悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
05.06
2005.06.30:
今日で6月もおしまい。
ということで「のぞみシステム」の6月決算の仕事に追われていたが、いちばん困るのは上流からのデータの扱い。その典型は「駆け込み」データと「消し忘れ」。「駆け込み」は文字通り駆け込みで、残り1日でこちらの処理を済ませろというものである。そもそもの原因は上流がぎりぎりまでデータのリリースを放置したためなのだが、謝りもせずに平然と送ってくる。こちらの担当者は怒り心頭である。
もうひとつの「消し忘れ」は、不要なデータをいつまでも残しているものである。「のぞみシステム」は上流から「消したよ」という命令が来なければいつまでも未処理として残る仕掛けである。ところが上流では消去データを作るだけで、転送のためのリリースという操作をしない例が圧倒的に多いのである。というか2年使っていても取り消し操作をほとんどやったことがないために、新規データだけでなく、取り消しもリリースが必要だということを完全に失念しているのである。
しかし催促をしても放置する。そうなると最後には私の出番が来る。実は内緒だが、上流システムのすべての操作を私はマスターしている。おまけに特別に許可を貰って各部署のIDとパスワードもすべて手に入れた。だから他人になりすまして不要データを消してしまうのである。
もちろんこの奥の手は最後の手段だし、上流側がサボるのを防ぐために、私が免許皆伝であることは極秘事項。操作のヘルプを求められても知らぬ存ぜぬで押し通すのである。また、そうでないと相手は覚えてくれない。そこは心を鬼にするのだ。
2005.06.28:
新しいTVが届いた。安物でも新品だから画像も音もしっかりしてる。これでまた最低10年は持たせるつもりだ。私のこのようなキャラは家電店泣かせである。
今日は午後から社内の検査があり、疲れてしまった。本当は靖国のシリーズを書きたかったが、もう寝ることにする。
2005.06.27:
靖国問題を斬る・2
小泉首相の発言に「戦争犠牲者の上に今の平和がある」というのがある。
もっともらしく聞こえるが、しかし考えてみると変な感じがする。このニュアンスは「国を守るために戦った」という言葉が前に来るとぴったりする。では実際に先の戦争が「国を守る」ものだったのかというと、それには「待った」がかかるだろう。特に侵略されたアジア国からは猛反発が来るに違いない。
それにしても戦場に出た人達は一体誰のために戦ったのか?そこを明確にしないといけない。
「戦争犠牲者」という言葉を使う場合、兵士だけではなく、多くの民間人も含めないといけないのだが、ここでは狭い意味で実際に戦場に出た人達に限っての話とする。民間人は一種の「巻き添え」だからである。
さて本題に戻ろう。
以前にも私は書いたが、先の戦争は明らかに侵略戦争であり、アジア各国に多大な被害を与えた。その点は口先だけとの解釈あるにしても、誰も否定はできない。となれば、戦争で犠牲になった兵士たちは「無謀な戦争にかりだされて命を落とした」人達ということになるだろう。なのに、何故「平和」という言葉が後に来るのか説明できない。というのも、「侵略」とは元来平和であったところへ武器を持って殴り込むことなのだから、侵略者がその平和を引っ掻き回す、という意味に他ならず、侵略が終わることは静けさが戻ることでしかないからである。ならば「侵略戦争による犠牲者が平和の礎になった」みたいな表現は実態に合わないことになる。つまり「侵略戦争による犠牲者が出てしまったが、平和は戻った」というのが正確な表現ではないのか?
