悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
05.04
2005.04.29:
連休初日である。しかし何も予定はない。
今日、会社の友人との話で、彼の中学の同級生がJR事故の犠牲になったという。葬儀に参列し、故人の安らかな顔を見ようと棺の覗き窓を開けたら、写真が置いてあったと。痛ましい話だ。
こういう列車や自動車の事故による犠牲者の話を聞くと、どうしても震災のことを思い出してしまう。突然人生を絶たれた時の思いが共通しているような気がするからである。
普通の生活をし、普通に息をしていたものが、理由もわからず瞬時にしてこの世から消え去ることに、未練が残っただろう。私は激しい揺れで建物が傾き、そして倒壊とともに死ぬのではないかと感じた。その瞬間、「ああ、こんな感じで死んでいくんだな」という思いが頭をよぎったのである。幸いにして私は生き残った。だが、逆に命を落としていった人達の、その瞬間頭の中を巡ったことは何だったのだろうと考えると、非常に辛い思いになる。
だからこそ、本来ならまっとうすべき人生を絶った原因を明らかにし、そのような悲劇を二度と繰り返さないためのあらゆる手立てを尽くすべきだと思うのである。
2005.04.28:
昨日書いたことの基本的観点をもう一度整理すると、スピードを出させないようにするにはどうしたらいいか、もし出てしまったらどうするか、ということに尽きるだろう。敢えて繰り返すなら、前者は運転士に関する指導・教育、後者はATS−Pをはじめとする物理的「歯止め」の問題である。
両方がバランスよく組み合わされてこそ効果は最大限発揮される。特に日本の企業に見られる、人間の注意力だけを問題とする精神論では絶対に解決しない。
明日から連休だが、会社から「休み中の運転には注意しろ」というこれまた精神論の塊のようなお触れが出た。加えて「若者には特に注意喚起するように」という言葉が添えられた。これはいつものことであるが、若者に対する不信感を露骨に表現する会社の姿勢が如実に出ているだけで、事故を防ぐことには何の役にも立たない。
2005.04.27:
JR福知山線の事故、この日記を書いている時点で95名の方々が亡くなった。1両目にはさらに10人くらいの人の姿が見えるというから、死者は間違いなく100名を超えるだろう。1962年の三河島事故以来の大惨事である。
この事故で教訓にすべきことは、今後の事故調査委員会の報告などを待たねばならないだろうが、現時点で判明した事実から見えているものに絞ってコメントしたいと思う。
ひとつはカーブでのスピードオーバーである。これをシステムとして防ぐには新しいATS−Pの早期導入である。計画はあったらしいが、遅れていた。ATP−Pは通常のATSに加えて、その路線の運転パターンを加味し、そのパターンを超えた速度が出るとブレーキがかかるというものである。運転手が無理をしようとしてもできない仕組みである。
実は最初のATS導入は三河島事故がきっかけだった。第一の原因である貨物列車が赤信号を無視して進入し、脱線したことから大事故につながった。今回の事故をきっかけにATS−Pを一日も早く導入し、物的な原因を取り除くことが必要と考える。
もうひとつは運転士の労働条件である。特に私鉄との競争が激しいことから、運転士に過重な精神的負担がかかってはいないか。どこかで見た気がするが、JRでは運転士の責任による列車遅延が2分を超えたら処分の対象になるという。ピークを過ぎたとはいえ朝のラッシュ時間帯で遅れが出たらダイヤへの影響は大きい。
問題の運転士はまだ初心者。それでも複数回のトラブルを起こし、本人は相当なプレッシャーがあったことは想像に難くない。もちろん彼の責任を免罪するわけではないが、今後のことを考えると運転士だけに責任転嫁するのには限度があると思う。落着き、気を引き締めて運転してもらうにはそれなりの配慮が必要だろう。もちろんそれでもトラブルを起こす運転士は、残念ながら不適格として降りてもらうしかない。
2005.04.25:
JR福知山線で大変な事故があった。特に電車が見えなくなるくらいにマンションに食い込んだという話は始めて聞いた。先日の特急列車が駅舎を突き抜けたことといい、ものすごい衝突エネルギーであったことを物語るものである。こうした事故で犠牲が出ることには、本当に悲しみを覚える。どうかこんな事故が二度と起こらないよう、真剣に対策を考えてもらいたい。そうでないと死者の霊は浮かばれない。
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さて、23日の「ウィルスバスター」のトラブル、会社に出たら極めて静かだった。この原因は、ひとつは土曜日であったこと、それともっと大きな原因は、WindowsXP
