悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
04.02
2004.02.29:
実家の母が入院しているのだが、医者から呼び出しがあったので行ってきた。
病名は「白内障」ということで、今は眼内レンズを埋め込むだけの簡単なもの。通院での手術も可能だが、両眼に手を付けるし、年齢のこともあり、入院となったのである。
さて、呼び出したのは眼科医ではなかった。以前大腸がんの摘出を行なった外科医である。あれ??・・・いやな予感がした。
医者と面談するとこういうことだった。左肩甲骨の下に腫れ物が出来ており、これをどうするかという相談だった。本人も交えて話を聞くと、2年前にこの腫れ物が見つかり、経過を見ていたが、CTでの所見では殆ど大きさは変わらず、かつ拡散しているような影もないので、神経に出来た良性腫瘍と考えてよかろうとの診断である。
医者としては摘出してもかまわないが、ひょっとして神経に障害が残る可能性もあるのでやや躊躇していると、正直に述べた。本人にどうする?と聞いたら、「あたしゃもう年だし、このままでもいいよ」との返事。
「しかし苦しんで死ぬのもしんどいよ」と私。
話し合いの末、そのまま放置ということになったが、三者とも至極冷静というか、「まあ、そんあもんやろ」という実にあっけらかんとしたものだった。
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オウムを生み出したもの・5
震災後のオウムの発言について情報をいただいた。「『地震兵器』も開発中だ」というものである。
やはり彼らが謀略集団だったことをさらに裏付けるものである。
それにしても疑問は深まる。よしんば麻原が自己の権力欲を満たすために策を弄したとしても、何故多くの若者が彼の言葉にハマったかである。25日にも書いたが、昔なら通用しなかったことが今は簡単に通じる。麻原逮捕後も新しい「信者」がわずかだがいる、そのことに今の社会が持つ病理といえるものが存在する恐ろしさを感じるのである。
その昔との違いは何か。「今の若者は・・・」では済まされない、今の若者が育っている環境に大きな問題があると考えざるを得ない。一言で言うならば、社会に対する実像と虚像の見分けがつきにくくなっているということだろうか。
詳細は次回へ。
2004.02.28:
プリンタを新品と交換した。
インクジェットを飛ばしているプリントヘッドがおかしくなって、黒インクだけがかすれるのである。ヘッドクリーニングを繰り返しても解決しない。PCショップへ行ったら、最近のCANON
BJはヘッドの寿命が短いため、消耗品扱いになっているという。しかし値段が5千円もするのでは買う気にならず、いきおい新品を買うことに決めた。
それで買ったのはEPSON
PX-V600。安物ではあるが、同等のCANONと比較して、たまにはEPSONもいいだろうと思い、これにした。
自宅で使っていた歴代プリンタは、
NEC
PC-PR406M
CANON BJ-10
CANON BJ-15v Pro
CANON
BJ-F360
と、ここ最近はずっとCANONだった。
通常の.doc、.pdf、.htmだとどちらのプリンタでもそんなに変わらない発色である。しかし音も振動も昔にくらべて猛烈に静かになっている。息子用のCANON
BJ-S700もそうだが、これほど技術が進化しているとは思わなかった。
さて、ひとつだけ気になるのは、インクカートリッジがいつまで製造されるかだ。NECの熱転写リボンは捜すのに苦労した思い出がある。EPSONは顔料を使っているが、この技術の寿命がいつまでもつか、気がかりではある。
2004.02.27:
オウムを生み出したもの・4
やはり死刑判決が出た。死刑制度の是非はともかく、最高刑に値するということは誰もが認めるだろう。
判決後、弁護団はすぐに控訴した。しかしである。麻原は弁護団と何度もトラブルを起こし、現在の国選弁護団は降りるという。恐らくここまで無責任で自分勝手な被告にてこずったことと思う。自分のことなのに、他人事なのだから。でも麻原としては精一杯の抵抗なのだろう。世間が同情するかどうかは別として。
それにしても、彼の本音はどこかで聞けないものだろうか?
