悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

00.04


2000.04.28:

今月の仕事を終えて、明日から9連休に入る。
今年のゴールデンウィークは子供の休みとか私の用事のせいで、旅行に出ることはなさそうである。この際だから読書とか六甲山に登るとかでのんびり過ごしたい。もっともこの日記が毎日更新されるかどうかは定かではない(笑)

2000.04.26:

作られる孤独・3
うちの息子を見ていて気がついたのだが、最近の子供は夜6時頃まで遊ぶのが通例となっている。私の子供時代は校庭で遊んでいても学校の鐘が鳴って正門の扉が閉まる5時というのが普通だった。
そもそも最近はどこの家庭も夕食が遅い。再び私の経験を出すが、親父が帰ってくるのが夕方6時前、お袋が仕事を終えて私が自転車で買い物を運ぶ手伝いをし、帰宅後食事の準備をして一家で食事をするのが6時半から7時頃迄というのが日課だった。余談だが、テレビが本格的に家庭に入る前、「トニーの童話」というラジオ番組が一つの楽しみだった。故トニー谷が童話の朗読をやっていたことを知る人は多くないだろう。
今の家庭の食事時間が遅いのは、子供の熟通いと父親の帰宅時間が昔より遅くなっているせいだと思われる。だから子供は6時まで友達の家で遊び、食事は7時か8時、就寝はいきおい10時から11時となる。さらに塾の夜間クラスは9時まであるから、そういう子供は寝るのが零時を越えるだろう。親の長時間労働と子供の夜遅くまでの勉強が夜型人間を大量に生み出す原因になっているとしか思えない。学校であくびをする子供が出るのは当然である。
放課後の子供の生活にバラエティーがないのはやはりさみしい。最近は小学5年生になると学校が「塾へ行け」と指導する。文部省は最近になってしぶしぶ塾の存在を認めたようだが、熟なしでは学校教育が成り立たないことを学校自身が既成事実として認めている。しかし塾では自由な子供たちの交流は有り得ない。友達がいなくなるので仕方なく塾へ行くというのもあるが、授業になれば子供同志がライバルになってしまい、遊びにはならない。
それにしても子供は忙しい。家庭−学校−塾を毎日往復させられては孤独にならないほうがおかしい。もちろん野球やサッカーに熱心な子供もいる。しかし基本は受験戦争とものすごい詰め込み教育が背景にある。それは中学から高校にかけてクラブ活動が加わることによってさらに加速する。

2000.04.24:

TVのニュースでやっていたが、「不幸の手紙」の類、いわゆるチェーン・メールが勢いを増しているという。私も小学生の頃葉書で受け取ったことがあるが、E−Mailではまだない。もちろん次の人に送りつけるなんてことはしなかった。瞬時にしてウソと判断したからである。それにしてもE−Mailはこういう時には凶器に変貌してしまう。多数のメールがあっという間に送られてしまうからである。
今の若い人は我々に比べて信じる人の方が増えているようだ。やはり「世の中そんなにうまい話が転がっているわけがない」ということを知らない、無警戒な人が増えているのだろう。よくある話だが、「絶対に儲かります!」という宣伝文句、本当に儲かるなら人には教えないだろうし、もし誰にでも保証されているなら全世界の人が黙っていまい。こういう自己矛盾は瞬時にして見破らないといけないのだが、「儲かる」という文字に釘付けになって冷静さを失うと落とし穴にはまる。くわばらくわばら。

2000.04.23:

