悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

04.03


2004.03.30:

最近のウィルスはアドレスを騙るので性質が悪い。
会社でも、一人から「メールを送ったはずもないのに、『ウィルスが入ってました』とプロバイダから通知がきた」と、こわごわ私に相談に来た。そのあたりの最低の知識はあるので、「心配せんでもいいから、削除あるのみ」と答えたが、とにかくハンパではない量のウィルス入りメールが飛び回っているようだ。
現在の主流はNetSky。自宅にも2通程度、会社でも2ケタ来ている。しかし私はまだマシな方で、知り合いには、一度に何十通ものウィルスメールを送りつけられてOutlookExpressがパンクしたという。自分から自分宛てのものまであるようで、これはもう呆れるというより、いい加減にして欲しいという思いだ。

2004.03.29:

団地の桜が既に五分咲きを越えた。予想通り今年の桜は開花が早い。今週末には満開で、そのまま散ってしまうことも考えられる。ということで、会社の有志で週末の花見が計画されている。
決算の仕事も忙しいが、もうあと数日。業績がどうのこうのということも忘れて、気晴らししようということになりそうだ。

2004.03.28:

イスラエルによるパレスチナ指導者の殺害は、遂に越えてはならない一線を踏み出したという感じだ。
この際だから、パレスチナ問題の根源を整理しておこう。

発端は第一次大戦後にイギリスが二枚舌外交を行なってユダヤ人、パレスチナ人双方にアメを与えたことである。特にヨーロッパに住んでいたユダヤ人による「シオニスト運動」に火をつけ、現在のイスラエル・パレスチナの「約束の地」へ定住することに同意したことで、パレスチナ人との摩擦を引き起こすことは必至になった。
そもそも、2000年以上前の旧約聖書に書いてある「約束の地」が現代も有効であることなどあり得ない話だ。そういうシオニスト(現在で言えばユダヤ民族の中の原理主義的な人たち)の運動がそう簡単に実現できるはずもないのだが、それをユダヤの金欲しさにイギリス政府がOKしてしまったのである。ユダヤ人がヨーロッパで差別を受けていたのは事実だが、現実的な解決を模索せず、秘密外交と二枚舌が混乱の引き金になったのは紛れもない事実だ。
それからというもの、多くのユダヤ人がイギリスが統治するパレスチナ地域に流れ込んだ。特にナチスドイツによるユダヤ人虐殺が拍車をかけ、それに伴ってユダヤ人の流入と先住のパレスチナ人が追われる事態になったのである。当然いざこざは発生し、アラブ人はユダヤ人を敵視するようになった。
1947年、国連決議によってユダヤ人とアラブ人との分割国家(ユダヤ側は今の「イスラエル」)を作る話になったが、両者は拒否。悪いことに互いに相手の存在を認めない、認めないどころか相手を抹殺する論を展開した。これでは戦争にならないわけがない。以後4回の中東戦争が繰り返されたが、軍事的にはすべてユダヤ側が圧勝。しかしアラブ側は絶対に降伏しない。同時に度重なる戦争でイスラエル支配地域を追われたアラブ人はパレスチナ難民となって、イスラエルに対する抵抗運動を起こした。その中心がPLOである。
イスラエルが軍事的優位を保っているのはヨーロッパ、アメリカからの武器援助である。特に第二次大戦後はアメリカが中東石油戦略の拠点としてイスラエルを利用しているのである。一方では和平合意の努力をしながらもう一方で武器援助をするのも矛盾した話だが、折角出来た合意が何度も破棄されるのは、武器が豊富にあるイスラエルが強気でいられることも一因である。

当事者同士が「相手を抹殺するまでたたかう」という姿勢では合意はおぼつかない。だから国際的な努力が積み重ねられ、互いの存在を認めるべしという方向が模索されてきたが、いずれも成功しなかった。イスラエルは常に力で、そしてパレスチナの一部過激派は武器の代わりにテロで、という図式が続いているのは「抹殺論」が払拭されないからである。それが続く限り死者は減らない。
だが、テロにはその上を行くテロで、ということになると、まさに「最後の一兵まで」となってその民族は滅亡することに繋がる。これはあるべき人間の社会ではない。

2004.03.27:

三菱ふそうのトラック問題、同じくモノ作りをやっている会社に勤める人間として、関心のある話だ。
いちばん気になるのは長期にわたって嘘をついていたこと。ならびに自分達の製造責任を、逆に相手の整備不良の責任になすりつけたことである。いくらなんでもこれはひどすぎる。人命に関わる製品だからなおさらだ。
ウチの社内でも、こんなことがあった。中古品の銘板を新しい日付のものに張り替えるとともにペンキを塗り、新品として出したらどうかという話が出た。客先との合意で、品質保証をするからという条件でそういう部品を使うこともあるのだが、コストダウンを命じられたからと、商売のモラルを破壊してまでやってはいけない。
確かに昔からそういうことはあったのかも知れないが、今はそういうモラルハザードは許されない時代なのである。

2004.03.26:

昨夜は人事異動の関係で職場を去る人達の送別会だった。だが、私は帰り道でどんでもない大ポカをやってしまった。
2次会のカラオケが終って、電車に乗ったのが夜11時過ぎ。途中で電車を乗り換えたその後、眠り込んでしまったまま2時間、ふと目覚めると山科の駅だった。
慌てて電車を降り、下りのホームへ行くと「本日の運転は終了しました」の表示。あちゃ〜〜〜〜!!
そりゃそうだ。午前1時なのだから。さて困った。まさかタクシーで神戸まで行くわけにもいかない。金もない。と、思い出したのが京都の実家。深夜だが電話を入れてみた。すると母が出てきた。
事情を話し、泊めて貰うことにした。山科の駅前からタクシーに乗ること約15分、無事実家にたどり着く。そして今日は社長出勤。
それにしてもここまで寝過ごしたことは初めてである。酔っていても、意外と私は寝過ごしたりはしなかった。勿論深酒もしていない。疲れていたのだろうか? ようわからん事態だった。

2004.03.24:

そろそろ桜の季節だ。報道されているように今年は開花が早いようで、団地のソメイヨシノも蕾が膨らみ始めた。
学校の卒業式もほぼ終って、電車に乗ってくる賑やかな声も少なくなった。と同時に、来月になるとまた公共の乗り物は初めてという連中が来ることを考えると、ちょっと暗くなる。
今でもそうだが、目立つのは電車の入口付近に立っているのはいいが足を内側に突き出してシートにもたれている若者。満員とはいえ乗降客の邪魔になることおびただしい。踏んづけてやろうかと思うこともある。
またまた中高年のボヤキになったが、若者がはつらつとした顔で社会に出てくるのを期待したいと思う。桜の花は昔からそういう象徴だったはず。

2004.03.22:

最近主に会社だが、NetSkyウィルスが連日やってくる。おまけにLANの入口にあるサーバーに仕掛けてあるウィルス対策ソフトをすり抜けてしまい、辛うじて個人PCで検知され、防がれているのが実態だ。
今日は私の会社のアドレスを騙ったメールがどこか海外のサーバーに引っかかって、「送られたメールはウィルスに感染しています」という返信が送られてくる始末。先日ドイツの会社のアドレスからウィルス入りメールが来たから、どうやら私が付き合っていた海外の会社の誰かが感染しているようだ。
このNetSkyウィルスは今までと違い、とにかく過去のものとは桁違いに多く来る。いやはや困ったものだ。

2004.03.21:

今年のNKHK大河ドラマは「新撰組」だが、どうも私は若い時からこの集団が好きになれない。特に肯定的評価をする人たちの一部に「男のロマンを感じる」などと語る向きがあるのには、全くついていけない。
彼らはそもそも、治安の荒れる京都の警備という名目だったが、そのうちに討幕派の幹部を主な標的としたテロ集団になっていく。当時の京都の人たちにも嫌われていたそうである。
もうひとつ、近藤勇の人物像だが、彼は農民上がりの武士ということで、コンプレックスの塊のような人物として描かれることがある。この真偽の程は不明だが、もはや幕府に力がなくなっていて世の中が変わろうとしている時期に、治安警備の任務を逸脱して討幕派幹部を狙った行為に走った彼の責任は重大である。コンプレックスで責任を薄めることはできない。爆弾テロに怯える米兵が恐怖のあまりにイラク市民に無差別に発砲することとはわけが違う。彼は司令官なのである。
ところで、近藤の武士という存在に対するコンプレックスだが、彼に似たキャラをもう一人挙げることができよう。それはスターリンである。ご存知の方もおられるだろうが、彼は生粋のロシア人ではなくグルジア人であり、「スターリン」はペンネームである。
彼はロシア人以上にロシア人らしく振舞おうとした形跡があるようで、それが故に粗暴な態度が見られたという。だから生前のレーニンはスターリンを嫌っていた。
それはともかく、歴史的な役割を抜きにした近藤勇像を作り上げることは危険である。そうでないと、ビン・ラディンは「男のロマンを求めた偉大な殉教者」ということになってしまう。

