悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

00.07


2000.07.31:

どうも政治家、それも逮捕された元通産大臣とか辞任させられた金融再生委員長は我々と住む世界が違うようだ。つまり普段の生活や物の考え方がまったく異なる「永田町」とかいう特別な地域が日本という国の中に存在するらしい。
彼らが「永田町」に移住するまではそれほど我々と違った生活ではなかったと思う。それが次第に異常な事が異常でない世界に永年住むようになって、人からたかることを不思議とも何とも思わない世界に慣れていったのだろう。
私はこういったことの例としてこんな表現を使うことがある。「周囲が肥満ばかりの人間ならば自分が肥満であることに気付かない

2000.07.29:

例の「盗聴法」がいよいよ施行される。安心して電話もメールもできないかもしれない。
友人とそんな話をしていたら、ちょっと風変わりなソフトがあることを聞いた。電話を使って相手のPCと直接接続し、互いのフォルダがエクスプローラーのように丸見えにできるというのである。
確かにこれだとサーバーを経由しないのでネット上からは見えない。但し、もし盗聴されたら最初は何のことかわからない信号に見えてもその内に解析されてしまうにちがいない。
こういう信号技術は昔、音響カプラという形で存在した。会社で実際に使っていたのは、PCをホストエミュレータとして使う時に電話(当時は黒電話)をかけ、呼び出し音と同時に音響カプラに受話器を突っ込むというものであった。速度も千bpsを越えたくらい、雑音が多くてよく切れるものだった。もちろんその後はちゃんとしたモデムが出回ったために短命であった。
それから電話回線ではないが、私はMAXLINKというPC同志を直接繋ぐシリアルケーブル付きソフトをしばしば利用した。相手マシンを自分の拡張ドライブに設定するソフトだが、今でも売っていると思う。まだLANが社内に完備されていない時代のこと、FDに収まりきらないファイルは圧縮・分割して同僚のマシンにコピーするのだが、これが面倒臭い。そういう訳でこのソフトを見つけた時は本当にうれしかったのを覚えている。実際、出張でラップトップ機(ノートはまだなかった)とMAXLINKを持って行き、自作の業務処理プログラムとデータをごっそりコピーしたこともあった。
極めつけはFDならぬHDの丸ごとコピーである。延々1時間かけてコピー元のクローンを作った。なぜそんなことをしたか?それはご想像にお任せする(笑)

2000.07.27:

無念なるかな、コンコルド機が墜落、多くの犠牲者を出してしまった。
これから原因究明に向けて問題が洗い出されるだろうが、やはりこれだけの惨事にならないと真剣に教訓を得る努力がなされないのかと思うと、残念でならない。
私は20年ほど前にシャルル・ドゴール空港で実物を見たのだが、その頃から騒音問題が騒がれていた。今回、前日の亀裂騒ぎがあったばかりで、そろそろ耐用年数のことを考えないといけない時期に来ていたらしい。
同じ物作りに携わる人間として、たとえそれが人命に直結するかにかかわりなく、いい品質のものを作ることと先の事を考えることがいかに大切かを、クローズアップしているように思う。
もちろんこれは私の第一感であって、詳細が明らかになれば真の問題が出てくるであろう。また、そうでなければならない。

2000.07.25:

最近の親子関係について、多くの人が指摘している事だが、何かおかしいところがある。
先日のTVドラマを見ていて気付いたのだが、以前ここに書いた家庭内でも「いい子」を要求される点だけでなく、親自身も「いい親」を演出しようとしているのではないかという気がする。
本来ならやりたい放題、言いたい放題になってもおかしくないはずの家庭が、まるでフィクションのような世界に変化しているとしたら、人間の個性は育たないだろう。理想の親と理想の子供は概念的には存在できても、現実にはありえないし、もしあったとしたら失敗もなければ学ぶ事もない無味乾燥な家庭となってそのうちに崩壊するだろう。
特に思春期以降の子供を持つ親にとって、親の悩みとか悩みをどう解決したかを語る事は重要である。子供達が親や社会の問題とか矛盾に目覚めた時、その嫌悪感に対して目をそらし、いつまでも上っ面だけの親の体面を保とうとしても無理である。
子供が少しづつ社会の本当の姿を知ろうとしている時に、いい事も悪い事も含めて本音を語らずして納得させることはできない。思春期の子供というのはそれが理解できる入口にさしかかっているのである。

2000.07.24:

ポケベルの「関西テレメッセージ」に続いて、PHSの「アステル関西」が消滅することになった。
言うまでもなく携帯電話の猛烈な伸びで、ポケベルもPHSもあっという間にすたれたからである。それにしてもこれほど急激な変化にはびっくりする。今通信の世界がひとりにぎやかで、その分浮き沈みが激しいということだろうが、ファッションの世界ならともかく、会社の興亡にまで影響するとは思わなかった。まるでおもちゃ業界のような感じがする。まあ、実のところ携帯電話はひところのポケットゲームに似ていなくもないが。

2000.07.22:

サミットということでTVでも沖縄の紹介とともにバックに沖縄音楽がよく流される。あの独特のメロディーだが、音楽に詳しい人ならご存知、「レ」と「ラ」がまったくない、あるいはあってもごく少ししか含まれないのである。試しに楽器で「ドミファソシド」とやってみると良く分かる。
このように沖縄の文化は独自のものがある。その独自性がまた彼らのアイデンティティーでもある。神戸とか阪神間には沖縄の人達が多い。理由は良く知らないが、苗字を聞くとそれらしいことがわかる。

2000.07.21:

外出したが猛烈に暑いので喫茶店で休んでいたら、ある週刊誌に信じられないようなダイエットの記事が出ていた。
本当にやったらしいが、正常な神経ではとてもやれないすさまじい方法ばかりである。その中で目を引いたのは「お菓子ダイエット」と「食中毒ダイエット」であった。
「お菓子ダイエット」は3食ともお菓子、結果は逆に太ったというものである。そりゃそうだ、このごろのお菓子、特にケーキなどは昔と違って人工甘味料などを使わない本物志向だから糖分と脂肪の塊であり、間違いなく太る。
次の「食中毒ダイエット」はわざと賞味期限を過ぎて腐りかかったものばかり食べ、食中毒で下痢を起こして痩せようというものである。当たり前の話だが、見事に痩せてそのまま病院行きである。ダイエットと命のどちらが大事か、冷静に考えたらとてもやれない方法である。
週刊誌には出ていなかったが、「寄生虫ダイエット」というのを聞いた事がある。想像はつくだろうが、腸にサナダムシを飼うのである。これも命が惜しかったらやらないに限る。
私も糖尿病で9Kgのダイエットを経験したが、やはり正攻法が一番の近道である。すなわち1ヶ月程度すべての食事の量を測り、80Kcalを1単位として、ごはん一杯は何単位、牛乳200ccは何単位、というふうに目分量で覚えていくのである。会社の昼飯はカロリー表が出ているのでそれを見て何を減らすか考える。判りにくいのは外食であるが、なるべく定食にして、ごはんは半分、添え物のスパゲッティーも半分というようにする。炭水化物と脂肪分を抑えるようにするのだが、もちろんドレッシングとかマヨネーズのぶっかけは厳禁である。
単位法の利点は計算が簡単であるのと深く考えずに済むことである。それと毎日の単位は平均であって厳密に考えない事。目くじらを立てるとかえって精神的負担になる。
糖尿病を「ぜいたく病」という人がいるが、私は逆に「貧乏病」、すなわち質よりも量ばかりガツガツ食った結果だと解釈している。糖尿病には逆に贅沢な「京料理」、本当においしいものを少しづつ、というのが理想だと考える。

2000.07.20:

今日は休日で家にいたが、まだ明るいうちから猛烈な雷雨に見舞われた。
横なぐりの雨と前後して雷がごく近いところに5〜6発は落ちただろうか。強い稲妻とほとんど同時に、ゴロゴロではなくドーンという強烈な音がする。一応電気工学を学んだので、雷のメカニズムも知っているし、学校で実験もやったから気にする事はないのだが、やはり何発も落とされるとちょっとビビってしまう。
多くの人が「電気は目に見えないので恐い」と言うが、簡単に説明すると「銅のような導電体を通じて伝わる振動(交流の場合)またはポテンシャル(直流の場合)エネルギー」のことである。雷は空気の分子がイオン化して導電体となり、雲と地面の間に発生する電気エネルギーが放出される現象である。確かに目には見えないが、計測機器によって間接的に見る事ができる。
そう言えばPCも電気の応用、インターネットの世界だって電気的スイッチのオン=オフを高周波パルスにして送り、画面に表示してることでは電気の計器と同じことである。だから、雷も恐れるに足らず・・・とは大袈裟か?