作られる孤独・2
子育てというのは結構大変である。私の場合世間の平均より10歳ほど遅れて子供ができたので体力的にはきつい。また経済的にも定年くらいまで目一杯スネを齧られる計算である。ただ精神的には年を食っている分だけ楽だった。それはまた兄弟の子供たちがどう育つかを見ることができたということも含まれる。
しかしまた子育ては楽しい。人間の成長というものがどういうものかを実際に知ることができるからである。
それにしても最近の子育てのパンフレットなどを見ていると、昨日の例ではないが「うちの子供は何度言い聞かせてもおとなしくしない」とか、「言葉をなかなか喋らないが病気ではないか」との相談に対しての丁寧な説明がしてある。変わったものだ。
私の子供をまた例に出すが、とにかくうちの子はうるさい。おしゃべり好きでやたら元気である。39℃の熱を出しながら病院の待合室でもはしゃぐ。隣にいる子供がぐったりしているのに比べると恥ずかしいくらいである。だいたい、はしゃがない大人しい子供は病気を疑ってもおかしくないくらいである。それを無理に押さえつけると昨日のようなことになる。またマニュアル通りに成長する子供なんているはずがない。マニュアルに書いてあるのは平均値であって、平均値の子供(大人でさえ)なんて現実にいるはずもない。うちの子供は未熟児でかつ3月生まれなのでいつもクラスの一番前か2番目になる。私が長身なのになんでこんな小さいのが生まれたのか謎である。しかし小さいといっても心配はしていない。遅れてはいるが成長しているからである。もし成長が止まるような兆候があれば本気で心配しなければならないだろう。
しかし最近の親、特に母親はいろんなことを気にはするが、的確な対応ができずにうろたえることが多いようだ。要するに正確な知識と経験が不足しているように見える。その原因として若い時から他人の子育てを見ていないこと、親自身が大人として成長しきってないことのウェイトが大きいように思われる。特に母親にとっては手間のかからないのが理想の子供に見えるようだ。そして子供を叱る時も感情的になってわめいてしまう傾向も見られるようである。
それと最後にもうひとつ、父親の存在が薄くなっていることである。これは私自身の反省でもあるが、小さい時は散歩に連れて出たりしていたのが、最近は通勤時間が長くなって子供との接触が風呂に入るだけくらいにまで減っていることである。近所の話を聞いても父親が家にいる時間は非常に短いように思う。この点は後で詳述する。
あと、親子ともに関係する社会との接点の問題もあるが、今日はここまでとする。
次回は学校に通う世代の子供の生活について書く。

2000.04.21:

作られる孤独・1
ここしばらく色々なことを書いてきたが、総まとめとしての結論部分に入る。
最近の異様な事件を見ていると、加害者の一つの傾向として事件を起こす最後の引き金を引くに至る背景に「孤独」があることはいくつか示唆してきた。今の日本社会にはそういう孤独に至る前のいくつもの落とし穴があちこちの仕掛けてあると私は見る。
実はアメリカがこういう点では先を走っている。アメリカは「自由の国」といわれるが、実際は「成り上がりとホームレスの自由」とも言えるような荒廃が進み、特に貧富の差が非常に広がっている。大都市はいずれも林立するビルの合間にホームレスがたむろする一角があり、一般人は日没後そこへは絶対に近寄らない。生きて帰る保証がないからである。商売柄アメリカの会社と付き合いがあるので印象を言わせてもらうと、アメリカの会社は離散集合が激しく、また社員も始終入れ替わる。ヘッドハンティングなんてこともいわれるが、それは一部で、大半は首切りや会社とのいさかいである。したがって仕事も無責任で、トラブルがあっても放置されることもままある。それと紙に書いていない限り他人を信用しない。つまりいつ隣人から騙されたり攻撃を受けるかわからないので、孤独でびくびくしているという表現が当たっているかもしれないような、極端だがそんな社会になっている。
ただ、一つの救いは彼らと一度親しくなると、本当に親切で「正義の国」といわれるような連帯感を示す。他人が困っていても知らん顔をするようなことはない。
振り返って日本では最近そういうアメリカの悪い面の後追いをする傾向が出てきている。そして何よりも家庭・学校・職場・地域社会などでの助け合いや連帯感が薄れている。さすがに欧米あるいは日本の影響を受けやすい隣の韓国でも日本ほど深刻にはなっていない。「個人主義がはびこっている」と評する人もいるようだが、私は本人の選択というよりも「強制され、作られた孤立化」と見る。
今後日本社会の中でどのような表われが出ているか具体的に見ていきたいと思うが、1回目として昨日TVで紹介されていたこんな話をしよう。
最近、小学1年生で学級崩壊とは違う授業の混乱が見られるという。現象はやはり子供が落ち着かず授業が成立しないというものだが、よく観察すると子供が先生にしがみついてはしゃぎたがる癖があったという。それで好きなようにさせておいてしばらくしてから落ち着かせ、ちゃんと授業のルールを教えると次第に沈静化したという。原因は家庭などでそういうはしゃぐようなことをしていなためにストレスが溜まっていたのではないかという結論であった。子供が家庭でも「いい子」であることを強制されるというのは残酷な話というほかない。子供を孤独にさせることと大人しくさせるということの違いがわからない親が増えているのだろうか?

