悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
00.12
2000.12.31:
21世紀まであと数時間。
今年も私個人のニュースをいくつか紹介しようと思ったが、生憎というか今年はこれしかないだろう。すなわちIP接続(商品名:フレッツISDN)になったことである。
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TVで今年の鬼籍簿を見ていたら印象に残る人が一人入っていた。
故黒田清さんである。読売新聞を飛び出し、反骨のジャーナリストとして孤軍奮闘していた人である。年齢は私よりもずっと年上だが、年老いて天寿をまっとうしたとは言えず、まことに残念であった。もし私がジャーナリストになっていたら見習いたいと思える人であった。
さて、このページをご覧の皆様、どうぞ良いお年をお迎えください m(__)m
2000.12.30:
昨年から私が時折書いてきたテーマに「個人の自由」と「民主主義」の問題があるが、今年1年を振り返るとどうもこの面での日本の進歩は遅いような気がする。
特に「青少年に奉仕活動を義務づける」などというようなアイデアが出るようでは、お先真っ暗である。
もちろん実施が決まったわけではないが、昨今の少年犯罪とかいじめなどがなかなか根絶しない原因を正しく分析できないとこんなとんでもない発想になるのか、と嘆きたくなる。私の友人で「次は徴兵制か」とまで発言する人も出ているくらいで、現実としては有り得ないとしても、一笑に付すことはできない。
現実問題として、もし奉仕活動を義務づけとなると相当困難が出て来るだろう。例えば兵庫県では既にボランティアの取り組みが一部でやられているのだが、これだって1年がかりで候補地や受入態勢が準備される。そしてもしトラブルでも起きようものなら次の年は絶対に受け入れてもらえない。子供たちが自分で望んで行くケースでもこうだから、さしてやる気もないない連中が行くとなるとどうなるのか、考えただけでもぞっとする。
ところで私は今年4月21日の日記で、日本では個人がバラバラにされている傾向を「作られた孤立化」いう表現をした。そうした消極的態度が子供たちに広くあるのだが、それを奉仕活動で解決できるものなら苦労はしない。上に書いたように「原因を正しく分析する」ことこそが今求められている。その詳細はまた書く機会もあろうが、今のところは有名な逸話である「北風と太陽」を思い出して欲しい、とだけ示唆しておくにとどめる。
2000.12.29:
今日で本当に「今世紀最後の」仕事が終わった。
「今世紀最後の」出勤をし、「今世紀最後の」電話をかけ、「今世紀最後の」メールを書き、「今世紀最後の」書類を作り、そして「今世紀最後の」「よいお年を」という挨拶をして、「今世紀最後の」・・・ええかげんにせんかい>自分
冗談はさておき、今の事務所では納会で一杯飲むということができない。圧倒的に車通勤が多く、アルコールは御法度にせざるを得ないからである。この日だけ全員に車をやめてバスで出退勤しろと言っても30分に1本あるかないかのダイヤでは運べない人数、おまけに最寄りの鉄道の駅まで歩くとすると最低でも20分かかる、そんな場所だから代替手段はない。
他の場所では考えられない環境である。以前は事務所を出て2分も歩くと市場があり、天ぷらや焼き鳥などしこたま買い込んで納会をしていた。それが今は懐かしく思える。
2000.12.28:
今日で年末の電算処理が終わった。「20世紀最後の」インプット・・・と、何でもかんでもこの形容詞を付けることができしまうここ数日である。
今日は役所の御用納め、しかし私の会社は毎年明くる29日まで出勤させられるのが通例。家族達が帰省する姿を見ながら出勤し、昼間は電話も少ない。
今回の年末は8日まで連続10日間の休みなので年明けにスキーに出かけることにした。切符の手配も完了し、息子もヨメハンも楽しみにしている。
2000.12.26:
年の瀬も押しつまって年末の挨拶が増えてきた。当然今年・来年の景気の話が多い。
IT、通信関連のみ鼻息が荒い感じを受けるが、私の今の仕事は機械・建設関連なので見るも無残である。今年はまだ去年のようなどん底状態ではないが、だからと言って来年に明るい見通しがあるわけでもない。去年もそうだったが、私の付き合いのある会社から貰うカレンダーや手帳の数は激減している。こういうことを通じておおよその景気の動向はわかるのだ。
2000.12.24:
友人との忘年会で、各人それぞれの今年の思いを語ることになった。私にとって今年は「人減らしに始まり。人減らしに終わった」年であった。それは実感である。
最近は人を減らすことは当然で、増やすことはもってのほか、罪悪のように語られる。そしてこれは日本だけの現象で個人の職を会社が好き勝手に奪うことは欧米では許されないこと、と言うと一層目を丸くされる。「ワークシェアリング」の考え方を説明するのだが、これも簡単には理解されない。職場で人減らしを強要される問題に直面して悩んでいる人ですら戸惑う。要するに日本でやられていることは他人の職を奪う行為であると言うと、信じられないのである。
残業に対する割増賃金も雇い主に対する懲罰的意味があると言うと、これも意外な顔をされる。
私が「常識・非常識」で語っっていることはそれほど突飛なことなのであろうか?