2000.07.19:

17日の日記に関してだが、このごろの管理職、というか重役クラスはなおさらなのだが、無理難題を押し付けておいてできなければ怒鳴る・暴言を吐くという例が多い。
もしこれが私の勤める会社だけの話なら特殊な例として済ませられるのだが、例のカルロス・ゴーン氏などを見ているとそうとも言い切れない気がする。私の会社でも重役が「死ね」、「辞めろ」、「頭を剃れ」と発言した例を知っている。
こうなると下の人間は事実すらも言えなくなる。
まともな管理者(私の理想であるが)なら、部下の失敗に対してまず事実を語らせ、取るべき対策を打った上で部下を叱り、しかる後に上に対して問題が拡大しないような言い方で報告するであろう。
しかしくだんの若い責任者は恐らく問題を報告していないと思われる。というのも報告しても罵られるだけで助けては貰えないだろうからである。彼としては自分ができる範囲の手を打っておいてから助けを求めればいいのだが、未熟な上に無理を言われているがためにそれができない。しかしそれを上司に報告しても「お前はそんなことすらできんのか!」と怒鳴られるのがオチであることは目に見えている。だから正直には言えずにそのまま抱き込んでしまう。その結果として問題が先送りにされたままついには表面化し、対策も打てない状態になってから上司の耳に入る。すると今度は最初に書いたような聞くに耐えない罵声が飛ぶのである。
実は直近の株主総会で社長が交代したのだが、前社長は無茶苦茶なコストダウンを要求すると同時に猛烈な人減らしを打ち出した。そして彼は尻込みをする部下に対しては罵詈雑言を浴びせる持ち主だった。当然それは居並ぶ重役に伝染し、そして下へと次々に集団感染していったのである。
今度の社長はこの無理なコストダウンを批判した。少なくとも事実は認識したようである。勿論社長が交代したから赤字がすぐに解消するわけでもないし、リストラが中止される事もないだろう。しかし人の話を聞き、事実は事実として認識する能力を期待する。さもなくばまたもや同じ轍を踏むことになるだろう。
人は恐怖心を植え付けられると正直でなくなる。そのことが理解できない上役は恐怖としての存在ではあってもやがては本当の事を聞かされることはなくなり、裸の王様になるしかないだろう。気付いた時には誰からも信用されなくなり、冷たい視線を浴びながら職場を去ることになる。

2000.07.17:

今日は実にはっきりしない会議に出た。
そもそもはある現場に関するうちの設計担当者と工事業者との工程打ち合わせだった。ところが業者は「うちの仕事ができるようにちゃんと準備してくれ」とだけ言って具体的にどれくらいの日数と人数が必要か提案しない。設計は設計で業者に渡した工程表を「また変わるかもしれない」といい加減な事を言う。これでは仕事は走れない。ゴールがどこにあるか見えないからである。
そこで話を聞いているうちにある重要な問題が見えてきた。つまり工程表が朝令暮改で毎日くるくる変わる。おまけにこの工程を書いているのは半人前の若い責任者(いわゆるプロマネ)で、客から何か言われる度に右往左往している状態だったのである。おまけに彼の上は全く手助けしない。こんなことで現場がうまくいくはずもない。実際現場では総務の仕事も含めた纏め役が誰もいなし、協力する人間もいないということを聞いた。
はっきり言って会社の恥を看板にして歩いているとしか思えない。以前にも書いた物作りの実力の低下がここにも現れている気がした。もちろん客先側も似た状態にある。

2000.07.16:

マンションの外壁塗装工事の詳細も決まり、9月からの工事となった。この不況で競争が激しいせいか、金額も予想を下回り、予算に余裕ができたので屋上の防水工事も追加発注した。工事期間を9月からとしたのは暑さで作業効率が落ちるのと、建物を覆う防塵ネットで蒸し風呂になるのを避けるためである。
今日は気温も35〜36℃と猛暑だった。夜になって今度は月食が始まっている。考えたら今日は祇園祭の宵山、もうすぐ梅雨明けである。

2000.07.14:

最近の会社での話題は何といっても雪印とそごうである。今日も社内外の数人と仕事の話をすることがあったが、枕詞はやはりこの話題である。特に雪印については9日の日記に書いた私の意見とほぼ似通っている。
その中で注目すべきは乳製品にかかわる業界の今後を憂慮する声であった。すなわち酪農家や牛乳の販売店・スーパーなどの売り上げ激減が心配されるからである。
ちなみに酪農家の場合、他社へ出荷する話し合いが進んでいるようだが、もし引き取り手がないと収入は減るし牛そのものへの影響も出てくる。乳牛は毎日乳を搾らないと乳腺が腐って生死に関わる。
こうしたことに思いを巡らすのが庶民としてのごく自然な感覚である。「社会的責任」とはこういう感覚を言うのではないか。

2000.07.13:

そごう百貨店グループが事実上倒産した。債権放棄にからんで税金による補填が撤回されたからである。バブル崩壊以降、日本の企業のありかたが問われてきた。その意味で国民世論が今回のような解決の仕方に「ノー」を突きつけたわけである。
このことの意味は大きい。簡単に言うと、企業の問題は企業自身の責任で処理せよ、経営者はもっと自覚を持てということである。雪印の事件といい、今まで問題とされながらも先送りにされてきたことがここで一気に顕在化したのではないか。
今「企業の社会的な責任」ということが注目されている。社会的責任というと「金を儲ける事だ」とか言ってみたり、「生き残り」のためには何をやってもかまわないという論調が振りまかれてきたが、もはやそんな主張は国民には通じない。国際的に見てもなおさらである。
私は今回の事件が日本の経済活動全体を見直す一つのチャンスではないかと見ている。
また、国際社会から見た日本企業の行動については別途書くつもりである。

2000.07.11:

雪印の事件はただならぬ様相を見せている。
古い製品、それも期限の切れたものを再使用しているのだから尋常の神経ではやれない。こうなると会社ぐるみという点も疑われてくる。
こんな調子では大阪工場以外についても何か問題はないのか疑われてくるし、雪印の全製品に対する不信感は一層強くなるだろう。最悪、会社の存続も危うくなるかも知れない。そうならないためにも、一日も早く全容の解明が必要になる。
振り返ってO−157の濡れ衣を着せられたハム・ソーセージの会社、未だに売り上げが回復しないらしい。こちらは支援が必要だろう。

2000.07.10:

ついにアクセスが5000カウントを越えた。それもよりによって自分で5000番を踏むというおまけ付きであった。
このHPを開設してから1年半、一日平均約10名の方からのアクセスがあったことになる。有名サイトでもなく、どちらかというと堅い内容にもかかわらず、地道に読んでいただいているということは私にとって無上の喜びと言わねばならないだろう。
勿論5000カウントを迎えたとはいえ、明日もまた辛口の内容でお送りする。どうか今後も我慢して読んでいただけることを期待する。また辛口の批評もお願いしたい。
ともあれ読者の皆様には感謝にたえない。

2000.07.09:

例の雪印事件、話を聞けば聞くほど問題の深さがクローズアップされてくる。
その中でも最大の問題は社長の発言である。「私は寝ていない」という言葉がすべてを語っている。
要するに直接の被害者、ならびに謝罪に回っている営業マンの心情が理解できない人間が社長の座にいるということに他ならない。
企業には社会的責任というものがある。従って社長にはその責任を認識できる資質がなければ勤まらない。しかるに雪印の社長の発言にはそのことの認識がないばかりか、人命に関わる「食品」という製品を作っていることの重大性すら理解していないように見えて仕方がない。
確かに社長自身がすべての事実を知らされていなかった事情はあると思うし、その点についての重役の責任は免れないだろう。しかし、それを社外に向かって平然と語れるかどうかは別問題である。こういう人間が社長として存在できるほど世界は甘くない。私の意見では、世界の恥である。
もう一つの問題として、日本には社会的責任を自覚していない社長が多くいるという現実、つまり自社の実務に疎く、かつ社会的な影響を考慮できない人物が社長に選ばれていることがあると思う。儲かりさえすれば何でもいい、そういう風潮の反映がそこにある。
今年から国際会計基準というものが企業の決算に取り入れられるようになった。主旨は情報開示である。社長もそれに見合った人物が選ばれなくてはならない時代に来ているという事を認識すべきである。

2000.07.08:

世の中には不思議な事が色々あるが、私の仕事の関係でもこんなことがある。
主に工業製品の話だが、カタログには載せていても今まで作った事がないという品物が存在する。勿論これには理由がある。例えば軸受などはHDDの円盤を支えるような小さな物から、大きいものは戦車の砲塔を受けるものまで、各種の形状・サイズの需要が想定される。従ってメーカー側はどんな要求にも対応できるよう、カタログ記載のすべての製品についてあらかじめ設計だけしておいて、需要の多いものは量産、数が出ないものは受注してから製作を始めるのである。
だからカタログには実際の需要よりも広めの範囲にしておいて、客先に「私どもはこれだけのことに対応できます」とアピールするわけである。当然の事であるが、いざカタログを出してもすべての商品に注文がくるはずもないから、未だに作った事のないという製品が出てくる。で、これが曲者となる。
買う側にとっては作る側のそんな事情は知る由もない。そこで始めて作った製品を注文するというケースが希に発生する。そしてこういう品物に限ってトラブルが発生するのである。
量産品の不具合は発売初期に解決されていると見て良い。しかし初めて作る製品というものは設計通りに動かないことがままある。航空機のような安全性を重視されるものでもそうなのだから、一般工業製品ならなおさらのことである。ところが、使う側は初品であることを知らないので、トラブルが発生してからメーカーに「実は初めて出荷する製品でして・・・」と言われて腰を抜かすというパターンに陥るのである。
私もそういうことを数回経験している。だからカタログは信用しないということではないが、「受注生産品、価格・納期はお問い合わせ下さい」と書いてあるものには気を付けるようにはしている。