彼自身には背負った責任を負ってもらわねばならない。しかし二度と彼のような人物を生み出さないためにも、社会として教訓を引き出さないと再び同じような人物が出てくる恐れがある。彼のような極端な自己中心主義、それとそんな彼に易々と従った連中の心理と生い立ちを解明する必要がある。
その本筋の部分は明日以降に触れることにする。
2004.02.26:
オウムを生み出したもの・3
判決を前にして、警察は少なくとも言葉の上でオウム対する甘さを認めた。「宗教」という隠れ蓑に、捜査を躊躇したことも明らかにした。
昔から警察は金バッジと衣に弱い。同列には扱えないが、創価学会とか統一教会に対する数々の疑惑にも非常に消極的であった。それはオウムについても言えた。特に坂本弁護士事件では顕著だった。部屋にはオウムのバッジが落ちていたにもかかわらず、捜査を怠ったために手遅れになった。
宗教であるかないかに関わらず、実態をきちんと把握しないと犯罪は食い止められない。昨日に書いたこととともに、警察の弱腰もオウムの暗躍を許した原因のひとつとして考えられる。
2004.02.25:
オウムを生み出したもの・2
40年前だったらオウムのような現実離れした話は一笑に付されただろう。なおかつ職を捨て、日々の生活の糧を失うなどということは考えられなかった。
今でも、聖職の世界へ入るにはそれ相当の覚悟がいるし、俗世界に生きながら宗教のためにお金を割くことも勇気がいる。
しかしオウムは、宗教を装って個人の全財産を巻き上げ、奴隷労働に駆り立てたのである。得た金は麻原と一部幹部による「世界支配」の野望に使われた。
オウムが派手な活動をしていた頃、「マハーポーシャ」というブランドのPCがオウムで作られていた。奴隷労働だから価格は極端に安い。
それで得た金で教祖は選挙にまで出た。そこには浄財を貴重に使うという観点はない。やがて彼らは、自分たちの野望の障害になるものは力づくででも排除してもかまわないという錯覚に陥る。それが数々の犯罪を生んだ元になったのである。
金をふんだんに持った幹部と、「マインド・コントロール」され、唯々諾々と従う一般信者、という異様な構図がオウムにはあった。この無責任のかたまりのような構図こそが、暴走するオウムを生み出したひとつの原因なのではないか、そう私は思うのである。
2004.02.23:
オウムを生み出したもの・1
今週末にオウムの麻原教祖の1審判決が出る。これを機会に、オウム事件の教訓を考えてみようと思う。
マスコミが喜ぶ事件の異様な経過ではない。オウムを生み出した社会背景は何か、また二度とこのようなテロ集団を生み出さないための手段をどう構築するのか、それが主眼である。
まず前提として、オウムは宗教、それも「カルト宗教」とも呼べる集団ではないということである。この認識から出発しないと、彼らの特異性は理解できない。
宗教とは、悩みや心の安らぎを求める人達を導くものである。
原始社会では自然現象を説明し、科学的な見方の基礎を作った。もう一方で、先進的な知識を利用して、人々を支配もした。それがやがて「宗教は阿片だ」とも呼ばれる、抑圧社会を手助けする時代を経て、やがて近代には心の拠り所を求めるものとしての役割が主流となったのである。残念ながら、一部には政治の上に宗教を置く、時代に逆行する動きもあるが。
だがオウムはそういう宗教としての動きも戒律もなかった。以前の日記にも書いたような記憶があるが、いちばん印象に残っているのは、阪神大震災のとき、彼らは被災者に対して何らボランティア的な活動もせず、また慰めの言葉すら与えなかった。
そこには、同じ人間としての同情心も連帯感もなかった。私には、そこが宗教とは決定的な違いを感じるのである。
2004.02.22:
中学生を相手に私のやっている仕事の話をした。・・・と、胸を張って言いたいところだが、予定していた原稿の半分も話せなかった。
持ち時間が25分と、あまりにも短すぎた。本当は、ハリーポッターに出てくるヨーロッパ文化の「さわり」の部分も入れるつもりでいたが、どうにもならなかった。
それでも子供たちは眠らずに聞いてくれたが、ちょっとだけ気になることがあった。
ひとつは必死でメモを取ること。多分先生の指導なのだろうが、話を聞くことを優先させる方が良かったのではないかと思う。
もうひとつは、一度講堂に生徒を集めるのだが、講師陣(私を含めて8名)が入退場する時に黙祷させることであった。お盆の精霊送りじゃあるまいし、拍手で出迎えるのが礼儀ではないだろうか。このあたり、学校の感覚はよく理解できない。
