悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
04.12
2004.12.31:
いよいよ2004年もあとわずか、ここで私の個人的な重大ニュースをまとめておこう。
とにかく今年は私にとっても予想外のことばかり。
−息子の学校で海外取引の話を講演。そして秋に息子は私の職場で仕事の真似事
−糖尿病が改善せず、遂にインシュリン注射を開始。そのために生まれて初めての入院を体験
−折角スタートした「のぞみシステムが」分社化で分割の憂き目に
まさに今年はハプニングの連続で始まり、バタバタと終った。
年齢とともに1年が過ぎるのを早く感じるようになったのだが、今年は特に早かった。
さて、今日は朝からみぞれか雪という天気で、六甲の山を見ると少しづつ薄化粧をしているのがわかった。それだけ気温が下がっているということだが、今夜はなお一層冷え込むことだろう。となると積雪の元旦を迎えることになるかも知れない。生まれてこの方、元旦の雪は記憶がない。またもや異例ずくめの年になることを示唆しているのだろうか。
それでは皆様、良いお年を。
2004.12.30:
新年まであと30時間を既に切った。
今年は本当に災害続きの日々だったように思う。専門家によればここしばらくは地震が連続して起こる可能性が高い、すなわちプレートの圧力が強まっていて地殻が安定するまでエネルギーが放出され続けるということだそうだ。だがそれに対する人間の対応力はまだまだ弱い。
地震と同時に異常気象も目立つが、これも人間の身勝手が優先されていて対策は遅れている。最も腹立たしいのはエネルギー消費量の激しいアメリカが京都議定書にそっぽを向いていることである。軍事、経済ほか、あらゆる面で孤立を強めるアメリカ。このままでは尻尾を振る日本政府を除いて世界中から白眼視され、ローマ帝国のように一気に崩壊することも考えられる。そうなったらアメリカ国民は悲劇だ。
一方のこの日本、大企業を中心とした企業収益は増えているが、国民の負担は増えるばかりで消費が伸びない。神戸でも震災後の高層ビル群が次々と完成しているが、入っているテナントは少なく、入ってもすぐ閉店するケースが目立つ。こういう現状に対して、国民の側はもと怒らなくてはいけないと思う。現状はどちらかというと国民攻撃に対して「不服従」という感じがするが、これももう限界ではないだろうか?
2004.12.29:
昨日で今年の仕事納め。
仕事が終ってから居酒屋で気炎を上げ、へべれけになって帰宅。そして今日は爆睡した。
残すところあと数日の今年だが、10月の中越地震に次いでインドネシアの巨大地震と津波。大変な事態になっている。
今日の時点で死者は48,000人、インドネシアでもスマトラ島は未開のジャングルの多い地域だから情報が入らず、これからもまだ判明する被害が増えることは間違いないだろう。
さらに悲惨なのはインドネシア以外の各国で被害が広がっていること。スリランカやタイでは「津波って何?」という認識だったから、津波に対する警戒心は皆無、それが被害を大きくしているひとつの原因でもある。
地震防災については日本が世界の最先端を走っているはずだが、救助隊の派遣とともに、こういう分野での貢献はもっと積極的にやっていいだろう。自衛隊の派遣よりももっと喜ばれるはずだ。
2004.12.27:
決算を機に原価として残ってしまうデータ(専門的には「未計上原価」と呼ぶ)を抽出するプログラムを作った。
部内では今まで要望が強かったのだが、私の他には誰も手出しできる人間もおらず、不満がくすぶっていた。
Business
Objectを使ってのデータ処理だが、私自身も初めてのこととはいえ、困っている人達の声を黙って見過ごすのもできかねていた。結果として、初体験のSQL関数にまで手を出し、かなりの時間をかけながらも完成することができた。
新しいことに手を出すのは本当に疲れる。しかし、もしその結果が他人に喜ばれるのなら苦労のし甲斐がある。働くことの本当の喜びはそうしたところにある。
2004.12.26:
ぶっちょJさんより、ルミナリエの最終日は今日であるとの指摘を受けた。お詫びとともに訂正させていただく。
