悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
05.03
2005.03.31:
いやはや、今度の決算ほど忙しいことはない。やはり分社化の影響である。
先週から、今後使えなくなるジョブ番号の整理、200本(!)もある各種伝票の振り分けでおおわらわだった。それをリストにして起票元に説明し、3月末でデータ完結させるものと、新ジョブ番号で伝票を切りなおすものとに分けてもらい、その後は毎日データの変化を見ながらから関係者に注意喚起のメールを流すのである。失敗したら経理に変な原価データが流れて怒られる。
それだけやっても、やはり一部は旧データをそのまま引き継ぐことになった。部分的にデータが完結してしまっているもので、完結していない残りを切り離すことはプログラムのロックがかかっていてどうにもならなかった。
何とかそれは10本以内に収まりそうで、該当する伝票番号を経理に伝え、了解してもらった。これらは毎月少しづつ経理側に渡るのだが、手作業でホスト機に手を突っ込んでジョブ番号を書き換えるのである。当初は「全部垂れ流しにすると全部で90本くらいあるかも知れない」と言ったら、即座に断られた。だから、関係者との共同作業で絞込みをやることになったのである。
司令塔は私。まさに時間との闘いである。だがそれも明日で終わり。実際にゴールも見えてきたので、ひと安心である。
2005.03.30:
以前一緒に仕事もしたことのあるO氏、会社を辞めて聖職者の道を歩むそうである。
普段からおっとりしたしゃべり方をする人で、哲学者とはいえないが自分の思想を持っているという感じだった。親が宗教者ということでもなく、ずっとサラリーマン生活を続けてきて、俗に言う「脱サラ」とは違う道を選んだ理由は何だったのだろう?
本人に一度聞いてみたかったが、そのチャンスはついになかった。
修行の道に入ると、3年間は無給で俗世間とはほとんど縁のない生活をする。
人に道を説くようになった彼がどういう姿で再び現れるか、それは誰にも分からない。分からないどころか、2度と顔を合わすことがないかも知れない。しかし、覚悟を決めた彼の残る人生が実りあるものになることを祈りたい。
2005.03.29:
前回からまだ3ヶ月というのに、再び起こったインドネシア沖の地震。現地の人達の恐怖は相当なものだろう。お見舞い申し上げる。
そして不幸にも、津波ではなく地震そのものによる大きな被害も報告されている。残念ながら地震対策はまだ始まったばかりで、このような巨大地震に耐えうるものにはまだまだ遠い感じがする。
被災者支援を含み、インドネシア政府の強力な対応を望みたい。そのための支援はいくらでもやってあげたいと思う。
2005.03.28:
今度の冬は平年並みの寒さだったようだが、私が今年何となく感じたのは雨の降り方。
乾燥した太平洋側の降水量が少ないのは当たり前だが、その降り方も本格的な雨というのではなくて、俗に言う「シチシトピッチャン」が多かった気がする。雨の予報の日は当然傘を持って出かけるが、実際に広げることは極端に少なかった。
ちょっとパラパラと来ただけで傘を差す人もいるが、私はどちらかというと小さな雨粒程度は気にしない。この冬はそういう機会が多かった気がするのである。
地震の後の雨で崖が崩れやすい福岡、ここ当分は雨の量が少ないことを祈るばかりである。
2005.03.27:
息子のXPをSP2にしたのはいいが、再起動の際にとんでもないことが起こった。あろうことかデスクトップアイコン表示の途中でHDがカチャカチャと音を立てたまま、立ち上がるまで約1時間を要したのである。不規則な音だからHDの故障とは考えられない。
安定してからよく見ると、デスクトップに790MBのオンラインゲーム用ソフトの自己解凍パッケージが直接置いてあった!。もはや言うべき言葉がない。
起動直後だから、SP2はその能力をフルに発揮して、圧縮ファイルの中をすべてスキャンしていたのである。
根本的にそんな馬鹿でかいファイルをデスクトップに置くのが間違っているのだが、遊びから帰ってきた息子には、さすがに真剣な顔をして説教した。中学生でオンラインゲーム中心の使い方しかしないから、PCの知識には疎いのだが、私が説明したデスクトップ独特の仕掛けの話は納得した様子だった。
