悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

04.01


2004.01.29:

左上の歯を抜いたが、もろくなっていたために4つくらいにバラバラになってしまった。現在麻酔が効いているので口の左側は痺れてうまく動かない。医者から涎に気を付けるよう注意された。
赤ん坊並みである。

2004.01.28:

息子が通う中学でちょっとした講演をすることになった。テーマは「働くこと」で、身近な人からどんな仕事をしていてどんな楽しいことや苦労したことがあるのかを話して欲しいというものである。
私はこういう話にすぐ手を挙げる方である。もっとも、酒の席で経験談を語ることはあっても、人前で改めて話をするのは初めてであるが。
どんなことを語るか、今頭にあるのは「日本の常識、世界の非常識」である。当然中学生にそのままをぶつけても理解してもらえない。だが海外から日本を観るという視点は大切だから、その点はやさしく語らねばなるまい。それと、ちょっとだけ英語の何たるか、受験英語ではない生きた英語はどんなものかというさわりの部分は語ろうと思う。

2004.01.27:

歯の話が続く。
実は左上にも欠けた歯があって、今度はそれを治療にかかったのだが、キャップをかぶせるための整形をしようとグラインダをかけたのにさらにボロボロと欠けが進行してしまい、もはや土台としての用をなさなくなった。
結論的にこれも抜歯することに。愕然・・・

2004.01.26:

今朝のJRの騒ぎのあおりを受けて、電車が30分遅れた。飛び込みなどではなかったのだが、ダイヤの乱れは夜も続いていた。
原因は夜っぴて飲んだ挙句に淀川鉄橋を歩いたという大学生。しかしここで「今の若者は・・・」などと言う気はない。泥酔してヨレヨレになった中年も見られたものではないからである。
若者に苦言をというなら、夕方どうしても仕事が残って行けない旨の電話を歯科医院に掛けたら、受付の若いオネエチャンから「痛みはありませんか」と聞かれて、思わず椅子から転げ落ちそうになったことにクレームした方がマシだろう。

2004.01.25:

昨日突然上司から「ヘルプ」の電話があって、今日は半日ばかり出勤した。何故SOSを出したのかというと、彼のまた上の上司から金曜日に「月曜までに改善案を持って来い」と言われて、そのための資料が私にしか権限のないサーバーのデータを使う必要が生じたからである。
こういう休みを潰させるような指示は「下請法違反」である。そう言ったら彼は苦笑していた。

2004.01.23:

欠けて腐っていた歯を抜いた。虫歯が片方だけ侵食して縦割れしたような状態になり、小さくなった片足は腐って神経を刺激したのである。その腐った片足は槍の先みたいになって残っていた。このままでは歯ぐきからさらに下顎骨にまで炎症が進行し、骨膜炎を起こして大変なことになる、と歯医者に脅かされ、ノミとペンチで引っこ抜かれることに相成ったわけである。麻酔はかかっているが、今夜は少し痛むだろう。
残ったもう一方の足は抜かなかった。多分バランスが崩れるからだろうと想像する。

2004.01.22:

猛烈な寒さである。バスを待っている間などは耳が痛くなるくらいだ。明日も寒さは続くようだが、幸いにして積雪、道路の凍結はない。逆に「社長出勤」できないのが残念だが(笑)

2004.01.20:

久々に新種のウィルスが拡大中との情報があった。名前は「WORM_BAGLE.A」(トレンドマイクロの命名)。
対策ソフト各社は早速新しいデータファイルを出している。
ウィルスと言えば、先日ある工場の情シス担当者と話をする機会があって、ウィルスデータの更新とWindows Updateの重要性について語っていたら「オタク」と言われてしまった。
ウチの会社のような大きなところでは、セキュリティー専門の担当者以外は強力なファイアーウォールで守られた「温室育ち」だから認識が薄いのかもしれない。だが、家庭でPCを使うことを考えると、人を「オタク」呼ばわりするようなそういう認識では困るのだが。

2004.01.19:

会社の掲示板で、詐欺に注意するようとのお触れが出ていた。
簡単に言うと、主人が出勤して不在の奥さんだけ在宅の家に「○○警察ですが、ご主人が交通事故を起こされて被害者に示談金を渡す必要がある。至急弁護士の口座に金を振り込んでください」と、電話が入ったのである。奥さんは一瞬パニックになり、どうしようとうろたえたが、「オレオレ詐欺」の話をふと思い出し、警察と主人に連絡して嘘とわかった。
それと、後で犯人から振込み確認の電話があったそうで、「今警察にいる。残念でした。」と言うと何も言わずに切れたとのこと。何とまあ厚かましい犯人だ。
要するに「オレオレ詐欺」の変形だが、こんな手口もあるものかと妙に感心した。

2004.01.18:

16日夜から18日にかけて多くの方からアクセスをいただいた。
特に「好きです神戸」というサイトに貼られた拙HPのリンクを通じてこられた方が圧倒的だった。管理者のMASAYOさん並びにここを訪問された方々にお礼申し上げたい。
そもそものきっかけは、ここの「神戸の街から」のコーナーにある「しあわせ運べるように」のオルゴール曲が気に入られたMASAYOさんがぜひリンクしたいとの希望であった。リンク後、時折のアクセスはあったが、今回のように大量のアクセスは初めてである。何故かは良くわからない。

2004.01.17:

黙祷。。。
今朝は5時46分直前に起きて祈りを捧げた。
あれから9年、私自身も激しい揺れとその後の光景は思い出すものの、過ぎ去った以後の日々のことは次第に遠のくようになった。だからといって震災の事実は消せるわけでもないのだが。
現在神戸市の人口の約1/4が、震災後に生まれたり転入してきた人達だという。そういう意味では記憶の風化が進んでいると言えるだろう。人間の脳の機能としても過去の記憶を消し去る作用がある。だから全てのことを忘れるなというわけにはいかない。しかし大切なこと、防災、ボランティア、亡くなられた方々との楽しい日々、それらを少しでもいいから未来へ繋いでいくことが震災経験者としての義務だと考える。
犠牲者の方々の上に、また彼らから受け継いだ夢と希望を抱いて人々は生きるだろう。そんな思いを私は、第二次大戦中を生きた米作家サローヤンの言葉でいつも括ることにしている。
Love is immortal.

2004.01.15:

昨夜遅く、突如歯の痛みが襲ってきた。さあ眠れない。とりあえず鎮痛剤で誤魔化そうとしたが簡単には収まらず、寝不足になった。
もうどうにもならないので、朝一番から歯医者に飛び込んで治療を受けた。
原因は右下の歯が数ヶ月前に虫歯で一部欠けたのだが、そこへ雑菌が入り込んで炎症を起こしてしまったのである。早く治療に行けばよかったのに、歯医者はどうも嫌いで避けていたのがいけなかった。
抗生物質で化膿を防ぎ、数日後に抜歯する予定。
反省・・・

2004.01.14:

会社での雑談のとき、ある人が年末の大掃除で蛍光灯を壊したという話をした。1万円もするインバータ蛍光灯で、奥さんがむくれたらしい。
本人は呑気に「何で壊れたのか判らない」と言うので、電気屋である私は現象を聞き、そして驚くべきことを知った。何と蛍光灯の灯具部分をホースで水をかけて洗ったというのである。
インバータでなくても中には安定器やグロー管が入っている。ましてインバータならプリント板が入っている。それを水洗いし、十分に乾かないまま取り付けて(つまり電源に繋いで)テストをしたら蛍光灯が付かなくなったというものである。
これでは壊れて当然、半導体は一瞬にしてパンクしただろう。そのあたり当人はまったく自覚がなかったようで、私の話を聞いて納得した。
ちなみに電気が通るものを洗ってしまうケースで最も多いのは、ケータイ、ポケット電卓をシャツと一緒に洗濯機に入れてしまうことだろう。これを救済する方法としては、完全に分解して、電池以外は綺麗な水で丁寧に洗い、天日干しの後にドライヤで残った水分をブロー(熱をかけないこと)、さらに1日ほど自然乾燥させることである。
これで組み立て直して正常に動けばラッキーである。だが過大な期待は禁物、さらに電卓よりもケータイの方が生還率は低いことを肝に銘じよう。

2004.01.13:

西宮戎神社での一番乗りをめぐってちょっとしたいざこざがあったが、ちょっとだけコメントしておきたい。
最大のポイントは、若い消防士を一番乗りにするために同僚が両手を拡げて他の参加者を妨害したことである。
TV録画を見た人達が消防署にクレームしたことから騒ぎが大きくなり、当の消防士は一番乗りを返上、同僚も妨害の事実を認めた。こういうことになった原因の伏線は、昨年彼が一番乗り「レース」の途中で転倒、惜しくも一位を逃したこと。
明らかにこういう妨害行為はフェアプレーに反する。だが、最も肝心なことはこの行為に対する処理の仕方である。まず「一番乗り」の消防士はマスコミでの騒ぎを聞いて一番乗りを自主的に返上した。さらに神社側は「レースではなく神事なので繰り上げ一番乗りを認めることはしない」と、これまた冷静な処置をした。
私はこのことにフェアプレーの精神、民主主義の本来のあり方を感じる。間違ったら素直に認め謝罪する。また競争をエスカレートさせるようなことはしない。ここに爽やかさを感じるのである。
ただひとつだけわけがわからないのは、消防局が彼とその同僚に「口頭注意」をしたことである。彼らは自らの力で誤りを認め、是正したのである。それ以上の官僚的ペナルティーは不要であり有害だ。

2004.01.12:

会社からメールがきた。「今日は休むのですか?」と。
一瞬何のことかと思ったが、ちょっとしばらく考えていたら、理由に気付いた。
元々、年度が始まる直前に1年分の出勤カレンダーが決まるのだが、それが夏休み前に突然変更になり、今日は出勤日の扱いとなっていたのである。しかし私の手持ちのカード式カレンダーは当初社員に配られたのもので、変更されたものは印刷されなかったのである。それが原因で、私は今日が休みと信じていたのだ。
で、今更出社する気もないので、休むことを伝えておしまいになった。
一旦決めた出勤カレンダーを、「操業調整」と称して年度途中で突然変えるからこんなことになる。朝令暮改はやめてもらいたい。