じゃあどうすればいいか、私にはこうした「常識・非常識」の考え方を地道に語っていくしかないように思った。当然今の日本では少数派である。しかし新しいことは何事も最初は異端者、場合によってはガリレイのように「罪悪」とされる。私の友人は勿論そういう魔女狩りをやるほど古い考え方に凝り固まった人間ではない。むしろ常に前向きな考え方をする人達である。だから悲観はしていないが、道のりは長い気がした。
2000.12.22:
今日初めて新500円硬貨を手にした。色は従来よりも黄色っぽい感じ、これは私の勘違いかもしれないが従来よりもやや軽い感じがした。
やはり初めてなので違和感があることは免れない。しかしすぐに慣れるだろう。新500円対応の自販機も少しづつ増えているようだ。
2000.12.21:
新幹線であることを思い出した。以前デンマーク人から聞いた話である。
最近日本国内でも駅の案内板や路線図にアルファベットを書いたものが増えた。それはそれで結構なこと、観光やビジネスで訪日する外国人には便利になったと好評である。しかし大変重要なことが忘れられている。
その一つが「みどりの窓口」など切符売場の人間はまったくもって英語すら話せないことである。実際東京駅ですらまったくだめだったと、くだんのデンマーク人は嘆いていた。そしてこれも盲点になっているが、切符には一切アルファベット表記がない。私も指摘されて気付いたのだが、確かに指定席券にもない。これではあまりに不便である。まずもって外人には不親切、従ってどの席に行けばいいいか誰彼かまわずに聞きまくることになるという。
有名なユーレイルパスのように、外人向けのJR乗り放題切符が売られる時代になったのに、ちょっとこれでは寂しい気がする。
2000.12.20:
昨夜は新幹線組の忘年会だった。
大抵の大企業では30代がものすごく少ないのだが、ここの職場には30代が結構いる。彼らが新入社員だった頃の管理職は定期的に人を採用しないと技術の継承がおかしくなるということを予感していたのだろう。だがそれでも事態はそう簡単にはいかない。ただ進まないけれどもよそよりはまだましだということではある。
しかしその30代も今は他の事業部あたりから狙われている。つまり今私がいるところは業績も悪く、この先伸びることも期待できないということで経営陣から縮小のターゲットにされているのである。
現場でも希望退職に応じた人がダントツに多く、なおかつ他社応援や転籍が目白押しで、このままでは50代と30代がほとんどいなくなるだろうと予想されている。現実問題としてチーム編成が成り立たないところも出始めており、年明けには職場の再編が必要とされている。
残るのはベテランだけど体が動きにくくなる40代とまだまだ一人前の仕事が出来ない20代だけになり、恐らく品質も納期もまともに確保できない悲惨な結果を生むだろうと言われている。そうなるとますます経営陣に縮小の口実を与えることになり、自滅の道を歩むかもしれない。
気が滅入る話ばかりだが、現実を直視すればするほど暗い見通ししか出てこない。
そうだ、一つだけ明るい話題を。この日記帖が2年目を迎えた。
2000.12.18:
通勤バスで私の隣に座った若い女性が何やら紙を広げていた。よく見ると顔文字のリストである。チャットなどで使うつもりなのだろうか。
私自身もよく出入りするチャットや掲示板で顔文字を使う。だが使い方はもうひとつうまくない。世の中には顔文字を創作する能力に長けた人がいて、いつも感心している。残念ながら私にはそういう美的感性がない。だからフリーで出ている顔文字辞書を使わせてもらっている。愛用しているのは「さくらの顔文字辞書」である。
ところでこのHPでは顔文字を使わないようにしている。何故かというと顔文字を知らない人、あるいは顔文字をあまり好まない人がもし訪問した場合に対しての配慮からである。
勿論DOSの時代から顔文字は存在していた。有名なのは(^^)とか(^-^)のニコニコマークである。それがインターネットの普及とともに急速に拡大した。それで私が一時理解できずに戸惑ったのはm(__)mで、「指をついて平伏している姿」と判るまで多少時間がかかった。そんなことから相手によって、特にネットの世界を知らない人に使うことは差し控えている。仕事のメールなどは当然御法度である。
2000.12.17:
今日、今度は亡き兄の7回忌法要を済ませた。
