悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

00.09


2000.09.30:

9月も今日でおしまい。そしてシドニーオリンピックも明日が閉会式。秋風とともに10月がやってくる。
オリンピックで感心したのがシンクロナイズド・スイミングと新体操の集団演技。選手の見事な演技もさることながら、あのシナリオというか演出をした人の美的感覚には脱帽する。彼あるいは彼女達にもメダルを贈ってもいいと思うのは私だけ?
それに比べてこのHPの表紙の何と殺風景なことよ(爆笑) <そんなもん、比較の対象になるかいっ!

2000.09.29:

決算ももうほとんど終わってほっとできると思ったら、何のことはない、今日はややこしい話が続出した。

まず朝から、
1.さる大企業で製作していた品物、実は名古屋大水害で完成間近に水没してオシャカ、同業他社にて再手配すべく進んでいたが、今日になって仕様が合わないことが判明。振り出しに戻ってまた別の会社を探すことになった。
2.輸入品の船積書類が届いたが、経理が(またもクソ経理)支払い金額のことでブツブツ文句を言い始めた。仕方がないので輸出元へE−Mail。

昼からはさらにややこしい話が・・・
3.同僚2人の決算データインプットが遅れており、心配になって催促の電話。
4.なじみの下請企業で設計担当と営業担当の確執が爆発、設計担当者が辞表をたたきつけたため大騒ぎに。辞められたらこちらの仕事に重大な支障が出るので善後策を協議。
5.現地工事を頼んでいた業者が、人員不足で数ヶ月前に一部の仕事をギブアップ、当方から他の業者の応援を依頼していたのだが、今頃になって「人の手配がついたのでン百万円で請け負ってもいい」と言い出した。随分虫のいい話なのだが、これをこちらの現地担当者が不用意にも応援部隊に「こんな話があるけど受けてやったら」と言ったものだから工事の準備にかかっていた応援部隊は激怒、「それだったら降りる。そっちで勝手にやったら」と言い出した。最初の業者も業者だが、仁義をわきまえないこちらの担当者もクソッタレである。応援部隊をなだめて戻って貰うしかないだろう。

あ〜、胃が痛い。

2000.09.28:

決算がらみのデータインプットがやっと終わった。但し自分の分だけで、明日は同僚2人分の最終チェックを行う。
こちらは出口が見えてきた(笑)

2000.09.27:

見えない出口・4
据付けに入るとまたもやトラブルが続出する。
場所は人里離れた場所で部品の仮置き場が狭く、トラック輸送もままならない。それで予想外に部品の搬入が遅れていった。それに加えて今度は客先から据付けの中断と延期が宣告されたのである。原因は客先の別の仕事の段取りが狂ってこちら側の据付けを止めざるを得なくなったのである。
これでまた数ヶ月が過ぎた。
据付け再開後、次の問題が発生した。今度は客先の人身事故で労働基準局の指導が厳しくなり、それに合わせて客先が重箱の隅をつつくようなことまで「安全、安全」と言い出したのである。これで据付けのスピードは極端に遅くなった。しかし客先は遅れが出ても何も言わなかったが、それには裏があったのである。
安全の確保は確かに必要である。だが、普通は箸の上げ下ろしに至るまでのこと細かいことまでは言わない。基本的には業者側の責任だからである。それと納期が迫ってくると客先とこちらの営業の両方から矢のような催促が来る。相手にとっては社長とか世間に公表したお披露目の日時が決まっている事情などがあり、こちらは早く検収手続きをしてもらって一日も早く支払いを受けたいという背景がある。だからどこの企業も品質・コストと並んで納期を重視するのである。ところが今回はそういう緊迫感がまったくない。何故か?
私はさる筋から真の原因を聞いた。要するに大企業に仕事を呉れてやるだけの無駄な公共工事だったのである。私はこれで合点がいった。不要不急の発注だから納期なんかどうでもいいわけである。

2000.09.26:

見えない出口・3
問題になった大型機械の製作・組立の時にはさらにひどい話が発生する。
ひとつは組立の時の接続ボルトに関してである。実際の据え付けには高張力ボルトを使うのだが、工場で組み立てた後に一度分解して現場に運び、再組立するということから仮として普通ボルトを使おうとした。しかしものすごい重量物を繋ぐものであったから普通ボルトでは伸びてしまう可能性が非常に高かった。それで現場からは設計に普通ボルトでいいか確認を入れたのだが、設計はいい加減にも「OK」と答えてしまった。悪いことに現場サイドも警告をせずに、「設計がそう言った」として反論もせずに組み立ててしまった。結果は明白である。極端ではないが「く」の字に曲がって組み立てられ、運転したら傷が入ってしまった。
もう一つは大口径のリング状のものに1mmというような実現不可能な精度を要求した。図面上ではなんでも可能、しかし実際はそうはならない。しかしそれを上塗りするように現場では物を作ってしまった。どうしてかというと温度を考えなかったからである。例えば朝に作って精度を検査しても、夜になれば寸法が変化する。当然大きな物ほど変化量は大きくなる。そのことが設計にも現場にも完全に欠落していた。これも傷がつく要因になってしまった。
結局原因究明と手直しだけで1ヶ月以上も完成が遅れた。当然大きな赤字の発生である。重役も巻き込んでの大騒ぎになった。そしてまた別の問題はこの重大事件の裏でさらに進行する。

2000.09.23:

今週初めから自宅PCの調子が悪く、「例外エラー」が頻発していた。あまつさえHDに破損クラスタまで発生する始末である。インターネット接続中もハングアップしてしまうので、この際だからとWindowsを再インストールした。
昨年以来約1年で再インストールである。しかし破損クラスタは解消したが、エラーはどうもうまく解消しない。それで特定のファイルで集中的にひっかかるようなので調べたら、VirusScanの常駐ファイルだった。これはちょっと始末が悪い。下手にウィルスチェックを外すわけにもいかないので迷っている。他のワクチンソフトにすべきか・・・
ところで、今回の再インストールはこの日記が書けるまで約12時間だった。随分慣れたものだ(笑)

2000.09.22:

ちょうど昨年の9月30日の日記にこの「経理との神経戦」について書いていることがわかった。重複を避けるために話を簡単にするが、要するに10月には経理に対する決算後の出費について書類を揃えねばならない。
書類そのものについては経理としても裏付けが要るので、細かいことを聞きに来たりすることはまあ仕方ないだろう。しかしその後がいけない。定期的に会計士による監査が入るのだが、その時に経理は横にいるだけで書類の説明は全部こちらにやらせるのである。それも経理の上から下までそういうスタンスなのだ。曰く「原因を作ったところが説明すべき」と、他人事のように言うから始末が悪い。「そしたら何のために経理が存在するのか?」と聞き返してやりたいところだが、そこはぐっとこらえるからすこぶる胃に悪いのである。
それでも一度だけ逆襲してやったことがあった。新幹線組が引越してきて最初の海外との直接取引を経験した経理に対し、外貨送金に関して勘定費目をどうするか決めさせた。ところが後の監査の時に会計士から疑問が出たのだが、経理担当者は私に「何でこの費目にしたの?」と聞いたから、ここぞとばかりに「その質問はあんたに返したる」と答えてやった。
元は経理の前任者が決めたのだが、そもそも勘定費目をどれにするかなどということは経理を無視してできるはずもなく、経理としての専決であることは自明の理なのだが、根底から自分の仕事と思っていない姿勢が災いしてボロが出たのである。仕事は他人との協力なくしてできはしない。そのことを理解しないからしっぺ返しを食らうのである。 

2000.09.21:

そろそろ今年度上半期の決算の時期で、仕事が混み始めた。案件全体としては昔よりもずっと少ない。しかし今月末迄に片付けてしまわないといけないものが目白押し。来週は追い込みになる。
それにつけても月が明けると憂鬱になりそうだ。というのもクソ経理との馬鹿みたいな会話が予想されるからである。理由は明日改めて書く。

2000.09.20:

今の事務所に関連して、改めてこんなことがわかった。一言で言えば仕事で通う以外に何もすることができない環境にいる、ということである。
朝の通勤は論外としても、昼休みに外へ出ても何もない。銀行、郵便局はおろか、コンビニも15分以上離れた場所にしかない。事務所内にATMはあるのだが、さくら銀行のある特定支店の口座しか使えない、つまり出張精算で振り込まれた金額しかおろせないという、まことにセコい設定をしてある。
退勤後も最寄りJRと私鉄の駅にはろくな店がなく、ちょっとした買い物もできない。残業をしたらそれまでである。
先日もこんなことに気付いた。最終バスは午後8時前、さて帰宅が遅くなるからどこかで食事して帰ろうと思ったが、よく考えてみると不可能に近いことがわかった。つまりこういうことである。まずJRまでバスに乗るが、15分くらいかかるので駅前のちょっとした食堂は閉まっている。何しろキオスクが6時閉店、駅前の再開発の進んでいない古い商店街は所詮田舎と同じ、客も少ないから大半は8時で終りである。
さらに悪いことには、電車に乗って自宅最寄りの駅に着くのは9時を過ぎる。いくら都会でも一般食堂の類はほとんど閉店してしまう。居酒屋のようなところでもいいのだが、生憎私の場合は夜遅くなってからすきっ腹にアルコールを入れるのはちょっとまずい体になっている(これを続けるとあっという間に腹に皮下脂肪が溜まる)。それで仕方なく帰宅してから米無しの軽食を口にするのである。
私の場合は通勤時間が長いのと、病気による特殊な事情があるためにやりにくいという面もあるのだが、今の事務所で働く人の大半は車通勤。それがために「帰りに一杯」ということはまず不可能である。ということは年がら年中自宅と会社の間を往復する生活を続けることになる。ある意味では健全かもしれないが、欧米などと違って平日の余暇時間を有効に使えるような環境、公園やスポーツ・文化施設などが十分に整っていなく、なおかつ労働時間も通勤時間も長い日本では休日だけが唯一の体を休める時間であって、仕事仲間や、地域社会とのつきあいができるような環境とは程遠いということが言えるだろう。

2000.09.18:

8月29日の日記とそれに対する掲示板でのプリンター関連の話題だが、「往年の名機」といえば思い出すのがこれまたワープロの名機「OASYS」と付属の24ピンドットプリンターである。
使いすぎでヘッドにあるピンが折れたケースもあったが、総じて丈夫、リボンがこれまたエンドレスのメビウスタイプで表裏のインクが最後まで使えるという省資源の発想が最初から活かされていた。言っちゃ悪いが富士通の純正ではなく、恐らくどこかのOEMであろう。但し大きな難点がひとつあった。それはリボンを交換する時にカセットにうまく収めるのに工夫がいり、間違えると手は真っ黒、最悪はリボンがばらけてしまって戻すのに苦労することであった。手が汚れない様にビニールの手袋が付いているが、汗で手袋の内側がべっとりとなったこともあった。それからざわついた事務所では目立たないが、リースの切れた中古を持って帰る人がいて、自宅で使ったら「ピィ〜ン」という甲高い音で悩まされたというほど大きい音がすることである。
「OASYS」本体も評判がよかった。ひところはワープロとしてのシェアが9割に達したはずである。私が感じたのは機能もさることながら、マニュアルが非常にわかりやすかった。あれに匹敵するマニュアルは以後とんとお目にかかれない。ワープロ専用機はもはや風前の灯、しかしオフィスのOA化に果たした役割は非常に大きかった。

2000.09.17:

今月からマンションの塗装工事をやっているが、比較的傷が少なく、ほっと安堵した。最も気にしていたのは震災によるひび割れが多数発見されることだったが、意外にも単なる経年変化によるものばかりだった。
むしろ10年前に施工した時の不十分な下地処理から発生した仕上げモルタルの浮きが特定個所に目立っていた。
ここしばらくは工事関係で周囲がざわつく。建物全体も防塵ネットで覆われているので部屋の中が薄暗くなっている。工事が無事に終わることを祈ろう。

