悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

00.11


2000.11.30:

時折、英語などのスペルの間違いを指摘することを「そんなに細かいことを言わなくても」といい顔をしない人がいる。私にはどうもこれが納得できない。今日も通勤電車で手袋に"SKATE BOADE"と書いてあるのを見た。明らかに"SKATE BOARD"の間違いである。
ある韓国の会社からのFAXに「よろしくお願いしみす」と書いてあったことがある。文章はネイティブはないからそれほどうまいとは言えないが、そこそこのレベル。しかしこの「しみす」にはやっぱり違和感を感じた。
要するに私の言いたいことはこうである。もし日本人がこのような間違いをした場合、相手はどう感じるか?苦笑いで済ますかも知れないし、あるいは馬鹿にするかもしれない。いずれにせよ相手は何となく変な印象を持つだろう。そういうことはできうる限り避けたいというのが私の持論である。
間違いはあくまで間違い、気付いたら直すべきだろう。特に私は仕事で会社としての対外的な正式書類を書くことからどうしても神経を使う。昔会社のカタログにスペルミスがあったので怒ったことがある。
カタログというのは会社の顔、シミとか皺があっては人様に顔向けできない。

2000.11.29:

昨日は送別会兼早めの忘年会。50代の希望退職で3人も手を挙げ、さびしい想いだ。
さらに先週、次のリストラ計画が会社から提案された。それもあからさまな賃下げ案、これだと高年に続いて若者が多く職場を去る可能性が高くなった。経営不振というが、人減らしとか賃下げなどの人件費を中心に据えているため、生産能力と技術力の両方が低下してなおさら経営がおかしくなるのではないか。
職場の同僚と話をしていたらそういう結論だった。物入りの中年は歯を食いしばって会社にしがみつくだろう。会社を辞め、妻子と共に飢え死にする勇気はないし、脱サラで成功することが何人にも保証されているわけではない。

2000.11.27:

秋も深まってきたが、紅葉は遅れ気味でやっと団地の桜が葉を落とし始め、六甲の山も少しづつ色を変えてきた。
寒い風も一時的に吹くようになったが、昨日と今日はまた平年よりも気温が高い。
オランダでの国際会議は決裂したようだが、決裂しようとしまいと温暖化は着実に進んでいる。南洋の小さな島国では海面上昇で家が水没しているところもある。この人達の怒りはどこへぶつけたらいいのだろう。

2000.11.25:

どうも最近PC関連でまたぞろ欲望が沸いてきて困っている。
半分は必要性だが、いつもの悪い癖でもある。とにかく今のマシンを買ってネット社会へ頭を突っ込んで以来豊富な情報があれこれ入るからなおさら刺激されてしまう。ちなみに希望するものに優先順位をつけて列記すると、
1.カラープリンタ・・・今のモノクロプリンタの老朽化とデジカメ画像の印刷用
2.ザウルス・・・・・・・初代ザウルスでは不満、かつHP更新ネタを通勤中に溜める
3.大容量HDD・・・・デジカメ画像が大分膨らんできた
4.新しいPC・・・・・・自宅マシンのHDクラスタ破損が少しづつ出てきたため
う〜む、これだと諭吉さんが何人いても足らんぞ(笑)

2000.11.24:

新500円硬貨対応のたばこ自動販売機に初めてお目にかかった。それも2台である。
やはりうわさは本当だったようだ。考えたら新500円と2000円ではそもそもの発行のいきさつが違う。前者は防犯対策であり、後者は言わばさしたる理由は何もないただの景気付けだけだ。だから根底になる需要の度合いが異なって当然と言えるだろう。
やはり無駄な公共事業と同質の発想ではどうにもならぬ。その昔、経済学者のケインズはこう言ったそうである。「単に金を使わせようとするなら、深い穴を掘って金を埋め、再度掘り出させたらいい」
きわめて示唆に富んだ言葉である。

2000.11.22:

「私の秘密」・4
私の母は今年79歳、昨年大腿骨を骨折したが現在は元気で連日のごとくあちこちへ旅行をしている。親父も旅行は好きなほうだったが、亡くなってからは一人でツアーに参加するなどますます出歩く回数が増えるようになった。
そして2年前、喜寿を迎えるにあたって私に「外国へ連れて行け」と言い出したのである。そのことについては概略を「このホームページについて」に書いたが、もう少し詳しく触れる。
元々私自身も「希望するなら行こうか」とは伝えてあったのだが、まさか本気になるとは思わなかった。何しろ戦前の尋常小学校しか出ていなくてABCも読めない人間が日本を飛び出そうというのである。「金も出す」と言うし、これは完全に行く気になっていると悟った。
それでどこへ行くか悩んだが、夏休みでハワイとかアジア系統は人も多いし日差しが強いところは無理な感じがしたので結局ヨーロッパがいいのではないかと思った。ヨメハンに相談したら「スイスへ行こう」と言った。足らない金は勿論出すというし、私自身も海外出張中の休暇で遊びに行ったこともあるからそれでは・・・ということになった。
個人の家族ツアーで1週間、お仕着せのガイド付ツアーも考えたが年寄りを連れて連日の移動は辛いだろうと考え、結局自分でスケジュールを組むことになった。そこでインターネットが大活躍をすることになったのは「このホームページについて」に書いたとおりである。
フライトスケジュール、観光地の選定、列車の時刻、ホテルの手配、とにかく電話代をかなり使ったことは確かである。それだけに現地情報はかなりの詳細まで入手できた。パンフレットの請求までやったら、奇麗なグラビアのものを航空便で送ってきたところもあった。
最終的にはスイスを縦断してパリへ抜けるルートを採用した。金額を見積もってもツアーと遜色なかった。旅行会社の経費やマージンと私の手間がちょうど釣り合ったようなかたちである。おまけにツアーコンダクターの日当と通訳代は一切かからない(笑)
そんなわけで一族を連れて旅に出たのであるが、私自身も本当に久しぶりの海外旅行を楽しむことができた。母もヨメハンも喜んでいた。あろうことかヨメハンは帰国後に英語のラジオ講座を聞くようになり、今も続いている。私も楽しめたのは家族がそろって習慣や食事の違いを苦にしなかったからだろうと思う。ツアーコンダクターの辛さは日本の生活をそのまま持ち込もうとしてクレームを付けられる事だという。本当は私もストレスが多少あったと思うのだが、疲れは麻痺していた。ただちょっとだけ辛かったのは子供も入れて4人が滞在できるホテルが少なく、あっても簡易ベッドだったりして寝にくいことだった。
ともあれ旅行は終わり、母は今も楽しい思い出を懐かしんでいる。もっとも唯一の親孝行だったかも知れぬが。

2000.11.21:

「私の秘密」・3
去る6年前、私は非常に辛い想いを経験した。まず12月初めに親父が突如亡くなった。
実家で夜に急に苦しみ出し、そのまま静かになった。驚いた母は救急車を呼び病院に運んだが既に心臓は停止していた。私は夜の12時に急に呼び出されて名神高速をタクシーで飛ばすこととなった。もちろん病院に着いた時はもう冷たくなっていた。顔はやや苦しそうな表情だったが明け方家に着いた頃は安らかな寝顔に戻っていた。
あまりの急逝だったが、考えてみれば84歳、老朽化した車がいきなりエンストしてそのまま寿命を迎えたという感があった。
ところでこの時病気一つせずに急死したものだから、救急車の後ろにパトカーが変死を疑って付いてきたと母が言った。確かに病院では警官が出てきて私にも簡単な事情聴取をしたし、病院では監察医が検死をした。
一段落したら警察は母を自宅に連れて行って簡単な「現場検証」をしたらしい。お陰で葬儀の準備のために私は警察署へ行って「死亡診断書」に替わる「死体検案書」を貰いに行った。おそらくこんなことは二度とあるまい。
葬儀は献体を行ったために霊柩車による出棺の儀式はやらなかった。替わりに葬儀の前に大学病院の車が迎えに来た。ちょうど車が発車しようという時、近くにある梅小路蒸気機関車館からSLの汽笛が鳴った。あまりにもタイミングが良かったために私は思わず涙してしまった。

