悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

04.11


2004.11.30:

今年も残り1ヶ月になった。年を重ねるごとに1年が短く感じられる。子供の頃に比べてその差は歴然だ。
同じ時間なのに何故感じ方が違うのか。私流の勝手な解釈だが、子供の頃はすべての出来事が新鮮かつ初めて経験することばかりで、脳が常に忙しく働くからだろうと思っている。
大人になると「惰性」ということと、「忘れる」という作用が次第に強くなるのではないかと、これもまた私の素人考えである。
あまり細かいことを詮索しても仕方ないが、大人にも子供にも時間は止まることなく進む。
来月は久しぶりにちょっとしたシリーズものを書きたい。

2004.11.29:

夜になって友人から電話があった。PCを起動しても次々とエラーメッセージが出て、まともに起動しないという。先日から第三者を通じて噂を耳にしていたが、遂に私のところへ直接お助けコールがかかった。
OSはWindowsME。フレッツADSLでルータなしだからウィルスにやられている気がしてならない。きっかけはノートンの新しいものを入れようとして失敗してからという。ちょうどNetSkyが大量にばらまかれ始めてからと時期が一致している感じである。しかし本人にはそうは伝えていない。もちろん確証がないからであるが。
いずれにせよまともに動かないようでは救いようがない。リカバリを勧めたが、やったことがないのでわからないという。それでまず個人ファイルのバックアップができるかどうか、セーフティモードで起動できるか確かめたら、「何のこと?」とのたまう始末。「マニュアルを読んでみて」とだけ伝え、明日の結果報告を待つことになった。
最悪はバックアップもできないままリカバリだろう。レスキュー隊出動の可能性が高い。

2004.11.27:

今日はちょっと変わった数値を紹介する。
まず、下の表を見ていただきたい。
身長 体重 体脂肪率
177cm 49Kg 8.7%



これは私の7月時点での体格である。特に女性陣に断っておくが「わ〜、こんな体になりたい!」などと考えてはいけない。この数値は人間がごく普通の生活をしていく上での限界値だからである。これを超えると入院する必要がある。特に体脂肪率8.7%などというのは、もし山で遭難して食料がなくなった場合に真っ先に餓死するのが私であると理解すべきである。
この数値は私が必至なってダイエットをやった結果ではない。普段からカロリーを抑えると同時に、なおかつ無理をせずに食欲を満たす生活を20年かけて自然に得た数値である。もちろん時には飲酒もやっている。同時に私の生まれつきの体質もあるし糖尿病という特殊な条件があるので、ダイエットで簡単に得られるものでは決してないのである。