2000.09.16:

今日はネット仲間数人との楽しい語らいの場を持った。今日はどちらかというとコンピュータ関連の話というより雑多な話題が多かった。もちろんそれで不満があるというわけではない。むしろ普段大企業の中の狭い世界では知ることの出来ないものである。
世間は広い。彼らとは1年を越えるつきあいがあるが、そのことを踏まえた上で物を語るというスタンスがなければ長続きはしないだろう。

2000.09.15:

訳あってターミナルアダプタを新しいものと取り替えた。
実はPCを新しくした時と同じ2年半前にTAも買ってネット生活が始まったのだが、なぜかこのTAは電話機との相性が悪いらしく、電話を受信して受話器を上げると、プッツンと切れたりするので困っていた。ヨメハンもいやな顔をするので色々調べていたが、NTT、TA、FAX付電話機それぞれ単独では問題は見つからず、ネット仲間にも相談に乗ってもらった結果、一度TAを交換することにしたのである。
とにかく一番困ったのは現象が起きるパターンがまったく掴めなかったことである。例えばFAXだけが受信できないとか規則性がある「虫」なら原因がある程度絞り込めるのだが、不規則に発生する、俗に言う「幽霊」が出るのである。ネット仲間に聞いたら、「ナンバーディスプレイ(N/D)」のせいではないかと示唆された。確かにN/Dは契約していないし、TA、電話機ともに非対応である。ということでN/D対応のTAを買い、「N/Dを使わない」という設定にして様子を見ることにした。結果が出るまで1ヶ月くらいかかるだろう。
1万6千円近いちょっとした買い物になったが、放置するよりはマシということで決断した。
ところでTAを買うにあたってちょっと腹立たしい目に合った。ネットで価格を調べていたら数社のうち1社だけが飛びぬけて安い。ひょっとしたら何か原因があるのではないかと思って電話をしたら思わぬことが判った。つまり他社は店頭と同じ価格で売っているのに、ここだけは店頭売りと別価格を設定したうえに送料をわざと高くしていて、結果として他社よりも高く売るようにしていたのである。試しにこの会社が出している店に行ったら、何と店頭価格は送料を上乗せした価格よりもさらに高かった。仮に悪意はないとしても、印象だけは確実に悪くする。勿論ここ以外の店で買ったが、店主曰く「ああ、あそこはいつも送料で稼ぐんですよ」と肩をすくめた。
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本稿を書いた後でシドニーオリンピックの開会式を見ていたら、ある思いがしたのでちょっと触れる。
それは開会式前のアトラクションと聖火リレーである。聖火リレーでは歴代の女性メダリストを起用し、そしてアトラクションでは先住民の歴史を全面に押し出した。いずれもこれまで過小評価されていた人達への謝罪ときちんとした対応が読み取れる。南北朝鮮の統一選手団というのもひとつのトピックスではあるが、私にはそちらの方が大変印象深かった。
翻って日本では日本チームのメダルの数ばかり強調しているが、世界の中で日本人選手がどういう位置づけをされるのか、どういう先進的役割を果たすのかという視点がもう少しあればと考える。戦前、あの前畑選手が優勝する前の大会で銀メダルを持って帰った時、「なんだ、銀だったのか」という言葉を彼女に浴びせたというエピソードから変わっていない国威発揚的体質はもうちょっと何とかしてほしいと思う。
もう一つ、NHKでいつも流されるオリンピックのイメージソング、あの下手糞な歌はやめてもらいたい。喉にひっかけて歌う地声は聞いていてうんざりする。

2000.09.14:

ちょっと将棋の話を引っ張る。
昨日「実力は???」と書いたが、実際のところ会社の昼休みだと人並み+α程度である。認定試験は受けたことがないので段持ちかどうかはわからない。
自慢にはならないが家庭では勿論負けることはない。ヨメハンと子供から「相手をしてくれ」と頼まれて指すこともあるのだが、いつもいわゆる「6枚落ち」すなわち、私の方は玉の両側金銀4枚と歩だけ、というハンデをつける。これで全戦全勝しているのだが、私の強情な性格からか、絶対に手抜きをして相手を喜ばそうということはしない。
ヨメハンが「たまには負けてよ」と言うが、私は「本人の教育のためによくない」と屁理屈をこねる。ヨメハンはヨメハンで一緒に遊ぶのが主な目的だから逆に勝負にはこだわらない。従っていつまでも上達せず連敗を重ねるわけである。
ものすごいハンデだから本当は駒の交換を恐れなければ勝てるはず。それをアドバイスしても未だにそれを嫌う。結局両人とも意地の張り合いをしているのだ(笑)

2000.09.13:

通勤電車の中、すぐそばで若い女性の二人の立ち話、何やら話が弾んでいる。よく聞いてみると東京−博多間の新幹線の全駅名を一生懸命暗記しようとしていた。
東京−博多間全23駅を覚えるのは結構骨が折れる。途中で厚狭(あさ)駅を「あつきょう」と読んでみたり、聞いていて面白かった。しかし苦労している割には進歩がない。どうせ電車の中での暇つぶしといえばそれまでだが、ずっと聞いていて何が困難の原因か少し見えるような気がした。それは何かと言うと、駅名を全部直線的に羅列して丸暗記で覚えようとしていたことである。
23個もの固有名詞を連続して覚えるというのは「寿限無、寿限無・・・」と同じでどだい無理がある。それで私自身はどうしているか考えてみたら、あることに気付いた。私の場合は日本地図を頭に描いて都市や駅名を二次元的に記憶しているのである。実はこういう二次元で覚える習慣は小学生でそろばんを習った時からついている。
そして特にそろばんをはじいている時よりも暗算の時にその力を発揮したらしい。というのも暗算をやる時はそろばんを頭に描いて頭の中で珠をはじくからである。私はその面がやたら強かったらしく、小学6年に暗算の競技で賞を取ったことがある。お陰でこの年になっても3桁の読み上げ暗算は何とかこなせる。
こうのような記憶方法は囲碁・将棋にも生きている。勿論実力は???だが、高段者やプロも同様に(もっと高度だろうが)盤面を頭に描いているような話を聞いたことがある。
囲碁・将棋で思い出したが、まれに頭で考えずに盤面に指を置いてシミュレーションする人がいる。これは相手の思考を妨害し、マナーに反する行為だろう。

2000.09.11:

今日は久しぶりの本降り。考えたらわずかの雷雨を除いて7月の梅雨明け前に本格的な雨があって以来である。この雨で少なからず被害の出たところもあるようだ。
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見えない出口・2
とにかく設計段階からまともに仕事が進まない。根本的には未熟な担当者が一人でこなしているのが原因だが、上司も周囲も知らん顔である。というのも彼は自分自身でももてあます仕事であることをある程度わかっているのだが、それを正面切って訴えることができずに抱えてしまい、問題が顕在化しないままになっていたからである。しかし他部課の担当者レベルでは大問題に発展する可能性を感知していた。
そして一番まずかったのはこの担当者は途中から居直ってしまって「どうにでもなれ」という態度になってしまったことである。そのせいで仕事はますますうまく行かなくなり、周囲も同情することをやめた。
一度はこんなことがあった。私はある装置の架台の寸法制限がいくらになるか彼に問い合わせていた。ところが納期ぎりぎのところに来てものらくらしている。ついに私も半分怒りの表情で「どないするんや」と尋ねた。ところが彼はヤケクソのような口調で「前と同じ程度と思ってましたけど」と言うのである。「前と同じ・・・」、今までそんなことは説明すらなかったし、私は彼の言う以前の仕事は担当していないので寝耳に水である。どう考えてもその場しのぎの発言としか思えない。しかし時間がないのでとにかく装置メーカには現在の外形寸法で問題なしとして指示するより外なかった。
この時私は、「ああ、これではだめだな」と痛感せざるを得なかった。
またこんな話もある。彼は客からの依頼で、あるセンサーを探していた。センサーについては彼は素人。こちらに相談すれば何社か紹介できたものを、彼はある会社のカタログからそこへ電話して技術打ち合わせをし、見積を取った。ところがそのいきさつを一切伝えずに自分でメーカーへすぐにでも発注をするような話し方をしてしまった状態でこちらへ仕事を振ってきたのである。
結果は悲惨だった。こちらで仕様を細部に煮詰めて数社へ引き合いしたら一番安値は何と決め打ちしてしまったメーカーの半値だったのである。それであわてて彼を問い詰めたら、相手の営業はこれまた本来の担当であるこちらへ確認もせずに品物を既に作ってしまっていたのである。悪いことに相手の営業も筋を通すことを忘れて舞い上がってしまっていたらしい。しかしこちらも数百万円もするものをべらぼうな値段で買うわけにもいかず、結局先走りしたメーカーに泣いてもらうしかなかった。もし相手が中小企業なら違法行為(口約束でも注文が成立したとみなされる)として大変な問題になるところだった。
すべてがこの調子だったから、工場内での製作や据付けではさらにひどい話が出てくる。それはまた次回。