そこのところを「戦争犠牲者の上に今の平和がある」という、いびつな文にするから違和感が生じるのである。
本当は「国を守るために戦った」を前に置きたい、というのが小泉首相の本音ではないのか。だがそのままでは悶着を起こすことは必至である。だからわざと中途半端な言葉にした、そう解釈すれば納得がいく。
2005.06.26:
自室のTVが壊れてしまった。原因はCRTではなく、チャンネル切り替え回路の不調である。
リモコンであろうとマニュアルであろうと、チャンネル設定を行ってからモードを通常に切り替えるととてつもない周波数に飛んでしまう。リモコンでチャンネルを切り替えたある瞬間に異常な現象が始まったから、基板上の部品がいきなりイカれたのだろう。ケースはモールドされているから手は付けられない。それに88年製だからもはや惜しくはない。
家電店に行って新しいものを探した。自室専用だから小型のCRTで十分。液晶など論外である。17"で運賃込み特価17,000円の超安物に決めた。比較するに、PC用ディスプレイは高い。今はほとんど見なくなったが、17"CRTでも3〜4万円はした。TV用はチューナー回路が必要だから本来はPC用より高いはずだが、液晶やプラズマに押されて完全な値崩れを起こしている。
家電やPC関連の競争はいつも熾烈である。
2005.06.25:
靖国問題を斬る・1
話はちょっと細切れになるかも知れないが、靖国問題を考えてみたい。
特に小泉首相の態度に、私は我慢ならないのだが、今アジアとの関係をきちんと解決しないと、未来にわたって日本が信用されないだろうと考えている。それも日本人全体が胡散臭い目で見られるのである。
小泉首相の態度で最も問題なのが、靖国神社参拝についてわざと態度を明らかにしないことである。それも個人的信念と言うことをタテに、批判を拒否し続ける。これは非常にずるい態度であると同時に、参拝への執念は絶対に捨てないぞ、という意思表明でもある。
彼は一国の首相である。一民間人ではない。個人的であろうとなかろうと、彼の行動は一定程度日本人の代表としての性格を帯びるのである。ましてやそれが他国民の感情を害するものであるならば、なおさらである。思えば、彼が引き継いだ派閥の前のリーダーは森前首相だった。森氏は「神の国」発言で物議をかもした。今回の靖国問題はそれ以上に影響が大きいはずだが、反省はおろか、徹底して自分の意見に固執している。これは国民にとって極めて有害なものである。
それと歴代首相のほとんどは在籍中に靖国参拝を控えている。やはり外交的影響を配慮したからである。あの右翼バリバリの中曽根元首相でさえ気を使って参拝を遠慮した。靖国問題というのはそういう性質のものである。
また、個人的信念と言うが、戦争観の問題は個人的な問題では済まされない。ましてや「戦没者の犠牲の上に今の平和がある」という考え方も問題だと私は思っている。
次回はその戦争観を考えたい。
2005.06.23:
ある職場にうつ病で休んでいた人が復帰した。ご存知のように最近は過密・過超労働で精神性疾患の患者が世間でも増えており、年間の過労自殺も右肩上がりの状態が続いている。
そういう中での職場復帰だが、元患者の彼は非常に明るくなって帰ってきた。それもはしゃぎ過ぎくらいの明るさである。昔では考えられなかった表情である。
どうしてこうなったのか、あちこちからの情報を得て、私が下した判断はこうである。
彼が仕事の負担を感じて時々会社に出てこなくなるようになった頃、彼の上司に当たる2名が心配して彼に声をかけた。そしてそれが何度も繰り返されたのだが、解決するどころか逆に休みの日は増えて、遂には会社に出られなくなり、長期休職になってしまったのである。
そこで上司2名は医者に相談したのであるが、医者は事情をつぶさに聞いてから彼らにこう宣告したそうである。「あなた方は最悪の対応をしてしまったから病状は悪化したのだ」と。では「最悪の対応」とは何か?それは一生懸命患者を励ましたことである。
専門家の常識として、うつ病患者を絶対に励ましてはいけないのである。大前提として患者の気分や愚痴をまずは聞き、「そうだったんだね」と肯定してやることで気持ちをほぐさないといけないのである。しかし全く逆のことをやったのだから、結果は明白である。
