悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

00.08


2000.08.31:

8月も今日で終り。そして今の事務所に移ってから1年が経過した。
しかし悲しいかな片道1.5時間の通勤にはなかなか慣れない。それともっと問題なのは陸蒸気組の人達との交流が少ないことだ。
いかに時代遅れの感があるとはいえ、同じ人間同士、心が通い合って互いの言いたいことを言い、より良い職場を作って行こうという気持ちはある。ところが新幹線組から私一人、仕事の内容が共通しているという理由から人事・組織としては陸蒸気組の下に入ったものの、実務としては全く共同して仕事をすることはない。上司に決裁印を貰うが、原価管理は新幹線組の独立採算なので盲判でしかない。業務処理コンピュータも別だし、唯一人事異動による歓送迎会でしか気さくに付き合いができる場がないのである。
ストレスとまではいかないが、気分良く働けるようになるまでには至っていないのが実状である。これから何をよりどころにしていくのか、職場サポート副幹事の仕事もあるが、それだけで満足できるとは思えない。

2000.08.30:

昔から指摘されていることだが、乗り物の中で荷物を自分の横の座席に置いて席をふさぐ例が根絶しない。ちょっとしたマナーなのだが、最近もこんなことがあった。

その1.私の場合:
通勤の快速電車で、クロスシートの窓側に若い女性が座っていた。横に紙袋を2個置いたままである。こちらが座るそぶりをしたので、彼女はそれをどけようとしたのだが、袋を1個だけ膝において、残る1個は座席に残したままだった。私はまあいいかと思いつつとりあえず座ったが、やはり電車が揺れると腰が袋に当たってゴソゴソ音がする。痩せてはいても大柄な体だけに、どうしても私は座席の幅一杯を占有してしまう。それを知ってか知らずか、彼女は一向に邪魔になる袋をどけようとしない。
とうとう彼女が降りる駅までそのままになった。席を立つ時、彼女の顔はふくれっ面になっていた。
アホちゃうか!

その2.オバチャンの場合:
JRの普通電車でのこと、これも若い女性がロングシートの座席に手提げ袋を置いたまま居眠りをしていた。余談だが防犯上最悪のパターンである。もっともそれほど席はまだ詰まっていなかった。
途中、とある大きな駅に着いて乗客がぞろぞろ乗ってきたので席はあっという間に詰まっていった。しかし彼女は相変わらず居眠りしたまま。そのうちあるオバチャンがやってきて、いきなり袋を掴んで彼女の膝の上にポンと置き、空いた席にスッと座った。ほんの一瞬の出来事である。その光景を見ていた乗客は皆ポカンとしていた。
う〜む、さすがオバチャンは大胆である。

その3.私と家族の場合:
家族連れだって京都の実家へ行った時のこと、電車に乗ると出入り口のすぐそばの4人掛けで私と同年齢とおぼしき中年女性が座っていた。
子供を含めて3人、ちょうど良かったと思い、ヨメハンと子供を先に座らせて私も座ろうと思ったらこの女性、黒革の鞄を席に置いたまま譲ろうとしない。私は待つつもりで立ったままヨメハンとちょっとだけ話をしていたが、それでもおかまいなしで彼女はキルトを縫っていた。
仕方がないのでそのまま立っていたが、ふと通路の反対側に一つだけ席が空いていたのでそこに座った。しかし彼女は相変わらずである。しまいにキルトをしまい込むと、今度は靴を脱ぎ鞄を背もたれにして膝を伸ばし、足を座席に乗せた。当然席は2人分を占有する。そしてとうとう大阪まで彼女はそのままでいた。
大阪駅に着く寸前に彼女は席を立ったが、直後にヨメハンは聞こえよがしにこう言った。
「何よ、エエ年してようやるわ!」

2000.08.29:

どうも最近プリンターの調子が何となく変である。時々紙の噛み込みがスムースでないような気がする。ペーパーフィーダーに紙が多い時は問題ないが、少なくなると顕著になる。ぼちぼちローラーが摩耗してきたようである。
機種はキャノンのBJ−15vPro、モノクロバブルジェットとしては往年の名機である。まだLANが組まれていない前の会社で大量に使われていた。自宅用として買ったのは5年半前のこと、丈夫で長持ちするのかPCショップでもまだインクカートリッジが豊富にある。
その前はNECの熱転写タイプだったが、JIS第2水準(古い!)の漢字ROMは別売、途中でキャリッジの交換を1回、その内にインクリボンが品薄になり大手の店でしか見つからないようになってしまった。それを思えば今の機種は無故障である。しかしそろそろ引退の時期が来たのか、泣き声が出始めたようだ。
世代交代として次はカラーを考えているが、マイPCの周辺も当初から比べて次第に賑やかになりつつある。

