悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
05.05
2005.05.31:
戦後60年ということで、戦争にまつわる話が目立つ。卑近なところではフィリピンでの残留日本兵。何となく怪しげな仲介者がいたりして、ガセネタではないかとの疑いもある。
さて、戦後問題で最も憂慮すべきなのは首相の靖国参拝である。中国からの批判に「内政干渉だ」とまで言い切る傲慢な態度は、アジア全体の不安を増すだけだろう。
考えてもみるがいい。もしドイツで大統領や首相がナチス戦犯の墓地を訪れて献花したら、周辺諸国はどう反応するか。ましてや「献花するのは私の信念で、それをとやかく言うのは内政干渉だ」と言ったら、間違いなくドイツは孤立するだろう。場合によってはEUから除名されるかも知れない、非常に基本的問題なのだ。
首相などが言う「戦没者の慰霊」の問題は、常に侵略戦争の評価と結びついている。それは口でどうごまかしても必ずほころびが出る。今回も「極東裁判は違法だ」という発言が周囲から出てきた。こんな調子で衣の下から鎧が見えるから信用されないのである。
ともあれ、本気で侵略戦争を反省しているという国民の真意が反映されなければ、国民全体も政府と同じと批判されるだろう。
2005.05.30:
橋梁の談合事件、今度は道路公団にも目が向けられている。事件の発端は国交省管轄の分だが、発注量は明らかに公団の方が多い。
国や公団、地方自治体が発注する案件では、あらゆるケースで談合が行われていると見ていいだろう。日本の100年を超える経済史の中で、談合の存在は深く浸透している。この体質は経団連の奥田会長も「談合が根絶できるとは思えない」と言うほど蔓延しているのである。
もちろんウチの会社も大企業だから、色々な談合にどっぷり漬かっている。社則で「コンプライアンス(法令遵守)制度」というのが最近できたが、談合組織から抜けたという話は聞かない。むしろ引っかかって罰せられるのは一般社員で、重役は逃れられるだろう。
こうした談合がいつまでたっても解消しない原因はいくつかある。しかし日本での最大の問題は、法律があっても運用は大企業に甘く、かつ罰則が軽いことである。海外にも談合はあると聞いたことがあるが、大きな違いはここ、すなわち見つかったら死ぬほど罰金を取られ、企業のダメージが非常に大きくなることである。今回の談合に対する行政処分は「指名停止」それだけである(刑事処分は別途あるだろうが)。
もちろん指名競争入札という方式が多用されている側面も無視できない。しかしバレたら死ぬほど痛い目にあうという抑止力は絶大な効果があるのではなかろうか。
2005.05.29:
今度は自宅ニューマシンで変な現象が起こった。
これはマイクロソフトでもXPの「治せない仕様」として挙がっているのだが、要するにタスクバーの常駐アイコン(XPでは「通知領域」(Tray
Notify)と称する)がウィルスバスターの「リアルタイム検索」以外表示されなくなったのである。
ネットで検索したら、レジストリを触って再起動すれば治る「ことがある」というのだが、今のところ回復の兆しはない。これでいちばん困るのはUSBスティックメモリを外すときに「ハードウェアの安全な取り外し」が使えなくなること。
しかしこれもまた親切な誰かが解決方法を書いてくれていて、元になっているコマンドのショートカットをデスクトップに置くと良いというのを見つけた。早速タスクバーのクイック起動に入れて、その場をしのいでる。
WinMEの時代はリソースが時間とともに減ることと、無効にしておいたはずの「システムの復元」が何かのはずみで復活する現象に悩んだが、XPでもこんな「幽霊」が出るとは思わなかった。
2005.05.27:
24日に書いたトラブル続きのPC、HD交換3日目にしてまたもや起動しなくなった。
今度は情シスのもう少し対応のましな若者に電話して善処を頼んだ。
4回もトラブルとなるとHDではなく、マザーボード関係(BIOSを含む)を疑う。ということで販売店ではなく、メーカーのエンジニアが近日中に来ることとなった。
ここまで何回もHDが狂うということは、常識的にマザーボードに目が行くはずである。ところが販売店のバカタレ担当は胸を張って「それは絶対にあり得ない」と言ってのけて帰っていった。しかしそれは3日にして崩れたのである。