2000.09.08:

昨夜は職場の若い同僚が2人転勤になることからの送別会があった。補充はないからものすごく痛手である。仕事が減っているとはいえ、減らす方は簡単だが、いざ仕事が戻ってきてもなかなか人は増やさない(増やすことが罪悪のように語られることもある)し、新しい人が来てもまた最初から育てないといけないので大変なのである。
今の事務所全体でも相当大掛かりな人減らし、特に子会社への出向を中心にやられるとの噂が出ている。私は新幹線組の方の人減らしのあおりで来月から仕事が増える。

2000.09.06:

見えない出口・1
昨日三宅島のことを書いていて、ふと現在進行中の仕事で半年以上遅れたままのゴールの見えないプロジェクトを思い出した。この仕事、ある意味では今抱えている多くの人的・物的問題を一手に引き受けたような感じがあるので、この際だから紹介する。但し1日分としては余りにも長くなるので数回に分けた。
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プロジェクトが始まってからもうかれこれ2年になるだろう。受注前の検討段階を含めるともっとあるのだが、私は実際に受注して号砲が鳴ってから参画したので以前の話は詳しく知らない。
作る製品は大手ゼネコンに納入するさる大型機械である。我社が最終組み立てをするが、他3社にも部分を製作してもらうというトータル数十億円の機械だけに、数々の困難が予想された。
そしてその予想通り、つまづきの石を次々に踏んで行くのである。まず最初は事前に4社間の詳細な仕事の所掌範囲を決めずに丼勘定の発注金額を決めるという、基本中の基本を忘れてスタートしたことである。これが後に製品が完成した時点で問題化した。つまり「あれも追加、これも追加」として請求が来た時に、それに反論すべき証拠の取り決め文書が一切存在していなかったのである。
次に人的問題として、基本設計の担当がたった一人、これに上司が一人ついただけという誠に情けない陣容でスタートした。上層部は何を考えていたのか知らないが、4分割で製作するのでそんなに人はいらないと虫のいい判断をしたように思える。しかし、実態としては出図は遅れに遅れて私が担当していた仕事にも多大な影響を与えることになった。直接的には、納期が間に合わなくなるという理由で詳細仕様を詰めないままに下請へ発注せざるを得なくなるという局面に陥ったのである。ちなみに私が担当したのは電気設備の関連である。

2000.09.05:

三宅島の全島避難、えらいことになってしまった。
見通しは暗い上に避難先での生活は決して楽なものではない。そして何よりも当面のことはしのげてもそのまた先、つまりいつ島に帰れるのか、はなお一層暗闇の中にある。
この先が見えない、ゴールがいつになるのか全く定まらないという不安は人の心に沈殿して重くのしかかる。私も震災で経験したことだが、交通機関がいつ復旧するのかわからない時期とか、いつ余震が終息するのか見えない頃には実に憂鬱だった。
また、これは少し意味が違うかもしれないが、海外の工事現場でいつ仕事が終わるのか決まらない間は疲れがものすごく残ったことを記憶している。これが帰国の日が決まると同時に仕事がまったく苦にならなくなったのである。
周囲が「大変だ、大変だ」と騒ぐ以上に、彼らの心の重荷は想像を超えるものがある。私だって今は冷静でいられるが、もし再び我が身に襲いかかることを考えるとぞっとする。
今は彼らの重荷が一日も早く取り除かれることを祈り、物心両面の支えをしなければならぬ時期である。