私にすれば、まさか・・・という思いが強く、今日は脱力感が漂っている。
2005.03.26:
新しいXPマシンはかなり安定してきた。各アプリの初期設定もほぼ終えたし、BIOSが時として初期化される現象もなくなった。
ということで、今日はインストールやファイルの整理で荒れたHDDのデフラグを実行した。
安定したついでに、明日は息子マシンにXPSP2をインストールしようと思う。
2005.03.25:
5日に書いたように、人事異動の関係で私が「のぞみシステム」を含めた管理的仕事に100%のめり込むことになった。ここ毎日、少しづつ引継ぎを行っている。
それで気付いたのが、無駄と思える資料作成の何と多いこと。前任者はまだ30代だが、そのまた前任者から受け継いだ仕事を文句も言わずそのまま同じ方法で、「陸蒸気システム」からの「紙」出力をせっせとExcelに打ち込んでいた代物。一見して「こんなものやめてしまえ!」と思った。
本当にここの事務所は老いも若きも、ひたすら命令には絶対に抵抗しない、してはならないという教育を受けていることを痛感する。それも経理が要求したことには腫れ物を扱うような態度。ということは今まで相当悪どいことをやってきた後ろめたさがあるのだろう。要するに頭が上がらないのである。
私なんかは経理も会社の一組織というイメージで接してきたから、そんな恐怖感は微塵もない。会計監査で彼らを窮地に追い込むようなことはしないが、システムから流れた異常なデータについて謝るとともに「何とかしてくれ」と平気で言うし、杓子定規な決算スケジュールに文句を言って妥協点を見出す交渉などへっちゃらである。
ともあれ引継ぎだけはちゃんとやらないといけないので説明は聞くが、後は思いっきり簡素化してやろうと思っている。
2005.03.23:
19日に書いたジョブ番号切り替えの件で、担当者レベルの会議を開き、どのデータをどのように切り替えていくかの説明をして納得してもらった(と信じるしかない)。
後はほぼ毎日データをモニタして関係者に送り、作業を促すことになる。やっと滑り出したという感じだ。それと共同作業のキーマンになる女性の存在が大きく、彼女からは大いなる支援の声を貰ったので気は楽になった。
2005.03.22:
あわただしく連休は過ぎた。
日記が少し空いたのは、実はあるグループのHP立ち上げの手伝いの話から、ちょっとしたいざこざに巻き込まれてメール合戦をやっていたためである。別に珍しい話ではないが、やはり疲れる。
余り詳しい話は書けないが、自分で何でも仕切ろうとして組織だった動きになっていないのが現在の問題。このまま立ち上げても1年以内に必ず崩壊するだろう。世の中どこにでも転がっている話だが。
2005.03.19:
昨日書き忘れた決算の話。
分社に際して資産の分割のほかに、現在走っている実ジョブのデータも分社からの仕事か自分のところかを切り分ける作業もある。そしてややこしいことに、4月以降分社に引き継がれるジョブの番号は全部振りなおしとなるのである。そうでないと4月から発生する原価の見分けがつかなくなって、経理からはどやされてしまう。ということは現行のデータについて3月までに完了しないものは一旦データを破棄して新規起票(幸いにして過去のデータのコピーは可能)するのであるが、この詳細手順とスケジュールが必要になった。
そういうこともあるから情シスからの指示を待っていたのだが、同時にジョブ番号の管理をやっている部署から、新しい番号の決定と入力をどうするかの指示も必要になった。
ここまで、長い前置きをした裏には、そのジョブ番号の管理をやっているチーフがとんでもないことを言い出したことの説明に必要だからである。で、何を言い出したかというと、パニクった彼は「急ぎ関係者が集まってブレーン・ストーミングをやろう」と言い出したのである。
ご存知の方もいると思うが、ブレーン・ストーミングとは新しいアイデアを生み出そうというような場合に、批判禁止の自由意見を出し合うタイプの会議のことである。しかし切り分け作業の手順とスケジュールを決めるのに、自由な意見などまったく必要ないのである。