マザーボード内部の問題か、はたまたケーブルを含むHDへの経路の問題か、それは素人には判断がつかないのでメーカーの調査を待つしかない。
2005.05.26:
今日は朝からろくな話がなかった。
まずは「お助けコール」。2日間休んでいた同僚が出社してPC(Windows2000)を起動したのだが、LANに接続できず。調べてみるとネットワークアダプタにまたもや「黄色マーク」。ぞっとする。
原因は不明。とにかくドライバを回復して一件落着である。
ところが次の難題が。「のぞみシステム」のデータをBusiness
Objectから毎日モニタしているのだが、昨日のデータ更新がまったく反映されていない。月末が迫っているので進捗がわからないと業務が進まない。慌てて管理者に電話したら、原因は昨夜のデータ連携の失敗。更新を急ぐよう迫ったが、昼休みしかできないと言う。
そして11時からは不毛の会議。これで午前中はろくに仕事もできないまま終わった。溜息・・・
2005.05.24:
ウチの事務所の情シスは本当にたちが悪い。その中の特に2名は全職場から嫌われている。PCに関するサポートとかに関しては露骨にいやな顔をするし、おざなりな態度に終始するからである。今日もこんなことがあった。
昨年度更改したXPノートの1台がことごとくトラブルを起こし、HDの交換はこれで3回目となっていた。販売店のサポートを呼んで交換させたのだが、XPのインストールは情シスでやることとなった。しかしながら何が面倒くさかったのか、XPだけは入れて、後の設定や会社標準のアプリは職場でやってくれというものだった。
こちらとして、やってやれないことはないので引き受けたのだが、一旦情シスに渡していたPCが戻ってきて、まず最初にLAN設定を行おうとしたら、「マイネットワーク」に「LAN接続」のアイコンがない!!
この作業、最初はユーザー本人がやっていたのだが、彼の隣の席の同僚が手伝っても埒が明かず、私のところへやってきたのだった。
しかし時間ばかりかかるからもう一度XPのクリーンインストールをやってみようと思った。しかしである。HDを交換してしまっているから、リカバリ領域は消えているし、おまけにリカバリCDもない。さあ、困った。
仕方がないので、再度挑戦してみようと、デバイスマネージャーを開いた。すると画面を見て唖然となった。何と「イーサネットコントローラ」と「ディスプレイアダプタ」に黄色の「?」が付いていたのである。
幸いにしてドライバCDだけはあったので、それを使ってドライバを入れ直して事なきを得たが、もはや出る言葉がない。インストールが完了していることを確かめもせずにこちらにマシンを渡したのである。
ざけんじゃねぇ!!(怒)
2005.05.23:
今月初めから上司が2件連続の倒産騒ぎで走り回っている。私も数回経験があるが、意外とあっさり片付いたものばかりである。
始末に困るのは、金だけ先に払っていて、それに見合う品物や役務がされていないこと。特に孫請けのケースで下請け会社にはちゃんと支払ったが、孫請け会社が品物だけ入れさせられて倒産し、金は貰っていないというもの。当然のごとく親会社に泣きついてくる。契約関係はあくまで下請けとの間だから文句を言われる筋合いはないのだが、中断した仕事を元通り継続するためには孫請けとの関係を無視するわけにはいかない。そこで一時的に孫請けに支払って、対価を下請けから回収する方法がとられる。しかし倒産した会社から全額回収できる可能性はきわめて低い。
このあたりの決着は頭が痛くなる問題なのだ。真面目にやっているつもりでも、倒産のリスクは仕事をやっている限り永遠につきまとう。
2005.05.22:
今朝早くのニュースで、飲酒運転の車が高校生の列に突っ込み、3人を死なせたことを報道していた。まさに悲劇である。
亡くなった生徒の両親も大変なショックだろう。胸が痛む。
それと同時に、飲酒運転で死亡事故を起こした若者はこれで一生を棒に振った。間違いなく実刑を受けるだろうし、生徒の親からも損害賠償請求が出ることはありうる。支払い能力の有無に関係なくである。
飲酒運転が事故の確率を高くすることは科学的に証明されているし、それを知りつつ運転したことに対しては罰則が強化された。従ってリスクを負うことを承知で酒を飲んだ行為についての結末は、厳しい処分が待っているのである。
実は会社でも過去に飲酒運転で死亡事故を起こし、職場を去った男がいた。深夜まで飲んで、酔い覚ましにカラオケで徹夜をしたのだが、アルコールが抜けきれない状態で早朝に運転、乗用車同士の衝突で相手が死んだのである。結果は実刑判決、現在は塀の中にいるはずである。