2000.04.20:

今日はさる中小企業の社長の話。
先代が急死し、30代で最近社長になった男だが、チャランポランに見えていても算盤勘定の帳尻はしっかり合わせるという強心臓で、社員もちゃんと社長を支えているから大したものだ。それで若い時からPCを駆使していたパワーユーザー、社内LANの構築は全部自分で仕切ったという猛者である。
ところがどうしたわけか社員のPCのレベルははっきり言ってお粗末、Excelすらろくすっぽ扱えず超初心者的質問で社長を煩わせるので困っているという。曰く、セルの数値を入れるのに電卓で計算した結果を入れるヤツ、シートの切り替えが出来ないヤツ、「フォルダが消えた!」と言って騒ぐので見に行ったらサーバーではなく自分のHDを探していたヤツ、etc.・・・
「社員に早くAccessを覚えさせて、サポーターは卒業したい」とこぼしていたので、「一人でもいいから早く子供を作って孫に引き継がんといかんわなあ」と答えた。
但し、この社長ひとつ難点がある。サーバーに入っている商売の数字はパスワードがかけてあって、社長以外には絶対見えない。当然社員のレベルは低いからパスワードを抜くなんて芸当は不可能である。それなのに社長は受注した仕事の数字について部下に報告しないから決算はパニックになる。経理からは「社長、入金が半年も遅れてまっせ!」と指摘されてもトボけている。下手をすると税務署から疑われかねないほどいい加減なので、それとなく注意したことがあるくらいである。
世の中こんなユニークな社長がいるかと思えば、社内LANはすべて業者に任せっぱなしという社長もいる。Y2K問題もそろそろ忘れられつつあるが、何もしなかったところはどうなっただろうか?

2000.04.19:

引越をしてからどうも色々と不具合というか、段取りがうまくいっていない小さなトラブルが発生している。
そもそも引越の時からがおかしかった。50人くらいの人間と机や棚が移動するというのに、用意されたのは1トントラック1台と引越は素人の現場のオジサンが6人。それで1回運んだだけでへばってしまい作業にならなかった。土曜日は雨との天気予報が出ているのに金曜日には半分しか手がつけられなかったのである。どうやら日曜に片付いたらしいが、人手をケチったためにスケジュールが狂ったものだ。
次は陸蒸気組のサーバーシステム。引越したら全く動かなくなった。マザボの故障とついでにソフトもうまく動かないらしく、メーカーへ3日間の入院となった。養生もせずに運んだことが原因だが、システムも汎用性のない独自のOSを採用していたために現場での対応が不可能になったのである。電算にもメンテのできる人間はおらず、完全にメーカー任せ。ハード・ソフトともに選定ミスをしている。
さて、私は新幹線組との連絡用自転車が必要なのだが、手配をしたのは引越後の初日。手配漏れである。次がシュレッダー。FAXとコピー機は初日に来たが、シュレッダーはいつになるか不明。
もっと悲惨なのはロッカールーム。5月になるまで移転ができないとのことで、全員出退勤時には5分かけてトボトボ歩くことになった。
結論的に言って、ここの総務はどうしようもないほど世間知らずで、ドケチである。段取りが悪いことを自覚せず、人に犠牲を強いても痛みも感じない無神経さで固まっている。
昔からここで働いている人達は諦めているようだが、地元では大企業として殿様顔でふんぞり返っていられるが、世間一般のレベルから見たら対外的には大変みすぼらしい。私は海外の企業を知っているせいで辛い点をつける傾向にあるとしても、経費節減だからといって賓客用のゲストハウスを閉鎖し、大事なお客さんに冷え切った仕出し弁当を昼食に出すようでは大企業の看板が泣く。

2000.04.18:

昨日のサーバーにアクセスできないトラブル、原因はセグメントを越えたアクセスになったためで、lmhostsという設定ファイルを\Windowsフォルダに置いたら解決した。
それにしてもクライアント機によってlmhostsを必要とするものとしないものがあって、真の原因はもうひとつはっきりしない。しかし見えるようになったから文句は言うまい。

2000.04.17:

引越し後初めての仕事で何となく落ち着かなかった。
さらに悪いことにはPCを立ち上げた直後にNTサーバー(ファイルサーバーとして使っている)が認識しない。インターネットや他のサーバーには入ることが出来るのに一体どうしたのだろう。工場の電算に来てもらったが設定を変えようがTCP/IPのアップデートをかけようがウンともスンとも言わない。お陰で一日中落ち着かなかった。
原因は明日また追求することになる。