それにしても私の涙腺がゆるくなっている理由は何だろう? どう考えてもわからない。しかしひとつだけ言えることはある。
あの恐怖の揺れを体験した者にとって、生きるか死ぬかの瀬戸際に追いやられた心境は筆舌し難いものがあるということだ。そしていくばくかの人たちは無理矢理冥土へ追いやられたのである。それを思うと、生き残った者は故人の魂をねぎらい、思いをはせ、その遺志を受け継ぐ十字架を負わされているのように感じる。ルミナリエを見た瞬間、その十字架が蘇ったとも言えよう。
中越地震の被災者も同じような恐怖を味わったに違いない。もちろん人によって感じ方は違うだろうが、生き残ったという事実に対して、どの顔も「生き残ってよかった」と単純に喜んでいるものはひとつもないということだ。
2004.12.25:
昨日の朝はこの冬の初霜。やっと本格的な冬の始まりだ。
そして神戸の冬を象徴する「ルミナリエ」も今日が最終日。
今日、親しい仲間うちでの忘年会だったのだが、早く終ってしまって時間があり余ることになったので、初めてその「ルミナリエ」を見物した。
最終日ながらも元町駅の西側から並んで約1時間でたどり着いたのだが、光の回廊と流れる音楽を聴いていると何故か涙が滲んできた。どうしてこうなるのだろうか?
2004.12.23:
子供のケータイ、AUにした。理由は「ガク割」の存在である。
ヨメハンはどうやら将来も使う気がないらしく、私もプリペイドで使える分よりもかなり余る状態なので、店員も敢えて家族割引を勧めなかった。
それにしても息子は最初、機種の選定で超豪華なタイプを望んだ。海外対応+着うたもステレオなどと、開いた口が塞がらなかった。ちょうど彼の友達も相談相手として来ていて、「お前にはゼイタクすぎる」と反対され、もう少し機能の低いものに決めることとなった。最初からハードの代金は自分持ちと宣告していたのに、どうも金の話は無神経というか無知きわまりない。ヤレヤレ・・・
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今年も残り10日を切って、TVは特番をやるようになった。しかしどれひとつとして見る気にはならない。私としては相も変わらずPCと戯れる日々だが、ちょっと手すきになったので久しぶりにデータのバックアップをやった。
これから年末にかけてはCD、DVDへの焼付け作業が続きそうだ。ついでに見終わっていない映画をMedia
Playerでゆっくり鑑賞しようかと考えている。
2004.12.22:
四半期決算も佳境に入ったが、明日は会社の出勤日。
しかし私は断固として国民の休日は休むことにしている。いつ頃からかは忘れたが、会社は年間カレンダーの設定に際して世間の常識からはずれて夏休みを増やす代償として国民の休日や土曜日に出勤させる手口をずっと続けている。
ある意味では長期の連続休暇を設定できるので評判は悪くないのだが、時短と言う観点からは逆行している。私が入社して以来、年間労働日はほとんど減っていない。一日当たりの所定労働時間を含めて、年間総労働時間は絶対に削減したくないのである。労組から削減申し入れをしても、これだけは絶対に譲らない。
しかし家族が行楽に出掛けたりするのを横目で睨みながら休日に出勤するのは精神衛生上非常に悪い。従って私は年休を敢えて使って休むことを習慣にしたのである。
明日はいよいよ子供の携帯電話を選ぶことになる。
2004.12.21:
今日は冬至。
この頃は日出と電車が須磨の海岸を走る時間と合致し、綺麗な朝日が生駒・和泉山系から昇るのを窓から見ることもある。明の明星を見ながら家を出、澄み切った冬の六甲の冷たい空気を吸いながら出勤するのは、何となくすがすがしい。
清少納言は「春は曙」と書いたが、何となく「冬も曙」という雰囲気が感じられる今日この頃である。
2004.12.20:
仕事が終って、夕方のNHKラジオ番組を聞いていたら、「しあわせ運べるように」の作者である臼井真さんがゲスト出演していた。話はもちろんこの曲のことである。