2000.07.06:

雪印乳業での細菌毒素による食中毒は大変な事件になりそうである。今日は社長が辞任を表明した。
製造ラインが停止した後の洗浄作業に抜けがあったことから菌に汚染されたということが最初に問題になった。まず、ここから事実関係の究明をせねばなるまい。さらに問題になるのが低脂肪乳だけでなく、他の製品も汚染されていた上にその事実を隠し、多少といえども対応を遅らせたことである。結果として1万人を越す被害者を出したことは二重の犯罪行為と見なされても仕方あるまい。
そこでちょっと気になることがある。社長の辞任と同時に大阪工場の閉鎖が取りざたされているようだが、原因調査が最終結論を出さない前の閉鎖というのは疑問がある。
記憶に新しいところだが、核燃料処理工場での事故でマニュアルに違反した指示が出されたことでも明らかなように、今回も洗浄に対する手抜きの指示があったかどうか明確にならない時点で、すなわち現場の末端を含んでの安全無視があったのかどうかを明らかにする前に、工場閉鎖というのは話の筋が違う。
結論が出るまでの営業停止だから事実上の閉鎖と同じ状態にあるとはいえ、事実関係を明らかにしないままでは、原因隠し、あるいはドサクサに紛れてのリストラと受け取られかねない。
臭いものに蓋をせず、問題を明らかにしてあらゆる教訓を引き出してもらいたい。伝統ある雪印の名前が消えるのは大変忍びない。

2000.07.05:

最近の電車を見て気付いたのだが、連結部の車体から庇が突き出ているものが走っている。まだ一部だが明らかに転落防止のためと見た。
車両の連結部にできるホームとの隙間に転落する事故が後を絶たないという話を聞いた事があるので、恐らくその対策だと思う。会社の同僚で実際に転落事故を目撃したという人は、こんな話をした。
朝の通勤電車の混雑で、彼は電車の中にいた。駅に着いて何やら声がしたのだが、電車が発車したその直後、「バキッ」という音とともに電車が停止した。ホームは騒ぎになり、ドアも再び開いたので彼は外に出ると、確かに人が線路とホームの間に挟まっているのが見えた。周囲の人達が集まり、電車を押して隙間を広げようとするがわずかしか動かない。続いて駅員が手助けをしている人達に、車両のホームと反対側に固まって乗るように指示を出した。人間の重量で車体を傾けようという計算である。しかしこれも大した事はなかった。
そうこうしているうちに、消防のレスキュー隊が到着し、事態を把握するとジャッキを手配して車両とホームの間に突っ込んで隙間を確保した。それでやっと被害者を救出したのである。
そこまで約30分、被害者は病院に運ばれたが、その後の報道で死亡した事がわかった。
この事故は典型である。これまで何人もの犠牲を払ってやっとこうした転落防止対策を備えた電車が登場した。おりしも「全国安全週間」、注意を呼びかけるスローガンや安全査察と同時に、この期間集中的に物的対策をやってもいいのではないか。

2000.07.03:

大雑把ではあるが、男女の差について書く。もちろんこれは絶対的な基準ではないが、「男は短期、女は根気」の傾向があるのではないだろうか。つまりウサギとカメのような感じである。
男は集中力に長けていて、何事にも一流プロは殆どが男である。但し試験勉強の一夜漬けは得意ではあっても後には残らないのが欠点だろうか。
これに対し、女は粘り強くこつこつとやるのが得意である。こうと決めたらテコでも動じない。だから見た目は派手ではないが、地道な努力には頭が下がることが多い。
ところで通学の途中で教科書や参考書を一生懸命眺めているのはまずもって女子である。男子で友達同志が一緒に勉強しているのもあるが、大抵はふざけながらやっている。こういうところにも違いがあるようだ。

2000.07.01:

残念な事に危惧していた神津島での地震で犠牲者が出てしまった。
マグニチュードとしては巨大でなくとも、震源の浅い直下型なので、一気にドーンとくるタイプである。これでは逃げる間もなく一瞬にしてあらゆるものが崩壊する。そういう中で被害に遭われた。ご冥福をお祈りする。