私としては、新ジョブ番号のシステム入力とデータの移行は今月中にやりたかった。だから私は彼にせっついたのだが、経理からそれをやると決算データに悪影響が出る、と断られたのである。私もそれは初耳だったので、一瞬迷ったのだが4月にずれた場合の解決方法はすぐに思いついた。ところが彼は思わぬ方向に頭が行ったらしく、とんでもないことを口にしたのである。
ちょっと焦らせてまずかったかな、と私にも反省する点はあるが、選択肢のほとんどないことを決めるのに「自由意見を出そう」という発想はさすがに出ない。結論的に言うと、彼はこの今回の特別な仕事への理解がなかったということになるのだが、経理の担当者も笑っていたくらいに、彼は腰を抜かしてしまったのである。
2005.03.18:
何度かネタにしてきた決算問題、やっと情シスからの分社対応方法が開示された。これでユーザーに対する処理手順やスケジュールを示すことができる。
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話は変わって自宅のこと。
最近急に接続速度が今までの6割くらいにまで落ち込んだ。接続のやり直しを何度か試みるが改善しない。そこで思い出したのがモデムのリセット。ノイズが激しくて再接続を行う場合、モデムが落ちた速度のままの接続を保持することが知られている。そのことに気付き、モデムの電源を一旦切って再度入れたら、あ〜〜〜ら不思議(本当は不思議でも何でもないのだが)、速度は見事に元に戻った。
めでたしめでたし。
2005.03.16:
決算のお触れが出た。
いよいよ佳境に入る。しかし新しい分社の問題は遅々として進まず、システムの切り分けや分社との「取引」をどうするのか、情シスからの最終方針、処理手順の最新版がまだ出ていない。今日は遂に蹴りを入れるメールを打った。
さらにまずいことには、工場に保管している資産の帳簿上の分割にあたって棚卸を開始したら、今頃になって現物と帳簿とが合わないものがボロボロ出てきたのである。どうやら現場の担当者が勝手に持ち出したりしている形跡があるようだ。今までなら同じ会社の中だから、余り細かい追求はされない。それをいいことに出鱈目な管理をやっていたらしい。しかし今度からは多くの保管品が「分社様からの大事な支給品」となる。つまり他人の財産を勝手に持ち出すことは「窃盗」になるわけである。
この大変な事態に、管理職は真っ青になっている。私の責任範囲ではないが、心より同情する。
2005.03.15:
最近はどこもかしこも「成果主義」賃金を導入するようになったが、日本では「安心して生活できる給料」すれすれのところで競わせるのが特徴のような気がする。
医療関係者によると、生活を脅かすような緊張感のある成果主義というのは逆効果になり、ストレスを強めるという。つまり生活が成り立たないという切迫感によって、点数を下げてはならないということに神経が集中してしまい、仕事に対するモチベーションをかえって下げてしまうのである。
また、中高年に対する扱いも疑問に感じる。大企業で目立つのは、50歳を過ぎるとひとにぎりのエリートを除いて賃金を下げたり出世から取り残された管理職は子会社へ出向させたり(実質的には賃下げである)してしまう。これもモチベーションが下がってしまう原因となる。
今、日本のものづくりの力が低下しているのをひしひしと感じるし、いろんなところで同様の声を聞く。その原因のひとつにこのような賃金を下げる仕組みがあるのではないかと思う。
実は、成果主義に関する医療関係者の発言は組合機関紙のコラムとして掲載されたものだが、メインのニュースは会社の成果主義賃金提案に合意したという内容。編集者のブラックユーモアと解せないこともないが、歯止めとなるべき組合の認識は所詮この程度か。明日16日は大手組合の「春闘」集中回答日。
2005.03.13:
突如としてニューマシンのDVDドライブが故障した。
現象はブランクのCD−Rは認識するが、DVD−Rはエラーが帰ってくること。旧マシンからメルコのDVDドライブを移設して比較し、元のもの(BenQ製)が明らかにハード故障であることを確認した。
買ってからちょうど1ヶ月、保証期間だからPCショップに電話で無償交換を申し入れ。了解をもらったのでドライブを外して店まで駆けつけた。