死んだ被害者は戻らない。そのことへの責任を一時的な塀の中の暮らしだけでなく、一生背負うのである。だから飲酒運転は怖い。
2005.05.21:
週末の木、金曜日は連チャンで職場の飲み会。人事異動にかこつけた宴会である。
さすがに連日飲んで午前様はきつい。血糖値よりも二日酔いである。以前にも書いたが、血糖値と二日酔いの強さに相関関係はない。
ということで、まだ腹の調子は完璧でなく、手短に書いて今日は寝ることにする。
2005.05.18:
息子が帰ってきた。
出発の前の日、「みやげは何がいい?」と聞くので、「雷おこし」と言ったら本当に買ってきた。江戸東京博物館で見つけたらしい。
どうも東京のみやげ物はこれといったものが乏しい気がする。私は大抵「草加煎餅」か「雷おこし」である。一度だけ「東京ばな奈」を買ったことがあるが、普通のカスタードクリームに少しだけバナナの香りがするという感じで、神戸の「クローネ」に比べると物足りない。
他には、帰りの新幹線でビールのつまみにする崎陽軒のシューマイだが、これは横浜。悪口を言うつもりはないが、関西の味に慣れている身には東京の食べ物で「うまい!」とびっくりした経験はない。
さて、息子にデジカメを貸したのだが、無事失くさず戻ってきた。とにかく頼りない男だから、電源アダプタでも忘れてないか心配していたのである。何やら怪しげな写真もあるが、後で詳しい話が聞けるだろう。
2005.05.17:
JRの大事故を考える:8
事故原因の基本的原因は明らかになったと思うので、これを最後にしてシリーズは終わりたいと思う。
これからも新しい事実や動きが出てくることは考えられるが、基本的な問題を左右するようなことはないだろう。その上で2つのことを指摘しておきたい。
ひとつは会社の利益優先の姿勢で、社長は国会の審議でもこのスタンスを変える意思がないことを明言した。これは重大である。もし本気で改めないと言うならば、会社は潰れるしかない、そのことだけは指摘しておく。ただ、国民世論が許さないことは明らかだから、口先は別として、いやでも改善せざるを得ないだろう。できないのなら社長を辞めてもらうしかない。
もうひとつは、新たに出てきた問題として10万円のボーナスカットが労基法91条に抵触する可能性が出てきたことだ。労働基準局も動いているという。法律は制裁金が賃金の一割を超えてはならないとしている。私が指摘した労基法6条に引っかからないとしても、91条の「えげつない」減給は許されるべきではない。実はウチの会社でも分社化と同時に原因となった赤字の責任を中間管理職に求め、とてつもない減給を行ったからである。他人事ではない。今の業績給は信賞必罰と言いいながら「必罰」の部分だけが強調されるからである。会社としては中間管理職は「労働者ではない」と言いたいのだろうが、少なくとも法的には通用しない。
これ以上は長くなるのでやめるが、最後に強調しておきたいことは、恐怖心をてこにした業績給はろくな結果を生まないことを指摘しておく。私のような老獪な社員は会社が安易に違法行為に走ることができないことをある程度知っているが、若者はその恐怖心に丸呑みされやすい傾向がある。会社はそれを知っていて若者の心を弄ぶのだ。「できないのはお前が悪いのだ」という個人責任の押し付けはいずれ破綻するだろう。
これでこのシリーズは一旦終わりとする。
2005.05.16:
息子が2泊3日の修学旅行に出かけた。
私の頃はもう新幹線は開通していたが、使った電車は修学旅行専用の「きぼう」、「ひので」だった。今は新幹線、それも「のぞみ」だから昔日の感がある。
旅行の行き先は今も昔も東京。しかし面白いことに息子の旅程には両国国技館が含まれている。ちょうど夏場所で、こんなタイミングはなかったのだろう。私は大阪場所ですら行ったことはない。ただ、一度だけキタのクラブで大関時代の小錦の顔を見たことがある。私はちょうど接待で来ていた。曙が大暴れした、あの頃である。
今日はヨメハンと二人だけ、お通夜のような雰囲気で夕食を摂った。
2005.05.12:
JRの大事故を考える:7
そろそろ事故原因が絞られてきたようだ。最初の引き金はもちろん速度オーバーでカーブに入ったことにある。次はそれを誘引した原因で、その一つにはATS−Pの導入の遅れがある。もうひとつは速度オーバーをしてでも走らなければならなかった運転手の行動である。