2000.04.16:

今日は何十年かぶりに銭湯へ行った。現在自宅の風呂場を改装中で、5日間風呂が使えない。それで息子を連れて行くことになった。無論子供はプールよろしくはしゃぎまわっていた。しかし、バスに乗って銭湯へ行くと言うのもケッタイな話だ。団地だから銭湯は1軒もないので、当然そうならざるを得ないのだが。

名古屋の中学生恐喝事件、金額もさることながら、事件の背景が明らかになるにつれてその特異さというか、歯止めになるべきものがことごとく外され、事態が深刻になっていくプロセスが出来上がっていたことを示している。ちょうど神戸の「酒鬼薔薇」事件と同じように、連続する落とし穴へ次々にはまっていく様子が見事に描かれている。
最近の異常な事件の裏に、こういう一つでも歯止めがあれば防げたはずの重大化への道筋を辿るケースが増えているように思う。今回の場合も家庭・学校・警察のいずれかででもきちんとした対応があれば被害はもっと小さくて済んだだろう。事もあろうに病室にいた善意の第三者がやっと食い止めたというから、関係者の対応がいかに不十分なものであったか想像に難くない。
その中で、昨日も書いたように「大人」としての態度を取れない親の実態を、私は深刻に受け止める。それは母親が、父親が死んだという点を斟酌したとしても、とても大人とは思えない行動に出た事である。つまり子供が脅かされて次々に金を要求されたことに「金さえ渡せばそのうち恐喝は止むだろうと思った」と答えていることである。そして「金がなくなったらどうするつもりだったか」と問われて答えに窮するというのは、これはもう信じられない発想である。
頼れる人間がいない状態であったことに同情はするが、大人になりきっていない一人の人間を見て、私は愕然とする。こういう人間が少数派であることは解っているつもりだが、例の親に寄生している若者といい、子供の化粧に熱心な親といい、こういう傾向が次第に増えているという事実に対して、やはり今の日本の社会の異常さ、それもアメリカ的荒廃の道を進んでいることに危機感を覚える。
特に、これは私が最近示唆をしたように、社会との接点を失って孤立する人間が増えていることと無縁ではないように思える。これは私自身の自戒でもあるのだが、現在の自分の生活に問題がないのかどうかをよく点検しておく必要があるように思う。この孤立化の問題との関連と詳論は稿を改めて書くつもりだ。

2000.04.15:

さて、再び堅い話。
以前高校生の化粧について書いたが、驚くことに最近は小学生用の化粧品が売られているという。それも小学校の1年生からというから尚更???である。アメリカでの話は知っていたが、しかし1年生となると子供の意志ではなく明らかに母親の意図がなければ成り立たない。リカちゃん人形じゃあるまいし、子供の体を弄んでどうするつもりだろう。アンケートによれば母親の半数が化粧に肯定的だというから、これはもう考え込んでしまう。
職場の若い女性2人にこの話をして見解を求めたら、両者とも「もったいない」と至極素直な意見だった。
ふと気付いたが、子供の頃から化粧品を肌につけることで皮膚に悪影響が出ないか心配である。そして何よりも、こういう発想をする母親というのは果たして大人なのだろうか?と、考え込んでしまう。
この「大人」という点は別の面で明日も取り上げる。

2000.04.13:

いよいよ4回目の移転が来た。昨年6月以来引越しを繰り返したので荷物はもう必要最低限になってしまっている。PCを除けばダンボール6箱が私個人の荷物のすべてである。箱詰めはたったの1時間で終わった。
引越しを機に電話を国際電話ができるよう設定を変えてもらった。あとは新幹線組がいる事務所との連絡用チャリンコの手配だけである。何しろ500m位離れたので歩いていては仕事にならない。
明日は荷物を移動するのでPCはほとんど触れない。禁断症状が出そうだ(笑)

2000.04.12:

一昨日に書いた「同じでないといけない」という点について触れる。
昔から家庭内でも「人の言うことを聞きなさい」「あまり突飛なことをしてはいけない」という傾向があったように思う。しかし、今は学校でそういう管理的・画一的な風潮が以前より強くなっているのではないか。管理教育という面では私の若い時から少しづつ強められているような気がする。
管理教育の典型は制服である。制服だと必ずどこそこの学生とわかる。それから丸坊主。最近まで神戸市の中学校は丸刈りを強制された。教育者が平然と「丸刈りだと一発で中学生とわかる」と言ってのけたくらいだ。
一方子供の側はどうか。彼らは表面上そうした管理教育に比較的素直なように見える。特に中学生ともなると内申書に響くからあまり無茶なことはしない。問題を起こす場合も勿論あるが、大多数はおとなしい。だからといっていじめはやめたわけではない。ここの矛盾がどう解決されるのか、それは後述する。
さて、学校側は管理教育の問題をある程度認識しているように見える。しかし、どちらかというと何か勘違いしているのではないかと思えることもある。中にはいじめや学校崩壊に真面目に取り組んでいる教師達もいる。しかし教育委員会などを含む上の方は、問題の根本を認識しているようにはどうも見えにくい。特に受験戦争をどうするのか、いじめや少年犯罪の増加・凶悪化をどう解決するのかを、相談所や警察に放り投げてしまって、教育の当事者としてどうするのかの見識が薄いように思う。あるいはどうしていいのかわからないかも知れない。もっとも、元をたどれば教育行政も問題にしないといけないだろうが。
先に子供たちのことについて「表面上そうした管理教育に比較的素直なように見える」と書いたが、彼らはそれで納得しているだろうか。当然否である。取り巻く環境が「同じでないといけない」という状態だから仕方なく従っているに過ぎない。人間なら当然持っている自分自身の存在価値との矛盾を抱えて彼らは悩む。但しそいういう矛盾として正確に把握しているとは思えない。どのように自分のことを理解してもらうかといことに力点がおかれているようだ。
ここらあたりの学校と子供たちの認識のずれがどうも大きいようだ。こうしたずれの表われを一つだけ指摘しておこう。運動会で徒競走の順位をつけるのをやめている学校があるという。順位をつけるのは差別を助長するとかいう理由だったと記憶している。受験戦争で競争が過熱している現実を頬かむりして、運動会にだけ順位付けをやめるというのは愚の骨頂である。
算数が得意な子、走るのが得意な子、漫画を書かせたらプロ顔負けの子、十人十色のそんな一般社会では当たり前のことに慣れされるのも学校の役割ではないか。どの子も成長させるように持っていく、それが教育でなくてなんであろうか。「同じでないといけない」にしてはいけない。

2000.04.11:

昨日の強風と雨にも負けず、桜の花びらは散らずに残った。一日遅れていたらどうなったかわからなかっただろう。

会社のマシンのOffice95をOffice97に変えた。
何を今更という感があるが、環境の統一とトラブルのない安定した動作を重視するためにどうしても最新のものから2〜3年は遅れる。IE5.01もやっと公認になった。
環境の統一といえば現在トラブっているものがある。それはOracleである。一部Oracleの環境で動くアプリがあるのだが、Oracle7では動くがOracle8では動かない。相性の問題ということだが、クライアント機の台数が多いとそうした対応にてんてこ舞いになるので、情シスは新しい不安定なものを嫌うのである。

2000.04.10:

若い人の行動で目立つのが「みんながしてるから」。しかしその実態は「同じでないといけない」という圧力があるそうだ。孤立することを恐れる余りそうなってしまうように見えるが、この点は後で触れたい。
さて、大人の世界にも最近目立つものがある。昨日書いた自殺の背景だが、大企業の職場では一人仕事が当たり前になってきている。私が入社した頃は数人が一緒に仕事をし、課長あたりになると机にデンと座って書類のチェックや管理的仕事に専念していた。しかし、今は担当者ベースで殆ど全員が自分だけの仕事を持っていて、他人がどんな仕事をしているのか解らないというのが目立っている。だからチームリーダーに相談をするなんてことはなくなっているし、管理職も「プレイング・マネージャー」とかいう名前で、その実は自分の実務と管理的仕事を抱えていてとても部下に目を配るという状態ではない。
そして給料はますます「実績主義」を強調され、競争に駆り立てられる。これでは「一人で悩まずに身近な人に相談せよ」と言われても、億劫にならざるを得ないだろう。

2000.04.09:

実は私の会社のある事業所で就業時間中にビルから飛び降り自殺があった。それもこの4年間にこれが3件目の自殺である。いろんなストレスが蔓延しているのであろう。私としてもショックな話であった。
自殺をする人というのは内向的性格の持ち主だというが、外部からの引き金がなければ自殺には至らない。外見的にはいざ知らず、じっと1人で悩み、孤立感を味わうようである。
専門家に言わせると、会社で自殺する人は多くの場合抗議の意味が含められているという。以前出向させられた管理職が社長室で割腹自殺をしたという話を思い出す。真面目で仕事熱心、上からののしられてもじっと我慢、そしてどんどんストレスが蓄積されていき、自殺するという。
誰にも相談せず、孤独感にさいなまれつつ、ついには自らの命を絶つ。こういう事が多発する背景をなくさねばなるまい。そうでなければ死者は浮かばれない。