2000.09.04:

最近の雪印事件を始めとする企業の欠陥商品や不祥事について、昨日あるアメリカのジャーナリストがこう指摘していた。「日本の企業には謝罪の言葉はあっても、リスク・マネージメントがない」
リスク・マネージメントとは、予期せぬトラブルに対する原因の究明と対策を中心とした社内手順、および顧客や被害者、関係先・マスコミなどの対外対策をまとめたものである。と同時にそうしたリスクを回避するための品質管理基準も含まれると考えていいだろう。
確かにそういう面はあるだろう、と私が思っていたら、今朝の日経に三菱自動車のリコール隠しに対しての一面謝罪広告が出ていた。確かに謝罪文だけ(それが悪いことではないが)で、どこがどうしてトラブルになったのか、今後どうするのかという具体的記述はひとつもなかった。
謝罪は当然としても、問題点を公開して世間の信用を取り戻すという姿勢は歴史的にも日本の企業にはない。しかし世論の流れは明らかに情報公開を求めている。先日も私の会社で客先立会い試験の最中に機械の不具合が発見されたのだが、最後まで隠し通し、後でコソコソ手直ししてしまった。企業内部ではまだまだ世間の常識レベルに達していない。

2000.09.02:

子供達のちょっとした出来事で、考えさせられる話を聞いた。
子供を抱えておられる方ならご存知だと思うが、「遊戯王カード」が最近大流行している。当然それにまつわるささいないざこざも発生しており、先日うちの子供もちょっとしたすきに貴重なカードを取られてしまった。犯人は常習犯の子で、学校でも気にしている。
それでヨメハンと何人かの母親が担任の先生と話し合い(文句をつけにいったのではない)をしていたら、先生から「近頃の子供は盗まれても悔しさを表わさない」との発言があったという。
これは驚きである。私の直感では、すぐに買ってもらえるあるいは十分に小遣いを貰っているためにすぐに買い直せる環境にあるからだと思う。どうやら高度成長期あたりから育ってきた親自身が、金銭やモノに対しての欠乏感をあまり知らずにいることが背景にあるように思えてならない。
以前に書いた青年の実家への寄生もそうだし、最近のアンケートでも就職難の時代、定職を持つことに執着しない子供が増えていることの裏に、それを容認し問題と思わない(あるいは「仕方がない」と諦める)親が増えていることが大きく関わっていることを指摘しておきたい。
特にこの点に関しては、単にそういう親を批判するだけでなく、親としてのあり方について社会的な議論と一定の方向づけが合意される必要があるのではないだろうか。

2000.09.01:

新学期になって学生達が戻ってきたので、通勤電車の中も賑やかになった。
仕事の方だが、9月に入って早々あまり気分の良くない話を聞いた。
来年3月までに100名近い人間が関東からやってくると同時に、逆に現有メンバーが100名以上他工場へ配転あるいは子会社・他社へ出向させるという。そして早くも身近な若者2名が近く職場を去ることになった。
会社としては昨年度が赤字、今年度も赤字が確定、来年度も水面すれすれというひどい状態とのことだが、真っ先に人を減らすというのは心底腹が立つ。秋には希望退職も募り、来年の新規採用は今年の3分の1にする。
確かに景気はまだまだ回復せず、仕事も少ない。しかし、人を減らすのはあっという間だが今後仕事が増えたらすぐに人を入れてくれるかといえばこれはもう牛歩のごとくである。人を増やすのは罪悪のように言われることもある。
入社以来2度の大規模な人減らしを経験し、涙を飲んで職場を去った人達のことを思い出せば、自分が残ったことを「喜ばしい」などと胸をなで下ろす気にはなれない。明日は我が身かもしれない。