悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
05.07
2005.07.31:
午前から曇っていると思ったら、雷が鳴るなど今日は不安定な天候。7月の終わりにしてはやや夏らしくないというところか。
しかし雨が上がっても涼しい風は吹かず、却って蒸し暑い感じがする。盆が過ぎるまでこれから約2週間、まだまだ暑さは続きく。そういえばインシュリン注射を始めてからもうすぐ1年が経つことを思い出した。
2005.07.30:
今年はまだ書いていなかったが、阪神タイガース優勝の可能性が取沙汰されるようになった。
今日はヤクルトに大敗してしまったが、いわゆる「貯金」が20で、極端な連敗がない限り優勝が現実化するだろう。また優勝を逃したとしても2位から下に転落することはあるまい。
阪神ファンというのは不思議な存在で、シーズン初めは「今年は優勝や!」とかブチ上げるが、そのうちにだんだん静かになるということを繰り返してきた。しかも何度期待を裏切られても翌年にはまた元気を取り戻すのである。これを18回続けたから大抵のことでは驚かない。
それでも、さすがに優勝ということになると慎重になる。要するに「また裏切られるんとちゃうやろか」という猜疑心が時折顔を出すのである。しかも今年は先の優勝からわずか2年、ちょっと信じられないという思いも強い。
ともあれ、ファンとしては優勝が見えてきたことは嬉しい。素直に喜ぼうではないか。
2005.07.28:
政治の世界で何やらきな臭い匂いがする。
公明党が民主党との連合をやってもかまわないという発言だ。あれこれ条件を付けているようだが、本音は「政権にありつけるならどことでもくっつく」ということなのだろう。正常な神経ではとても思いつかない。
自分の主義主張がどこまで通るか、またそれをどこまで妥協して連立政権を組むか、それが世論や支持者の動向で変わることはあるだろう。しかし今までの公明党の動きは、そういう範疇からは常に外れていたと言わざるを得ない。要するにいかにして政権にありつくかを軸にしてきたのである。そのきっかけは自民党の過半数割れである。「政権を維持したければ俺たちの勢力を加えろ。但し大臣の席は寄越せ」ということだ。
今回も国民には無用、サービス切り捨ての郵政法案がきっかけで、自民党い分裂の可能性が取りざたされている。
このような時期に野党の民主党と手を組む可能性があると発言することは、どういう意図であれ節操のない野合と受け取られても仕方がない。このように、政治を弄ぶ考え方を披瀝することそのものが、歴代の政権政党のレベルの低さを物語っていると思えてならない。
振り返るに、自民党と手を組んだ旧社会党が民主党に合流する一派と社民党に分裂し、元々の形はどこかへ消えていったことを思い出す。
2005.07.26:
関東では地震に続いて台風の影響が出ている。
どうぞお気を付け下さい。
こちらは午後あたりに風雨が強まる見通しだったが、和歌山で警報が出るなど、多少の影響があっただけで、近畿中南部はほとんど大したことがなかった。今年も高気圧の位置が例年とは異なるようで、今後どうなるか気になるところである。
2005.07.25:
昨日のことでひとつだけ補足。
情報に飢えてるからといって、TPOもわきまえずに年中カチャカチャやっていることを認めたわけではない。
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9連休が終わって今日から出勤。頭の中がスッカラカンになっているので、休み前に何をやっていたのか思い出すのに苦労した。
さて、台風7号が近づいている。昨夜あたりからわずかに風が吹き始めた。近畿は明日の夕方が風雨のピークだろう。そんなことを考えていたら、去年の上陸10連発を思い出した。
さすがに今年はそんなことはあるまい。
2005.07.24:
今夜はネット仲間との会食だった。その会話の中で気付いたことをひとつ。
若い連中が何故5分おきくらいにメールチェックをするほど、ケータイに固執するのかが何となく見えてきた気がする。結論的に言うと、彼らはPCを持っていないか使い方をまったく知らないために、ケータイ以外にコミュニケーションや情報を得る手段を持っていない、と考えられることである。
これは日常的にPCを使っている立場からすると、盲点になっている気がしたのである。
2005.07.23:
テロ事件が相次いでいる。どうしてだろう?