だが患者に幸いだったのは、その上司2名は人事異動で相次いで職場からいなくなった。そしてその直後に患者は職場復帰したのである。
私の見解では、患者にとっての重石がなくなったことが好転のきっかけになったと見る。
患者自身も上司自身もその事実に気付いたかどうかはわからない。上司が善意と思ってやったことが、知らず知らずに病状を悪化させていたこと、これも責めるべきものではないと思う。また、患者側も自らの気分が変わったきっかけについて、自覚していないということもあるだろう。もちろん患者に聞いたわけでもない。だが、病状の経過をずっと見てきた私が感じたのは、単なる偶然とは思えないタイミングの良さだったのである。
2005.06.22:
ドタバタの原因は四半期決算と、それ加えてISO 9000にからんでの監査が近づいているためである。
あのISO
9000、そして最近では環境問題に関するISO
14000というのは猛烈に手間がかかる。とにかくやっていることをすべて紙の証拠として残せというのである。何かペーパーレスの時代に逆行する感じがしてならない。
2005.06.21:
ちょっとドタバタしていて、日記をゆっくり考える暇がない。
しかし、靖国問題で日韓会談は不成功に終わったことから、この問題の焦点についてシリーズで考えたいと思う。お待ち願いたい。
2005.06.19:
今日は「父の日」。
とはいえ、ウチの息子は以前からそんな話はどこ吹く風、午前は部活で、午後は友人を家に呼んでゲームに興じていた。
そもそもがそういう気遣いはこれっぽちもない息子のこと、先日の修学旅行の土産が関の山で、「母の日」でさえ無視である。ま、歴史的にも男とはそういうものであるらしい。
もっとも、私の若い頃は「父の日」などは重要視されていなかったし、私自身も親父に対して「ご苦労様」という気持ちの余裕が出てきたのは息子が生まれてから、亡くなる数年前のことであった。
2005.06.18:
JR福知山線の尼崎−宝塚間、明日の初発から再開である。
とりあえずはATS−Pの設置とスピード制限で当面はしのぐつもりらしい。しかし先行きにはどうも不安が残る。私が考える懸念は2つある。
ひとつは安全よりも金儲け優先の経営陣の体質である。国会でも「利益第一」のスローガンを引っ込めるとは言わなかったこと。もうひとつは来年には制限速度の引き上げを考えているからである。
だが、当面の緊急課題として、早く手をつけるべきことがあるはず。被害者の救済とマンション住民に対する補償はもちろんだが、乗務員に対する非人間的扱い、とりわけ「日勤教育」や、私服の監視員が運転席の後ろで「スパイ行為」などは即刻廃止すべきだ。
設備と同時に社員が安心して仕事に集中できる環境を作らずして、本当の安全が確保できるわけがない。
2005.06.17:
今の事務所でキナ臭い話が飛び交っている。「分社化」である。
聞こえはいいが、「子会社」と違って「お前らで勝手にやれ。食えなきゃ潰れろ」という宣言である。過去の経験からいうと、分社化されたところは業績の悪いところばかりで、切り捨ての口実であることは明らかである。
手口としては、まず分社した直後は労働条件の変更ができないが、しばらくしてから賃下げなどで利益を確保、それでも売り上げも利益も回復しなければ倒産させる、という目論見である。
もしも本体企業の中ならば、そこだけ労働条件を変えるような真似は出来ない。業績連動に変えても無茶はできない。しかし「別会社」、それも本体からの出向でないならば首切りでも何でも好きなようにできるというわけである。
これで目先の利益は確保できるという算段なのだろうが、将来的には自滅の道を進んでいるとしか思えない。特に若者が将来分社化で先行きどうなるかわからないような会社に入ろうという意欲が落ちることは、火を見るよりも明らかだろうからである。
2005.06.15:
30日リンク切れなしの連続運転と書いたが、何のことはない、今日帰宅してログを見たら午後にリンク切れを起こしていることが判った。こんなことなら書かなきゃ良かった(苦笑)
2005.06.14:
ADSLの連続運転時間が30日、すなわち720時間を突破した。新記録である。それも1.5Mに対してリンク速度はずっと1.1〜1.2Mを確保しており、今までとはかなり環境が違っている気がする。
