。すなわち国民の税金を使って特定の政党に政治資金が流れるわけである。しかし妙な話である。例えば民主党を支持する人は自民党に献金するわけがない。ところが支持していない政党に資金が流れる、それも大きな政党ほど多量に流れるのである。こうなると少数政党を支持する人ほど意中でない政党に自分が払った税金が多く使われるという矛盾が拡大する。こんな馬鹿な話はない。
それと政党助成金の存在は地道な政治活動、とりわけ資金集めに努力することをしなくなる。サボっていても金が入るからである。
これでは民主主義は育たないし、政党自身も国民の支持を得るために積極的に活動しなくなる。支持の大小と献金の大小が連動しないからである。一部の外国でも政党助成金が支給されているようだが、いずれにせよ「結社の自由」は破壊される。
そういう意味で現在共産党が政党助成金を拒否しているのはひとつの見識である。受け取った瞬間から自らの政治活動の努力が失われることを心配しているからである。いくら気持ちだけ引き締めようとしていても、実際に金が入ると人間は弱い。
次回は小選挙区制を考える。
2005.10.03:
ヨメハンの行動様式を見ていると不思議に思うことがある。
何か問題を解決しようとする場合、すぐに解決できる特効薬みたいなものを探そうとするのである。「あれの場合はあれ」「これの場合はこれ」という風に、その時々に合った「型紙」(テンプレート)を出してくる。別の名前で言えば「処世訓」あるいは「しきたり」である。
確かにこれは便利だ。深く考えなくてもドラえもんよろしくポケットからさっと取り出せる。だが日常的な雑事はともかく、私のように長年サラリーマン生活をやっていると、それでは済まないことにしょっちゅう遭遇する。もちろん「型紙方式」で間に合うこともあるが、限度がある。というのもあらゆるケースを解決するには無限に「型紙」が必要になってしまい、とてもじゃないがひとりの人間の頭で分類できる量を持てるわけがないからである。おまけに選定を間違えるとどえらい失敗をする。
だから原則的な「公式」が必要になるのである。「公式」を作るにはまず事実を認識し、積み重ねばならない。面倒だがそれ以外にない。そしてその事実が組み合わされた結果を推論し、解決策を見出すのである。事実の欠落や推論の方法を間違うと予想が狂うが、狂っても間違えた部分だけを組みなおせば良い。失敗してもそれほどひどいことにはならない。だがこの方法の利点は「応用が利く」ことである。
だから私は彼女に「原則を大切にしろ」というのだが、「理屈っぽい」とはねつけられる。
2005.10.02:
「名物にうまいものなし」と言うが、私にはいくつかお気に入りの土産がある。
東京へ行くと「草加煎餅」か「雷おこし」を買う。ひと頃「東京ばな奈」を買ったこともあったが、あのカスタードクリームは次第に飽きが来た。帰りの新幹線の中では、東京ではないが崎陽軒のシュウマイをつまみながらビールを飲むのである。
福岡へ行くと「ひよこ」。辛子明太子は残念ながら私には唐辛子が合わないのでパス(だから韓国出張は苦痛である)。
姫路あたり(三宮でも売ってはいるが)に行くと赤穂の名物「しほ味饅頭」。
福井は「羽二重餅」。新潟は「ささ蒲鉾」。
ところで札幌にいる兄はいつも六花亭の「マルセイバターサンド」をぶら下げてくる。あれはレーズンバターの味が絶妙である。但しカロリーは抜群に高いから要注意である。