ATSの問題は、大臣も指摘したしJR自身も導入を予定より早めることでその責任を認めた。無理な運転についてはダイヤの見直しということで、これもJRは原因を作ったことを事実上認めたかたちになっている。
運転士は無謀な運転が自らの命を絶つことになったことで、自己の責任を取ったように「見える」。生きて106人分の重い十字架を一生背負うことに比べれば、もはや本人の意識に上ることがないという点では救われたかもしれない。しかしである。
亡くなった人達の人生はどう贖えるのか?こう考えると私は次の言葉が出ない。会社や運転士がどう責任を取ろうと、失われた命は非可逆的であり、もはや取り返すことはできない。そこに事故を起こさない歯止めをどうするかの議論の原点がある。
今回の場合、当然運転士に「すべての」責任を押し付けることはできない。それは明白である。ではどうするか。
少なくとも遺族に対する全面的補償は当然であり、JRの会社としてのフォローは金の話だけでは済まされない。同時に再発防止をどうするか、それを真剣に考えてもらいたい。ATS−Pもそうだし、ダイヤの見直しもそうだが、社内体制の全面的な改善、わけても儲け第一主義と人権無視の労務管理にメスを入れなければならないだろう。そうでなければ本当の再発防止はできない。
JR西日本は年間の経常利益が約400億円の優良企業である。だがこの利益はどこから出てくるのか、そこのところをきちんと分析しなければ意味はない。三菱自動車のリコール隠しが典型だが、特にユーザーの命を左右するような製品・サービスを供給している企業の不祥事は、企業自身の存続に関わる問題であることを認識すべきである。それ対客先への対応という狭い観点でなく、企業の信頼性全体を視野に入れたものでなければならない。「企業の社会的責任」というのはそういうものであるべきだ。
2005.05.10:
JRの大事故を考える:6
事故の後、会社に対する抗議などが続いているが、憂慮すべき事態も起こっている。
置石、自転車の投げ入れなどの列車運行妨害もあるし、いちばんひどいのは運転士を蹴ることである。これは明らかに暴力行為だし、相手が抵抗しにくいことを利用した弱いものいじめでしかない。ドサクサ紛れの犯罪行為は絶対に許されない!
それとともに、相手を間違えるなと言いたい。
2005.05.09:
閑話休題。
息子が来週から東京へ修学旅行。話を聞くと、東京ディズニーランド、東京タワー、浅草などに行くと言うのだが、合わせて「両国国技館で相撲観戦」と言うので、私は一瞬???になった。
息子は本当だと強調するのであるが、まだ???の私。え?本場所は今頃だったかな??。
念のため新聞記事を見たらやはり夏場所だった。
確かに私の相撲に対する興味は薄れている。原因は横綱朝青龍が一人強すぎて、大関以下に強くてかつ個性のある力士がまったくいないからである。最近は満員御礼の幟も出なくなった。やはり強い横綱二人と、それに肉薄する若手がいるというのが理想だろう。ハングリー精神で頑張っている力士の大半が外国籍というのでは、余りに寂しすぎる。
2005.05.08:
JRの大事故を考える:5
列車の遅れについて考える。
福知山線の事故以来、大阪環状線などでの列車の遅れが連日のように起こっていると言う。慎重運転になっているからである。一方で、運転士などからも速度オーバーをしないとダイヤがキープできない現実があるとの声も出ている。
首都圏の方はご存知と思うが、山手線や中央線の朝の通勤時間帯では、先行する電車が見えるくらいの間隔で運転されている。このような過密ダイヤで、もし遅れが出たら瞬時にしてダイヤが乱れてしまう。しかもこんな過密ダイヤをこなすためには、規則どおりの運転をしたらたちどころに遅れが生じる。従って黄色信号でも速度を落とさずそのまま進むことは運転士の常識になっているのである。
昔、国鉄の時代、毎年ストがやられていた頃に、「違法スト」のレッテルを貼られることを避けるため「順法闘争」ということがよくやられていた。「規則通りに運転したらこんなにダイヤが乱れるよ」という運転士のアピールであり、当局への抗議だったのだ。そしてその問題は民営化でも解決せず、さらにエスカレートすることになっていたのである。しかもダイヤがキープできなければ過酷な懲罰が待っている。聞いた話では、2分程度の遅れなら遅れを取り戻すようなことはするな、というのが国鉄時代の運転士の常識として伝えられていたという。