SP2をインストールしたPCがほとんどなかったことにある。
ウチの会社は新しいOSやソフトに対して慎重過ぎるくらいの方針でのぞむ。それはVisual
Basicなどで作った社内専用のカスタムアプリが非常に多いからで、情シスで十分なテストを行ってからでないと決してOKは出さない。個人と違い、会社組織としては当然の姿勢だろう。実際、フライングで何度か失敗している。そういう環境だから、XP
SP2は先月にやっと正式なGOサインが出たばかりである。一部には先行して入れたケースもあるようだが、正式導入は今年度の設備費で認められた更改PCからとなる。だから「ウィルスバスターCorp.」を早くから入れていた会社としては、ほとんど被害はなかった。
今回の原因はトレンドマイクロでの出荷テストの漏れ・ミスであるが、品質管理には厳密さが必要であることを教えてくれている。この点に限って言えば、ウチの会社のように新しいものに対する臆病なほどの姿勢が必要だろう。「ウィルルススキャン」や「ノートン」との激しい競争があるのだろうが、こういう失敗で名前に傷が付くようなことがあっては元も子もなくなる。
2005.04.23:
19日に宣言したサーバー構築の話、いよいよ開始するとともにそのことを新しいコーナーに書き始めた。初っ端からサーバーとは関係のない、「ウィルスバスター」のトラブルに巻き込まれ、そのことも書き加えねばならなかった。前途多難(?)の船出である。
2005.04.22:
アジアアフリカ会議で首相が「反省とおわび」を口にした。それはそれでよしとしよう。
しかしその一方、国内では靖国の春の例大祭に多くの自民・民主の国会議員が出席した。これでは反省にも何にもならない。まさに口先だけで、行動はあくまで戦争への無反省、それも堂々とやってのけるのである。二枚舌もここまで来ると、日本人として本当に恥ずかしい思いがする。
真にアジアとの和解をしようとするなら、こんな情けない連中を選んでいる我々も考え直さなくてはいけない。
2005.04.21:
今朝は生まれて初めて電車の人身事故なるものに遭遇した。
7時頃、私が乗っていた下りの快速電車が垂水駅に停車する直前、減速していたものがいきなり「ガッタン」という音と何かを踏ん付けた感じがして停まった。
何やらホームの乗客がざわついていると同時に、車内のアナウンスで「人身事故がありました」との声。車両は定位置よりもやや手前、しかもドアは開けられないままである。
そのうちに駅員が駆けつけて被害者がどこにいるか確認を始めた。また救急隊員も出てきた。間違いなく人身事故である。
しばらくすると、今度は「遺体を収容します」とのアナウンス。そしてドアは一旦開けられた。私は外に出て携帯電話で会社に事態を告げ、遅れることを手短に伝えた。
やがて人があわただしく行きかう中、白いビニールがかかった担架が電車のホームと反対側からホームの後ろ端へ運ばれた。この頃には警察も出てきて事情の把握に動いていた。
状況から判断すると、ホームから「落ちた」人は車両とホームの間に挟まれるかたちで引きずられ、全身打撲あるいは全身骨折で絶命したようである。電車もそれほどスピードは出ていないから「マグロ」にはならず、また出血も見られなかった。ということで電車は事故後約30分で運転再開。
後のニュースでは、犠牲者は初老の男性で「ホームから転落」とあった。「意図的に」落ちたのかどうかはどうやら曖昧だったようだ。
鉄道事故にありがちな犠牲者の無残な姿は見ずに済んだが、やはり二度と見たくはないと思った。
2005.04.20:
サーバーを立ち上げる話についてネット仲間に打ち明けたら、色々なアドバイスをいただいた。嬉しい限りである。
「持つべきは友」、そんな古い言葉を思い出した。甘口、辛口、私のことを心配しての声はとてもありがたい。
2005.04.19:
ふとした思い付き。
古いWindowsMEマシンをサーバーにすることである。きっかけはXP(2000も)に標準でIISが付属されていることを知ったからである。
何年か前、会社の研修でLANの知識を仕入れたとき、実際にNT4.0にIISをインストールしてサーバーを構築する演習をやったことがある。そのことを少し思い出した。
50も過ぎたオッサンが何を酔狂なと思われるかも知れないが、体力は落ちても知的好奇心は衰える気配が無い。2月に安物XPマシンを買ったことが、しばらく眠っていたやる気を刺激したようだ。
当面はサーバー構築の練習となろう。簡単なWebサーバーを作って家庭内で楽しめるコンテンツでも作ろうと思う。あわよくば息子とのチャットができるかも知れない。そんなことを考えつつ準備に入るつもりだ。
2005.04.18:
中国国内での反日デモ・襲撃事件は解決に手間取っている。