これで何となく一つの区切りがついた、と言いつつもそれは生者の側の話、この世を去った人達にはその時から時間は止まっている。年老いて亡くなる人については人生の終着駅にたどり着いたものとして映るし、若くしてあの世へ行った人は若いままの面影を永遠に残す。
反対に生者は時の流れとともに生き続け、そしてある時を区切って互いの無事を確かめ合う。死者はそのために時を一時停止させ、生者のつなぎ役としての務めを果たす。
そんな思いで私は今日一日を過ごした。
2000.12.16:
先週初めに風邪を引いて熱は一夜でおさまったが、喉の痛みが治らない。
いつものことだがアレルギー性鼻炎のため、鼻水が喉へ流れて刺激するのである。薬で止めようとしているが今度はかなりしつこいようで、ちょっと手に負いかねている。
2000.12.15:
年賀状を書く季節になったが、一方で喪中はがきが来る時期でもある。今年は同世代の知人から2通の喪中はがきが来た。
いつから喪中はがきの習慣が出来たか知らないが、年末近くなってこういう知らせが来ると、今年1年そういうこともあったのかと変に神妙になってしまう。
2000.12.14:
いやはや、私のこれまでの海外取引の中で最悪のケースに出会った。
事の顛末はこうである。
あるイギリスのメーカーからちょっとした買い物をする仕事が回ってきた。金額的には百万円にも満たない額である。こちらが注文書を送るまでの当初は別に大した問題もなく進んだ。ところが納期が近くなってきて出荷を催促しても返事がなかなか返ってこないというあたりから変な動きになってきたのである。順序を追うと、
1)まずCIF(船賃&保険料込み)釜山港で注文書を打った。納期はイギリス出港9月末。
2)9月末になっても連絡が来ないので催促するがスケジュールの連絡は一切なかった。
3)10月末になっていきなり航空便の案内が来た。但し貨物の内容もこちらの注文番号も入っていない1枚きりのFAXだった。ただ社名で該当の貨物らしいということだけはわかった。
4)数日後、いきなり通関業者からTELあり、「貴社宛ての荷物が関空に着いているのでどうしますか?」ときた。釜山へ行くべき荷物を関空に置いていても仕方がないので即刻転送を依頼。
5)それから数日後、今度は小さなダンボール箱が宅急便で私宛てに送られてきた。中身は部品2個。事前に何の説明もなかったが出荷漏れを別送したことがわかった。しかし驚いたことに通関用のINOVICE(送り状)は部品の価格ではなく本体価格が書かれていた。よって法外な消費税を取られた上にこれも釜山へ転送が必要になった。
6)この時点で向こうにクレームを連絡、転送費用と本来なら払わなくてよかった消費税を返せと通告。
7)それからしばらくして4)の関空→釜山転送料の請求書が通関業者から来たのだが、これを見てまたびっくり。イギリスから日本までの航空運賃は「着払い」になっていた。これまたクレーム。
8)12月に入ってイギリスから注文したブツの未払いリストが送られてきた。しかしその金額を見てまた腰を抜かした。何と最初の注文額に加えて梱包代・運賃が別途上乗せされていた。なおかつその上に出荷漏れの分まで含まれていた。つまり運賃の3重取りになっていたのである。
9)ついに私もプッツンした。FAXで「送り先をまちがえた上に送付漏れを起こし、なおかつ注文に含まれていた運賃を請求するなどもってのほか、クレームに対しても何ら返事を寄越さないなど誠意に欠ける。よって本件は解決を見るまで支払いは一切停止する」と通告。
10)次に開いた口が塞がらない出来事が起こった。本日イギリスの会社の経理課長からFAXが入った。曰く「いつ代金を払ってもらえるんですか?」
はらわたが煮え繰り返るとはこういうことを言うのだろう。返事はこうだ。「度重なるトラブルで支払いは停止させている。詳細は貴社の営業課長に聞かれたし」
こちらが被った費用は約20万円。こうなりゃ徹底的にとっちめてやる。
2000.12.13:
「私の秘密」・5
「My
Profile」にも書いたし日記の中でも触れたことがあるが、私は糖尿病患者である。
30歳を過ぎた頃の夏、猛烈に喉が渇く日が続いた。これは典型的な糖尿病の症状なのであるが、そんなことは知らなかったから清涼飲料水をがぶ飲みしてさらに喉が渇くという悪循環が続いていた。そしてある日、急に小便が強烈な甘酸っぱい臭いを放つようになった。変だなとは思いつつも放置していたが、その年の秋の定期検診で尿に糖が出ていることがわかって血糖値も調べたら糖尿病との烙印を押されたのである。