ダイヤの遅れを取り戻す方法としては、以前のこの日記で私は、速度を上げるよりも停止時間を短縮するほうが駅間距離が短い場合に有効だと書いた。関西圏ではあまりやられないようだが、首都圏ではダイヤの遅れを出さない手法として、駆け込み乗車があっても無理矢理ドアを閉めることが当然のごとくやられている。駆け込みの場合に、乗客の安全か、ダイヤのキープか、どちらを優先するか議論はあるだろうが、そういう現実がある。
だがひとつだけ言えると思うのは、過密ダイヤで非常に緊張を強いられるのを放置したまま、遅れの原因と責任を運転士にのみ押し付けるようなやりかたは許せないということである。
しかも、今後ATS−Pが導入されるとなれば無理に速度オーバーをすることは不可能となるので、運転士に対する懲罰も同時に止めないと意味がない。そうでないと、事故の現実と背景が明るみになった今、運転士になりたいと思う若者はいなくなってしまうだろう。
ダイヤの遅れに対し、正直な気持ちを言えば私も遅れを取り戻そうとしない運転士に対してイライラを感じる方である。元鉄道少年であるから、運転席の後ろに陣取らなくても、2つの編成が連結されている場合は中間部の運転台で、電流計、速度計、ブレーキ圧力計の動きが見えることを知っている。これらのメーターの動きで運転士の上手下手がおおよそわかる。だから下手な運転を見ると何とかしろよと思ってしまうのである。しかしながら、未だもって東海道線の神戸から姫路くらいまで、速度制限をオーバーして走っているのにはお目にかかったことがない。福知山線のように尼崎での乗り継ぎを最優先させろというような事情がないせいだと思われる。
くれぐれも断っておくが、私としては列車が遅れたからと駅員に食って掛かるような真似は絶対にしない。難癖をつけたから改善できるような問題ではないことは先に書いたとおりである。逆に運転士に無理をさせることでダイヤが守られているのだから。列車が遅れて困るようなスケジュールで行動せず、余裕を持って乗り物に乗る、これが私の基本コンセプトである。
2005.05.07:
今日は会社の出勤日。本来なら休みにするのだが、生憎と休めない事情があって会社に出た。月末データが今朝出てくるのである。これだけは年間スケジュールで決まっているので、如何ともしがたい。
ということで今日は長話を書かずに寝ることにした。
2005.05.06:
JRの大事故を考える:4
昨日、「常識はずれの人間を沢山育てているのは会社の方針」と書いたが、そう言える根拠について詳しく書く。誤解を招きそうに思えたからであるが。
まず、運転士が救助活動に参加せずそのまま出勤したことだが、森之宮電車区の運転士は区長との会話で「大丈夫ですか?」「大丈夫です」とやりとりしている。この会話だけを見る限り、テーマは運転士の体調あるいは出勤できるかどうかに絞られていると考えていいだろう。
もう一人の尼崎電車区の運転士の場合も、「とにかく職場へ行かなくてはと思った」と語っているようだし、労組も「残れと言う指示はなかった」としている。いずれにせよ、これも出勤できるかどうかが焦点になっている。
この事実は何を示すのか。どちらの場合も、運転士も上司も、出勤できるかどうか「だけ」を気にしていて、事故の状況や緊急対応策をどうするかなどは二の次になっているということである。
こうなる背景は、普段からぎりぎりの人数でやりくりしているために、緊急の場合に待機させている運転士の確保が大変なこと、またその手配のために当直の上司が上からあれこれ批判されることを避けようとしたのではないか、そうとしか考えられない。ましてや実情の把握もしない、また運転士の確保だけが気になって、事故に気が回っていないということの明白な証拠ではないのか。ということは現場全体が「ダイヤのキープ」をすべてに優先させることを普段からしつこく教育されていることの反映であり、とりもなおさずそれは会社の大方針以外の何物でもないのである。
ボウリング大会のほうも、携帯電話に気付くのが遅れたのはまだ許せても、終わってからはニュースでも事故のことが流れていたはずだから知っていないわけがない。ということは無意識に「わずらわしい事には巻き込まれたくない」という心理が働いたのだろう。これも「一大事のときは互いに助け合う」という仲間意識は消え失せて、自己保身に走る、あるいは後ろ向きになるほど会社からの締め付けが厳しく、後で何を言われるかわからないので避けた、ということの反映ではないのか。
