悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
04.09
2004.09.30:
9月も今日で終わりとなった。昨日の問題も含めてプログラムの手直しを行ない、明日朝に最終「テスト」データが出力される。「本番」でない理由は、ウチの部署では月末・期末の最終データの締め切りが翌月第一労働日の夜間になっているためである。
だから明日が本当の決算締め切りである。
先日も書いたが、4月の組織分裂に向けて最初の準備が始まる。手始めは組織再編と人事異動である。数人が別の事務所から移って来る。と同時に席替えをやるのだが、これが隣の会議室をつぶすなど、大がかりになる。
何も決算データ締め切りの日に席替えをしなくてもいいのに・・・
2004.09.29:
下流システムとの連携で決算の最終データを作るプログラムが走ることになった。下流の開発が1年遅れたため、初めて動く。それでテストデータが出来上がったのはいいのだが、一瞥して驚いた。一部のデータが小分けにされてものすごいレコード数になったのだ。それも経理が使うデータは名寄せされているのに、こちらが使う分だけはほったらかしという、実に人を食ったシロモノである。
情シスに聞いてみると、経理は名寄せのリクエストがあったが、我々の分は文句が出なかったという。
しかし我々には直接問い合わせもなかったし、そもそも経理だけにコメントを聞くという態度が気に食わない。担当者は「経理が文句を言わなかった」というが、経理は自分のことだけしか頭にないし、また他人の意見を聞こうというスタンスは最初からない連中である。それを知ってか知らずか、鵜呑みにする態度にはまいった。
とりあえず経理を通じてプログラムの訂正を申し入れたが、決算明けの本番データがまともに出るのか、ものすごく不安である。
2004.09.28:
昨夜は人事異動になった人達の歓送迎会。2次会まで行ったからそこそこ飲んだ。
もちろんインシュリンは多めにぶち込んだから、今朝は血糖値が上がったもののそれほどでもなかった。しかし気付いたのは、二日酔いの程度と血糖値はあまり関係がないということだ。つまり体に残ったアルデヒドの量と血糖値とは比例関係にないということである。
飲んだ後の今日は通院して薬を貰う日。二日酔いの頭を元に戻す意味もあって会社を休んだ。「病院に行く前日に酒を飲むとは何ちゅうやっちゃ」とは陰の声。
そう言えば昔の「病院へ行こう」という映画を思い出した。入院患者の男女がしこたま酒を飲んで、翌日は胃カメラを飲むという話が挿入されていた。結果は検査室がぶちまけられたアルコールの臭いで充満、医者は烈火のごとく怒る、というものである。
というわけで、私も後ろめたさを感じつつ医者と面談。結果は可もなくば不可もなし。従来どおりの治療方針となった。
2004.09.26:
やっと真の原因がわかった。CD−MRWでフォーマットするとうまくいくのである。やはり新しいドライブ側の癖のようだ。
きっかけはソフト側のプロパティーに「MRWフォーマットに対応する」というチェック項目を見つけたことだった。そこでメーカーのサポートページなどを検索していたらMRWフォーマット(マウント・レイニア)のことが書いてあり、試しにチェックを入れてフォーマットをかけたら成功したのである。
やっとこれで安心と思った。ところが・・・
最初のフォーマットは2分程度で終了するが、MRWの仕様上書き込みに必要なエリアを順次フォーマットしていくために、取り出しをかけるたびに情報更新に時間を食うことがわかったのである。これではイライラする。そこでMRWフォーマット実行後、時間はかかるが、全トラックを一発でフォーマットしてしまう旧方式を再度実行することにした。そしてわかったのが、一度MRWでフォーマットをかけると、旧フォーマットでやり直してもエラーにならないこと。
二段構えになるが、今後はこのやり方で行くことにした。
2004.09.25:
CD−RWのフォーマット、まだ悪戦苦闘中である。ソフトの再インストールまでやった。しかし不思議なことに2枚が偶然フォーマットできて、他のものは何回試みてもできないという、わけの判らない現象が出ている。
できる時、できない時でどう条件が違うのか、それすらさっぱり不明。失敗しては再度トライするという悪循環。何となく投げやりムードが漂いはじめた。
2004.09.24:
どうしたことか、新しいCD−RWのフォーマットが失敗し続けている。