2000.08.27:

夏休み最後の日曜、ヨメハンと子供は連れ立ってどこかへ行った。行く先は知らないし、聞きもしなかった(笑)
私も友人のところへ出かけていた。こちらも行く先は言わなかったし、聞かれもしなかった(爆笑)

2000.08.25:

若者、それも独身者からこんな話を聞いた。
最近の若者は当然のごとくPCを持っているし、インターネットにも入っているのはどなたもご存知。しかし、彼らには大きな悩みがある。それは独身寮の電話がダイヤルインを使っているために、ISDNはおろか、テレホーダイやタイムプラスにも加入できないのである。
今の独身寮では、我々の若い時のように管理室からフロアーに1台ある電話に呼び出しがかかるというようなものではなく、一部屋に1台電話機がついていてダイヤルイン方式になっている。ところがこれが逆に災いの元になっているのである。
各部屋に1台の電話ということは時代の流れだし、導入当時としてはそれで何の問題もなかった。しかし、インターネットがこれほど普及することは予想されていなかったのだろう。盲点が露呈してしまったようだ。
電話代のことを考えると、いかに独身とはいえ割引料金の恩恵が受けられないのは不公平だ。NTTにはぜひ技術的な検討を望みたい。

2000.08.24:

いよいよIP接続サービス(商品名「フレッツ・アイ」)に加入しようとNTTとコンタクトを取ったが、何と8月分の局の割り当ては既に予約で満杯、来月分に回されることになった。先月も工事待ちとなったらしく、結構人気があるようだ。
もっともNTTとしてはまだ「試験運用」ということでこれほどの需要が出るとは予想していなかったらしく、神戸に限っていうと、機器とか工事などの準備が後手に回っていると聞いた。
加えてプロバイダ側もまだIP接続に対応しているところが少ない。NTTの一般電話回線から一種のLAN接続に切り替えないといけないようで、そのための機器の更新など設備投資が必要になるなど(専門家でないので詳細はよく知らないが)、まだ需要がはっきり予測できない現在では導入に尻込みしているところも多いらしい。
ともあれIP接続と同時に未対応のプロバイダから乗り換えることになった。回線の込み具合とか不安はあるが、現在私が払っている費用が安くなることを考えての決断、成功することを祈ろう。

2000.08.23:

今日はちょっと所用で大阪へ行ったが、梅田地下街にある阪神百貨店が連休となっていた。・・・とここまでは何てことはないのだが、阪神百貨店の北側通路にある各県の名店街も休んでいた。
ご存知の方も多いが、この名店街、「出張」とごまかして市内のどこかで一泊し、証拠としてその地方の土産物を持って帰るのに使われることで有名な一角である。
もし休みと知らずに偽の「出張」を宣言した人はどうなるのだろう・・・と、馬鹿馬鹿しい想像をしてみた。

2000.08.22:

昨日の「一部ソフトのセットアップが完了しない」件、パッチ当てを忘れていたのが原因だった。最初のソフトのインストールの時に、dllファイル1枚の更新と設定パラメータの追加をやったのだが、時が経っていつのまにか忘れていたせいである。本社ヘルプデスクに問い合わせたらパッチの存在を指摘してくれた。
自宅マシンでもそうだが、再インストールをやるとそうしたパッチ当てのことをど忘れしていることがある。マニュアルとかパッチファイルをきちんと残しているつもりなのだが・・・

2000.08.21:

長い連休が終わって出社したら、予想通り机の上は書類がてんこ盛り。連休前からの懸案事項もいくつかは片付いたものの、社外への電話連絡が3ヵ所、海外へのメールとFAXが各1ヵ所、明日に持ち越しとなった。
おまけに連休前のWindows95の破壊事件の後遺症で、一部ソフトのセットアップが完了しないままになっている。
まあ、明日からボチボチ片付けるか・・・(溜息)

2000.08.20:

伊豆諸島の三宅島始め周辺の島々の人達にとって、このひと月は本当に苦労の連続である。おまけにこれがいつまで続くのかまったく予想がつかないので、不安と恐怖によるストレスはかなりのものと想像する。
とにかく連日連夜震度5〜6を食っているというのは、私の経験をはるかに越えている。阪神大震災では最初の強烈な一発を除いて余震は次第に沈静化してくる。しかし今度の場合は次に来るのが大きいのか小さいのか予測することが不可能な状態に置かれている。私を始め阪神の人達も同じように余震の恐怖、すなわち最初の揺れから次の瞬間に逃げないといけないのかどうかの判断を迫られるような感じを連日背負っていた。しかし伊豆の人達には先行きが見えないという現実をモロにかぶるのだから、これはもう並みのストレスではないはずだ。
それをじっと我慢して島に留まっている人達の苦労は、インタビューには出て来ないが、読み取れるような気がした。