このままではテロリストだけでなく、イスラム教を信じている人達すべてが白眼視されるおそれがある。もちろん私は真面目な人達との違いはわかるのだが。
昔のヨーロッパではユダヤ人がその閉鎖性ゆえに迫害を受けた。しかしながら彼らはシャイロックにはなっても、ビンラディンになることは絶対にしなかった。そこの違いは何だろう。確かに貧困と言う問題がアラブ世界に横たわっていることは理解できる。だが、それが他人を傷つける考え方と結びつくプロセスがもうひとつわからない。
血に飢えた一部の宗教指導者が若者を煽動している図式も考えられなくはないが、日に5回メッカに向かって祈る庶民との接点がどこにあるのか、私には依然大きな謎である。
2005.07.21:
靖国問題を斬る・5
A級戦犯の問題で、侵略戦争擁護論者は「極東裁判は戦勝国が勝手に開いた裁判であり、無効である」と繰り返す。こんな暴論は日本で許されても国際的には一笑に付される。
前回も書いたように、日本は積極的に侵略政策を推し進め、満州「事変」のような謀略まで使って戦争を仕掛けたのである。また日米開戦も「アメリカに誘導された」というが、挑発に乗らなかったら済む話で、こういう言い訳はイラクを侵略したアメリカの言い草とほとんど変わらない。日米戦争突入への最終決断はもちろん天皇にあったわけだから、軍部が何と言おうとその責任は免れないと思うのだが、靖国問題が中心なので、この議論にこれ以上深入りすることは避ける。
さて、極東裁判、あるいはカイロ協定からヤルタ合意に繋がる連合国の見解は、明らかに日本がアジアで暴虐の限りを尽くしたことに対する制裁をどうするかであり、こんなことを繰り返さないための方策を立てることが焦点だった。従って最も好戦的だった軍の幹部が裁かれたのは当然である。本当なら最高責任者である天皇も名前が挙がって不思議はないのだが、ここでもそのことには深入りしないことにする。
繰り返しになるが、第二次大戦、わけても日本が起こした戦争は単なる国と国との覇権争いではない。日清・日露そして第一次大戦以降の日本の軍事戦略の流れを見ればわかるように、他人の財産を奪い、それを批判されるとさらに軍事力で反抗するような政策を取る国に対して、屁理屈を許すような国際的動きは枢軸国以外、どこにもなかったのである。また今でも、それを是とする余地は全くない。
それは最近のアメリカの傍若無人に対する批判や、テロで対抗しようとする勢力にも道理がないとされることを見ても、明らかではないだろうか。
2005.07.19:
今日も平穏無事。
ところでサーバーのことをあれこれネットで調べているうちに、副産物で面白いフリーソフトを見つけた。「たくや」さんという方が作ったその名も「WFログビューア」。
要するにWindowsの中にあるファイアーウォールのログを説明付きで見やすくしたものである。あれこれのソフトに付いているログファイルというのは皆ベタテキストで無味乾燥だが、GUIを利用してビジュアルなものにすると非常にわかりやすくなる。近年の傑作だろう。
2005.07.18:
予想通り近畿も梅雨明けとなった。この暑さの中、エアコンのない部屋で今日はサーバーのちょっとした手入れと実験をした。詳細はそちらのコーナーに譲るが、汗を拭き、自分で作ったアイスコーヒーを飲みながらPC2台とにらめっこしている姿は、横から見たらどうなるのだろうか。おまけに暑いので上半身裸にトランクス1丁だけである(笑)
2005.07.16:
今日から連休に入った。ただし3連休ではなく、ぶっちぎりの9連休である。
特に予定は詰まっていない。ひたすらごろ寝・・・といきたいところだが、蒸し暑くて寝られない。
いよいよ梅雨明けのようで、朝起きると肌が汗でべっとりするようになった。それもそうだ。今夜は祇園祭の宵山。本格的な夏の始まりの宣言である。
2005.07.14:
今、社内はある違法事件で揺れている。役員の中から逮捕者も出たからである。
しかしそれに関して、妙なお触れ社長から回ってきた。役員・管理職は法律と社内ルールを守りますという「誓約書」を書け、というものである。中には、もし誓約書に反する行為があったなら処分を受けても仕方ありません、との文言も含まれている。
これを見て考えた。
この誓約書はこれから先の未来の事を想定した内容である。しかし現在起こっていること、すなわち犯罪に関わったとされる役員ならびに監督責任がある社長は処分の対象にはならないのか?