700MBのLOW−SPEEDだが、「不良ディスクです」となる。考えたら昔はフォーマットできたのだが、オリジナルのCDドライブが壊れて新しいものに入れ替えて以降、初めてのフォーマットである。何が悪いのか、ソフトは変えていないからハードとの相性があるのかも知れない。
仕方がないのでいろいろテストを続けている。
CD−RWを使うのは、自宅でダウンロードした大きなファイルを会社のPCに持ち込むためである。会社のLAN回線はあまりに細く、ダウンロードに時間がかかりすぎるし、しょっちゅう回線を使っていて情シスから睨まれないようにするためである。
本当なら外部からメディアを持ち込むことは規則で禁止されているのだが、ウィルスに感染したファイルを平然とコピーするほどの馬鹿ではないので、そのあたりは慎重にやっている。
2004.09.23:
そろそろ第2四半期決算が近づいている。それで「のぞみシステム」のデータを利用した決算用資料の作成のためのツール作りに忙しい。
いわゆる「基幹系」のシステムは情シスの人間を巻き込んで大掛かりな開発を行なうが、膨大なデータを利用した周辺ツール、例えば特定の下請メーカーへの発注実績とか、月間の個人別データ処理数とかの非定型的、スポット的なデータ処理は必要な部署が手作りする。
この開発にはBusiness
Objectを使うのだが、私自身もまだ不慣れで、システムが動き始めてから1年経ってやっとデータ抽出のコツが掴めてきたという状態である。ところが私自身が担当する分だけではなく、私よりももっとひどい初心者しかいない部署からの相談や手伝いの依頼が舞い込んでくる。というのも向こうも同じく決算の準備で資料作りが必要だからだ。それで自分の机上のPCと一日中にらめっことなる。
私は基本的に「5時まで男」だから、仕事が混んでくると昼間はシャカリキでキーを叩く。目には良くないが、ディスプレーを長時間見つめることが月末まで続くのだ。
思い出したが、入院中に老眼が進んだ話、今は完全に解消した。
2004.09.21:
突然だが、苦労して作り上げた「のぞみシステム」が来年3月末で空中分解するかも知れないという話が持ち上がった。事業部の統合に合わせて開発し、どこへ配置転換になっても使えるといううたい文句だったが、その組織そのものが再び分解、その一部は分社化するという方針が出て、システムも分裂の可能性が出てきたのである。
もちろん金をかけて折角作ったシステムを停止させるわけではない。共通のデータベースは使うが分割される組織の数に合わせて、プログラムとデータベースのコピーを作ってそれぞれ独立して運営しようというものである。分割後は自由にその組織がシステムの改変を行なうことができるようになる。
ただ、分割してしまうと各組織の保守・運用費が非常に割高になることが試算でわかっており、幹部が難色を示している。それでDBは共通だがセキュリティの壁を作り、事業部を横断するようなアクセスはできないようにすることも検討中である。この場合は独自のプログラム変更は不可となる。
最終方針は今月末までに決まり、その結果は「のぞみプロジェクト」のコーナーで紹介する予定だが、開発メンバーが対立を避けながら意思統一して完成させたものを、稼動からたった1年半で挫折させてしまうのは非常に残念だ。
もちろんもったいない話なので、組織分裂後も最低2年間は使い続けるだろう。しかしその後は安い独自システムを作れという方針が出てくることは十分考えられる。それだけに私の心は重く暗い。
2004.09.20:
再びストについて書く。
世論もそうだが、多くのマスコミも選手会がストに至った経緯について理解を示している。その論拠は野球協約に基づく新規加盟球団の取り扱いについて、球団側が実質的に加盟拒否の反応をしているからである。その野球協約にはこう書かれている。
第31条(新たな参加資格の取得、または譲渡、球団保有者の変更) 新たにこの組織の参加資格を取得しようとする球団は、その球団が参加しようとする年度連盟選手権試合の行なわれる年の前年の11月30日までに実行委員会およびオーナー会議の承認を得なければならない。
すでにこの組織に参加している球団が左記の各号のいずれかに該当するときも同様とする。
ただし特別の事情がある場合は、実行委員会はこの期限を延長することができる。
(1) 売買、贈与、営業譲渡、合併等その形式を問わず、球団が有する参加資格を他に譲渡しようとするとき。
(−以下略−)