中国は中国で、いくら反日を旗印にしているとはいえ暴力に対して甘すぎるし、一方の日本は靖国問題には何とか触れさせずに謝罪だけ勝ち取ろうと言う魂胆が丸見えである。
私の直言を言わせてもらえれば、まずは靖国で何らかの譲歩をし、相手に付け入る隙を与えずに平和裏に事を収めることである。靖国問題が残っている限り、他のアジアの国々からも日本に対する警戒心を取り去ることはできない。それは60年来の懸案である。
いつも日本政府は靖国に固執する。その根源についてはここで詳しく展開しないが、いくら口先の謝罪を繰り返しても信用されないのは、首相をはじめとする閣僚が、実際の行動では逆のことをするからである。こういう二枚舌をなくせば他の色々な問題も一気に解決する糸口となるだろう。
2005.04.17:
女子ゴルフの横峯さくらが初優勝した。私はゴルフはできないし、それほど興味があるわけでもない。その昔パーマーが活躍していた頃にTV中継を見たりしていたが、今はあまり見ない。
私が注目したのもちろんキャディーとして活躍しているオヤジさんのことである。ここしばらく彼女の調子が悪いので、もうひとつ乗り気ではなかったものの、オヤジさんを引っ張り出した。すると見事に調子が回復して優勝してしまったのである。
こういう「苦しいときのオヤジ頼み」というのは、父親としてうれしい限りである。
私は普段息子にあまりこまかいことは言わない。ヨメハンは年中わめいているが、私は「勉強は言われてするもんじゃない」と簡単な原則論を言うだけである。時として数学の問題の解説を頼まれたりもするが、定理の考え方のポイントを言うだけで、実際に式を解いたりはしない。本人のためにならないからである。
こんな人間だから子供との会話はどちらかというと少ない。しかしいざと言うときに頼りにされてみたい、という気持ちはある。そういう意味で、さくらちゃんのオヤジさんは羨ましいと思う。
2005.04.16:
ちょっと日記が中断していたのには訳がある。
以前にも触れたが、あるところのHP立ち上げに協力していたのに、内部での揉め事に巻き込まれて難儀していた。その内紛が再燃して毎夜付き合わされることになったのである。
諸悪の根源はリーダー格の男。自分で何でも取り仕切ろうとして勝手な振る舞いをし、それを私が他のメンバーに警告したのが逆ギレして私に「何でもいいからHPを本番にしろ」と言ったのである。これには私がキレてしまい、協力を拒否。すると今度は他のメンバーの一部が私を説得にかかるという始末。一体どないせぇちゅうねん!!!
2005.04.12:
今日はニュースの中から2つについて言及する。
1.反日デモ:
「話の筋が違う」、これが私の見解の基本である。
確かに日本政府は本心からの謝罪、すなわち侵略戦争を行ったことの反省と清算をやっていない。これは事実である。
だからといって中国が国内のデモと破壊活動を黙認し、それを日本の責任に押し付けていいという論拠は成り立たない。過去の不法行為を、現在の逆の不法行為で贖えというのは無茶な要求だ。江戸の仇を長崎で討つ、それも暴力的な方法で解決することを許すならば、際限がなくなる。
ぜひ中国政府の自制を促したい。同時に日本側も相手に口実を与えないこと、例えば閣僚の靖国参拝は止めるべきだ。
2.「フリーター」対策:
厚生労働省が失業対策やフリーター増加の歯止めを目指して、「若者の人間力を高める国民会議」を設置して取り組むことを表明している。政府の調査では200万人以上、実際は400万人を超えるといわれる不安定雇用層を何とかしたいという意気込みのようだ。
しかし、意気込みは買うが「国民会議」の議長に日本経団連の奥田碩会長をすえることは絶対許せない。彼を代表とする財界・大企業は率先して不安定雇用を推し進めており、議長として最もふさわしくない人物だからである。
2005.04.11:
神戸市バスのノンステップバスに乗って気付いたが、運転席を見るとオートマティックになっていた。
それも形だけのシフトレバーさえもなく、シフト位置を決める押しボタンだけになっていた。運転手は完全に両手をハンドルに集中できる。
世の中、日進月歩であるが、ここまで来るとは思わなかった。もっともこんなことで驚いているのは、それだけ年をとったという証拠なのかも知れないが。
2005.04.10:
昨日の花見は天気も良かったし、満開の花の下で楽しむことができた。
私は最初、焼き物の日の面倒を見ていた(昔からキャンプなどでの「火遊び」が無性に好きである)のだが、次第にアルコールが回るにつれて眠気が襲ってしまい、結局2時間くらいブルーシートの上で熟睡とあいなった。その気持ちの良かったこと(笑)
それは夜にも尾を引き、自宅で夕食後も、しばらくしてまたまたごろ寝した。今日は二日続けて怠惰な生活はまずいと思い、おとなしくしていた事は言うまでもない。
さて、DVDドライブの調子がまたぞろうまくない。今度は安物DVDメディアのせいにも見えるが、当分は様子見である。