2004.01.11:

今日は会社OBとの新年会。もちろん私のことだからエライ人はいない。
今回は何といっても現役組が抱える定昇廃止問題が話題の中心。しかしOB側も年金問題を抱えているので、どちらが有利だなどという比較論は問題にならない。互いに近況報告と将来の展望を語り合う。
来年は私が幹事を勤めることとなった。

2004.01.08:

この頃、仕事に対する意欲が落ちてきていることを自覚するようになった。直接の原因は勿論会社が提案している定昇廃止案で、私の賃金が大幅ダウンすることにある。とにかく40代後半からの賃下げ幅はものすごく、中高年は怒りまくっているし、若者も今後の昇給が期待できないとあって、不満が渦巻いているのである。
多少のことには動じない私でも、さすがに今回だけは湧き上がる怒りの持って行き所に苦労しており、本気で会社を辞めようかという想いが何度も頭を掠める。こんなことは初めてで、私自身も気持ちをどうコントロールしたらいいのか、戸惑いがある。
当然酒の量が増え、血糖値が上昇して医者からはクレームがついている。だが、まだ賃下げの話でストレスがきついことは話していない。医者に話しても恐らく実感が湧かないだろう。
ヨメハンにもまだ話していない。会社と労組の隔たりは大きく、いきなり会社案をそのまま話しても、まともには受け取ってもらえない、というか危機感だけを鵜呑みにして、うろたえる姿が目に見えるからである。
さすがに今回だけは御用組合でも会社案を丸呑みするつもりはないようだ。もし簡単にOKしてしまったら、自分たちの首が飛びかねない、そういう危機感が組合幹部を動かしているようだ。

2004.01.06:

駅から会社まで行くバスのルートが変わった。幹線道路から駅前までの直通道路が完成したからである。これで駅から若干遠回りになっていたものが、停留所を2箇所バイパスしたので数分短くなった。
ただし駅前のロータリーはまだ完成していないので、駅舎を出てから臨時のバス停まで少々歩くことになる。ロータリーが出来たら一般車やタクシーが入れるようになる。便利になるだろう。だが、周辺に店ができるような雰囲気はない。というか、線路の反対側にある古びた商店街はこれまたまったく変わらないままである。駅が改装されたらコンビニなどが入ったビルなどが建てられるものだが、昨今の景気では売上は期待できない可能性が高く、出店を尻込みしているのだろう。仕方がないと言えるが侘しい話だ。

2004.01.04:

正月休みが終って、明日から出社となる。
例年なら初出勤は休暇にしているのだが、今年は「のぞみシステム」初の年越しで、明日が年末データの最終インプット締切日、そのためのサポートが必要なので仕方なく出勤するのである。
以前にも書いたと思うが、私が仕事始めの出勤を嫌うのは建物が休みの間に冷え切って寒いこと、おまけにその寒い中で1時間近く社長と重役の年頭挨拶(ビデオ)を聞かされるからである。それも「今年もよろしく」というのではなくて、「経営が苦しい」だの、「生き残り」だのとくどくどと述べた後で「もっと働け」という結論が毎年出てくる仕組みなのである。それは景気が良かろうと悪かろうと同じで、悪ければ「赤字を何とかしろ」となるし、良くても「先行きは不透明だから油断するな」となる。
何十年もこういうセリフを聞かされていると、今年の社長挨拶の筋書きが読めてくる。それほど陳腐化しているから聞く気にならない。おまけにどうせ社内誌に掲載されるから、ビデオを見る必要などまったくないのだ。

2004.01.02:

実家に年賀の挨拶。いつものことなのだが、今回ふと思ったことがある。
母ももう80をとっくに過ぎて、歩くことが次第に辛くなっていくようだ。針治療に通っているが、年齢の関係で悪化を食い止めるのが精一杯、治っていくことはあり得ない。
良く考えると歩けること、すなわち寝たきりにならないことがいかに「家族孝行」であることを痛感させられる。世間で聞く寝たきり老人の介護がいかに大変か、ましてや徘徊が始まるともう家族がヘトヘトにさせられるのである。
そのことと比較するとウチは何とありがたいことだろうと思う。とはいえ、気丈な母もいつ何があるかわからない。ある日突然・・・ということも考えられる。
ただ、こういう不安はもし福祉が充実していれば少なくて済む。サッチャー政権が福祉予算を削ったとされるイギリスでも「ゆりかごから墓場まで」の福祉の理念はまだ死んでいない。それに対してわが国では「寝たきりになったらどうしよう」という背後霊が庶民の背中に張り付いたまま離れてくれない。

2004.01.01:

この日記をご覧頂いている皆様、明けましておめでとうございます。本年も我慢して悪餓鬼の戯言にお付き合い下さい。