そしてそれから2週間後、またも悲しみが襲う。今度は兄がガンで死んだ。4年間の闘病生活も終りを告げたのである。鼻の奥、耳からの管が鼻に合流する部分に腫瘍ができる「上咽頭癌」であった。外科手術、放射線、抗がん剤と治療を続けたが一旦縮小したはずの病巣は再度生き延び、宿主を死に至らしめたのである。
生まれて初めて人の死の一部始終を見ることになり、静かになって行く様子は今も忘れ得ない。

そしてである、年が明けて今度は私自身が地震の恐怖を味わう羽目になった。
この時の精神的ストレスは非常にきつかった。仕事に行く気もしばらくは消え失せた。しかし会社からは「早く出てこい」との催促が入り、仕方なく片道2時間近くの通勤を1ヶ月ばかり続けることになったのである。
自宅には殆ど被害はなかった。先月マンションの外壁塗装工事を終えたが、不思議なくらい地震の痕跡はなかった。非常に丈夫な建物である。築後30年近くになるが、例の海砂による塩害もない当時の鉄筋コンクリートは現在の鉄骨・発泡コンクリート構造と比べて非常に頑丈である。100年もつかも知れないとの説もある。
今年は7回忌を迎える肉親の魂は、残された私の心に今も宿っている。短期間に連続して起こった悲しみを乗り越えて、私は亡くなった兄よりも多くの歳を重ねようとしている。

2000.11.20:

「私の秘密」の続きを。
私は高等専門学校(「高専」)の卒業である。高専は高度成長経済に入り始めた頃の技術者不足に対する財界からの要請で作られたものである。当時はまだ大学卒が少なく、高校から大学の7年よりも5年で優秀な(私自身が優秀かどうかは別として)技術者を促成栽培で作り上げることを目的とした。従って一般教養はものすごく弱い。
そもそもがマイナーな路線、それは高度成長もバブルも終わり、大学卒も増えた今も変わりない。高専の存在はせいぜいNHKのロボットコンテストで知られているくらいである。今や入学者数も少なく、途中で大学に編入する者も少なくない。
会社でも高専卒はあくまでマイナー、ひがみでなく現実に脚光を浴びることはない。大卒との給料の差は歴然として存在するので偏見を持つ余地はない。
ただ、仕事の内容は事務・技術系で大卒と同様の仕事は与えられる。だからその意味でのやりがいやプライドはある程度満足させられる。マイナーな分だけ頑張る、というのが大方の高専卒に対する評価である。
私自身もグータラ社員でいる気はない。大それたものではないにしろ実際海外で苦労した経験が私の今の仕事の原点になっている。だからこそ「常識・非常識」を書くきっかけにもなった。今は陸蒸気組で一人の若者を除いて唯一海外とのやりとりを手早く片づける存在として上司からも注目されている。
もっとも新幹線組の中で怪しい横文字を操ることができることはそれほど貴重とは言えないのだが(笑)

2000.11.19:

2年たってぼちぼち読者も固定してきたようなので、「My Profile」には書いていないちょっとした私の秘密(と言えるかどうかは不明)についてここだけの内緒話を漏らしたいと思う。
既にご存知の方もおられると思うが、私は若い時に少しだけ海外で仕事をしたことがある。時系列で言うと、北アフリカの旧フランス植民地だった「某国」(これ以上言うと会社のメンバーなら特定できるので勘弁願いたい)3ヶ月+2年、西欧「某国」1年、やはり北アフリカの別の「某国」3ヶ月。それがゆえにフランス語とドイツ語のほんの端っこだけを齧った。買い物程度の会話と、新聞の見出しが少し読める程度ではあるが。
それで海外とのやりとりをしていると英語だけではわからないこともあるので、独語と仏語の辞書を携帯している。時折馬鹿なドイツ人が独語のメールやカタログを平気で送ってくるので大変便利なのである。
英語もそれほど堪能でないのにと思われようが、そこは生活必需品だったために自然と覚えた。特にフランス語は一緒に仕事を組んだパートナーがベルギー人で仏語しかできなかったために必須になった。
思えば学校での語学は超低空飛行をしていた身が、会社に入ってたまたま外国の連中と付き合いが必要な部署に配属されたが故に、こんな人生を歩むことになった。それがなければただの平均的日本人として過ごしただろうに、不思議なものである。