2004.03.20:

PCの内蔵CD−RWドライブが壊れた。どういうメディアを入れてもすぐにイジェクトされてしまうのである。
意図的にドライバを削除してPCを再起動したが変わらない。取り出して掃除をしてみたがこれもダメ。よってハードの異常と判断した。
仕方なくPCショップで安物のCD−RW+DVD−Rを買う。最近プリンタも入れ替えたので金がない。DVD−RWも考えたが諦めた。今月は出費が多い。

2004.03.18:

どうやら私が神戸に戻る話が裏で進行しているらしい。多分打診だろうが、誰かが動いているから、こういう話が伝わってくる。
それが実現するのかはまだわからないし、ましてやいつになるのかさえも不明である。だが「異動は許さない」とはなっていない方向なので、期待して待っていようと思う。

2004.03.17:

「年相応」ということを考えさせられることがあった。
話の発端は、ある小企業からの油圧部品の納品が軒並みベタ遅れになっていて、どう納期を確保していくかということが問題になったことに始まる。職場では若い連中が忙しく、どちらかというと手すきの私が出て行くことになった。
その会社は従業員数十人、どちらかというとワンマンの社長で、工場の能力を超える大量の仕事を取りまくり、それで収拾がつかなくなっていることだけはまず話を聞いてわかった。
次に私は工場に出向いて実状を把握し、どうしたらいいか向こうの担当者と相談することにした。こういう場合、まず相手の言い分を聞き、実際に目で確かめ、そして相手が納得するようなかたちでこちらの希望を受け入れてもらう、というのが無難な策である。
その結果、わかったことは以下の通り。
1.社長がどういう意図で仕事を抱えたのかははっきりしないが、3〜4月の受注量は工場能力の150%。完全にパンクしている。
2.ワンマン社長の下に60歳くらいの1人3、4役の番頭格がいて、彼が工場の全ての指揮を取っている、という典型的小企業の運営方法。
3.工程表(納品までのスケジュールを線に書いたもの)などはなく、受注リストを見ながら番頭が頭の中で全部をコントロール。
こんな会社は別に珍しくもない。しかしこの方法だと、人は少なくて済むが抜けは多い。だから納期遅れが出るのは当然である。こういう会社を相手にするにはこちらがイニシアティブを取るしかない。
ところがである。私の前にこの会社を訪れたある中間管理職は開口一番「納期を守らないのはおかしい。何故こうなった。その原因を示せ」と、大企業的かつ官僚的発言をしたのである。
このような相手の状態を考えずに一方的発言をする親企業に対して、下請は協力する気を失う。良かれ悪しかれ、下請へどれだけ発注するかを判断するのは大企業の責任であるというのがいわば常識で、それを知らないのはどうかしているのである。番頭さんは私に愚痴を言ったが、私とそれほど年が違わないその管理職に対して、「年の割にはものを知らない」と示唆していることが私にはわかった。
50を過ぎて、杓子定規なことしか言わない人間は嫌われる。若者ならこういう発言をしても「若いからしゃあないか」と大目に見てもらえるが、そこそこの経験をしているはずの人間が、その年にふさわしい発言をしないのは「何だ、この程度か」と失笑を買う。だから「年相応」というのだ。
もちろん年を取っているからといっても、知らないことは沢山ある。だが豊富な経験による観察力とかはたとえ場面は違っても発揮できるし、また発揮すべきなのだ。年功序列で高い給料を貰うのはそれなりの理由があるため。長年の経験を生かさないと若者にも尊敬されない。

2004.03.15:

爆弾テロの影響がどの程度あったのかは判らないが、スペインの総選挙が終って野党が躍進した。それに伴い、スペイン軍をイラクから撤退させる方向で動くとの話が出ている。アメリカ支援で動いてきた国の中で、初めて軍を撤退をする国になりそうだ。
これはアメリカ支援をしてきた国々に少なくない影響を与えるだろう。特にイギリスではブレア政権に対する圧力がさらに強まると思われる。
だが、日本の政府もマスコミもこのことを過小評価することに必死になるだろう。とにかくゴリ押しで自衛隊を派遣し、毎日のように「イラク復興支援」が順調に進んでいることを証明する「大本営発表」を繰り返すのに躍起になっているのだから、水を差すような話は極力抑えたいはず。
しかしそういう意図とは関係なく、国際世論は平和を求めて動くだろう。

2004.03.14:

オウムを生み出したもの・7
ある「教育NPO」(子供と若者の居場所を作る)を作った人が書いたのもを読んだが、最近の高校生・大学生は卒業してそのまま社会に出ることができないと思われる例が多いという。不景気で就職難という理由もあるが、競争社会に不安を感じ、かつ身近な人間から人生観とか職業観を学ぶ機会がないということらしい。
同じようなことは先日私が中学生に仕事の話をしたとき、世話役の先生が子供たちの職業観を「甘い」と表現したことと一致している。
私はここに、将来を担う若者たちが、家庭でも学校でも彼らの生きがいを見つけるための土台を提供し切れていないのを見る。特に今回の中学生への講演をすることから気付いたのだが、私自身が子供に対してこの30年間どんな仕事をしてきたかを一度も語ったことがないことを思い知らされたのである。
オウムの幹部には高学歴の者が含まれている。世間の常識から考えれば、彼らはエリートであり将来を約束された人間の「はず」である。だが、実際は科学的な分野を研究してきたとは思えない、精神的な脆さが見られる。私が見る限り、自分が研究していることが世の中にどれだけ役に立つのかという意義についてはほとんど何も学んでいないように見えるのである。というか、それが見つけられないためにオウムのような幻想に簡単に騙されしまうとも言える。
何のために働くのか、何のために学ぶのか、それが身に付いていない若者を平気で世に送り出すような社会はおかしい。またそんなことにならないためにはどうすればいいのか、今一度考えてみたい。

2004.03.13:

台所からイカナゴの臭いがした。そういう季節になったのである。
とはいうものの、最近イカナゴはほとんど食べていない。鍋一杯に作っても、大半は近所に回るか、子供の弁当箱へ消えるからである。ああ、イカナゴ食いたい!!・・・ と言いつつヨメハンのいない間に冷蔵庫からつまみ食いをすることもある(爆)

2004.03.12:

先月横浜地裁で成果主義賃金で賃下げをするのは違法という判決が出たという。
最大の問題は、業績給の原資を他人の犠牲によって捻出していること。つまり会社が総賃金を一定にしておいて、査定で降格した人間の給料の減額分を査定のいい人間へ回すという方式が不当と判断されたわけである。
これは世間の業績給に対する警告である。企業によっては総賃金を下げた上で競争させようという目論みもあるだろうから、1審とはいえその影響は小さくないだろう。
実はウチの会社でも賃金の7〜8%をそのような方式で査定する方法が導入されようとしているから、注目している。具体的には毎月の賃金の一部をプールしておいて、ボーナスの時に査定を加えた上で渡すというものである。問題は、

1.今回の判決のように賃下げが可能なこと。なおかつその査定には「ゼロ」査定(つまり没収)が可能なこと。その査定の合理性も合意もなく、会社が恣意的に決めることが出来る。
2.判決にはないが、これは一種の給料遅配にあたる。
3.組合は「合意すれば問題ない」としているが、判決は合意があろうとなかろうと、そのような就業規則そのものが合理性を欠くと判断していること。

である。
やはり「何の理由もない賃下げ」が焦点と言えるだろう。「理由」というのは会社が儲かるか儲からないかという視点ではない。批判されているのは「他人の犠牲の上に成り立つ成果主義はもってのほか」という点に象徴されている。

2004.03.11:

最近のCMで気になるというか、鼻につくもの。
イメージ映像とともに横文字のキャッチフレーズの声が流れるのはいいとしても、その直後に日本語丸出しの発音でスポンサーの名前が告げられるのは、正直な話聞き苦しい。典型は日立とトヨタである。
"Inspire the next"と"Drive your dreams"と、綺麗な英語の発音があるのに、どうして無粋な日本語式発音を出すのか。"Drive your dreams"を「"Doraibu yua dori-musu"のトヨタがお送りしました」でぶち壊しにしている。
日本語の発音は子音と母音が必ず組み合わされている。すなわち子音だけの発音は存在しないので、ヨーロッパ系の発音は日本人には非常に馴染みにくい。それは私も同じこと。
だから無理することはないのだが、横文字だといかにもハイカラ(やや古い表現だが)に聞こえるという先入観に捉われているがために、ちぐはぐなことが起こるのである。それは若者の歌にもいえることで、わざと横文字をちりばめてはいるが、発音もアクセントもメロディーとしっくりこないし、何を伝えたいのかさっぱり判らないフレーズも多い。
ところで、SPEEDの"WHITE LOVE"という曲名は、アメリカ人には「白人の恋」になってしまうそうである。以前に書いたことがあるが、不動産屋の看板の"We are having nice experience"と同じで、「死んだ英語」の見本だ。

2004.03.10:

ガラッと話は変わって、今住んでいる団地の話。
造成されてから30年以上、大阪の千里ニュータウンよりもまだ古い。従って近頃の団地とは大分違う。一番の問題は商店が少ないこと。店らしきものはコープと酒屋と薬局くらい。食い物屋はまったくない。昔小さなうどん屋があったがとっくの昔に閉店。喫茶店もない。そして郵便局はあるが、銀行のATMは一つもない。
ただ、唯一の自慢は団地の建物が頑丈なことで、千里で問題になった海砂による鉄筋の腐食はなく、震災にも耐えた寿命百年とも言われるコンクリートである。それから、小さいながらもゆったりした公園があることだろうか。また各マンションの緑も多い。というのも、建築当時は駐車場はまったく視野になかったため、植え込みにできるスペースが十分あった。しかし駐車場のニーズが高まってかなり伐採されたが、それでも桜、ポプラ、松、杉、楠など、緑はまだ多い。六甲の麓に位置するので、野鳥や虫も多く、自然が豊かである。困ったものというのはイノシシくらいなもの。
買い物が不便なことと、バスの運行時間が短いことを除けば、住環境は恵まれていると思う。
こうした団地も世代交代が必要な時期になってきた。造成当初の住人は高齢化し、自治会組織の維持が次第に困難になりつつある。

2004.03.08:

今朝は会社に行くまで、冷たい風の中を30分も歩かされる羽目になった。
理由は事故渋滞で、バスの運転手から「歩く方が早い」と言われたためである。
なるほど、会社の手前でトレーラーが停まっていて、分厚い鉄板が歩道からさらに空き地にまで散らばっていた。後で目撃者に聞いたら、トレーラーが交差点を右折した途端に、「ガシャーン!」という音がして鉄板が荷台からすべり落ちたという。
ワイヤーの固縛が不十分だったか、右折の時のスピードの出し過ぎによって大きな遠心力が加わったためだろう。
始業前の混雑と事故が重なって遅刻者続出。勿論遅刻扱いはしない。もしそんなことを口にしたら、勤労担当者は袋叩きに遭うだろう。

2004.03.07:

オウムを生み出したもの・6
麻原が逮捕され、オウムが解体状態になった頃のTVでインタビューを受けていたある女性の言葉が今も耳に残っている。
「ハルマゲドンというのはありますから、インドにでも行ってきます」と答えていた。幼児を連れた人だった。
この「ハルマゲドンというのはありますから」という表現には、他人の意見を寄せ付けないという響きがあった。さらに、誰もまだ見たことのない仮想世界と現実との混同、というか現実の存在そのものを敢えて拒否するという姿勢も垣間見えた。ある意味では、試行錯誤を繰り返し、悩みながらも現実に生きる力を失ったともいえるだろう。
それからもうひとつ、オウムにはまったく関係ないが、若者が参加していたTV番組でのアンケートで「フリーター」の是非を問うていたのだが、賛成派のある女性がその理由として語った言葉に「玉の輿になるんです」というのがあった。司会者は「そういう希望があるんですね」と聞くと、「いいえ、なるんです。そう決まっているんです」とあくまで断定した。
これも先の言葉と一緒で、他人の考え、人生の多様性・偶然性を最初から拒否している。「ヤラセ」にしては話があまりにも唐突で、本人の考えとしか思えなかった。
このようなあまりに一面的なものの見方、それも色々な考え方、生き方の中から自らがこれを選択したという論理が最初から欠落していることに、私は正直絶望的なものを感じる。というのも、自らが努力して人生を切り拓く、あるいは悩んではいるがこれから何とかしたいという気持ちを捨て去った、厭世的な側面が正面切って語られているからである。
何故このような態度が身に付くのか、不思議がっていても仕方ないのだが、最近の若者に目立っている気がしてならない。ひところの「ツッパリ」とか「校内暴力」とかいった、自分たちの意見を認めてくれない大人に対する反抗とは全く質的に違うのである。自己主張が下手というのではない。少なくとも私には「自分をどう表現し、他人との関係をどうまとめるかを知らない」という風に見えるのである。
ただ、これは一夜にして出来上がった現象ではない。今の日本が抱えている問題と連動していると思われるのである。そのあたりは次回へ。