第35条(審査の手続き) 実行委員会およびオーナー会議は、球団から第31条による承認の申請のあった事項にかんし、申請を受理した日から30日以内に申請事項にたいする決定を球団に通達しなければならない。
球団はこの通達を受けた後でなければその申請事項を行なうことはできない。
これでわかるように、近鉄−オリックスの合併はこれら条文によって、さっさと認められてしまった。選手会は撤回を求めたが球団側は拒否し、それではと新規参入を早く認めろという要求に切り替えたのである。ところが球団側は新規参入については来年度以降だとかのサボリの口実を並べ立てた。合併は認めるが新規参入はいやだ、こんな閉鎖的論理が世間に通用するわけがないのである。
この点を毎日新聞の18日付社説は以下のように述べている。
カレンダーに照らし合わせてみるまでもなく、来春に間に合うだけの十分な時間はある。「公正な審査をするには、時間がない」というNPB側の言い分には協約上、説得力はない。時間があるのに1年後回しにするのは、NPB側の職務怠慢である。その結果、ストが行われるのだから、「どっちが悪い」と聞くまでもなくストの責任はNPB側にある。損害賠償など、論外の話だ。
朝日新聞もやはり同様の視点で球団側に非があるとしている。ところがひとり読売新聞だけは18日の社説で逆に選手会側を非難している。
巨人軍の親会社として言いたいことはあるのだろうが、内容についても疑問を抱かざるを得ない。
まず事実関係について誤りが2点ある。ひとつはタイトルになっている「"億万長者"のスト」である。
既に知られているように、億を超えるプレーヤーはほんの一握りである。2軍の選手には一般のサラリーマンと変わらない年俸を貰っている者もいる。それも税込み、ボールとユニホーム以外はすべて個人持ちである。そのことは論説委員も知っているはずだから(知らないとは言わせない)、これは悪意をもって書いているとしか考えられない。
次に、「今後、ストの違法性が議論されることになるだろう」としている点である。
今回のストは違法でも何でもない、既に決着済み問題である。例えば埼玉県が公開しているホームページの労働相談に関する部分には「正当であるか否かの判断の基準の一つは、争議行為の目的です。労働条件の維持や向上を目的とするものには何ら問題がないのはいうまでもありません」と、はっきり書いてある。さらに「正当な争議行為には民事・刑事免責が認められる」とも明記されている。今回のストは合併によって失業する人間の救済措置を求めるという、極めて明快かつ合法的な要求である。それを「違法スト」と強弁するのは誤りである。
付け加えて言うと、読売社説は球団合併を「球団の経営事項」として批判を許さない書き方をしているが、これは労働組合の正当な要求を制限する考え方である。先に書いたように、労働条件の維持向上が経営の専決によって阻害されるなら、それに抵抗する権利は認められるし、法的にもそのような制限は設けられていない。
このような読売社説の異様さには驚くばかりである。ナベツネの度重なる時代錯誤の発言もさることながら、読売新聞が持つ庶民敵視の体質がまたも出たという感じだ。それと、子会社を擁護したいがために暴論を書く行為は、マスコミとしてのモラルと中立・公正性を踏みにじるものと言えよう。
2004.09.18:
遂に、というかある程度予想はできたが、プロ野球選手がストに入った。
世間の多くの声は「ストはやむなし」である。両者の今までの言い分を聞いていても、まずは選手会側が「技あり」の判定を受けるのが当然だろう。これからも交渉が続くが、球団側の今の態度が続く限りは立場が逆転することはあるまい。損害賠償請求などしたら、ますます分が悪くなる。
ところで、ネットで関連記事を見ていたら、元プロ野球選手がストに好意的な意見を書く一方で、「ストライキをやっている暇などあるのだろうか」という論評を書いていた。「厳しいビジネスの世界」だからというのである。
しかし、ストをやるかやらないかの判断基準に経済状況を考慮をすることは、スト権の放棄を意味すると私は考える。
経営側にとっては、不況や競争の激化で経営数値がきびしくなった場合、労働条件の切り下げや首切りなどのリストラで乗り切ろうとすることはあり得る。だが、それはあくまで経営側の都合であって、労働側が望んだことではない。会社が潰れることは自分自身が潰れることを意味するが、多くの場合、ストにまで行き着くケースのほとんどはプロ野球と同様に労働側の言い分をまったく聞かない、逆に暴力団を雇って攻撃するなどの悪質なものが多いように思う。要するに「我々の立場も考慮して欲しい」というのがストの論理で、またそうでなければストに対する世間の理解は絶対に得られないのである。