2000.04.07:

直近のニュースを聞いて愕然としたのが、中学生が脅されて合計5千万円も巻き上げられた話である。
少女を9年間も監禁した話もそうだが、こうなると意図的かどうかは別にして、親が荷担しなければ成立しえない話である。何がそうさせたのか、私には今の日本の社会を蝕んでいる一つの象徴的側面を見る。それは「孤立」という問題である。恐喝された中学生の場合、本人もなかなか本当のことが言えない、また母親も問題が大きくなるまで相談を控えていたようだし、さらには学校も非常に消極的だったようである。
こういう状況で、なおかつ本人が問題を抱えたまま立ち往生している姿は見るに耐えない。何故救いの手が差し伸べられないのか、また何故勇気をもって窮状を訴えることができないのか、被害者とその母親は孤立感でさぞ苦しかったことだろうと思う。それを考えると、やはり一言言いたくなる。
もう少し詳しい議論は後にして、今日は問題の指摘だけにとどめる。

2000.04.06:

満員の朝の通勤バスで隣に座った若いオネエチャン、10分そこそこの乗車時間の間にワンコースの化粧にいそしんでいた。本当にうっとうしったらありゃしない。
考えたら、昔は枝毛抜き、次はブラッシング、それもすたれたら今度は鏡を見るところから化粧へとエスカレートへの道をたどっている。何故日本だけ公衆の面前でのこうした行為がはやるのだろう。海外ではまずありえない。何か日本女性には露出狂まがいの行為をしてもいいという教育でもなされているのだろうか。本当はそう思いたくはないのだが、これだけ延々と続くと勘ぐりたくもなる。まったくもって不思議な現象である。

2000.04.05:

いよいよ桜の季節、団地のソメイヨシノの蕾がふくらみ始めた。平年並みというところだろう。
小雨降る一日、蕾が水を得て鮮やかだった。年度が改まって新しく会社や学校の門をくぐった人々にも恵みの水を与えられるかどうか、それは彼らを受け入れた我々の側にも依存している。

2000.04.04:

決算が一段落した。
関連する証拠書類を揃え、経理に提出して、とりあえずは区切りがついたのでホッとした。以後は経理から質問や書類不備などを指摘される「査問」が随時あるだろう。
今日は決算がらみで1件変なデータが発見された。新幹線組から陸蒸気組に渡されたデータの中のある数値が’3’から’2’にすりかわっていたのである。データの受け渡しがおかしいので情シスで見てもらったら発見された。担当者に言わせると「互いに相性が悪い」そうである。
それを聞いていた経理の担当者が「何で毎日データをチェックしてから受け渡しをしないのか?」と言うので、「こんなことはたまにあること。それだけの為にかける時間がもったいない。だから夜間の自動運転にしてる。問題があればその時に対応したらいい」と答えた。相手は信じられないという顔をしていた。保守的というより、単にビビッているだけなのだが、その自覚がないだけに哀れに見えてきた。
さて、今夜は安心して寝よう(笑)

2000.04.03:

今回の有珠山の噴火による避難勧告は、噴火以前のものとしては初めてのことだという。今迄は噴火してからというのが通例だったというから、画期的と言えるだろう。観測体制は決して十分ではない。そのかわり明治の噴火以来の資料の蓄積が予知をし易くしているようだ。
科学は日進月歩、そうした一例を垣間見た気がする。
そう言えばある医者が言っていた。家に置いてある「家庭の医学」は10年経つと古くなるので買い換えるべしと。

2000.04.01:

有珠山の噴火が始まって地元は大変なようだ。報道を見る限りでは自治体の対応や住民の避難など、比較的混乱もなく行われているようだ。
前兆がほとんどといってない大地震と違って、火山活動の始まりはある程度予測がつく。今回の場合は学者の予想がほぼ当たっているので、なおさら冷静に行動できているのではないだろうか。不安感を拭うにはやはり正確な情報が一番なのだろう。
ともあれ住民の方々にはお見舞い申し上げたい。怪我人などが出ないことを祈る。