実際問題、逮捕者を含む現在の全役員は、今のところ何の処分も受けていないのである。
2005.07.13:
イギリスの爆弾テロで、英国内には衝撃が走っているという。理由はイギリス生まれのイギリス育ちの人間による犯行との線が強まったからである。
これまでの欧米文化で育ってきた人間には自爆テロなどという発想はまず出てこなかった。それが破壊されたとも言えるのだから、彼らにとっては重大である。それは同時に、社会環境が悪化してきた結果についての反省への入り口でもある。
日本でも40年前ならオウムのようなエセ宗教は一笑に付された。しかし今は少なくない若者があの滑稽な「理論」に傾倒し、そして殺人行為を平然とやるようになったのである。ということは、社会の中にオウムのような発想が受け入れられる素地が年とともに拡大しているという結論になる。
ここが問題なのだ。
日本では事件の背景に対する大きく「なぜ」を、個人の環境に求めやすい。社会の環境については、問題があっても解決策は個人任せ、あるいは「何でもかんでも社会のせいにするな」という議論が出てきたりする。
ところがイギリスでの捕らえ方は、社会の問題はそういう社会が原因なのだから、社会全体として解決せねばならないと考える。そしてそれは社会を作っている各個人の責任と自覚によらなければならない、という捉え方をするのである。
2005.07.12:
1年ぶりにバリウムを飲んだ。私はこれを「ラマダン」(イスラムの断食)と呼んでいる。前日の夜から飲食禁止だからである。
今年は例年のバニラ味と違ってオレンジ味。しかし飲みにくいことに変わりはない。それよりも、バリウムを飲んで困ることは、私が便秘気味でなかなか排出されないことである。常に少食であるから便秘はやむを得ないのであるが。
それと今年の体脂肪率は9.0%。昨年の8.5%の記録更新はならなかった。というか、こんな常識では考えられない記録を更新してどうする?という感じだ。冗談抜きで、体脂肪率が異常に低いということは飢餓を意味するからだ。現にアフリカでは餓死者が今も存在する。
2005.07.11:
息子とちょっと話をしていたら、私と本気で喧嘩するのは怖いと言う。
ヨメハンとは何度かいがみ合いをしている。しかしヨメハンは始終「言うことを聞かない」と息子を怒鳴りまくるから、免疫ができているのだろう。
私は滅多なことで頭ごなしに怒ることはしない。子供のことだから何度も失敗する。それをいちいちあげつらっていたらきりがない。「子供はいくらでも間違いをする。失敗しないくらいなら子供なんかやっていない」というのが私のコンセプトである。息子が幼い頃、何度も失敗を重ねながらある日突然何事もなかったように克服する姿を見てから、そう思うようになった。子供は失敗することで成長するのである。
私が本気で怒ったことがあるのは、小学生のときにテレビアニメを見るとすぐに箸が止まるのがあまりに激しいため、いきなり食卓を思いっきり叩いたことである。何度やんわり警告しても治らなかったからちょっと脅かしたのである。すると息子は本当に飛び上がった。
息子は、いざとなったら何をしでかすか分からない私のことを理解しているようである。さらに、彼はシベリア鉄道の食堂車で不正を行ったウェイトレスを猛烈になじった姿を見ている。
こういうのを「親父の威厳」と言うのかもしれない。しかし実際の私は小言が出かかるのを「子供のことだから」とじっと耐えているのである。息子はそれを感じ取っているから、もし火をつけて爆発させたら大変ことになると予想しているのだろう。
2005.07.10:
サーバーのことですったもんだしていたため、日記は全く手が付かなかった。