心の中の苦しさを吐き出すように作ったというこの曲、今では台湾やイランにまで伝えられている。もちろん新潟でも歌われている。これだけ広まってしまうと、聞いていて本当に自分が作ったものなのか疑ってしまうこともあるという。
臼井さんは今でも小学校の音楽の先生を勤めている。ボソッとした喋り口で、何か恥かしそうな感じの声だった。
私が「しあわせ運べるように」に衝撃を感じたのは、「亡くなった方々」という歌詞に含まれている言葉である。恐らく歌詞として使われたことは今までなかっただろう。震災の犠牲者に対する明確な表現として、哀悼と同時に生き残った者としての決意を非常にストレートな気持ちで出していると感じた。その思いは我々も引き継がねばならないだろう。
ラジオの臼井さんへのインタビューを帰りの会社のバスの中で聞いていたのだが、流れる子供たちのコーラスの声に涙がにじんできた。恥かしいのでずっと窓の方を向いているしかなかった。そしてバスを降りて駅のホームへ向かう途中も、下を向きながら歩いた。
2004.12.18:
息子がケータイを持ちたいと前から言っていたのだが、遂にヨメハンもOKしてしまったので、機種選定と加入サービスの選択に付き合うことになった。正確に言えば、「使い放題にならないように監視する」という目付け役ということだが。
手綱をどこで引き締めるか、緩めるかの線引きは難しい。しかしそういう判断をするためには基本的なことを伝えないと親の意図は伝わらない。そこで携帯電話の現状と業界の戦略、特に「金を使わせろ」という傾向について、息子に簡単な説明をしておいた。限度のない射幸心がどういう結果をもたらすかを知らせないと、禁止するだけでは反発されるだけだからである。
要は「携帯電話」が「ケータイ」にならないためにはどうするか、ということに尽きる。
2004.12.17:
大阪市で「カラ残業」というのが問題になっている。要するに実際は残業していないのに勤務書類には残業が付けられているということである。毎日系列がこの問題について大キャンペーンを張っている。
賃金を少し水増しして手厚くしてやろうという悪しき慣習だったのだろう。違法行為であることは明白だ。
これを聞いた多くのサラリーマン諸氏は「俺たちがサービス残業で給料を減らされているのに、あいつらはムシが良すぎる!」と思われるだろう。
もちろん違法行為は絶対に許すべきではない。貴重な税金を浪費する話には大いに怒ろう。だが同時にこれは民間で働くものにとって目くらましの役割も果たす。怒りの瞬間は自分のサービス残業を忘れるからである。
だから我々は同時にこういう声を会社に対して上げるべきである。
「カラ残業反対! サービス残業反対! 奪われた賃金と家庭団欒の時間を返せ!」
2004.12.15:
横田さんの遺骨問題で北朝鮮がものを言ったと思ったら、「政治的作り話」と「反論」してきた。「夫が妻以外の骨を渡すわけがない」という論拠だが、それでは状況証拠にはなっても科学的根拠にはなり得ない。だからこそ日本側はDNA鑑定までやって確実を期したのである。もし疑問があるなら日朝以外の第三国の医療機関で再検査でもしてもらうべきではないか。
相手の間違いをきちんと指摘したいのならそれなりの明確な材料を用意してからでも遅くないはずなのに、途中を飛ばして「宣戦布告」だと激昂するのは「ご乱心」としか言いようがない。
遺骨がめぐみさんのものであるかどうかの事実を争っているのだから、事実で決着が付けられるべきだ。なのに、そこから目をそらした発言をするということは、冷静な交渉を拒否したと受け取られても止むを得まい。経済制裁を視野に入れることは不可避だ。
今まで政府と同じくずっと慎重だった共産党も、遂に経済制裁を考慮すべきとの見解を口にした。国民世論もそういう方向が主流になるだろう。北朝鮮が日本に対して悪罵を投げつけることを止めない限り、その流れは絶対に止まらない。
私も、制裁の具体化は慎重であるべきとは思うが、挑発に乗らないかたちでの発動はあってもかまわないと思う。
2004.12.13:
四半期決算になってから、次の決算までの時間があっという間に過ぎる感じがする。今月末も決算だ。
そのための「のぞみシステム」を使った資料作りが今日から本格的に始まった。あ〜、いやだいやだ。