ともあれ講演会は無事終了した。ところで、私はベテラン職人みたいな人が出てくるものと思っていたが、不思議なことに、理髪店の一人を除いてホワイトカラーが主流。また、モノづくりに関わっているのは私ひとりだけだった。
2004.02.21:
飲み会の連荘で、日記が少し途切れた。
片方は定年退職する人の送別会、もうひとつは出入のメーカーの接待である。このメーカーはフランス資本で、めっぽううまい日本語を話すフランス人駐在員を置いている。メールも日本語で書けるからハンパではない。このレベルだと、根っからの日本好きである。
ぶしつけだが、あなたは平均的フランス人ではなくなっているのでは、と尋ねたら、正直に「そうだ」との答えが返ってきた。まだ20代なのだが、この先日本に骨を埋めるかどうか思案中とのことである。
私はこういうキャラが好きである。語学は大した能力があるわけではないが、私もどちらかというと平均的日本人からややはみ出したキャラである。但し、中途半端のところはあるかも知れない。
会社でもそうだが、私はフェアでオープン、そして本音で語ることを基本姿勢としている。だから外人には好かれる。それが本音と建前を使い分けるようなタイプの日本人には信じられないようで、上司も同僚も不思議がる。
人間のことだから、これからまた性格が変わるかもしれないが、嘘とごまかしだけは避けたいと思っている。
2004.02.18:
中学生に講義するための原稿がほぼ出来上がった。書き直しを繰り返した後の第三版である。
学校から生徒が聞きたいことについてのヒントを貰った。それを見ると、やはり「常識・非常識」に興味があるようだ。
中には、英語で外国との交渉をやることに「何か資格がいりますか」という質問をした子供がいたらしい。若者が就職難で資格にばかり目が行くのを反映しているようだ。
もちろん資格なんかいるわけがない。強いて挙げるとすれば「度胸」だろう。
2004.02.17:
歯の治療の前半戦が終った。とにかく2本も抜いたのでとてつもなく時間がかかる。まずは右下の欠けたところにブリッジをした。
このまま歯並びが落ち着くまで時間をおき、次回は月末から後半戦に入る。
それにしても、毎日15分くらいづつしか治療に時間をかけないのは何故なのだろう?
2004.02.16:
最近「ケータイを持ったサル」という本を読んだ。著者は動物学者で、サルの生態を研究しているのだが、最近の若者を見ていると特にコミュニケーションの取り方がサルに近くなっている、つまい退化しているのではないかというのである。
サル社会は人間とは違い、厳密には「社会」ではなくて「家族」だそうである。家族だと赤の他人とのような複雑な会話は不要で、いわば鳴き声のようなもので十分間に合うそうである。
それと私の目を引いたのは、家にひきこもるのと、外でも他人を無視する態度とは同質であると論じているところだ。
つまり他人との接触を避ける点では、片方は家から出ず、他方は外へ出ても自分だけの世界を確保してあたかも他人がそこにいないような振舞いをするのも、同じことだと結論付けている。他人を寄せ付けないという点は私が感じていたものと同じである。
ではなぜそういう傾向が強く出てきたのか、著者は母親とのべったりとした関係を指摘しているが、私はまだそのような結論を引き出すまでには至っていない。著者は社会的な背景を主に見ているようだが、政治的、経済的側面をもう少し掘り下げてはいいのではないかと思っている。
2004.02.14:
春一番が吹いたそうだ。確かに朝は暖かったが、午後から次第に風が強くなり、夕方にはにわか雨が降った。
春一番が吹くとき、時として自宅マンションのコンクリート壁がべっとりと露点する。それまでの寒さで冷え切った建物を湿った温かい風が横切る時、温度差が激しいとそういう現象が起こる。今年はまったく発生しなかったが。
2004.02.12:
昨日学校に行って、子供たちに話す内容についての簡単な打ち合わせをした。
世話役の先生曰く、最近の子供は働くことを非常に甘く見ているという。詳細は聞かなかったが、親が働いている姿を身近に見たことがない、職がなければフリーターで、みたいな感覚が今から準備されているのかも知れない。
今から原稿を準備することになる。30分弱だからかなり話を端折らねばならないだろう。難儀しそうだ。
2004.02.10:
冬山登山をしていて、悪天候のために下山できなくなっていたた関西学院のワンゲル部員14名が、一人の犠牲者を出すこともなく無事救助された。記者会見では、見通しの甘さを述べ、明確に謝罪した。
その反省の弁や良しである。
特に未経験な山行が最初の原因であることを素直に認めていることは、事実の認識という面で彼らの今後につながる体験として活かされることを期待したい。