2004.03.05:

歯の治療が終わり、抜いた2本のところにブリッジをかけたが、歯の収まりがまだ完全ではないので違和感がある。歯医者からは「折角親から貰ったのに、2本も無くすなんてもったいない」と、シビアに批判された。
この医者、歯に衣着せぬ発言をするせいか、近所からはやや変人扱いされているが、言っていることはいつも間違っていない。「人を見て法を説く」ことが不得手なだけだ。

2004.03.04:

最近次から次にウィルス対策ソフトのデータファイルが更新されている。「日替わり」どころか「半日替わり」である。原因はたくさんの亜種が多数発生しているためである。そして驚いたことにウィルスの作者同士が喧嘩しているという。ニュースによると、

 MyDoomとBagleの作者らが、NetSky作者との間で、それぞれのウイルスのコードに埋め込んだテキストを使って互いを侮辱し合っているのをセキュリティ専門家が発見した。
 米国時間2月27日から同3月3日にかけ、NetSky、Bagle、そしてMyDoomの各ワームで、合わせて10種類以上の亜種が発見されている。過去24時間に広がったこれらの変種には、NetSkyの作者に対抗してMyDoomとBagleの作者が手を組んだことを暗示する、卑俗な侮辱の言葉を含んだメッセージが組み込まれていると、複数のウイルス対策専門家が述べている。(CNET Japan 2004/03/04)

まるで、繁華街で暴力団同士の発砲事件を見ているようだ。一刻も早く検挙して欲しい。

2004.03.03:

オウムを生み出したもの・5
信者側の問題として、あまりにも安易に麻原の言葉を盲信しすぎていることが挙げられよう。
もちろん彼らの全てが無知だったというつもりはない。だが現実世界と「教え」との落差をどう解決するつもりだったのか。もし正常な神経の持ち主だったら、そのあまりの違いに葛藤しただろう。一体どちらが自分の将来を切り開いてくれるのか。
現実を生き抜くことはたやすくはない。おまけに「宗教」が持つ幻想はある程度現実の苦しみを和らげる言葉に聞こえる。それは私も含めて誰にでも、現実の苦しみを避けようという気持ちを救ってくれるように思えるだろう。
そうした中で、理想世界を強く求める人たちが場合によっては宗教的世界へ次第に傾くこともあるのはもっともだし、そうした人たちが存在することは事実である。しかしオウムのように極端にのめり込んだり、「出家」あるいは「マインドコントロール」と呼ばれる病的な行動を取る人数は明らかに昔より増えたし、なおかつその程度も度を越えている。
そういう逸脱した行動の例と、問題点は次回に述べる。

2004.03.02:

鳥インフルエンザ問題が大騒ぎになっている。ひょっとしたら私も感染した鶏のゆで卵を食べているかもしれない。
加熱処理している限り、人間には無害だが、出回った鶏の糞を媒体としてウィルスがばら撒かれている可能性は否定できない。
それにしても養鶏業者の無知というか、無神経には開いた口が塞がらない。恐らく何度も病気の鶏を売却した癖があったように思える。つまり、今までに経験した一過性の病気と同じく、「今回も大したことはないだろう」という慣れで処理するつもりだったように見える。
これは雪印とか日本ハムのようなモラルハザードの変形のような気がする。トラブルを何度も経験しているうちに、生き物、食品ということの意識が薄らいでいくことは不思議ではない。さらに大量生産が拍車をかける。
何度も言うが、農産物は工業製品と違うのだ。