2005.04.08:
国民の多数が覚めた目で見ている郵政民有化、政府と自民党の間でゴタゴタが続いているが、国民不在の不毛の議論にしか見えない。
そもそもの自民党の目的は、大銀行からの長年の要求であった郵貯と簡易保険を売り渡すことである。350兆円もある儲けのネタを政府が握っていることに我慢がならないのである。そのことは自民党内部のすべてで一致している。
だが一方で、特定郵便局を中心とする大票田が失われることに対する危機感がある。民営化となると、儲からない過疎地の特定郵便局を切り捨てることは必至である。これは決定的に民営化と180度矛盾する。そこをどう乗り切るか、あいまいだから揉めるのである。今は特定郵便局の処遇をどうするか決まっていない。それを強行突破しようとする首相と対立するのは当然の成り行きである。
大手マスコミはその点を隠している。
国民の側から考えると、身近にある過疎地の郵便局を失うことは大きな影響がある。しかし特定郵便局の局長、職員が実質的な世襲であることもこれまた問題である。戦前からの政策でこうした形態を取ってきたことに根本的問題があるのだが、さりとて今からそっくり人材を入れ替えるなど不可能に近い。票田などという腐った根性に縛られるのでなく、国民的な議論が必要だ。それを抜きにした政府と自民党の間の軋みなど、どうでもいいことである。
2005.04.06:
決算処理が終わったので、次はいよいよ分社化に対応するための「のぞみシステム」の分割である。せっかく共同作業で苦労してやってきたのに、上層部の心変わりで哀れにも空中分解させられてしまったのである。私もそうだが、一生懸命頑張ってきたSEは自分の作品を自ら引き裂く役目までさせられて、どんな思いがよぎるのだろう。
明日はシステムを完全停止して、分割作業が行われる。
2005.04.05:
昨年より少し遅れ気味の桜の季節が来た。団地の桜の蕾も白から次第にピンクに変わりかけている。
新入社員と思しき若者が電車に乗ってくるし、朝はまだ肌寒いものの、厚着は消えつつある。
本格的な春はもうすぐ。今週末は職場の花見だ。
2005.04.04:
ローマ法王、ヨハネ・パウロII世が亡くなった。
とかく世界中を駆け回って、平和を説いたので有名である。いかにも現代的だ。
私はキリスト教信者でもなんでもない。ただ、学生時代にカトリック教会の青年部で若者同士のアソビには加わっていたし、ついでに聖歌隊の末席にもいた。当時は肉声で礼拝堂一杯に響く声が出せたが、今はヘビースモーカーだから絶対に不可能である。
そういう意味では私はキリスト教に対する拒絶感はない。ローマのバチカンにも行って、正午に当時のパウロVI世の顔も見た。しかしキリスト教の教義だけは未だにチンプンカンプンである。欧米文化の根底にあるキリスト教の濃い影は何度も見聞したから理解はできるのだが、何故人々の心にまで染み付いたのかは謎でしかない。教義だけで言えば「輪廻」のほうがずっと親しみがある。私は日本人なのだろう。
次の法王がどのような活動をするのか、それはまだわからない。だが「ジハード(聖戦)」を声高に叫び、民の血を流すことを信者に呼びかけるような聖職者にはなってもらいたくない。それはポーランドのレジスタンス運動に加わったヨハネ・パウロII世の遺志でもないだろう。
2005.04.03:
今日も女性にまつわる話である。
世界的にも有名なのが日本女性の内股歩きである。隣の韓国でも少ないので、これはアジアという範疇は当てはまらない。
ネットで調べると、着物文化が根源にあることまでは理解できるのだが、現代のように洋装が常識の世の中で着物のせいにすることはできない。残念ながらその先に言及したものはなかった。ということで大胆な私論を展開する。
着物を着ると内股で歩かないと裾が乱れて歩きにくい。私自身も正月に着物を着たことがあるので経験済みである。と、ここまでは誰もが認める。問題はその先だ。
本気かどうかは知らないが、「遺伝」を持ち出す人がいる。しかしこれは誤りと思われる。というのも、現在売られている着物は昔の金持ちのデザインであり、たかだか100年少しでしかない。多くの庶民、それも圧倒的多数は農民だから野良着の延長線上である。そして何よりも同じモンゴロイドである韓国、中国では内股が主流でないことから、遺伝の影響を過大評価することはできない。ということは後天的な要素を注目すべきだろう。
さて、ここからが私論である。
後天的ということを注目するならば、それは親からの教育の影響を考える必要があるだろう。ただ、親から直接的に「内股で歩きなさい」と指導されているかというと、どうもはっきりしない。ヨメハンに聞いたところではそういう言葉を強調されたことはないという。だがヨメハンは典型的な内股である。ではこれをどう解釈したらいいのか?