30代で糖尿病というのは非常に珍しいし、それも太っているわけでもないから大抵の人は私が患者であることに驚く。糖尿病の患者は太っているのが当たり前という先入観が世間に蔓延しているせいであるが、この病気はホルモンの一種であるインシュリンの分泌が悪いという体質が高い確率で遺伝するのが基本的特徴なのであって、体重は直接的には関係がない。ただ、太っているほうが発症しやすいので、それが俗説として伝えられているだけである。
私の家族の場合は、兄弟が全員患者であるが、それが母方からか父方なのかは今もって不明である。
糖尿病の治療法はまだ発見されていないので、死ぬまで完治しない。だから血糖値が高くなって白内障などの合併症を起こさないようにカロリーの入りを押さえる、あるいは運動によって出を多くすることで適切な血糖値の範囲を維持させるのである。私の場合は食事療法と薬でコントロールしている。コントロールがうまくいかない場合はインシュリンの注射をやらねばならない。注射の場合の注意点は食事を抜いてしまった時に血糖値が下がりすぎ、低血糖症で昏睡を起こすことである。
ところで私は食事療法の訓練(ちょっと大袈裟な表現かな?)でダイエットの科学的な方法を学ぶことができた。厚生省が出している「食品標準成分表」や女子栄養大学が出している出版物をもとにカロリー計算をするデータベースを作って、一時期は家での食事を全部秤にかけた。だが今はもうほとんど使わない。というか使わなくてもすむように目分量でカロリーを計る訓練をしたのである。
世の中ダイエットの本が腐るほど出ているが、体を傷つけたり精神的に負担になるようなやりかたは避けるべき、というのが私の持論である。時には羽目を外しながらもトータルでカロリーを抑える、この基本さえ身に付いていればさほど困難なことではない。それと同時に強いストレス、不規則な食事や偏食になっている環境、あるいは痩せることを必要以上に強要するような風潮、これらを生み出しているものを取り除くことも必要なのではないか。
2000.12.12:
天気予報の通り今朝は冷え込んだ。雪になるかもしれない(昨夜は既に彦根で降っていた)との話もあり、家を出る時に空を見たら埃が舞うように雪が漂っていた。ほんのわずかながら初雪である。
それにしても山はまだ鮮やかな紅葉。何か雪が似合わない光景だった。
2000.12.11:
今年もいよいよ残り1ヶ月を切った。ということは今世紀も同じく1ヶ月を切ったことになる。
そんな中、今日同僚から年末へ向けての電算スケジュールの問い合わせがあって、「今年も去年みたいに末締めを早くするのか?」と尋ねてきた。
「いいや、今年は月末ぎりぎりまでOKだよ。去年はY2K問題があったからね」と答えたが、考えたら去年の今頃は全社的にY2Kパッチで忙しかったことを思い出した。
不思議なもので、一過性の話はもうコロッと忘れている。逆に言うと、問題をそのまま引きずっていたら大変なことになっていただろうということでもある。今やY2Kの話はもうマスコミの話題からも完全に消えている。
ただ、一つだけY2Kを思い出させるのは自宅のPCで、未対応のプリインストールモデルのために再インストールをする度にY2Kパッチを入れ直さないといけないことである。
2000.12.10:
ヨメハンが正月休みにスキーに行こうと言い出した。
行き先は北海道の予定。子供がいない頃にも一度行ったことがあるが、今回は子供連れ。うちの息子は暴走の傾向があるのでちょっと気を使わねばならないだろう。広いゲレンデとパウダースノーは、私のような下手糞でも簡単には転ばないから楽しいが、子供は歯止めがないから猛スピードで他人と衝突して相手を傷つけるようなことがあっては大変なことになる。
ここ何年かは六甲山の人工スキー場しか行ったことがないので、私自身もどうなることやら・・・
2000.12.08:
以前会社のエライ人がこう言っていた。「リストラをやると株価が上がるといった風潮は、物作りをやっている会社には困る」
それは一面として当たっている。一生懸命物を作って日銭を稼いでいるのに回転資金がころころ増減してはたまったものではない。しかしである。こんなカジノのような資本主義経済にしたのは一体誰なのか?その責任の一端はこのエライ人にはまったくないのか?そういう疑問が湧いてくる。
確かにヘッジファンドのような「賭博師」が豊富な資金を使って金を転がしたことは良く知られていることだし、世界中のひんしゅくを買っているのも事実である。その一方、バブルに踊って我先にうまい汁を吸おうと血眼になったのは誰なのだろう。そしてそれらのあぶく銭はどこへ消えたのか?