その場で新品と交換してもらったが、現象としては珍しくないとのことだった。今回とは逆にDVD−Rは読めるが、CD−Rは読めないこともあるという。レーザーが違うので、という説明だった。ただ、使ってから1〜2年ならともかく、今回のような初期故障は聞いたことがないと。
それにしても、昔はほとんどなかった初期故障が時代とともに増えているのを実感する。事実、大手メーカー品でも部品の保証期間を延ばすようになった。台湾などの安い部品を使うと同時に、検査を省略する傾向があるためだと私は考える。
今回は、故障の原因をつきとめたり無償交換を要求するときの話し方などには慣れてしまっていることから、実に落ち着いて処置できた。ニューマシンの部品の特徴やケースの外し方のコツなども覚えた。ただ、もはや自作に挑戦することは断念せよという烙印を押された気がする。マニュアルを読んだり、ケースの中を覗いてのコネクタの取り外し、取り付けが、眼鏡を外さないとほとんどできなくなったのである。
2005.03.11:
昔ヨメハンと論争になったことがある。そんな大袈裟な話ではないし、いがみあうこともなかった。
論点は、自宅からそう遠くないところにある「親和女子高等学校」をどう読むかである。この学校は古くから神戸にある伝統校で、昔は鈴蘭台にあったが、神戸市立外国語大学が開発直後の学園都市に移転し、その跡地を譲り受けて移ってきたのである。
さて、ちょっと横道にそれたが、ヨメハンは「シンナ」と読み、私は「シンワ」だと主張した。彼女が強調したのは「皆がそう呼んでいるから」ということだったが、私は市バスの案内は「シンワ」であるから、それが正式な呼び名であるはずだ、と譲らなかった。
まだネットに繋がっていない時代だったので調べきれず、決着は持ち越しとなったが、後日検索したところではHPのアドレスが"shinwa"となっていたから、これは私の勝ちである。
通称が間違いというか、正式名でないという例はいくらでもあるし、それをことさら指摘するのは私の本意ではない。ヨメハンにも勝利宣言をしてはいない。ただ、私が言いたいのは「皆がそう呼んでいるから」ということを固定観念化してはいけないという点である。
CMで「アンタは皆に『バカ女』って言われているのよ!」「『みんな』って誰のことよ!」と口論しているものがあったが、この言葉ほどあいまいでかつ恐ろしいものはない。
2005.03.10:
満員電車で若い女性の横に立つことがあると、サッとケータイを隠す場合がある。別に覗き見するつもりもないし、見えたとしても所詮は他人事でしかない。またそう簡単に見えるわけでもない。ところがそれに加えて目立ち始めたのが、ケータイの画面に張る「覗き見防止」と称するフィルムを張っているケースである。
あの超小さなサイズでも、高いものは1000円もする。私に言わせれば、それほど見られるのがいやなら大勢いる公衆の前でメールなんかやらなきゃいいのである。おまけにそれをネタにした商売も出てきたことは、何か人の弱みにつけ込んだようで、いや〜〜な感じがする。
似た話で、昔バイクの運転者にヘルメット着用が義務付けられることになった時、少なからぬ女性がバイクに乗るのをやめた。理由は「髪の毛が乱れるから」というものであった。
どちらの場合も、「筋違いの解決」に思えてしまうのは私だけか。
2005.03.09:
そろそろ決算の準備が始まる。
今回は特に一部事業の分社化がからんでいるので、ジョブによっては原価をすべて計上してしまわないといけないものが生じる。どうしてかと言うと、分割された新会社はあくまで別の企業だから、従来なら計上された原価をその事業部の経費としてツケ回しすれば良かったものを、次からは消費税込みの「請求書」(簡単な書式にはしてあるが)を作って金をもらわねばならない。
もしも、同じ仕事で一旦決算したのに後からの原価は請求書が回るというのはおかしな話だから、向こうが決算対象と決めたものはそこで一旦打ち切りしなければならないのである。
加えて今後はシステムも互いに相手のデータは読めないようにする。だから仕掛かりデータをそのまま放置すると尻切れトンボになって先に進めなくなるという事情もある。中途半端なデータは常にウォッチして終了までもっていかねばならないのである。失敗は許されない。
月末までは神経戦が続く。