これだけの事実を公表をしながら、会社はその分析をまともにできないようだ。というのも、「社員の意識改革が必要だ」と言うのみで、乗客の安全などを後回しにする、そういう非常識な発想にさせている背景や職場の実態を見ず、一般的な社員の意識性の問題にすり替えてしまっているからである。
2005.05.05:
連休も今日が最終日。珍しく今年はずっとごろ寝の生活だった。その分、サーバーに手を付ける時間も長かったが。
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JRの大事故を考える:3
マスコミで大々的に取り上げられたが、事故を起こした電車に乗っていた2人の運転士が救助活動をしなかったことと、事故当日ボウリング大会と夜の宴会をやっていた話が問題になっている。
確かに乗客の人命が最優先の職場でありながら、感心しない行動ではある。そんな中で「JR西日本の会社としての体質が問題だ」という議論があるが、ちょっとだけ気をつけることがあるように思う。
私も書いたように、金儲け優先の方針が根底にあることは間違いない。しかし「上から下まで腐っている」という批判になるのには少しだけ待ったをかけたい。
どういうことかというと、JR西日本の場合、上意下達の強烈な締め付けがある状態で、下から批判を加えるようなことはかなり困難、あるいは正常な精神が麻痺させられていたことが考えられるからである。もちろん血の通った人間が、多くの死者を横目で見ながら飲んでいるという姿は世間の常識とはかけ離れている。しかしこの常識はずれの人間を沢山育てているのは会社の方針そのものではないだろうか。
ましてやちょっとした遅刻でもひどい懲罰を与えるという、「恐怖政治」でも言える環境で、まともな人間が育つとは思えないからである。
したがって、今回のようなケースは管理職の「ヒラメ」体質を問題にすべきであり、かつそういう命令を下している会社幹部はもっと批判されてしかるべきだと思うのである。
もし現場の人間に反省してもらうとするなら、それは「人間としての良心を失うような話に従わざるを得なかった」ということへの自問自答であり、そんな物言えぬ職場にしてしまったことへの責任を感じてもらうことだろう。それは社長が言うような「気を引き締める」みたいな精神論ではなく、設備と制度によるしっかりした歯止めでなくてはならない。
ウチの会社でも似たような傾向にあるが、労災事故を起こしても「本人の自覚が足りない」みたいなお題目を唱える例があまりに多い。それをそのまま人命を預かる職場でやられては、命を預ける乗客は安心できない。
2005.05.03:
今日は憲法記念日。しかしマスコミはもはやこの日について改憲派、護憲派の集会の模様を簡単に伝えるのみで、現憲法にに対する見解は読売、サンケイのようなあからさまな改憲論を展開する以外は、まったくのダンマリである。私は、改憲派が集中砲火を浴びせている憲法九条は絶対に変えるべきでない、という立場である。
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JRの大事故を考える:2
JR西日本だけではないだろうが、会社の人減らしとコスト削減への執着はすさまじいものがある。まず人減らしに関して言えば、運転士の例で30歳代がほとんどいない。ウチの会社はそれ以上で、40歳代もほとんどいない。定年退職などで人がいなくなっても補充しないから、一人当たりの仕事量は増える。業務の合理化というのはそう簡単には進まない。人減らしのペースの方がはるかに大きく、少なくなった人員でやりくりするから労働強化と長時間労働で補うしかない。本来ならこれが残業代の増加につながるはずだが、コストアップになるからという理由で払わない。だから「サービス残業」が蔓延するのである。
もうひとつの手口は業績給である。これで人件費を抑える。JRの場合はやや手が込んでいるようだ。つまりダイヤ遅延を理由に懲罰を与え、懲罰期間の分の運転士の手当は払わないことで賃金カットをするのである。これは業績賃金の変形と言えるだろう。というか、労基法16条にある違約金や損害賠償を定めた労働契約は違法、ということに抵触する可能性があるのではないかと私は見ている。名前は「手当」だが、運転士に対して恐怖感を与えると言う点で、同じ効果を持つからである。