私が観察した限りでは、ひとつは正座の問題がある。だが今の若い女性では正座をするチャンスが減ってきているので、影響があってもマイナーだと思う。それよりも私が強調したいのは、椅子に座るときなどでも「股を閉じなさい」ということをしつこく言われることである。スカートで股を広げるとパンツが見えるということを非常に気にする、これが間接的に内股を助長するのではないかと思うのである。
小学生のミニスカートならいざ知らず、大人のタイトのミニスカートでもそうやすやすとパンツが見えることはない。だが親も含めて、足を広げるとパンツが見えるのではないか、あるいは着物時代の名残で、股を広げる姿は「はしたない」ということが強調されるために、次第に内股へ進むのではないかと考えられるのである。また、それは一種の恐怖感のように女性に植え付けられるようだ。ミニスカートの若い女性が駅の階段を上がるとき、バッグなどを尻に当てて「覗かれないように」する姿をよく見る。しかし実際はそう簡単に見えるものではない。だが彼女らにとって、それは四六時中気になって仕方がないことなのである。
こういう「股を閉じていなければならない」ということを長期間続けていると、内股の骨格が固定化されていくことは用意に想像できる。以上が私見である。
欧米から見ると、日本女性の内股はJapanese
walkとでも言うべき、奇異な印象があるそうだ。それはともかく、日本女性の側からの反論あるいは異論をぜひ聞いてみたいものである。
2005.04.02:
「入籍」という言葉がある。
ご存知のように嫁いできた女性の名前を「家の戸籍に入れる」という意味だが、女性週刊誌などのゴシップ記事のタイトルで「電撃入籍!」とかいうのをしょっちゅう見かける。
男女平等を定めた憲法24条では、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本」としており、その意味では「入籍」という言葉は憲法の趣旨に反する。しかし世間一般、多くの庶民はほとんど「入籍」という言葉に抵抗感を持っていない。それは先の女性週刊誌の例を見ても分かる。
以前、柔道の「柔ちゃん」こと谷(旧姓田村)亮子選手が結婚して婚姻届を出したときのインタビューで、「『入籍届』って言うんですか・・・出してきました」と答えていた。戦後も相当年数を経た時代に育った彼女でも、「婚姻届」という言葉を知らない、そういう現実がある。
これほど憲法とは逆の意味を持つ言葉が常識化しているのだが、だからといって声を荒げるつもりはない。憲法は重要だし、男女平等が日本ではまだまだ遅れていることは事実なのだが、それは一日にして解決できる問題ではないからである。
とはいえ、今自民党は憲法9条とともにこの24条も標的にしようとしている。24条が対象になるのは、劣悪な社会福祉をさらに改悪するため、女性にその負担を求めようと「役割分担論」を持ち出しているからである。9条とのからみで言えば、「銃後の守り」を女性に押し付け、男性を「安心して」戦場に送ることができる役割も果たせる。
男女平等の精神に反するといえばもう一つ、憲法1条(正確には皇室典範)も24条と矛盾する。皇室の結婚、出産、皇位継承はどれもみな「家」という考え方が根底にある。庶民がそれを見て「入籍」という言葉に問題を感じないからといって、誰が批判を浴びせることができようか。
2005.04.01:
やっと決算データを完了した。もちろん分社化のデータもすべて予定通りの分別ができた。まずはめでたしめでたし。
ところで改めて気付いたのだが、上流側からの「駆け込み」伝票の多さとともに、その金額を見て驚いた。1本百万円くらいならともかく、大企業であるとはいえ、1本で1億円以上もある現地工事の伝票がぞろぞろ送られてくるのである。
いくら決算でも、インプットの最終日に洪水のように送ってくる神経が信じられない。もちろん幹部の承認を得ている(そう信じたい)のだろうが、そんなものを最後まで握っておくのには呆れてものが言えない。先に出すと文句を言われることを心配しているのは分からぬでもないが、度が過ぎていると思ってしまうのである。