そのことを頬かむりして現状を他人事のように嘆くのはちょっと虫が好すぎるのではないだろうか。自分のことを棚上げにする論理は、人の上に立つものの姿勢としてあまりに身勝手、天に唾する事にはならないのか?
2000.12.06:
一昨日も書いたように、会社の提案はまことにひどいものである。
まず、現在50歳代の希望退職がやられているのだが、目標は数百名、これが先月半ばですでに200名を超えた。その希望退職募集中にグループ企業全体の約一割を2004年までに減らそうというのである。これには背景があって、高度成長期に大量に採用した人達が毎年千人近く定年を迎える。この補充をしないというのだから首吊り自殺と同じである。
次に先行きの見通せる事業とそうでないところを明確に区別し、だめなら分社化あるいは他社と統合させて切り捨てようとしている。これは「できない子供」に対するいじめである。なおかつボーナスや給料も業績で差をつけるのだから働く人達には踏んだり蹴ったりである。
こうして見てみると、不思議なことに会社としてあるいは経営陣はどういう責任を取ろうとしているかまったくわからない、というか完全に頬かむりしている気がする。
通常ならあまりにもひどい赤字が続くなら経営陣は率先して退陣するというのが筋である。最近社長の交代はあったが、以前の重役達はそのままOBとして残っている。おまけに重役の報酬カットは数パーセント、会社の資産の処分とかはやられた形跡はまったくない。また、借入金が多いとのことらしいが、その原因と責任についてはこれも口をつぐんだままである。
こんな調子だから若者を中心に不安が広がっている。また希望退職の募集はまだ続いているから退職者が激増する可能性もある。もちろん会社はその影響力を知った上でやっているのだろう。
ある管理職は「明日は我が身」とばかり不安の声を漏らしていたし、また別の管理職は「物作りの基礎が弱体化する」と危機感を述べていた。
ともあれ上に立つものが先に原因と責任を明確にし、できる限りの手を打つのが先決だろう。それでもだめならその時点で初めて従業員に協力を仰ぐべきである。日本の企業(それも大企業)はそうした手順が逆になっていることが多い。これは「常識・非常識」のコーナーに書こうと思ったが、一般論であれこれ言う前に具体的な例を挙げて問題を絞り込むのがよりわかりやすいと思い、ここに書いた。
2000.12.04:
ここしばらく日記の途切れる日が多い。
別に意識してはいないが、どうもあれこれ気が散っているらしく考えがまとまらない。原因は仕事のストレスかもしれない。というのも職場からは次々と転勤・退職が続き、なおかつ先々週末に会社の大規模なリストラ・赤字解消策が発表され、腹立たしさと悲しさが入り交じったような感じがあるからである。仕事を放り出したいとまでは行かなくても、やる気を無くさせるようなそんな重苦しさがある。職場でもいきどおりと物作りができなくなる不安の声が上がっていて、先行きを心配する人が少なくない。
2000.12.02:
今日は親父の7回忌法要だった。
葬儀の時とは違い、身内だけのひっそりとしたもの、しかも親父の兄弟はすべて故人となっているために従兄弟ばかりである。6年も経つと親戚との距離が次第に遠くなることを感じる。兄弟でも互いの家庭生活があるために兄弟喧嘩をしていた頃とは当然違う。しかしそれは過去の話、中年になった我が身には古き時代の思い出である。
次は亡き兄の7回忌、そして年が明ければ多くの魂がこれまた7回忌を迎える。6年の歳月はこれらの魂と遺族に何を残しただろうか。