日本の他の企業でも行われている業績給も、ものすごいストレスを生むことで問題視されている。以前のこの日記にも書いたが、生活できる賃金すれすれのところで査定をされると、自己の保身に神経が集中してしまうからである。私もヒラ社員として低く抑えられているからかなりアタマに来ている。しかし殺人でもやらない限り解雇にまでは至らないことは長い経験で知っている。しかし事故を起こした運転士は未熟なヒヨッ子。何回か「罰」を受けているから、今回のオーバーランでパニック状態になっていたのではないだろうか。もちろん責任は免れないが、非常に過酷な状況であったことは間違いない。
もう一つの問題、コスト削減についてはイギリスでの実態と比較したいと思う。この点も数年前のイギリス日記で書いたが、イギリス国鉄の民営化以後は保線経費を削るために設備が老朽化し、徐行区間が多すぎて慢性的なダイヤ遅延が起こっている。加えて日本の旧式ATSすらない。だから2、3年に一度大事故を必ず起こすのである。今回もATS−Pがあればスピードが緩和された可能性は高い。
コスト削減の別の手口は「アウトソーシング」である。JRでは保線も含めてかなりの部分を外注化している。ウチのような根っからの民間企業はなおさらで、女性社員は現在99%が派遣。法規制を緩めたせいで工場内の作業員も丸投げ下請けや派遣社員が不足した労働力を穴埋めしている。個人に責任はないが、本工に比べて明らかに質は落ちる。というのも下請け同士で競わせて安い方を雇うから必然的にそうなる。さすがにJRの運転士まで派遣社員はいないと思うが、バスの運転手は一部子会社に下請けしている例がある。
2005.05.02:
JRの大事故を考える:1
JR福知山線での脱線・転覆事故からちょうど1週間、今日現在107名の死者を数えるに至った背景や原因がかなり見えてきたので、ちょっと私なりのまとめをしたくなった。もちろんマスコミがわめくだけわめいて後は尻すぼみになるような観点では書かない。
先週、私は設備と人材両面からの問題点をある程度示唆しておいたが、やはりその指摘は当たっていたようだ。
JRが持っている具体的な問題点は次回以降にするが、私が強烈に感じたのは、今の日本の企業が抱える問題点とあまりにも共通していることが多いことだ。それは「利益優先主義」がもたらす害毒でもある。
儲けのためには徹底して人減らしとコスト削減をやる。それもJRのような交通機関には最も必要な「安全」までをも無視する体質は、エスカレートするばかりである。そしてそれを合理化する言葉は「競争」である。この「利益優先」と「競争原理」は最近始まった言葉ではない。資本主義が本質的に持っている、企業を維持するための基本的コンセプトである。だからそれが悪の根源とは言わない。しかし今の日本はこの言葉を過大評価し、人間も、社会も、そして地球環境をも一切無視してかまわないとでも考えているような、あらゆる倫理・規範の上に置くべき言葉となっている。要するに歯止めがないのである。
ではどのような共通点があるのか、それは明日に書く。
2005.05.01:
2月に買った新XP機、DVDドライブがまたもや壊れた。
前回と同じく、CDは焼けるがDVDを焼こうとすると転送速度が不足としてエラーになる現象である。エラーのたびにDVDメディアはオシャカ、うんざりしてくる。あれこれテストしたが、やはりドライブの物理的故障としか考えられない。買ったPCショップに電話を入れ、無償交換を要求して今日新しいものを取りに行った。
故障したドライブはいずれもBenQ製。メーカー名を出すことは控えていたが、2度も同じ原因となれば公表せざるを得ない。店員は再度の初期故障に何か不信感を抱いていて、電話では本当に故障かどうか確かめたいような口ぶりだったが、私が「確認したければどうぞ」と言ったので、嘘ではないと感じたらしい。店に行くと何も言わずにLG電子製のものと交換してくれた。
この2度目の故障に対して、最初は諦めの気持ちもあったが、やはり原因もわからないままであるのは耐え難かった。次は何が起こるかわからないというのでは不安が残る。OSを含めたソフトが悪いのかハードが悪いのか、それすらわからないのでは気持ちが収まらない。テストのつもりで新たにDVDドライブまで買った。だからハードの故障と特定できたのである。
意図的なクレーマーになるつもりはないが、ちゃんとした品質のものを要求することは消費者として当然のことではないだろうか。保証期間を過ぎたのなら諦めもつくが、たった1〜2ヶ月では我慢できない。