学校側も詳細な報告書を提出させるという。
できれば、この報告書で真の教訓を明らかにすることに主眼を置き、安易な処分をしないこと望みたい。
それともうひとつ。今回は携帯電話の真価が発揮されたケースとして特筆すべきだろう。
2004.02.09:
遂に陸上自衛隊の本体がイラクに入った。彼らの身がどうなるか不明だが、ひたすらアメリカ貢献に突っ走る与党の思惑に翻弄され、危険な場所で働くことに同情せざるを得ない。
ニュースで高い借地料がどうだとか、羊を贈ったことなどあれこれ派生的なことを報道しているが、日本の行動がイラクの人たちにとってどうなのか、また世界が日本をどう見るのかが問われているのだから、そこに焦点を当てるべきだ。
2004.02.07:
TVニュースで時々わけのわからないインタビューをやっていることがある。
それは、一般の自衛隊員にイラク派遣に対しての意見を求めたり、幹部が不祥事を起こした会社の一般社員に「どう思いますか」と聞いたりしていることである。
一体何を意図しているのか不明だし、答えようがない質問をすることが何の役に立つのか。一般の自衛隊員は命令されればそれに従うしかない。また幹部がやったことを知らされているはずもない一般社員が、下手な物言いをして自分が不利な立場に追い込まれることを好むはずもない。つまり答えが返ってこないことなど初めからわかりきっているのである。さらに言えば、彼らはコメントする立場にないし、責任もない。
そのことを知って質問するのは、ただの野次馬根性であり、まともなジャーナリズムのやることではない。ツッコミを入れるならば、防衛庁長官であり、不祥事を起こした会社幹部である。相手を間違えてはいけない。
昨年成立した「個人情報保護法」に対して、マスコミは一応反対はしたが大規模なキャンペーンを張るところまではいかなかった。体質的に権力とかスポンサーに弱いからだろう。逆に視聴率を社員に捏造させるほどの「視聴率至上主義」になっている経営体質こそ問題だ。「やらせ」が根絶しないことや、妙チクリンなインタビューは、「目立つことをやれば喜ばれるだろう」という同じ根で結ばれている。
2004.02.06:
近鉄バッファローズの球団名を売却する話、遂に球団側はブーイングの嵐に負けて白紙撤回した。妥当な決断だろう。
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サポート系の掲示板を見ていると、「初心者なので簡単に、わかりやすく説明してください」という書き込みを時々見る。
物事を学ぶときにはどうしても基礎知識がいる。またたとえ基礎知識はなくともそこにたどり着くまでの本人の努力と姿勢がないと、教える方はどこからアプローチすれば良いか判らないのである。
「何をどうしたらいいのか」という質問はいいが、一番困るのは「ここまで自分で調べたけれど、その先でつまづいている」という表明がまったくなく、使っているPCの型番とかWindowsのバージョンすら書かない、知らないもの。つまり自ら学ぶという前向きな姿勢が欠けていて、すべて人任せ、誰かが手取り足取り教えてくれるだろうという「甘え」が丸見えのケースである。おまけに「初心者」という言葉を免罪符にしている。
今日職場のPC1台のサポートをしたが、所有している本人が、「PCとは図書館みたいなものだな」と、珍しく殊勝な言葉を口にした。本人はどちらかというと先入観が強くて説明にてこずるタイプであるが、冷静な観察眼には感心した。なるほど、図書館で入口の新聞や新刊だけに目を奪われていてはその奥深さはわからない。色々調べているうちに自分の好きな分野を発見し、利用する幅を広げていく楽しさはPCと共通している。
久しぶりに爽やかな発言を聞いた。
2004.02.04:
近鉄バッファローズの球団名を売却したいという話が物議をかもしている。
野球協約に違反するというルール破りの問題だけでなく、球団の経営とか経営者のあり方が問われていると言っていいだろう。そもそもの発端は球団が極秘でスポンサーを探していたのをマスコミに嗅ぎつけられた。それで仕方なく球団名の売却方針を公表したという。
プロ野球であろうと経営が苦しくてはどうにもならない、それはどこの球団でも同じだし、不況で苦しいのは同情できる。だから違う旧財閥系間でもなりふりかまわず合併するし、何でもありという状態にはある。
だが今回のいきさつを見ていると、自分の球団のこと「のみ」に目が向けられていて、周囲に対する配慮、相談がまったく欠けているように思えてならない。例として、スポンサーに声をかけると同時にコミッショナーあたりに他球団の意向を伺うことをしなかったのか、そういう疑問が生じる。