また、経済状況の影響は失業の増大やボーナスの減少などで既に織り込まれており、その上に労働者の権利であるストを自粛するのは、殴られた後で「もっと殴ってもらっても結構です」と言っているのに等しい。
そもそも世界的に見ても、スト権に条件付き、それも経済を考慮すべきだなどという法律を持っている国は聞いたことがない。もちろん経営側の一方的意見は別の話である。
ストは労働側に与えられた、自分たちの生活手段を失うことに対する最終的な抵抗手段であり、またそのような使い方をしないと失敗する重要な権利である。
ストに対するこのような基本的理解なしに経済条項を持ち出すのはおかしな話だ。
2004.09.16:
一昨日のインシュリン注射の話で、一般には殆ど知られていないのがそのインターバル。私自身も注射を初めてやっとわかったくらいである。
インターバルの違いとは、一日に1回あるいは2回にまとめて注入するか、3食ごとにするかである。インシュリンの種類も、回数が少ない場合は1回の量が多くてゆっくり効くタイプを使い、3回打ちでは速効タイプを小分けにして使う。
何故このような使い分けをするかというと、個人の生活のリズムに合わせるためである。忙しい現役サラリーマンはどちらかというと朝夕の2回打ちを好む。もっとも、現実には職場にまで注射器を持っていく煩わしさと世間体が優先されるようだ。暴飲暴食ででっぷりと太った管理職が糖尿病でイヤイヤ注射をすることになったことを想像してみれば良い。毎日昼食前になると注射器を持って(もっとも注射器の外見はマーカーに似ている)コソコソトイレに入る姿はできれば会社に内緒にしたい。それに変なプライドが邪魔して「俺にこんな面倒なことをやらせるのか」という気分になることは充分考えられる。
しかし食事の量に合わせて臨機応変に注射量を変えていくには3回打ちがベストである。私は3回打ちをためらわなかった。1回または2回打ちは後から増減させることが困難なのである。多すぎると低血糖を起こしてしまうし、少ないからと後で補おうとしても、遅効性のものではすぐに効果が出ない。それに会社で注射を打つことにもこだわりはなかった。職場では私の糖尿病は周知の事実であるし、他人の前で注射することにも恥かしさはない。しかし仕事中に机の上に七つ道具を広げることはせず、一応トイレで注射をする。ウチの職場は社外からの出入りも多く、知らない人が「麻薬中毒患者」と誤解しないよう配慮しているからである。
2004.09.15:
プロ野球選手会を巡る先週末の球団と選手会との協議で、古田選手会会長が握手を拒否したが、これはひとつの見識であると考える。
理由は、「握手をするような状況ではないことをわかってもらうため」という古田会長の言葉が、私には極めて重く響いたからである。
球団が合併するということは1チーム分の選手が失業するということになる。自分の生き残りだけを考えれば、いかに自分が残るに値するかということをひとりだけ訴えればいい。しかし彼は選手会の会長として、球団の一方的な方針によって首を切られる選手たちを救うために努力し、加えて落ちこぼれる恐れがある人達の生活を守ることが自らの立場をも守ることになると、はっきり自覚して話し合いに臨んだのである。当然選手たちの雇用にとっては深刻な話であり、真剣な話が求められている。また雇用という問題でいえば球団と選手会の利害が対立していることは明白である。
ところが球団側はこういう利害が衝突している話であることを自覚せず、握手というなあなあの態度を示した。古田会長は瞬間にしてその甘い認識を感じ取ったのだろう。だから拒否したのである。
こういう彼の感覚は、一般企業での現在の労使交渉のありかたについて一つの疑問を投げかけたように思えた。特に、私が勤めているような「御用組合」になっているところでは、会社との交渉は馴れ合いが蔓延している。たとえ大規模なリストラであっても、労組が本気で雇用を守るために会社と真っ向から対立しているという構図は見えてこない。またスト権を後ろ楯にして粘り強く交渉するということもやらなくなって久しい。だがプロ野球の選手会は我々が忘れていた真剣な話し合いがどういうものかということを教えてくれたように思う。