2000.11.18:

ズッコケ話を一発。
実は去る11日にこのHPを開設してから2年を迎えていたのである。
かなりの大ボケだよなあ〜〜〜!?!?
今月に入ってから、ぼちぼち2周年になるはずだとは気付いていたのだが、今日何気なしに履歴を見ていたら既に1週間過ぎていることを発見した。
まだボケる歳でもあるまいが、いい加減な性格が如実に出た出来事であった。
2年経ったとて何が変わるわけでもないが、ちょっとしたアクセントだけはつけておきたかった。

2000.11.17:

またまた経理のアホさ加減について書く。
今日新幹線組の一人がしきりにボヤいているので聞いてみたら、こんなことだった。新幹線組の仕事は一般から見ればちょっと特殊で、一旦決算してから1〜2年後に客先から納入した部品のいくらかが返却され再びうちの資産として再使用されるというケースが発生する。通常決算後1年以上も経ってからそのような金額の出し入れということを想定していないので、会計処理をどうするか移転後に経理に相談した結果、元のジョブ番号へ仮に戻せとのことで合意し、ルールも文書化していた。ところがである。
10月に初めてそういうケースの処理をしたところ、電算からのデータで決算後の「マイナス出金」(つまり入金)項目として発生元の承認印(またもハンコ)の必要な書類が出力されてきたのである。それも最初は直接的には関係のない私のところへ回って来るというオマケつきだった。私としてはわけのわからない内容だったので経理に問い合わせたところ、新幹線組の関連ということで書類を回したら新幹線組と経理との間で揉めてしまったのである。
というのも電算からの書類は部品一つに対して1枚となっていて、これが全部で数十枚あった。それで新幹線組としてはルールどおりであるので今更大量のハンコの2度押しをしたくないということで経理独自で処理しろと迫った。ところが経理は「1枚づつ理由書を付けて判を押せ」と言ったものだから新幹線組の担当者は、合意した以上のことをやる必要はないとつっぱねた。それに対して経理の管理職はこともあろうにこう言った。「あんたら自分の都合ばっかり言うなや」。それで新幹線組の担当者は烈火のごとく怒った。「ルールを作ったのはあんたらやろが!
私もある出金伝票の件で経理から指示されたとおりに書いたら、クレームを受けたことがある。会計士から(またも会計士・・・)指摘を受けたらしいのだが、何でこうしたという質問だったから当然反撃した。
まったくもって「天に唾する」ことにかけては人後に落ちぬ人達である。

2000.11.16:

数時間だけだが、生まれてはじめて携帯電話を持った。
所用で会社の外に出た時に、帰社が遅れそうになる可能性がある場合の連絡に備えてのことである。
結局送受信共になかったが、最初はちょっとだけ気になった。しかし帰る頃には持っていることさえ忘れていた。まあそんなもんか。

2000.11.15:

何か変なダイレクトメールが来ているので開けたら、生命保険の勧誘だった。それも挨拶状すらなく、パンフレットと申込用紙があるだけ。おまけにパンフレットにはいきなり「どれを選びますか?」と書いてある。
こんな失礼で有無を言わさぬ手法には呆れるほかない。
考えるに、電話勧誘の「あなたが当選しました!」もそうだが、前提条件の検討を抜きにしていきなり相手に判断を迫る方法は昔からあるが、人の心理を巧みに突いたものと言えるだろう。何が前提されているのか、またその前提条件が合理的で疑問の余地がないか冷静に考えればきちんと対応できるのだが、焦らされていたり気になっていることがあれば前提条件などを考えずに飛びついてしまいやすい。つまり何らかの先入観が先に立っているわけである。
前述の生命保険など、将来の生活に不安を感じていたりすると目移りしやすくなる。しかし今ある保険で十分と考える人は見向きもしないだろう。前提条件が成立しなければ以降の話はまったく無意味である。だから前提になっているものを見分けること、例えば「当選したというけど、どんな方法で?」という問いを投げかけることができれば正しい判断ができるというものである。
ところでこういうトリックがなぜ跡を絶たないのか、物理的な問題なら割合とはっきりしている。病気でない人間に「あなたにはこんな薬が必要です!」と訴えても意味はない。ところが老後の生活とか欲しいと思っている品物とかいうのはまだ現実に存在していないわけだから想像で判断するしかない。ところが人間の心理というか論理というのは脳の中で行われる抽象的行為であるために間違いを犯したり短絡しやすい。そこがトリックにはめられる一つの原因になっているのではないか。