正常値 2004.08.31 2004.10.26
GOT 10〜40 28 22
GPT 5〜45 39 26
γ-GTP ♂80以下
♀30以下
22 20
総コレステロール 130〜219 239 195
HDLコレステロール ♂35〜78
♀40〜92
70 69
中性脂肪 35〜149 58 41
尿素窒素 8〜20 13.4 13.9
クレアチニン ♂0.7〜1.4
♀0.5〜1.2
1.1 0.9
HbA1C 4.3〜5.8 9.1 7.0
それでは次の表を見ていただこう。
2004.08.31というのは入院してインシュリン注射を始めた直後、そして2ヵ月後の私の血液検査の結果である。
いちばん下のHbA1Cというのは、「ヘモグロビンA1C」という1〜2ヶ月前の血糖の積分値を示す指標である。この数値のついては後でまた触れる。
GOTとGPTは肝機能を表わすものとして有名で、肝炎の患者はこの数値が跳ね上がる。1000を超えるようならば急性肝炎として即刻入院である。以前同僚が体がだるいとして病院に行った時、1000を超えていたので医者から入院を宣告されたのだが、彼は「机の上を片付けてから」と言ったら、「死にたくなかったら言うことを聞け」とそのまま病室へ直行させられた。
γ-GPTが高いのは酒飲みの象徴。肝硬変で死にたくなかったら休肝日を設けるべきである。
8月に総コレステロールが高かったのは、それまでのカロリーが高い、それも油を控えなかったせいである。しかし年齢のこともあるので高目になるのはある程度やむを得ない。
尿素窒素とクレアチニンは腎臓の機能が正常であるかどうかを確かめるもので、高ければ透析が必要になる。糖尿病の患者が糖を垂れ流しにして腎臓を痛めていないか監視するためにこの数値を調べる。
これでおわかりのように、私の体は糖尿病以外は極めて正常なことを示している。血圧は載せていないが、いつも60〜110と正常値の範囲のやや低めにあるという感じだけで、何ら問題はない。
超痩せ型でいて糖尿病というといつも驚かれるのだが、糖尿病患者に対する「太っている人が罹るもの」という先入観の何ものでもないことを強調しておく。私の場合は特に遺伝的要素がかなり強いことを示す例として理解いただきたい。
さて、再びヘモグロビンA1Cについて書いておく。
入院前、注射を始める前はこの数値が11を超えていた。かなり重症である。そのまま放っていたら合併症と腎臓に対する負担で体がガタガタになっていただろう。既に8を超えるだけでもレッドカードになる。さすがの私でもこれ以上自分自身を騙すことはできなかった。
ヘモグロビンA1Cがなかなか低くならない原因は、糖鎖(グルコース)がくっついて離れなくなったヘモグロビンであるHbA1Cが、その寿命である約3ヶ月残るためで、私のケースではごく自然な現象である。1ヶ月で1くらいづつ下がっていくのが普通で、順調に行けば来月には6くらいになっているはずだ。ただ、医者に言わせると糖尿病の患者では6前半が理想で、注射をやったまま5台まで下がると低血糖を起こしやすくなるという。
ところでHbA1Cは低ければいいというものではない。低すぎるのは「インスリノーマ」という膵臓のβ細胞の腫瘍であることも考えられる。先日の「たけしの本当は恐い家庭の医学」でインスリノーマの話をやっていたのでご存知の方もいると思う。

2004.11.26:

いよいよ「のぞみシステム」を分割する動きが本格化してきた。
本当は、なぜ分社化するのかという理由も曖昧だし、分社化で事業の建て直しが可能なのか大きな疑問が出されている。しかしそれはさておき、実務サイドでは重役の指令どおり準備作業を進めるしかない。
システムとしては共通のプログラムが走るのだが、編集・閲覧するデータの範囲を限定してしまう「壁」を作る。だが、これが意外と単純ではない。「壁」の内部同志では問題ないのだが、一部は「壁」を乗り越えての共同の仕事が存在するので、これが意外と厄介なのである。
このあたりの進行状況は「のぞみプロジェクト」の続編のコーナーを作る予定でいる。

2004.11.25:

4連休明けで出社すると、さすがに体も頭もボーっとしている。しかし現在の私は「のぞみプロジェクト」関係の保守・管理が主な仕事になっており、はっきり言って閑職である。だから机の上に溜まった書類を急いで片付けるというような必要性はほとんどなくなった。
その代わり、暇にまかせて「こういう統計が欲しい」という時に使えるツールをBusinessObjectで沢山作った。だから突然何かの統計データの作成を頼まれても、半時間もあればサッと出せるようにした。
今日も2件、そんな話が出た。だからといって「俺はこんなことができるゾ!」と皆に自慢するようなキャラを私は持っていない。

2004.11.23:

新潟中越地震から今日で1ヶ月、慰霊祭なども行なわれたようだ。
私として、今多くの言葉を費やすことは控える。これからの復興の道はまだ長いからである。

2004.11.22:

「東京からネット仲間」というのは、実はトップページに載せている「インターネットの秘密」の著者HIROMIさんをはじめとする人たちのことである。彼女達との付き合いは私がネットに出入りし始めた頃からの6年越しになる。
昨夜は関西在住のメンバーも合流して、今シーズン初めてのふぐ料理を囲んで夜遅くまで騒いだ。中には初めて顔を合わす人もいたが、昔からの知り合いのようだった。
大宴会が明けての今日、実家の母を連れて大阪の墓参り。
しかし昼食後すぐに母は「帰る」というので阪急梅田まで見送った。時計を見るとまだ1時半にもならない。そこで夕刻に飛行機で帰る予定の東京の連中と合流することにした。
というわけで、この3日間は慌しいながらも久しぶりに日頃の俗世間の煩わしさを忘れた。またそういうことを忘れさせるような仲間なのである。こういう付き合いは本当に貴重だ。