2000.08.19:

私にとって夏には一つだけ困ることがある。
えらく汗かきなので、顔から首筋にかけてべったりと脂ぎってしまうのだ。すると眼鏡が滑りやすくなるし、何より気持ち悪い。朝洗顔してさっぱりしても午後にはまたまたべったり、夜風呂に入っても寝る頃にはまたもや汗が滲む。
そもそも日本の夏は湿度が高いからそうならざるを得ないのだが、東南アジアなどを除いて30〜40%程度の湿度しかない外国に住んでいるとこんなことにはならない。夏に帰国してタラップを降りた瞬間の、あのムッとした感触はいかにも日本の盛夏という気がする。
ただ今年は例年よりもややおとなしい夏で、クーラーを入れて寝た夜はほんの数日だった。
その夏ももう終り。明日あたりから夕立でない雨が降りそうである。

2000.08.17:

子供を連れて(というよりせがまれて)近所の公園へセミ取りに行った。今年は例年よりもやや少な目、しかしそれでも1時間も網を振ると10匹は取れる。大量発生した年は20匹もあった。
取れるのは殆どがアブラゼミ。ほんの少しだけミンミンゼミが混じる。今年は珍しくクマゼミのオスが1匹ひっかかった。クマゼミは大概高いところに止まるのでなかなか掴まらない。ツクツクホーシも数が少なくすばしこいのでこれまた困難である。
自宅は六甲山麓にあるので動植物が豊富、子供の環境としては優れている。
自宅付近での特筆すべき動植物というと、
植物:ヤマツバキ、ヤマザクラ、アセビ
動物:野生のイノシシ、ウグイス、ヒヨドリ
昆虫:カマキリ、クロアゲハ、ジャノメチョウ、カメムシ(歓迎されない)、スズメバチ(ごくまれ)、羽アリ
などである。
何気ないことだが、豊かな自然が身近にあるとそれを次の世代へ簡単に繋ぐことができる。もし自宅が町のど真ん中にあって、自然を味わうためにわざわざ遠出をしないといけないとなると、ものすごく金も暇もかかるし、日常の生活実感からかけ離れたものになるからである。

2000.08.16:

気になることがあったので、昨日の話題を引っ張る。
昨夜NHKで若者を集めての討論会というか、意見を求める番組をやっていた。その中で特に2点気付いたことがある。
1.全体として若者は意見を言いたがらない。聞かれると答えるが、率先して「私はこう思う、こうしたい」とはならない。それであるゲストが「手を挙げるだけで2点もらえますよ」と冗談めかして催促していた。
いじめの問題などで指摘されていることだが、今の若者はなるべく周囲から目立たないように行動することを強制されているというのが実証されたような感じである。この点についての詳しい考察はまた別の機会に書きたい。
2.アンケート結果で、先の戦争を「侵略戦争と思う」と「侵略戦争と思わない」の双方が年々減り、「わからない」とする人数が増えていることを紹介していた。そして、スタジオの声で「侵略はなかったというのがマスコミで紹介されていたりもするし、私はあの戦争が何だったのかを教えられていないので、侵略戦争かどうか判断できない」という発言が私の目を引いた。
これも私が以前指摘した、戦後の歴代政権が憲法をないがしろにしてきたことの証言とみた。現憲法は戦争の反省の上に成り立ったはずだが、教科書検定問題に限らず文部行政がいかに平和教育をサボってきた(というか敵視に近い)かを見せ付けられる発言である。アジア諸国では日本の占領政策がいかに苛酷なものであったかをきちんと子供達に教えているのは当然としても、ドイツでは徹底してナチスの罪悪をあばき、二度と繰り返してはならないということを教える。もし外国の人達が日本の平和教育に対する実態を知ったら、「日本人は何を考えてるの」と軽蔑の目で見られると同時に、日本はいつ戦争を始めるかわからないとの懸念を持つだろう。
ゲスト出演者からも戦後、戦争責任に対するけじめがあいまいだったことを指摘していた。

2000.08.15:

今日は8月15日ということで、シビアな問題に触れたい。
例年政府閣僚の何人かが靖国神社を訪問するが、彼らの言う「英霊」が何を意味するのかちょっと考えてみたい。「英霊」=「国の為に戦って死んだ人達」ということだと思うが、ここで言う「国」ということが問われている。確かに閣僚でなくても、善意の意味で戦死者を靖国神社にまつって鎮魂をしたいという人がいるのは事実である。さもなければ戦死した兵士は犬死でしかないと。
しかし、靖国神社に固執する連中が口にする「国」という概念には、実際上戦前の体制という観念がそのまま生きていると考えて差し支えないだろう。例の「神の国」発言もそうだし、さる元首相は靖国神社の存在意義を「さもなくば誰が国の為に戦うのか」とも語っている。従ってその本心は明確である。彼らの言う「国」とは、事実上戦前の天皇制と同一のものであり、「英霊」とは侵略戦争で戦死した兵士のこと以外のなにものでもないのである。
戦前と戦後の憲法の違いを理解せず、また先の大戦を侵略戦争ではなく「国を守る為の戦争」だったと評価するならば、論理的に見て靖国神社参拝を正当化することになるだろう。だが大多数の国民にとって、さらに多大な犠牲を払ったアジア諸国の人々にとって、このような考え方は受け入れられるはずもない。日本が起こした戦争に対する世界的な評価はあくまで「侵略戦争」である。中国・韓国では8月15日を「民族解放の日」として祝うのであるが、そのことに対する批判は聞いたことがない。
もし「兵士を『犬死』と断定するのはいかがなものか」と批判する人があれば、私はこう答えたい。「彼らは天皇の名によって戦争に駆り立てられ、時として加害者になることもあったが、無謀な侵略戦争で犬死されられた被害者である」と。

2000.08.14:

先月起こったパリ・シャルルドゴール空港でのコンコルド機墜落の原因が、何と滑走路にあった異物だという。異物がタイヤをパンクさせ、エンジンに飛び込んで火災になったのではないかと推測されている。
大事故の原因は意外とそんな些細なこと、とは良く言われるが、それでもやはり開いた口が塞がらない感じだ。
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今夜は例年の落語会、始まる前にちょっとしたハプニングがあったが、楽しい一日であった。

2000.08.13:

8月6日、9日、15日というと大抵の人は何の日か想像がつくだろう。しかし12日となるともう既に風化が始まっているような気がする。だから勿論55年前の話ではない。
盆休みに入っていた8月12日、夕食も済ませて私はTVを見ていた。そこへ「日航機が行方不明」とのニューステロップが流れた。そして数回の速報の後、画面は通常の番組からニューススタジオへ急遽切り替わった。羽田発大阪行きJAL123便が乗員乗客524名を乗せたまま定刻を過ぎても大阪に到着しない、というのが当初の報道だった。墜落した場所も、また墜落したかどうかさえ定かではなかった。そして翌朝、TVのニュース映像で黒く焼けただれたジャンボ機の残骸を見ることとなった。1985年の夏のことである・・・。
昨夜と今夜、15年目を迎えて日航機墜落のTV特番があった。特に事故に関する資料を、保管期限を過ぎたので運輸省が廃却したらしく、ボイスレコーダをダビングしたテープが公開されていた。改めて聞くと当時のコックピットの状態がよく伝わってくる。事故に直面した人達の様子は、私が震災で味わった死への恐怖と相通じるものがあって、物悲しい思いをした。
事故原因については「尻もち」事故での不完全な修理が引き金となったことは明確になっているが、それがどのように作用して後部隔壁を破壊し、垂直尾翼を吹き飛ばすまでに至ったか、細かな点は曖昧なことが多い。また520名もの犠牲者を出したこの事故が次第に風化して行くことが正しいのかどうか、遺族を始め多くの関係者から声が上がっている。私も運輸省航空事故調査委員会のHPを見たが、一冊の調査報告書だけで事が足りるとは思えない。運輸省のルールはルールとしても、事故の教訓となるべき証拠を残すということは決して悪いことではないと思う。

2000.08.12:

今日は帰省客のピークで、高速道路は大渋滞とのニュースをやっていた。中には60Km以上の渋滞もあったようだ。ヨーロッパでは夏休みに200Kmの渋滞が発生することもある。
そう言えば数日前から駅のホームで子供を連れ、荷物を抱えた母親が電車に乗る姿をちらほら目にした。最近は父親だけ仕事を終えて後から単身里帰りというのが増えつつあるようだ。
こういうのも「単身赴任」と言うのだろうか(爆笑)

2000.08.11:

盆前に片付けたかった仕事が少し残ったが、いよいよ明日から9連休に突入する。
家を空けることもほとんどないので、このページも連日更新することになるだろう。帰省されずにゴロゴロされている方、どうぞお楽しみに(笑)

2000.08.09:

お盆を前にして少しだけ仕事が忙しい。急がなければならない案件にケリを付け、来週一杯の休みは枕を高くして寝ようという虫のいい算段をしている。
盆の供養は2日だけで後は何をするかほとんど計画をしていない。そもそも私もヨメハンも里が近いので「帰省ラッシュ」で苦労などしたことがない。どうせどこの行楽地へ出かけても人だらけだから外出もしない。
あ、一つだけ忘れていた。ネット仲間から招待されている生の落語会、これは楽しみだ。

2000.08.08:

会社の帰りに乗る田舎バス、今日はスムースに運転されていた。良く見ていると運チャンの腕が非常にうまい。
本数の少ない路線故、車体番号はいつも同じなのにどうしてこうも違うのかと運転席を見ていたら、あることに気付いた。つまりきちんとスピードや方向を正確に予測して走っているのである。若い運チャンだが、運転技量が非常に優れていると見た。
いちばん下手糞なケースは、信号が黄色に切り替わると思われるのに加速して走り抜けようとしないとか、信号待ちの時に前の車が動き出してからギヤチェンジをする、二車線道路で対向車が来る度にいちいち減速するとか、とかくビビった運転になっているのである。
都会のバスだと流れに乗るために加減速のすばやい切り替えが要求され、自然に運転技術が鍛えられるのだが、クラクションを鳴らされたり、遅刻してもクレームを受けることがない環境だから問題にならないのだろう。

2000.08.07:

とにかく暑い。今日は特に雲一つない晴天だった。
会社で自転車に乗ったら、サドルが直射日光を受けていて尻が焼けるくらい熱かった。風はないし外にいるだけで額に汗が滲む一日だった。京阪神では警報が出るほど夕立があったようだが、さらに西方にある会社では入道雲すら発生しなかった。お盆までまだ少し、暑さは明日も続く。

2000.08.06:

金曜日から家族揃って2泊3日の海水浴+バンガロー生活を楽しんできた。
海外旅行をした年以外毎年恒例の行事で、子供が幼い時からずっと同じ場所である。離島にある公営の施設なので設備もよくないし規則がうるさい。しかしその分だけ荒れることがないので、子供を安心して遊ばせることができる。
それだけに自炊生活を楽しむ家族は大量の道具と食料を持ち込んで何でもやってしまう。カートにダンボール箱をしこたま積んで、船に乗るのである。
今年目撃した出色はお好み焼きを作るために卵を持ってきた人である。割れない様にするのに苦労しただろう。それから最近はキャンプ用品が豊富にあるので、私のように古い人間はびっくりしてしまう。バーベキューのために木炭を持ち込むことは珍しくないのだが、炭の着火に水道工事で使うようなトーチ型ガスバーナーを利用していた。聞いてみると、ちゃんと売られているようで、「便利なんでねぇ」という答えであった。
島内では薪の替わりにおがくずを固めた「オガライト」というものを売っているのだが、これが火力は強いくせにものすごく着火しにくい。私などは昔ながらに新聞紙に「焚き付け」でやろうとする発想しかできないのだが、今時のお父さんは便利さを優先させて食事を色々工夫するようだ。
金さえ出せば何でも道具や食材が手に入る時代、定番のカレーライスくらいしか思い浮かばない年代と違い、それはそれで合理的なのだろう。但し電気炊飯器を持ち込むような神経には賛成しかねる。

2000.08.02:

Internet Explorer(IE) 5.5が最近リリースされ、会社でも一部の人間が知らずにインストールした。ところがどうやら他のソフトで相性の悪いものがあるらしく、トラブルが発生している。
どうも最近のマイクロソフトの製品はWindows2000といい、リリース直後のトラブルが多い。マスコミが騒ぐことを差し引いてもちょっとひどい、という感じを与える。
不用意にソフトをインストールする人間も問題だが、すべての相性がチェックできないとは言え、質の悪い製品を出してしまう体質は何とかしてほしい。
今日も会社である機械メーカーと打ち合わせをしていたが、最近の人減らしの影響が大きい点で意見が一致、マイクロソフトも似たようなことがあるのではないか。

2000.08.01:

読者の皆様、暑中お見舞い申し上げます。

とうとう8月に入った。今日一日暑かったとはいうものの、ここしばらく日中は強風が吹き荒れ、夜も涼しい日が続いている。どうやら太平洋高気圧の勢力がもうひとつ強くないらしい。
梅雨時の雨も少なかったし、これから盆にかけてどうなるのだろう。気象に関係する人達に言わせると、こういう場合には後で埋め合わせが来るように天候が動くという。ということは強烈な残暑と猛雨が一度に来るのだろうか?