2000.11.14:

NHKTVの番組で「出会い系サイト」について少し紹介していた。
結婚に至った例もあるが、ストーカー行為、チャットのやり過ぎで会社をクビ、電話代が毎月20万円(通常の市内通話料ではない模様)などというネガティブな側面も紹介していた。
顔を見ないで自由に「会話」ができるという側面がブームを呼んでいるようだが、人と人の交流をチャットという形で表現すること「のみ」が果たして合理的なのか、大問題とは言えないかもしれないがやはりちょっと歪んだものであるようには思える。
「目は口ほどに物を言い」といわれるが、人の顔色を見ると何となく相手の言いたそうなことがたまに見えたりする。多分小さい時からの経験の蓄積がそういう直感を呼ぶのであろう。
しかし目を合わせることを怖がったり、避けたりするというのは何故か?
人は困難に対して避けようとしたり、解決の先送りをしたりしようとすることがある。ということは顔を合わせて会話をすることが経験不足か何かの理由で相当なプレッシャーを感じる行為になっているのではないだろうか。もっともそこから先は、心理学者でもない私には未知の世界である。

2000.11.13:

昨夜は某サイトの恒例オフ会ということで大阪に出掛けた。日程の関係で日曜の夜ということになり、参加者の都合が合わないか心配もあったが、東京から来た人もあってまたまた楽しい会となった。
一番笑ったのが参加を隠しておいて集合場所を「通りすがる」という演出で意表を突いた東京の若者である。
いつも楽しい話題と貴重な情報を提供してくれる楽しい連中にしばし時間を忘れた。

2000.11.11:

ちょっと強めの風が吹く中、家族を連れて郊外に出た。目的地は市立農業公園である。
園内には広いブドウ畑があって「神戸ワイン」を醸造している。試しに白の辛口を飲んでみたがもうひとつ、甘口の方が少しまし、というところだった。ロゼはやや辛口でこれはまあまあいける。話はそれるが16日はボジョレ・ヌーヴォーの解禁日である。
神戸市は自治体が運営する施設が多く、それも古くからある。動物園、水族園のほか、チーズ館にしあわせの村、農業公園などである。それもバブルになる以前からそういうことには積極的だ。ただ最近できた施設は奇麗だが使用料や施設内の食事は高い。今日も神戸牛のバーベキューを食べたが、値段の割には「うまい!」と言うまでには至らなかった。勿論子供たちは珍しさに喜んでいたが。

2000.11.10:

会社では今50代の人たちに対して希望退職を募っている。退職金に少しイロをつけるから早く辞めてほしいとの言い草である。
これで私のいる工場では10月で既に15人が退職した。私の職場でも3人が手を挙げた。大抵が農家の兼業で働いてきた人達で、子育ても終わって後は自分が食える分の農作物を作ればいいという考えのようだ。私のようなサラリーマン専業の人間には不可能な環境である。
しかし考えて見れば定年を全うせずに去るということは、現在の仕事に対しての未練が消え失せているということの証明でもある。もし十分な生きがいを持って働けるような職場環境なら、最後まで頑張ろうという気にもなる。しかし実状はそんな生易しいものではない。現に50代になると給料をカットされるシステムが既に導入されており、「仕事も楽にならないのに給料だけが目減りする」という不満が蓄積している。
こうしたことが希望退職に応ずる背景にあるようだ。しかしこれでは若い人も育つまい。ベテランの技術が満足に伝わらないままになるからである。
最近こんな例もあった。50を過ぎて合弁会社に出向させられ、定年(60歳)の数ヶ月前に元の職場に復帰したが仕事はまったくない上に若手の指導にあたることもなく、数ページのメモだけを残して失意のうちに職場を去った人がいた。2ヶ月後、彼は持病が悪化して死去した。
高齢者を冷遇することが若手を育てられないひとつの要因にもなっている。ひいては物を作る力の低下にもつながっているように感じる。
「儲からないから」人を減らす、「儲からないから」給料を下げる、「儲からないから」会社をくっつけたり切り離したりする。その陰で儲けの源泉である技術力が確実に落ちている。