もちろんスト権の乱用は慎むべきだ。しかし今の日本の労使関係を見る限り、経営側と労働側の関係はあまりにも緊張感がなく、互いに何が問題なのかを真剣に議論し合う場をなくしたままにしている。
2004.09.14:
今日、昔いた事務所の人間が仕事で来ていたが、私がインシュリン注射を始めたことを知っていることから質問攻めにあい、いろいろ説明することになった。普段持ち歩いている注射の「七つ道具」を見せ、概要を説明した。
結果、注射に対するイメージががらりと変わったという。特に携帯の血糖値計で一瞬にして血糖値を知ることができることに驚いていた。要するに、彼の頭の中は20〜30年前のままだったのである。
Windowsが当たり前の時代にDOSの話をする、いや、8ビット時代のBASICはこうだったなどと語るのと同じようなものかも知れない。
2004.09.13:
会社で糖尿病の質問をよく受けるが、正確に知っている人は少ない。
特にインシュリンが体のどこで分泌されているかを知らない。かいつまんで言うと、膵臓の中の「ランゲルハンス島」と呼ばれるβ細胞の塊がいくつもあって、そこで作られる。α細胞は消化液である膵液を作る。
普通の人は食後すぐにインシュリンが大量に生産されることで腸から吸収された糖分が分解され、肝臓や皮下脂肪に蓄積される。しかしインシュリンの出が悪い、あるいはまったく出ない人は糖がそのまま血液中を巡る。それを長期期間放置すると、白内障や腎炎などの合併症を引き起こすのである。血糖値が高いことそのものでは直接的な障害はほとんど起こらないし、自覚症状はほとんどない。あるとすればのどの渇き、小便に甘酸っぱい臭いがする程度。尿検査で見つかるのは結構進んでからである。昔、汲み取り式のトイレだったころは、臭いから「糖尿病の患者がいませんか」と回収業者に指摘されることが多かったという。
糖尿病で最も多い誤解は、「澱粉、糖分の多いものは食べてはいけない」という俗論である。糖分だけでなくカロリーの総量規制、正確なダイエット療法が必要なのだが、尿に糖が多く排出される現象だけを見て、勝手な解釈を加えるようだ。それは若い女性のでたらめダイエットと結びついている気がする。入院していた時に女性の栄養士と話をしたが、その点については深く頷いていた。TVでやっていたことがあるが、「太るから」とまともな食事を摂らず、スナック菓子とポテトチップスばかり食べる例を例を紹介していたが、これは間違いなく栄養のアンバランスを招き、ダイエットどころかカロリーオーバーになってしまう。
私はいつも強調するのだが、ダイエットの基本は「京料理」であると思う。つまりあっさりしていながら栄養のバランスのあるもの、おいしいものを少しづつ、という意味である。
2004.09.12:
今になって気付いたのだが、数日前に新しい注射器(2週間分くらいが封入されている)に変えてから薬の効き方が強くなった。確かにラベルも前のものと少し違う。それで調べてみたら、インシュリンの性質が違うことがわかった。それにしても医者はそのことを説明しなかった。
具体的にどう違うかというと、以前のものは速効型100%だが、今度は速効型30%と中間型70%を混ぜた「混合型」である。効果が早く現われて血糖値が一気に下がるか、ゆっくりと効くかの違いである。
そのあたりをネットで調べていたら、インシュリンについていろんなことが判った。
ひとつはインシュリン製剤の作り方である。昔はブタのインシュリンを使っていた。だからいくつかの副作用があったようである。それが90年代に入って全面的に遺伝子操作によるヒトインシュリン製造法に変わったのである。インシュリンの遺伝子を大腸菌に移植し、増殖させてからインシュリンのみを抽出する。これで副作用のないインシュリンが大量生産できるようになった。
さらにシリンダに封入された携帯注射器が開発されて、面倒な量の調節も必要なくなった。打つ前に目盛を動かすだけでいいのである。昔のように病院で使うような注射器とゴムバンドを使って腕に注射するという、麻薬患者と見間違えられることはない。注射器に使い捨ての針(髪の毛より細い)をねじ込み、腹の皮下脂肪をつまんで突き刺す。ほんのわずかの痛みしかない。
時代は進歩する。胃腸で吸収する方法がないため今はインシュリンの飲み薬はないが、いずれ開発されるかも知れない。そうなったら「注射はこわい」という無用な偏見は払拭されるだろう。
2004.09.11:
9/11、あれからもう3年が過ぎた。マンチェスター行きの飛行機に乗るために、アムステルダム空港のトランジットロビーで見た光景は今も覚えている。どういうことなのか、そ時点ではわけがわからなかった。そしてイギリスに入ってから知ったその惨劇・・・むごい話だった。
ニューヨークを襲撃したテロリストたちはもちろん許せない。どういう口実であろうと永久に罪は消えない。おまけに彼らはもうひとつ重大な罪を犯した。「アメリカ」という猛獣の檻を開け放った罪である。
この3年の歴史を見れば明らかなように、アメリカはアフガニスタンを攻撃し、次いでイラクを占領した。そのための口実をテロリストが与えたのではないのだろうか。
それにしてもアメリカの指導者達、またテロリストの指導者たちは何を考えているのだろう。片方はイラクで既に1000人を超える兵隊が死に、もう一方は人権無視の自爆テロをけしかける。犠牲になるのは常に名も無い市民達だ。
2004.09.09:
インシュリンの注射にもだいぶ慣れてきた。時としてチクリとすることもあるが、これはどうやら痛点を直撃しているためのようだ。
もっとも、日常生活の中に注射が自然と溶け込むまでにはもう少し時間がかかりそうだ。今はまだ食事前になると、いつ注射をすればいいか時計を見ることが多くなる。また、出された食事を見てどれくらい食べればいいか、箸を動かす前にまず目分量で測ることを意識してやっている。何回かの酒の席でもやはり量を気にしながら食べている。もちろん酒が入ることを勘定して注射量を多めにしているのだが。
こうした行為を無意識にやれるようになれば完璧といえるのだろう。
とはいえ、いちばん面倒なのが注射の前に皮膚を消毒するためのアルコールを染み込ませた脱脂綿を作ること。病院では「酒精綿」と呼んでいるが、これだけは手作りして下さいと言われた。薬局で脱脂綿とエタノールを買ってきて、ミニのタッパウェアに綿を詰めたあと、充分に吸収されるまでエタノールをかけるのである。あまり大きなタッパを持ち歩くわけにもいかないから、2週間分くらいをまとめて作るしかない。
2004.09.08:
プロ野球の合併問題に対する選手側のストが現実味を帯びてきた。
いままでのいきさつを考えると、球団側はずっと選手やファンの声を無視して(これは厳然たる事実である)一方的に合併を決め、セリーグ6球団、パリーグ5球団という方針を打ち出した。
一方選手会側は、合併の1年間凍結とか新球団の参加条件緩和などの要求もさることながら、一貫して「話し合いに応じよ」という申し入れを機構側に行なってきた。
そして今日、注目すべき裁判所の判断が出た。
球団合併後の労働条件について団体交渉に応じるべきとの仮処分申請に対し、東京高裁は仮処分命令を出さないものの、「団交に応じる義務がある」とした。これは球団側が合併問題を「経営権の範囲」としてあらゆる話し合いを拒否してきたことへの警告と考えられるだろう。
何事も話し合いで解決するという民主主義的対応が求められる現代にあって、「たかが選手が」という声に象徴される選手やファンを馬鹿にした態度は批判されてしかるべきである。だからこそ世論調査で7割もの人達がストを支持するという結果が出た。
選手は球団の所有物ではない。れっきとした人格があり、雇う側、雇われる側という雇用契約で成り立っている。だからこそ選手会は労働組合として認知されているのである。これは法的にも認められた考え方である。この点は非常に重要だ。
今は改悪されたが、労基法には本人の同意なしに雇い主がコロコロ変わることを禁止する条文が含まれている。人身売買を防ぐためである。改悪されたのはいわゆる「産業再生法」にからんで会社分割などの際は合意を必要としないという例外を設けたことであるが、それでも説得の努力はすべきとされている。またプロ野球選手のトレードは選手が拒否した場合自由契約になるというやや不利な条件が課されているが、それでも話し合いの場はある。
今回のケースはその話し合いすら門前払いという態度だが、上に書いたように許されるべきものではない。もしこんなことが通るなら、我々一般企業での労使交渉にも悪影響が出るのではないかと危惧する。
2004.09.07:
地震の次は台風が来た。それも余震が続く中である。
今回は雨が少ない風台風。午後9時を過ぎてからはやや収まってきたが。
朝から風が次第に強くなり、会社では午前10時を過ぎたあたりから真っ直ぐには歩けなくなり始めた。やがて仕事は午前で中止し、全員帰宅せよという指令が出た。午後には交通機関が動かなくなる可能性が出てきたからである。午後2時には帰宅できたが、予想通り3時頃にはJRが動かなくなった。