2004.11.20:

東京からネット仲間がやってきたので、希望のあった六甲の夜景を観光バスで案内した。
もう何年も山に登っていないし、夜なので風景の変化がもうひとつ判らなかった。それにしても山頂付近からの夜景ははじめてである。普段は団地から大阪湾を眺めているが、高いところから見るとまた違った感じになる。気温10℃以下でかつ少しもやがかかった夜景はもうひとつという印象だった。
東京からはるばるやって来た連中は、大阪見物に続いて神戸での夜景ということで随分忙しかったと思う。申し訳なかった。
遠方より朋来たる、亦た楽しからずや。明日は明日とて夜は大宴会。

2004.11.19:

息子が学校で骨折した。
午前中、休憩時間に階段を走り降りた際にすべってしまい、悪いことに左人差し指が手すりのコンクリートと鉄パイプの間に入って折れたという。
小学3年生の時には左中指がブランコで亀裂骨折した。よくよくついていない男である。
折れたとき、痛みはなく、逆に見た目でも折れ曲がった指を先生が引っ張って元に戻す方が痛かったという。
全治1ヶ月。風呂には入れるがテニスはしばらくお休みだ。

2004.11.17:

息子の仕事体験を見ていて思ったことがある。
中学生にこれを説明するのはやや困難かもしれないが、しかしあえて取り上げたい。息子には少しだけ話しておいた。もっともどの程度理解したかはわからないが。
それは何かというと、仕事をすることの意味について、一つは自分のやっている仕事が組織の一員としてだけではなく、わずかなものであってもそれが社会での何かの役に立っているということを認識することである。もうひとつは働くことが生活のための収入を得る手段であるということを知ることである。
特に後者は、学校でも改めて教えることをしていないのではないかと思う。親もまた認識が弱い。昨今のフリーターの増加を考えると、どうやって自分が生きていくのかを考えていない若者が多過ぎるように思えてならないのである。食えない給料のままでどうやって一生を過ごすのか、そこを考え直さないといけない。「経済的自立」をして初めて一人前なのではないか。それをぜひとも教える必要がある。
それと社会の一員として働くことと経済的自立は深く結びついている。発達した人間社会を支えるためには「社会的分業」が不可欠である。現代では一個人がすべての生活手段を生産することはできない。そこである一部分の仕事を担うためにある一定の時間を費やす。代償として、それに見合うだけの他人の生産物を賃金の形で得るわけである。
もちろん今の社会が、そういった人間社会の基本的仕組みを理想的なかたちで実現しているわけではない。だが、基本的な理解なしに社会に出ても、子羊達は右往左往するだけである。人間は、人生の意味を知らずにただ物資を消費するだけの存在ではない。

2004.11.16:

新しい千円札を初めて手にした。
前のものと比べると、グラデーションの濃淡というかメリハリが強くなっていて、ややケバい感じがする。昔の伊藤博文時代の淡い色のグラデーションをもう見ることはできないのだろう。
新しい札はここ当分早めに使うことになるだろう。対応していない自販機がまだ多いからだ。そういえば2千円札をとんと見なくなった。あれほど人気のない札は歴史上初めてではないだろうか。自販機メーカーからは完全に無視された。
新札の一方で、久しぶりに旧5百円硬貨を手にした。だがこちらは煤けて裏ぶれて見えたのだった。

2004.11.15:

私はいつも5時過ぎに起きる。会社の手配する通勤バスに間に合わせるためであることは、以前にも書いた。そして5時半頃からTVニュースを見ながら朝食を摂る。
さて、早朝のニュースにはNHKを除いてどこの民放も芸能ニュースを流す。正直なところ私には実にうざったい。朝っぱらからチャラチャラした話を聞く気にはなれない。やはり朝は国内外の政治・社会記事、天気予報くらいで十分だ。
それと、NHKでやっている金儲けのネタ紹介、これもあまり好きにはなれない。NHKが日経みたいな観点を出してどうする、というのが偽らざる感想である。
通勤途中はラジオを聞く。リラックスしながら頭を少しづつ目覚めさせるためで、フツーのサラリーマンのように日経を手にすることはしない。日経のようなニュースは出勤してからネットでヘッドラインを読むのが私流である。
非常に稀だが、朝のラジオから日記ネタが見つかることもある。

2004.11.13:

実は今週月曜日から息子がウチの会社に来ていた。先月この話にちょっと触れたが、バタバタしていたので週末にまとめて書こうと思っていたのである。
息子がいた場所は私の職場の別事務所。そもそも会社としてどこにいてもらうのがいいか迷っていたようで、結局私のところで面倒を見てくれと総務が話を振ってきたのである。
そういう話になったのは、今の工場兼事務所は鋼材を加工するのが主な仕事。「3K」の典型のような現場だから、安全上中学生を入れるわけにはいかない。だが私の机の横に座らせるのも、社外からの人の出入が多いのでこれまた難がある。それで倉庫関係の仕事をやている別事務所で書類整理のようなことをやらせることで落ち着いたのである。
当の本人はいやな顔もせず、1週間事務所のオジサン、オバサンと仲良くやっていた。私にそっと告白したが、息子はモノ作りというよりも私がどんな所で働いているのか見てみたいという好奇心で選んだという。しかし今頃の子供たちは親の仕事ぶりよりも華やかな職場に目が行くようで、その点から言うと貴重な存在かも知れない。というか夜遅くまで働く親の疲れた顔を見ると、そんなところには行きたくないという心理が働くのだろうか。それと息子は、私がPCに関して職場のリーダー的存在であることが本当かどうかも確かめたかったという。
ところで本人の弁はともかく、ウチの会社はモノ作りが中心だから、やはり心は動いたと思う。また春先に私が学校で海外プロジェクトの話をしたことも影響しているだろう。考えるに、多くの中学生たちがチャラチャラした「お店屋さん」的発想で3次産業を選ぶ傾向には、働くことの現実を見据えていない小学生のような見方があるようにも思える。働くことの苦労がそろそろ中学生でもわかってくるはずだが、「あこがれ」が強く出るのは今の労働者受難の時代とはまったくかけ離れた世界に生きているという、子供たちの現実の反映なのだろう。
ともあれ、この1週間はとにかく慌しかった。別のところにいるとはいえ、全く知らぬ顔をするわけにもいかず、あちこちに頭を下げて回った。それと、親もバタバタしていたが、息子も朝早くから私と一緒に出勤(但し早目帰らせた)するなど、普段の生活とは違うし大人ばかりの世界であることに戸惑いが若干あったようだ。4日目などは疲れて9時頃にに寝てしまったくらいだ。

2004.11.12:

最近人事異動が多いために、週一回くらいのペースで飲んでいる。
昨夜も2次会まで行って帰宅は深夜。注射の量を増やして対処しているが、医者が知ったら文句を言われそうだ。と言いつつ、来週末はネット仲間とまた飲む。
ようやるわ、ホンマ。

2004.11.10:

今週になって、気温の高い日が続いている。昼間は汗ばむくらいで、とても11月とは思えない。
新潟の被災地では多少雨が降ったりしているようだ。しかし相変わらずの強い余震がまだあり、復旧作業が遅れ気味である。幸いにして温かいので何とか持ちこたえているが、もうすぐ豪雪のシーズンになるだろうから、早く手を打たないと大変なことになる。これは阪神の時とまったく違うハンディキャップである。特に雪の重みで壊れる家が出ることは疑いなく、そうなると犠牲者が出たりしかねない。
自治体の苦労の種が増えるので悩ましいことではあるが、どうか仮設住宅の増設など解決をお願いしたい。

2004.11.09:

米軍が遂にイラクのファルージャへ総攻撃を開始した。
民間人の犠牲者が少ないことを希望する向きもあるようだが、それは無理だろう。そうでなくても今まで万を超えるイラク市民が巻き添えになっている。戦争というものはそういうものだ。だから問題なのである。
アメリカはさっさと片付けてテロリストを一掃したいようだが、市民がアメリカに対してどのような感情を持っているかを思慮しないなら、間違いなく泥沼化する。というか既に泥沼化しているものがさらに悪化すると考えていいだろう。
それとともにイラクの暫定政府の威信は完全になくなり、情勢はさらに混迷するだろう。来年の選挙など消し飛んでしまうことも予想される。
同時に自衛隊に対する風当たりも強くなるだろう。
小泉政権は徹底してアメリカに追随することに必死だが、日を追うにつれてアメリカ同様国際的な信頼を失っていくだろう。また香田さんのような犠牲者が増えていくことも考えられる。
これ以上の無用な犠牲はもう御免だ。アメリカを中心とする侵略軍の撤退、もちろん自衛隊も含めて、強く要求する。

2004.11.08:

今日もまた強い余震。一説によるとこれだけ続けば次第に馴れっこになっていて驚かなくなるというが、私の実感ではそんなことは考えられない。体が覚えたあの恐怖感は忘れようがない。
特に子供たちは敏感で、いきなり地震を思い出しておびえることがある。ウチの息子は3歳で震災を経験したが、記憶はないというが、小学生くらいだとはっきり記憶が残る。
被災地の学校が回復したようだが、彼らの心のケアをしっかりやってもらいたいものだ。

2004.11.07:

新潟中越地震は余震がなかなか治まらない。2週間過ぎても震度4、5クラスの危険は去っていない。被災者にとっては精神的苦痛がいつまでも強いだろう。次の余震で家が崩壊するかも知れないという、恐怖感が去らないからである。こういうパターンは聞いたことがない。阪神大震災では直後に震度5があったきりで、秋に少し大きめのものがあって、それでおしまいだった。
そうは言っても、当日の夜私は小さな余震ですらびくびくしていた。20分おきくらいに建物をハンマーで叩いたような音がして軽い揺れが来る。これが一晩中続いた。とてもじゃないが眠れるはずもなく、ずっと電灯を点けたままにしていた。
ところが今回は小さな揺れどころか、本格的なものが襲うからたまったものではない。道路などの復旧作業も中断するし、だいいち被災者の気持ちはいつまでも落ち着かないだろう。本当に気の毒である。
ところで10年近くなっても、地震が来ると私は一瞬身構える。最初の揺れを感じた直後、揺れが大きくなるのか、それとも大したことにはならないのか、判断をつけようとするからである。大きければ当然身を守る行動を取らねばならない。この癖は死ぬまで治らないだろう。

2004.11.04:

会社のPC、あれこれ試みたが解決せず。それどころかWindowsの回復処理をしたらMSOfficeが動かなくなってしまった。仕方なくOSを含めてリカバリせざるを得なくなった。
これで一日丸つぶれである。今月もまた何かと問題が多くなるような雰囲気である。

2004.11.02:

一難去ってまた一難。今度は会社のPCがおかしくなった。
Windows2000でCD-RW付きだが、今日良く見るとCDに割り当ててあるE:ドライブが見えない。デバイスマネージャーを見るとドライバに黄色の!マークが付いている。慌ててドライバの更新を試みるが解消しない。それも更新した直後は「正しくインストールされました」と出るのに、PCを再起動するとまたエラーになっている。
何度繰り返してもだめなので、今度はWindowsの修復インストールをするがやはりアウト。おまけにこれが災いしたのかOffice2000が動かなくなった。CDから再インストールしようとしてもCDは認識せず、裏技でとあるサーバーに入っているものにアクセスすると「インストーラが正しくありません」ときた。
泣きっ面に蜂、とはこのことを指すのか。最後はOSの再インストールになりそうだ。愕然・・・・

2004.11.01:

10月が慌しく去って11月になった。
台風やら、地震やら、あるいは私自身も自宅PCのCD-RWが壊れたり、突如虫歯の痛みに襲われたり・・・
こんな風に時間は去っていく。11月はどんな時間の過ぎ去り方をするのだろうか?