2000.11.09:

毎朝JRから会社まではバスを利用するのだが、いつも一人だけ知的障害の少年(中学生くらいに見えるが、実年齢はもう少しあると思う)が乗ってくる。
ところが今日に限って一度顔を見せたと思ったら再び家並みの中に消えてしまった。そして彼がいないうちにバスがやってきて、運転手も彼の姿が見えないのでそのまますぐに発車してしまった。その後彼がどうしたかは分からない。
彼の障害の程度は若干重いのか、人の話は理解できても自分ではほとんど喋れない。「アー、ウー」とか甲高い叫び声を上げる程度である。いつも野球帽をかぶり、5つめの停留所で降りる。どこへ行くのか、学校のない所だから作業所かもしれない。
彼を見ていて一つだけ不思議なことがある。いつも回数券、それも大人の料金のものを料金箱に入れる。保護者が毎朝渡しているのだろうが、障害者の定期券を使えばいいのにと、ふと思った。

2000.11.07:

原因が不明確なままだが、自宅マシンの再インストールに至った経緯を書く。
始まりは5日、いずれもフリーウェアだがNTTが出している「ダイヤルQ2チェックプログラム」とエムソフトが出している「No!国際電話」をインストールしていた。別にHなサイトを徘徊する意図はないのだが、念の為と思ったからである。現実に検索サイトの一部にはQ2を使った有料のものもある。
それで両者をよく見ると「No!国際電話」はQ2もカバーしていることがわかり、「ダイヤルQ2チェックプログラム」をはずすことにした。ところが「アプリケーションの追加と削除」からアンインストールするとき、記憶はあいまい(これが問題・・・)だが、共有プログラムを削除するようなメッセージが出ていたのを「OK」にした直後から、ダイヤルアップ接続をしようとすると「Tspエラー、GetFunctionxxxxxx」という表示が出て、一切の接続ができなくなってしまったのである。
予想外の現象にモデムのプロパティーなどをチェックするが埒があかず、最初はドライバ関係かと思いWindows95の修復インストールを試みたが失敗、泣く泣くリカバリCDによる完全再インストールとなった。
まあ、慣れたもので修復3時間、カスタマイズ3時間と順調に進んだ。しかしである。今度は不思議な現象が残った。
1.ダイヤルアップ接続開始後のメッセージウィンドウが英文になったまま戻らない。
2.TAによる接続速度の違い。
1.はどうやら「No!国際電話」が原因のようだ。というのも再インストールしながらも時折ネットに接続していたからで、プログラムをインストールした直後に英文になったのでまず間違いないだろう。しかしアンインストールしても和文に戻らず、放置したままである。実害は何もない。
TAの問題は以前「サポーター日記」に書いた現象と同じなのだが、本当の原因は別にあるらしいことがわかってきたのである。手順として、今回はまずAtermのドライバのインストールを行い、モデムの速度を115.2K、COM1の速度を230.4Kに設定した。ところがダイヤルアップ接続のタスクバーにあるアイコンから「状況」で接続速度を見ると64KBと遅い。不審に思い、次にOMRONのTAにつなぎ変えてドライバをインストールしたら、勝手に接続速度が115.2Kに変わっていたのである。そして再度Atermに戻すと115.2Kをキープしていた。
ということはOMRONのドライバ自身に仕掛けがあると見なければならないだろう。しかし私にはこの問題を分析できる能力はない。ドライバのINFファイルを覗いてみたが、チンプンカンプンである。ちなみにプロバイダはPPP接続であるのでBOD接続は使っていない。

2000.11.06:

またやってしまった・・・自宅マシンの再インストール。
詳細はまた明日。

2000.11.04:

2千円札が出てから数ヶ月経つが、評判はすこぶる悪く、ほとんど出回っていないようである。私も一度だけ手にしたが、すぐに手放した。理由は自販機で使えないからである。
自販機メーカーも、小銭中心かつ千円札で充分なので今更コストをかけて2千円対応の改造をやる気はないようである。自販機が対応しないから2千円札はいらない、出回らないから自販機の対応はさらに遅れる、という悪循環になっている。
一方の新5百円硬貨、私はまだ手にしていない。巷では少しづつ出回っているらしいが、私の見る限りでは新硬貨対応の自販機を見たことがない。ただ近々お目見えしそうである。
しかし、2千円札もそうだが、地域振興券といい、庶民の感覚とはまったく別世界の人たちが考えているアイデアのようで、景気には何の影響も与えていない。今度のIT振興策も多分同じ轍を踏むことになろう。そもそも地域振興券の時に大蔵大臣が「何のためにやるのか」と聞かれて、「良く分かりません」と答弁した程度の代物である。
形を変えた「公共事業のバラマキ」が失敗しないはずはない。

2000.11.03:

台北空港でのシンガポール航空機離陸失敗事故の原因として、パイロットが間違えて平行する閉鎖している滑走路の方へ行ってしまったとの結論にほぼ達した。
いわゆる「勘違い」であるが、今後は勘違いを起こした原因を追求することになろう。パイロット・ミスと単純に片付けずに、詳細まで突っ込んで調べて欲しい、またそうでなければならぬ。
随分と前になるが、列車の衝突事故でこういうのがあった。場所は阪急六甲駅。駅で乗客を降ろした上り山陽電車が折り返しのため先にある退避線に入ろうと一旦本線に出ようとした。そして先頭車両が出たところへ後続の阪急特急電車が突っ込んだのである。死者は出なかったものの、双方の先頭車両は大破、復旧に丸1日を要した。
直接原因は山陽の運転士が赤信号を無視して発車したためである。特急の運転士は青信号なのに目の前に出てくる山陽電車に肝を潰したという。さもありなん。
この場合、明らかに山陽の運転士にミスが原因である。しかしこれには伏線があった。当日は土曜日で、実はその直前にダイヤ改正があったのである。それまでのダイヤでは特急が来る前に退避線に入ることになっていた。しかし新しいダイヤでは特急をやり過ごしてから退避線に入るように変わっていたのである。
賢明な読者ならここで感づかれただろう。悪いことに当日の山陽電車は少しだけ遅れていた。それで気が焦っていた運転士は「早く退避線に入らねば」ということだけに神経を集中してしまい、赤信号は視野から消えてしまったのである。彼は「業務上過失致傷」として刑事罰を受けた。
ところで、私の記憶が鮮明なのはたまたま事故直後の警察の現場検証を見たからで、縄で後ろ手に縛られ、がっくり首をうなだれている運転士を、警官が「これはお前が起こした事故なんだぞ、よく見ておけ」と言わんばかりに脱線した車両の前へ引いていったところを目撃したからである。
後で原因を知って、この「市中引き回し」のような扱いでいいのだろうかと、ふと疑問に思った。

2000.11.02:

今日は午後から部署内の机の配置換えを行った。4月に移転してから手狭だったのを、仕切壁を一部取り払って若干の余裕をもたせるようにしたのである。
それで机や棚を動かしたまではよかったが、それに伴う配線工事のやり換えを待っていたら、何と来たのは作業員一人だけだった。当然作業はほとんど進まない。どうやら手違いで日曜にしか人員の都合がつかなくなったらしい。
机の移動は1時間で済んでしまったために、その後は仕事が何もできなくなった。
電源・電話・LANがないと仕事が一切できないという実状を前にして、皆苦笑していた。

2000.11.01:

昨日深夜から今日午前0時をまたいでIP接続への移行を完了した。この日記は新しい接続でアップロードされる。
一日目でまず感じたのは、好きな時にネットに繋げることができる(当たり前だが)という新鮮さだ。何よりも思い付いた時に検索エンジンなどで調べ物ができる。これは非常にありがたい。
アイデアを即時に実行できる。これは便利な道具になるだろう。