その間に世の中はロンドンの爆弾テロで大騒ぎになっていた。ニューヨーク、マドリード、そしてロンドンと、テロリストたちはその無謀な行為をまだ続けている。重ねて言うが、彼らに未来はない。本来ならば味方であるはずの民衆を殺すことによって、ますます孤立を深めるからである。
それにしても、ロンドンはいずれ標的になりうるだろうとは思っていたが、それが現実になるということはちょっとショックである。リバプールストリート付近には会社の駐在員事務所があり、私も一度だけ訪れたことがあるからである。またラッセルスクウェアも大英博物館近くで、これまた馴染みがある。ということはもし私が仕事であれ、観光であれ、事件に巻き込まれる可能性はゼロではなかったはずである。
実は私も、昔ドイツに駐在していた時に難を逃れたことがある。
20年以上も前の話であるが、当時ドイツ国内では失業問題から多くの外国人労働者、わけてもトルコ人に対して帰国を促すような政策を政府が取り始めた。そのことに便乗したネオナチが、トルコ人を標的にしたテロ事件をしばしば起こしていたのである。
事件が起こったのは私が住んでいた安アパートのすぐ隣で、トルコ人中心の清掃員がゴミ収集に回っていた時である。ゴミ箱の中に爆弾が仕掛けられ、収集車に入れられた途端、圧力で爆発したのである。トルコ人1名が死亡した。ちょうど朝の通勤時間帯である。
私はたまたまニュールンベルグだったと思うが出張しており、その日は不在だった。しかし時間帯は私がアパートを出る時間ともろに重なっていたのである。偶然とはいえ、後から話を聞いて背筋が寒くなった。
私の経験だけからではないが、一般市民をターゲットにした無差別テロは絶対に許せない。
2005.07.06:
今朝の通勤電車ですさまじいものを見た。
何かと言えば、ドア付近でジベタリアン状態の女子高校生。それも顔を見ると成人女性でも見たことのないような真っ黒のマスカラをべったりと塗っているのである。片方はそのマスカラをこれでもかとさらに塗りまくっているし、もう一人は驚くなかれ、ノートをちぎった紙を見ながら掌にボールペンで書き込みをしている。テストのシーズンだから明らかなカンニングの準備である。
これを見てつくづく思った。
こんな連中を学校に通わすのは、どぶに金を捨てるようなものだ!
あまりにもえげつない、こんな子供を見るのは例外中の例外だとは思うが、浪費と退廃もここまで来ているのかと思わずにはいられない。
2005.07.04:
靖国問題を斬る・4
日韓での歴史問題に対する共同研究の報告書が出たようだが、最も隔たりの大きかった問題が「日韓併合」の「合意」に対する見解だったと聞いた。確かに紙の上では対等平等のように見えるし、手続き的には国際法に違反していない外見を与えている。
しかしその実質がどうだったかと言えば、背中に銃口を突きつけられた「合意文書」でしかない。そんなものに意味があるのかと言いたくなる。明治初期に西郷隆盛が征韓論を唱えて以来、日本側からの攻撃的動きはずっと続いていたのである。そして日清・日露戦争で勝利の味を得た日本軍は次第に中国をはじめアジアに向けて牙をむくのである。韓国や台湾はその入り口に過ぎなかった。しかし韓国や台湾の人達はそのために塗炭の苦しみを味わったのである。それが伊藤博文の暗殺に繋がった。
「新しい歴史教科書」の執筆者をはじめとする連中は、「欧米列強も多くの植民地を作ったし、その中で日本だけが悪く言われるのはおかしい」と、喧嘩両成敗のような議論を持ち出す。しかし彼らは決定的な点を見落としている。
ご存知のように第2次大戦は日独伊3国同盟のファシズム諸国と米英仏ソなどの連合軍の戦いとなった。で、3国同盟の諸国を「ファシズム」と定義することは歴史をねじ曲げない限り否定できないはずである。連合国とのこの差は実に大きい。