2004.12.12:
金曜の夜は1回目の忘年会でしこたま飲んで店で寝てしまい、帰るときに起こされる始末だった。電車で寝過ごすようなことはなかったが、朦朧としながらの帰宅だった。
翌日は同僚の親父さんの葬儀。その時に以前電車で寝過ごして山科にまで行ってしまったことが持ち出されてしまったが、今回はそんなことはなかたと、否定するのに必死だった。この話はずっとたたるようだ。
この週末はのんびりというか、どちらかというと怠惰な日々だった。
2004.12.09:
ダイエットの「王道」:4
外食で最も困るのはカロリーの見当がつかないこと。
それでも、最近はファミリーレストランの一部でカロリー表示をするところが出てきた。これは非常にありがたい。しかしありがたいのはいいが、総じてカロリーは高く、私のように常時数値を気にしなければならない者にとってはメニューの選択の幅は狭い。とにかく10単位を超えるものがほとんどだから。
外食を乗り切る場合、一人とか家族だとカロリーの低いものを選択するようにしているが、仕事での付き合い、特に出張などで会食する場合は目立つのを避ける意味でも注射量を増やして乗り切っている。ただ、普通の人でダイエットをやりたい人は注射で調節するなどという方法は取れないので、そこは一時的なものとして我慢するしかないだろう。健康なのだから、常時高カロリーでない限り食欲を抑制してストレスを招くような無理はしないことだ。そこのところの度が過ぎると過食症や拒食症に陥る。それと高カロリーかつ大盛のメニューを選択しておいて、意図的に食わないというのも店に対して失礼だ。女性に多いが、「私はカロリーを抑えています」との意思表示のつもりでわざと食べ残すのを見かけるが、私から見たらイヤミでしかないし、「もったいない!」と言いたくなる。
話は戻って、外食の時になるべくカロリーオーバーにならないメニューの選択方法を書いておこう・・・と思ったら、長くなりそうなので次回に回すことにした。
2004.12.08:
拉致された横田めぐみさんの遺骨とされるものが、偽物と判断されたようだ。呆れてものが言えない。
個人的には、もはやこれまでという感じだ。今後の協議はこちらから拒否するようなことはしなくても、経済制裁を真剣に考える時期に来たと思う。もちろん世論がどう動くかによって決めるべき問題だが。
それにしても何故ここまでして嘘とごまかしを何度も続けるのだろうか?
これも私の見解だが、北朝鮮の工作機関が暴走して好き勝手にやっているのではないかと思う。そして政府はこれを止める力もないし、また今までの数え切れない非道を反省し、やめさせる意思もないように見える。つまり拉致について口先では誤りと認めるが、関係者の処罰を含めた再発防止策を取ることはしたくない。したくないどころか、工作機関はそのまま温存させたいという意図があるのではないか。
しかしこれでは国際的な支持は絶対得られないだろう。どんな国であれ、人権を無視する行為は許されない。
日本政府は当面人道支援の残り分を凍結するつもりだ。とりあえずはそれでいいだろう。その先は国民の議論が必要だ。
2004.12.07:
ダイエットの「王道」:3
実際の私の平日の食事の例はこうだ。
朝:食パン1枚、市販ヨーグルト1カップ、ゆで卵1個、ジャム少々
昼:会社提供の定食−山菜の酢の物、モヤシいため少々、れんjこん煮1切、さやえんどう、さごしの南蛮漬1/6尾、小ご飯の半分
夜:ご飯50g程度、わかめと豆腐の味噌汁1杯、白菜煮、焼きサンマ1尾
間食:ビスケット2〜3枚
朝は毎日これだから5単位。昼は日によって違うが、おかず5単位+ご飯1単位。夜はこのケースだと6単位くらいだが、おかずは大抵味噌汁、野菜の煮付け、肉または魚の3品で、時としては7単位に思えることもある。
夜のカロリーは曖昧だが、幸いにして昼の定食はカロリー表示がされており、おかずを全部食べるかどうかの目安になるので非常に助かる。本当は定食以外にうどん、ラーメン、カレーライスなども選択できるのだが、定食以外のカロリーは軽く10単位を超えており、量をセーブすることも可能だが栄養の面で定食が有利と考え、今まで手を出したことはない。