ひとつだけ心配なのはIPアドレスが変わらないことによるセキュリティーの確保だが、ルーターの能力を信じるしかないだろう。
この新記録がどこまで続くか、気になるところである。
2005.06.12:
掲示板、それもQ&A系のもので、時折見るのが通称「教えてクン」と呼ばれる自分に都合のいいことだけを得ようとする人。
これは人生相談などでも増える傾向があるらしく、とにかく現状の観察と分析は抜きにして、ひたすら自分が求める回答だけが欲しいということを前面に出すのである。例えば「子供が学校に行かないので何とかしたい」という質問なら、子供が行かない理由をどう言っているのか、今はどうしているのか、行かなくなったきっかけはどんなことが考えられるのかをまず回答者は聞く。それは問題点の洗い出しと、つまずいている点を親子一緒に考えてもらうためには必要なプロセスである。しかし質問者の中には「そんなことはどうでもいいんです。どうすべきかだけ教えてください」と回答を拒否する場合があるらしい。
しかしこれでは正しい解答は得られない。現状と事実の分析なしに何かの策を練っても、それがうまくいくという保証はないからである。
昔ある殺人の罪を犯した起こした問題少年について、事件の以前に両親が児童相談所に行ったとき、元教師の相談員は「とにかく何でも言うことを聞いてあげなさい」としか指示しなかったという。こちらは逆に、回答する側が正しい分析を行わなかったために起きた悲劇である。
2005.06.10:
新札が発行されてから半年、最近は旧札にほとんどお目にかからなくなった。それに比べて500円の方は時折旧硬貨を手にすることがある。流通を積極的に進めるかどうかの差なのかもしれない、と勝手に思っている。
お札でいつも思うのは、アメリカのドル紙幣の紛らわしさ。金額の違いに関係なく緑の色調であることもサイズも全く同じで、見分けるのに苦労する。暗闇でタクシー料金を払うときは間違いやすい。酔っていたら尚更だ。
しかし彼らはあまり頓着がないようだ。欧米ではスーパーでのちょっとした買い物でもカードで支払うのが常識化しているためで、空港の両替窓口で多くの日本人が並んでいる風景は変に見える。
そう言えば、最近はトラベラーズチェックも使うチャンスが少なくなった。
2005.06.09:
サッカーのワールドカップ、日本が本大会出場を決めた。観客がいないちょっと変な試合だったが、苦労しながらも後半途中で1点、そして終了直前の得点は見事だった。精一杯頑張った自力出場だけに選手たちも喜んでいる。日本のサッカーは本当に世界の仲間入りできるレベルに達したのだと思う。
いい試合が出来たそんな中、2点目直後の北朝鮮選手の暴力には呆れた。フェアプレーの精神に反した醜い態度であるというだけでなく、日本の勝利に対するねたみを露骨に表したものだったとしかいえず、喜びに水を指したものとなった。「だから北朝鮮は・・・」とは言わないが、国のイメージを損なったことは間違いない。
勝ったほうも負けたほうも爽やか、それがスポーツを観戦する最大の楽しみなのである。
2005.06.08:
先々日に梅雨入りが近い話を書いたが、通勤電車の車窓からは水を満々と張った田圃が目に付いた。やはりそういう季節なのである。
私は都会育ちだから、季節に対する感覚は弱い。しかし親父の実家へ行ったり、六甲の麓に住んだりすること、あるいは今日のように風景の変化を知ることで四季を感じるようになった。
単調な会社と自宅の往復だけではわからない、季節の変化を見ると、ストレスがスッと体から抜けるような思いになる。
2005.06.07:
会社帰りに、飲み友達のT氏と居酒屋に立ち寄った。月に1〜2回は誘っている間柄だ。
彼はどちらかというと古いタイプの技術屋で、図面を見てそれが作り易いものであるかどうかをじっくり検討する。当然のごとくCADは使えないしPCのレベルはどう贔屓目に見ても低い。だが彼はものづくりを良く知っているのでメーカーはほぼ彼の思い通りのものを作ってくれるのである。当然それは価格に影響する。コストを下げるには買い叩きでなく、図面に工夫がいるのである。若者はそれを知らずにCADで好き勝手な図面を書き、メーカーから「そんな図面では無理」と言われると、「なぜうちの言うとおりに作らないのか」とむくれる。