対外的な侵略性の強さと、国内での弾圧、抑圧の政策とは不可分であると考える。何故なら他国への侵略を強めるためには、反対勢力の声を力でねじ伏せなければならないからである。日本では、明治後期の自由民権運動ですら取り締まりの対象になったし、その後の民主主義や社会主義運動は死刑も含めた方法で徹底して弾圧された。それは日本が「八紘一宇」などという勝手な論理でどんどん他国に攻め入った時期と一致する。日本の侵略戦争のひどさを少しでも薄めようとする連中は、この国内政策と対外侵略との関係をまったく忘れているように思えるのである。
2005.07.03:
TBS/毎日放送系列の「報道特集」を見た。そのうちの一つは「医療的ケア必要な子供たち」というテーマである。
保育園や小学校に入りたくても入れない子供たちがいる。理由は吸引などの医療的行為が必要な子供たちが、学校にいる間はそれができないということにある。医療行為は原則医療従事者または家族しか法律上できない。だから行政は拒否するのである。ごく一部の自治体は臨時の看護師などを準備しているのだが、多くのケースは子供を受け入れないのである。
そんな中、病気の子供が登校できるようになった例が紹介されたシーンで、感動的なものがあった。それは級友達がその子供を気遣い、治療のための手助けをするものである。誰に言われたわけでもなく、自然にそういう行動がとられていったのである。
これを見て私はある言葉を思い出した。「万人は一人のために、一人は万人のために」
2005.07.02:
靖国問題を斬る・3
少し間が空いたのは問題点の整理と書く順序について悩んでいたからで、どこかから脅しがかかったわけではない。そもそも私のような一小市民を相手にしても無益だろう。
前回の論理の展開にもうひとつ満足できなかったので、再びまとめる。要するに私が言いたいのは、「戦争犠牲者(小泉首相の頭の中には戦死者のみがあると思われる)の戦いがあったからこそ平和が築かれた」というニュアンスの発言はおかしいということである。
逆に無謀な戦争を起こした日本が負けて、やっと平和が訪れたのである。韓国では8月15日を「光復節」と呼ぶが、アジアの国では文字通り侵略からの解放の日なのである。それを平和と結びつけるこじつけの論理は、どう考えてもおかしい。
さて、話を先に進めよう。
小泉首相が靖国参拝を諦めないのは何故だろう。おまけに中国などから「参拝をしないでほしい」と言われると、個人の選択の問題にすりかえ、かつ態度を保留したまま参拝する余地を残す姿勢に固執することは、歴代の首相の中では特異な存在である。
これは彼特有の自己の独断にしがみつく性格もあるが、国民からの批判が少ないことによるものとも考えられる。特に大手マスコミは、昔と違って戦争に対する反省と批判の姿勢は極端に薄れた。そして平和を願う国民の声がほとんど報道されないために、見かけ上靖国参拝への批判が弱くなったように見えることもあるだろう。それと不思議に感じるのは、現在ほど日中貿易が盛んな時期なのに、財界あたりからのクレームが見当たらないことである。あっても報道されないのかもしれないが、既に高速鉄道などの商談に影響が出ていることは明らかなのだから、商売の邪魔をする発言には敏感であって良いはずだ。
いずれにせよ、国内の報道で目立つのは小泉首相の発言とともに、周囲からの戦争に対する無批判、無反省の発言の連発である。当然海外からは反撃の嵐が吹いている。アメリカからも「日米開戦が始まったのはアメリカの挑発によるもの」という発言に対する反論の声が上がっている。次回は日本の侵略戦争の真実について検証する。