ところで休日の家での昼食は圧倒的にラーメンが多いのだが、栄養が偏ることを避けるため、生卵1個を入れるようにしている。スープはほとんど飲まない。気を付けないと味噌味のスープのようにカロリーが結構高いものもある。
さて、ひとつだけ問題が残っている。それは外食の場合である。宴会で夜に飲むときは最初から注射量を多めにしておくのだが、カロリーが非常にわかりにくい突如の外食は判断に苦しむ。カロリーの概算についてはどの栄養学の本も苦労しており、誤差の範囲を広く取らざるを得ないのが実状である。従って注射量をどう決めるか、どのようなメニューが適切かはいつも悩みの種となる。
次回は外食についての考え方、おすすめメニューなどを書く。
2004.12.06:
ダイエットの「王道」:2
さて、私のカロリーバランスだが、実のところ「4群点数法」によって食べているのではない。むしろ朝・昼・夜3食のバランスを優先して考えているのである。何故そうなるかと言うと、朝はパン食でずっと通しているし、昼は会社の定食、夜はヨメハンの言うがまま(文句をつけようものならむくれられる)で、栄養のバランスは既に折込済み、なすがままの状態になっているからである。要するに選択肢はほとんどない。
だが言っておくが、決して偏食にはなっていない。
私の場合、3食のバランスは5・6・7のトータル18単位プラス間食の2〜3単位である。もちろんこれはあくまで目安であっていちいち計算しているわけではない。糖尿病が発覚した直後は数ヶ月に亘って食べたものを計りにかけ、食品成分表でカロリーを計算するプログラムを作った。これで9Kg減量した。それが今献立を見て目分量でカロリーを計算できるようになった原点となっている。
ではそれで栄養のバランスが充分と考えられるのは何故か。そのあたりは明日にする。
今日はもう眠い。月曜日はいつもこうだ。
2004.12.05:
新札を手にして気付いたこと。
視覚障害者用の識別マーク、以前よりも判りやすいようにと千円が横棒、五千円が丸印、一万円がL字になっている。以前に比べて少し進歩したような印象を受ける。
ただ、これはあくまで健常者である私が判断しているので、本当は障害者の意見を聞かねばなるまい。ただ、ひとつだけ気になったのが、インクの浮き出た感じが数字部分と同じ程度なので、識別マークと両方触らないと違いを最終的に確認できないこと。便利なようだが面倒かも知れない。
2004.12.04:
ダイエットの「王道」:1
先月末予告したように、ちょっとしたシリーズを書く。内容は、最近「サプリメント食品」を売らんがための宣伝も絡んで滅茶苦茶になっているダイエットの知識、厳密に言うと栄養学の基本に立ち返る話である。
糖尿病が発覚してから約20年、太らない、カロリーを摂り過ぎないようにしてきた(あくまで「つもり」だが)中で、何が一番大切だったのか振り返ると、結局「トータルとしてのカロリーを制御すること」、そして「持続性」だったように思う。「カテキン」がどうのとか、「コラーゲンが肌に大切」とかいう瑣末な話は、毎日のバランス良い偏食のない食事を心がければ気にする必要なんかまったくないのである。「こんにゃくダイエット」などと称して、逆に偏食の典型のようなことをしても意味はない。一生こんにゃくだけを食べていられるか、できるわけがない。だから精神的に負担のない、持続できる食事でないとダイエットを本当に実行できないのである。
そのためには栄養学の基礎知識、特に3大栄養素である糖質、たんぱく質、脂質のバランスの摂り方を知る必要が出てくる。
本当は、ダイエットを本気でやるならば運動をどうするかという問題を考える必要があるが、私としてサボってきた経緯と、今では長時間通勤で毎日運動をやれるような環境ではないために、今回は端折らせていただく。ただ、カロリーは「出」と「入」のバランスの上に成り立つものだということだけは指摘しておく。
ところで、栄養学の基本を知る上で読むべき書籍を紹介しておこう。