今回の台風で、観測史上上陸回数の新記録(7回)を達成したそうである。そりゃそうだ。例年では考えられない6月に2本も上陸したのだから。
イチローの年間安打数新記録が達成できそうな雰囲気だが、台風に関する新記録というのはどうも芳しくない。
2004.09.06:
昨夜のNHK特番で子供たちの話をやっていたが、その中である教師が注目すべき報告を行なっていた。小学生の一部が「一度死んでも生き返ることがあり得る」と本気で思っているというのである。実際の質問でそれが実証されていたことも放映されていた。
以前私も佐世保の小学生殺人事件について、座学だけでは命の大切さを知ることはできないと書いたが、実際にTVなどの耳学問だけで死人が生き返る可能性を信じている例があることを知り、愕然となった。
かの教師が疑問に思った理由は、加害者の発言で「会って謝りたい」という言葉がきっかけだそうである。つまり死が永遠のものであるということを知らないから簡単に殺せたし、被害者に再会して謝罪できるという発想になったということである。そこから子供たちに質問してみたら、予想どおりというか、死ということの真実を知らない例が見つかったのである。
子供たちがいかに実社会と完全にかけ離れた生活をしているか、私は暗然とした思いにならざるを得ない。もちろんそれはマイナーだろう。だがいかにマイナーとはいえ、人間の、あるいは生物全体と言っていいだろう、その生死すら実感としてつかめていない子供がいるという事実は、今の社会がいかにいびつで病んでいるかを示すものとして捉えないわけにはいかないのである。こんな社会は早急に変えなければならない。
TVでやっている「死後の世界」とか、ゲームで人が殺されてもまた生き返ってくる、そんなシーンしか見ていなければ死というものの理解は歪む。身近な人の死、あるいはペットの死、そのことを通じて人は死の無常と生のいとおしさを知る。また自分の人生の意味を考えるチャンスでもある。そういう機会がなければ狂った人間しか育たなくなる。
今の日本にはそういうチャンスが本当に減ったということなのだ。だから意図的にでも、もちろん実際の殺人シーンを見せるわけにはいかないが、そういう場を子供たちに与える必要があるように思う。
これはドイツの田舎の例だが、こんなことが行なわれていることを紹介しておこう。
ドイツの田舎では手作りのソーセージを作る。その時、豚を一頭屠って肉や内蔵を捌くのだが、そのシーンをたとえ2〜3歳の子供であろうと見せるというのである。このことで子供は豚が苦しみながら死んでいくという事実と、大切に育てた豚の犠牲によって人間が生きていけるという事実を実感するのである。これは100回の説教に値すると私は思う。
日本でそのままのソーセージ作りを見せることはできない。しかし親が、社会が、そのような取り組みを真剣にやらない限り、命の大切さを真の意味で子供たちに伝えることはできないだろう。
2004.09.05:
和歌山県沖で地震があった。わずかながら津波も観測されたようだ。
今回は長い横揺れが続いたので、少し緊張した。揺れに対する敏感さは10年近くなっても収まらない。とにかく揺れが終っても心臓がドキドキしたまましばらく落ち着かないのである。
もちろんPTSDにかかった人達に比べれば大したことはないだろう。だが震災を経験した人の多くは地震に対する緊張感が抜けない。ヨメハンも子供も神戸にいなかったので、そのあたりの強烈なインパクトはわからないらしい。
2004.09.03:
ロシアでのテロ事件が問題になっている。
根本原因は貧困と自主独立である。それに対してテロで対抗し、またそれを武力で抑えつけるという悪循環が事態を悪化させる原因になっていることは間違いない。
もちろんテロは許されることではない。しかしそれを武力で「のみ」解決できるとしたら、それは確実に泥沼化する。だがアメリカもそうだし、ロシアも力による対抗手段で全てを決するつもりのようだ。
効果的な解決策は私にも見出せない。だが武力対テロの応酬でないことは確かなようだ。
2004.09.01:
9月に入って、学生が戻ってきた。
稲穂がそろそろ黄ばみはじめている。夏休みは終わり、また普段と変わらぬ通勤、通学風景が続く。
子供は始業式だったが、調子が悪いので診てもらったら、胃酸過多とのことだった。何かストレスがあるのだろうか?