資本主義だから会社がどういう方針を取ろうと勝手だ、というのは理屈ではある。だが会社は単独では生きていけない。社員や取引先がなければ経営は続けられない。ともすれば経営者は自分がすべてを牛耳れるような錯覚を起こす。特に最近は「生き残り」を免罪符をする傾向が強いし、大企業ほどひどい。
しかし社会の中での置かれている立場を考慮しないで、儲かるか儲からないかだけを唯一の判断基準にすることは明らかに間違いだ。それは近鉄バッファローズ球団だけの問題ではない。
2004.02.03:
中学3年の子供を餓死寸前にまで追い込んだ親、そして学校も児童相談所も今一歩踏み込めない現状、そこには人間としての信頼感や助け合いといった姿勢が欠落している状況が読み取れる。
同時に、親もそうだが、自分自身をも大切にしない自暴自棄の側面も見え隠れする。
調査によれば、最近の日本の子供は自分自身をいとおしい存在だと思うことが薄れてきているという。自分が大切にできなくて他人が大切にできるわけがない。これはやはり大人の影響がもろに出ているように感じる。つまり自分の存在が家族にも、また社会にもかけがいのないものであることを実感しにくくなっているのだ。
確かにこの国には、一人が生きていくのはお前の勝手、子供を生むのも育てるのもお前の勝手、さらには年を取るのはお前の勝手、という雰囲気が強まっている感じがする。それは職場でも、地域でも、人間同士の結びつきが弱まっていることと同時に進行しているようだ。
以前私が指摘した「孤立化傾向」を裏付けるものだが、これからはもっと明確に「孤人主義」と称することにしたい。断っておくが、これはその個人が自ら選んで選択しているものではなく、そうせざるを得ない方向に誘導されているということを前提としていることを指摘しておく。
2004.02.02:
ここしばらくは社会問題について少しツッコミを入れようと思う。但しイラク問題は別でやりたい(情勢の急転があった場合は随時)。
きっかけは会社の昼食。
いつもは月曜日に出ていた肉うどんが、今日から卵焼きと昆布入りに変わった。理由はもちろんアメリカ産牛肉が入手できなくなったからである。
食料品輸入率がカロリーベースで40%、そのことは知っていたし、家庭でもノルウェー鯖、アルゼンチンイカ、メキシコ産アスパラガス、そして輸入大豆で作られた豆腐が食卓に並んでいることは百も承知だった。だから肉うどんが消えたからといって驚くこともないはずなのだが、牛丼チェーンの話だけに目を奪われていたせいか、実際に身近なところで起こると、「ああ、そうだったんだ」と急に目を丸くしてしまうのだ。
鶏肉の問題といい、輸入比率の高い食品が途切れるととんでもないことになる。
昔からコメ問題で「食糧安保」の観点が必要だと言われてきたが、まさに実感である。特に感じるのは、農産物の需給バランスが一旦崩れると簡単には調整がきかないこと。また食料品の国際市場は非常に狭い。工業製品は短期間で回復できる見込みはあるが、農産物の再生産期間は総じて長い。おまけに季節感を忘れさせるような生産方法が普及してきたから、ますます工業製品のような外観を呈するのである。これが危機感をさらに薄める。
安全性も含めて、野放しの食料輸入を何らかのかたちで歯止めをかけておかないといけない。今回のアメリカ産牛肉の検査問題も妥協すべきではない。
2004.02.01:
ドタバタしているうちに、2月になった。
先月末は寒波が襲来して寒い日が続いたが、昨日あたりからはかなり和らいできている。しかし今月にもう1回くらいは寒波が来るのではないか。そして次第に春の陽射しになっていくのだろう。と、そんな勝手な予想をしている。
そんなのどかな一日、陸上自衛隊の本体を送るセレモニーが開かれた。アメリカでは大量破壊兵器はなかったとする証言が出ているのに、相も変わらず「国際貢献」を壊れたレコードのように繰り返す。
国連決議もないのにイラクを攻撃し、加えてその理由とした大量破壊兵器の存在すらなかったという、今回の戦争の根本的な問題が世界的に問われているのである。場合によっては侵略戦争と指弾されてもやむを得ない状況になってきている。
そのことを直視しないで、ひたすら「アメリカ貢献」に突き進むことを、誰が何と言おうと危険視しないわけにはいかない。その点では首相だけでなく、マスコミもその視点が問われている。アメリカでの証言をトップ扱いしない上に、国会での強行採決を単なる「駆け引き」に解消してしまう態度は、もはやジャーナリズムの良心が完全に日本から消え去ることを意味するような気がしてならない。