まずは旧科学技術庁(現厚生労働省)が出している『五訂食品成分表』が上げられる。ただ、これはあまりに数値だけのオンパレードになるので、私のような糖尿病患者向けのものとして「日本糖尿病学会」が出している「糖尿病食事療法のための食品交換表・第6版」が出ている。患者でなくても80Kcalを「1単位」とする考え方は一般の人にもわかりやすいだろう。
ただ実際のダイエットの実行には、女子栄養大学出版部による「五訂食品80kcal成分表」をお薦めする。女子栄養大は3大栄養素とは異なる「4群点数法」という食品をより実践的に選択するための分類法を用いており、私も食事を見てカロリーを判断する方法としてこれを使っている。具体的には、
第1群:乳製品
第2群:肉類・豆類
第3群:野菜・芋・果物
第4群:穀物・砂糖・油脂
となるのだが、これらのバランスをどう摂っていくかというのがポイントである。
超簡単な例でいうと、一日20単位の場合、1〜4群を3・3・3・11のバランスで食べるのである。ビタミンやミネラルなどについてはそれなりに考える必要があるが、偏食をしない限り日常の食事をちゃんと摂れば不足することはあるまい。今の「健康ブーム」は個々の特殊な成分の効果を針小棒大に取り上げるが、かえって混乱させる元凶になっているのである。
次回は私のカロリーバランスを紹介する。
2004.12.03:
先月息子がウチの会社に来たが、その成果についての発表会があった。全部で約60個所の事業所に赴いた生徒たちが順に報告をするのだが、数が多いので持ち時間は1ヶ所につき約1分。仕事の内容と感想を簡単に喋っただけで終った。
しかしこれでも子供達には充分だという。
校長や毎年生徒を受け入れている会社の担当者と後で懇談したところよると、息子が通う中学の質は高いとのこと。
まず、全員が壇上に立って発表するので、私語が非常に少ない。もし代表だけになると、参加しない生徒は「自分に関係ない」と、最初から無視するという。さらに驚いたのは、発表会を見に来ている親同志で勝手に私語を交わしている場合もあるというのだ。
それから、発表はPowePointで作ったものをスクリーンに映して行なう。もちろん初心者だから簡単なものだ。だがそれでもグラデーションを使った文字とか、画像の回転とかを使って工夫している。何とこれがPowerPointを教えられる先生が40〜50分指導しただけだという。
さて発表の内容だが、私の息子を含めて仕事というのもがどんなものかという理解は甚だ乏しいものだった。唯一、幼稚園・保育園に行った女子生徒の数組だけが生き生きとした感想を述べていた。
こうして見ていると、今の子供は仕事とはどんなものかという実感が非常に薄い。それは「セブンイレブン」で疲れ切った親の顔しか見ていないこともあるだろう。一部を除いて、大人が一生懸命働く姿を見たことが殆どないためと思われる。私には、小さい時から外界との接触が非常に狭くさせられた環境で育つからではないかと思われて仕方がない。
今回、子供達に経験させたものは「総合学習」の一環だそうだが、仕事のほんのさわりを垣間見たり、PCの使い方、大勢の前で発表することなど、あれやこれや学校としてもカリキュラム作りに頭を悩ませたようだ。偶然だろうが、中学でのこのような行事は7年前、すなわち「酒鬼薔薇」少年が事件を起こした年から始まった。確かに生きていることの証し、あるいは自分の人生の意味を気付かせるひとつのきっかけとなれば幸いだろう。私の子供の頃はそんな特別な行事を組まなくても自然と身についた。それはまた、「金八先生」のように教師が引き金の役割をした時代からも、さらに現実離れが子供たちの環境の中で進行していることを示しているのではないか。
2004.12.02:
月末データの処理と私が管理している掲示板の更新、そして会議と慌しい日が過ぎた。加えて「のぞみシステム解体プロジェクト」の準備が始まろうとしている。
それにしても後向きの仕事は辛いし気が進まない。酒でも飲んで早く寝よっと!(をいをい、糖尿病患者の言うことかい)
2004.12.01:
朝の寒さがしみるようになってきた。
毎朝、今の季節は夜明け前に家を出ることになる。今日のような快晴だと、放射冷却で冷え切った薄暗い空の下を歩くのは辛い。これで寒波になると耳が痺れるようになる。
そろそろパッチを穿かねばなるまい。