例えば溶接した後の部品に対して機械加工をする場合、高い精度を求めたりしてはいけない。溶接のひずみは一定しないし、時間が経つにつれて溶接部分のゆがみが拡大することもあるからである。どうしても精度が必要な場合は熱風炉に入れてひずみを完全に取り去る必要がある。もちろんその分金はかかる。CADで溶接記号と仕上げ記号を自由に書けても、それが実現できるかどうかは別問題なのである。
それはT氏のように経験を積み、何度も失敗を繰り返して身につくものである。
そんな話から、「電車の運転も同じことだろうな」と二人で合意した。加速と減速の技術は、運転席の椅子にかかる加速度を尻で受け、次第に体で覚えるものなのであって、マニュアルと「日勤教育」で身につくものではない。
2005.06.06:
入梅が近づいてきているようだ。台風も南海で力強い動きをしている。
5月のカラッとした陽気から、少し湿度が上がって汗ばむ感じになってきた。気温も30度にまで上がってきた。明日もこんな調子らしい。
そろそろ冷房の試運転も始まるだろう。そういえば官庁ではノーネクタイの省エネ運動を盛んに宣伝している。ウチの会社は本社ビル以外は皆作業服やリラックスした格好が常識で、私も数年間ネクタイを締めた時期があった以外は、ずっと平服である。そもそもが製造業だからスーツにネクタイ姿はまったく似合わない。
首相を初めとする閣僚は贅沢な服を新調しているようだが、我々庶民はカジュアルな服を何着も持てるような給料は貰っていない。
2005.06.05:
息子のマシンが動かないというので見に行ったら、確かに画面が真っ黒。だが本体は動いている。これはディスプレイがイカレたかと思い、私のものに繋ぎ変えてみたら、ちゃんと表示はする。というわけでディスプレイが逝ってしまったように一瞬思えた。
しかしもう一度眺めてみたら、ディスプレイの電源ランプは点いている。こういう場合の可能性としてはブラウン管の偏向コイルを駆動している高圧電源の故障が考えられる。ブラウン管の最大の弱点である。
だが最後の悪あがきということで画面の設定ボタンを押したら、何と設定用の窓が表示されるではないか。ということは故障ではない。結局明るさとコントラストを調整しただけで解決してしまった。
現象から考えて、今朝息子がマシンを起動した以前に設定がおかしくなったという結論になる。しかし前夜から突如として真っ黒になるような設定に変わるというのは、ちょっと考えにくい。
ひょっとしたらヨメハンが何か余計なことをしたということも考えられるが、どうせ聞いても正直に答えるような性格ではないから、それはやめにした。
2005.06.03:
最近席が変わって、向かいにはちょうど子育て真っ最中の女性が座っている。私は一応彼女の「上司」という役割である。だからといっていちいち細かい指示など出さない。仕事はある程度ルーチン化されているので、ややこしいことを頼む必要などないのである。
長い前置きはさておき、今日は彼女と私とが連続してズッコケをやらかした話である。
まず彼女が「ひゃー」とかいう声を上げた。Excelファイルの印刷をする際に、相手に見せたくない列を削除し、印刷が終わった直後に「上書き」ボタンを押したのである。当然削除されたデータは戻らない。
こういう場合は列を「表示しない」にすれば良かったのだが、今更そんなことを言っても戻らない。合掌。
ところが続いて私が「あちゃー」との声を出した。
私もExcelの編集をやっていたのだが、前日の編集の続きをやろうとしてファイルを開けた途端目を剥いた。前日の編集結果が保存されていなかったのである。約半日のロスで、やり直しである。
普段仕事で使うExcelファイルは3つくらいあり、いつもそれらを同時に編集することが多い。だから一括して閉じるときに「すべて変更」をやって保存するのだが、その時だけはなぜか「保存しない」にしてしまったようである。おまけにその時の手順の記憶がまったくない。
というわけで、わたしもまた合掌。ショボン(;_:)
2005.06.02:
「通知領域」が何故か元に戻っている。
よう判らんXPSP2だこと。
2005.06.01:
DVDドライブを交換してから1ヶ月、どうやら三度目の正直で動作がやっと安定したようだ。
ただ、「通知領域」のインジケータの異常だけはまだ治らない。まあ、致命的でないから我慢するか。