2005.03.08:
昨日が出張だったので今日は週初めの出勤。しかし唖然としたのは風邪・花粉症の患者が続出して半数近くが欠勤。ひとりはインフルエンザと診断されたという。これでは「学級閉鎖」ならぬ「職場閉鎖」しないといけないような惨状である。
私は元来がアレルギー性鼻炎で、年中鼻水を垂らしているが、高熱を出して倒れることは滅多にない。
今年はB型インフルエンザが流行していて、胃腸をやられる例が多いようだ。B型は近年注目されている「タミフル」という飲み薬の効果もA型に比べて低く、問題になっているようだ。
春めいた陽気の今日だったが、花粉が大量に飛んでいるのも気になるところではある。
2005.03.07:
今日は数年ぶりの東京日帰り出張。快晴で富士山はくっきりと見えた。不思議なことに、私が旅に出る日、特に東京へ行く時はまずもって「晴れ男」である。
仕事のほうは無事終了。会議ではこちらの思う案で決定した。
それにつけても東京出張になると思い出されるのは息子の誕生にまつわる話。
それはちょうど月曜日だった。何故月曜日だとはっきり覚えているかと言うと、ヨメハンが妊娠中毒症で入院し、陣痛促進剤を使ったので金曜に生まれるつもりだったのだが、不成功に終わった。それで私は新規巻き直しだからと、月曜は予定していた東京出張に出た。ところが、月曜の午前9時過ぎ、出張先に病院から電話がかかって、「今から帝王切開をするのですぐに帰ってきて下さい」と呼び出されてしまったのである。
仕方がないので急遽タクシーを飛ばして東京駅に行き、直近の新幹線に飛び乗った。そして車内から義母に電話して先に病院に行ってもらい、私は遅れて午後2時頃に病院に着いた。
しかし手術は既に終わっており、しばらくすると息子が保育器に入ったまま出てきた。後で聞くと、アプガー指数は6、すなわち死産寸前だったのだが、その時私が見たのは、青白いながらも手足をバタつかせていた息子。それを見て「大丈夫だろう」と安心したのである。
あの光景は今も忘れられない。
2005.03.05:
人事異動のシーズンで、そろそろ社内の噂があちこちから聞こえてくる。特に我々がいる事務所は不況・リストラ業種として経営陣から「草刈場」の目標になっている。どちらかというと「重厚長大」のものづくりを主体にしているところだし、「中国特需」とも縁がない。
部内でも、一人が転勤になるというので、その穴埋め役に私が指名されてしまった。
2005.03.04:
最近Netskyウィルス入りメールが会社のアドレスめがけて頻繁に来るようになった。それも不思議なことに10年くらい前に廃止したサブドメイン付きのアドレスである。
これは何を意味するのだろう?
可能性としては、古いアドレスを入れたままの誰かのPCがウィルスに感染したか、あるいは古いPCが誰かに譲られてそこで感染した、ということが考えられる。
サーバー側でウィルスは除去されるので実害はないが、毎日しつこいくらいに来るのでうんざりしている。
2005.03.02:
ここしばらく乾燥した日が続いているが、これが最近私にはこたえるようになった。理由は乾燥肌による夜中のかゆみである。
布団の中で体が暖まったころ、腰から太ももにかけて猛烈なかゆみが走る。当然目が覚めてどうにもならない。結果、朝はぼーっとした頭になる。糖尿病による合併症というよりも、年齢による影響の方が大きいような気がする。
2005.03.01:
会社で30代の連中と話をしていて、私が「30代は急激に体力が落ちる年代だ」と言うと、不思議そうな顔をしていた。これはもちろん女性に比べての話だが私の実感である。
マラソンランナーを見ていただきたい。男子で40代もトップランナーを続けている人はいない。しかし女子選手では40代のメダリストは珍しくない。とにかく体力の衰え方のスピードがまったく違うのである。
考えれば30代の女性はちょうど子育ての真っ盛り、体力的・精神的な強さを要求される。ウチの会社にも子育て中の女性が一生懸命仕事にも子育てにも励んでいる。あの「お母さんパワー」には脱帽である。ヨメハンに言わせても、なぜ男の体力の衰えがそんなに早いのか信じられないと言うのだ。
プロ野球だと40代の現役はいる。だが、これは恐らく経験に培われた頭脳プレーが体力を補って余りあるのだと思う。