悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

00.01


2000.01.31:

何時の間にか1月も終りになった。2000年最初に作られたデータがいよいよ本格的に動き出す。
会社では2000年に入ってからも散発的ながらバグが見つかり、順次手直しをしている。先日は個人のデータに関して一部の在籍者が退職したことになっていたというミスも見つかった。やはり細かいところでの「抜け」はまだ残っているようだ。だが、明日はいよいよ泣いても笑っても真のテストが行われることになる。何も起こらなければいいが。

2000.01.30:

最近子供のことで気になることがある。
まず、先日10歳で誘拐・監禁されていた19歳の少女?が保護された。また別の事件だが、オウムの首謀者麻原の子供をめぐって内紛があった。
これらの事件に共通するものは何か。それはこれらの子供たちは普通の社会に溶け込むことが容易ではないということだ。つまり心無い大人達によって人生を狂わされてしまったのである。こんな不幸はないだろう。本人にはまったく自覚も責任もないのに、無用の重荷を背負わされてしまったのである。一体誰が責任を負うのか。場合によっては社会復帰が不可能になるかもしれない。
昔ドイツで子供の世話を犬にさせていた両親がいて逮捕、投獄された。当の子供は涎を垂らして「ウウー」と吠えるしかなく、その後死んだ。
ここまで極端でなくても、子供の人生をめちゃくちゃにする権利は大人にはない。子供は親の個人的所有物ではないことを肝に銘ずるべきだろう。子供は社会全体のものである

2000.01.29:

ヨメハンの調子が悪くなったので久しぶりに夕食を作ることになった。
台所仕事は苦にならない(震災の後も1ヶ月ほど自炊した)のだが、気になることが一つだけある。というのも鍋釜をはじめ炊事道具や食材のある場所が始終入れ替わっていることである。フライパンも何時の間にか新しくなっているし、以前あった場所にない。探すのに時間がかかってしょうがないのである。
一度ヨメハンにクレームをつけたら「片付けんと置く場所がないでしょ」との答えが返ってきた。「自分だけわかっとったらそれでええんかい!」と食い下がるも馬耳東風、たまに台所に入るといつも迷わされている。難儀な話だ。
え?毎日やったらいいって?・・・そりゃ物理的に無理でしょう(笑)

2000.01.28:

朝の通勤はJRを降りて会社までバスで行くのだが、これがまったくの田舎のバスといった風情で実に面白い。
往復ともそうだがまず遅刻は常識、10分はざらである。それでも運チャンは絶対に遅刻をリカバーするような態度はしない。速度制限ということもあるのだろうが、こちらとしては帰りの場合なぞ接続する電車に間に合うかどうか気になって仕方がないのだが、どこ吹く風である。
バス自体は電気ミッションだがボディーは古いものを流用したらしく、停車の合図をするチャイムの押釦は頭が飛び出たものをそのまま使っている。エンジン音は静からだから新しいのだろう。
遅刻をしやすい原因、すなわち渋滞するのは2個所ある。ひとつは工業団地入口である。一応往復4車線あるが、出退勤の短い時間にだけ車が集中するためあっという間に車の列が出来る。悪いことに工場が主なので現場に対してフレックスタイムを認めているところはない。渋滞を抜けるのに8分はかかる。
もうひとつは新しい国道を横切る交差点の信号である。ここの信号は国道優先で青信号は国道側2分、反対側1分である。だから変に信号に引っかかると5分はロスするのである。
田舎らしさといえばJRの駅と駅前がまさにそれらしい雰囲気である。何故かというと駅前が3市町の境界になっており、再開発が進まないからである。前後の駅は整備されて駅前広場も広く取ってあり、新しいビルがぼちぼち建っている(ビルが多けりゃいいというものでもないが)。しかしここは2−30年前の民家の風景がそのまま残っている。決定的なのはバス乗り場。JRの線路と並んで走っていた短いローカル私鉄の駅跡、ぺんぺん草が生い茂るだだっ広い敷地の隅にある。そういう環境だから、今まで通っていたところとの落差が私にはやたら目について仕方ないのである。

2000.01.27:

この冬一番の冷え込みで、自宅の周りは雪の薄化粧。昼間も少しだが雪が舞った。
日本海側から北の国にかけては久しぶりの大雪である。私も数年日本海側に住んでいたことがあるのだが、積雪と冷え込みには閉口した。外を歩くときは必ず長靴、マフラーはきっちり巻いておかないと、耳が痛くなる。北海道でも北へ行くと−30℃にもなるが、人づてに聞いた話だと涙や鼻水が出たまま放っておくとすぐに凍るという。
冬は冬らしく、というところだろうが、大きな被害にならないことを祈る。

2000.01.26:

科学技術庁のホームページが繰り返しハッカーに攻撃された。憂慮すべき事態である。攻撃も防御も共に進化するので常に攻撃はあるものと覚悟しておかないといけないのだが、度重なるとやはりこれでいいのだろうかという気持ちにはなる。
しかし、不幸中の幸いと思えるのは、人事情報などの重要なデータベースではなかったことである。そもそも外部に対して公開している部分、インターネットサーバーやメールサーバー、FTPサーバーなどは当然他の部分よりもセキュリティーが甘くなるのはやむを得まい。要するに鍵はIDとパスワードしかないからである。それ以上にややこしいキーワードをつけるとなると公開している意味がない。
変なアイデアかもしれないが、穴だらけのわざと入りやすいダミーを作っておいてハッカーの目をそらすような仕掛けをしておくというのはどうだろう。もちろんこれは素人考えであるので専門家には一笑に付されるだろうが。

2000.01.25:

21日に書いた女性に対して、元アホタレ上司がまたセクハラ行為(内容は書けないが、本人が不快感を抱きかつ怒っていることを確認した)に及んだ。おまけに地位を利用した脅しとも受け取れる発言をしている確信犯である。
従って対抗措置の準備を元同僚とともに開始した。とりあえずは商談の場から遠ざける。
それでも彼がアプローチを続けようとするなら会社に告発するしかあるまい。
昨日は1日悩んだが、関係改善がなされない限りやむを得まいと判断した。

2000.01.23:

Y2K問題、最近少し静かになったように見受けられるが、潜在的な問題はまだ残りそうである。
会社で情シス関係者に聞いたところ、企業のベースでは2000年になって初めて作られる今月末のデータがどうなるか、またうるう年に当たる2月29日にコンピュータがどういう動きをするか、不安が残っているという。
個人ベースでは各家庭にあるマシンでY2Kパッチをインストールしていないものが結構あるようだ。会社で数人に聞いてみたが、「Y2Kについては何もしていないけど、問題なく動いてるよ」という答えが返ってきた。想像するに日付を参照するようなプログラムやデータを使っていないせいではないかと思われる。しかし、これは目に見えない場所に埋めてある地雷を抱えているようなもので、いつそれが爆発するかわからないという危険をはらんでいる。
予想はしていたが、大晦日を過ぎて電気・水道などの生活に密着する部分に問題がなければ、意識をしていない人にとってY2Kは過去のものとして忘れられてしまうようだ。

2000.01.21:

昨年の日記に書いた、さる韓国メーカーの女性営業部長と久しぶりに会った。(99.06.23付日記参照)
朝ホテルに彼女を迎えに行き、移転後の事務所まで案内した。昨夜は朝4時まで飲み屋での接待をしていたというのに、まあすこぶる元気なこと、今年の景気や今後の取引の見通しについて意見交換した。
例によって早口で饒舌、しかしよく勉強してる。詳細に聞いたら日本語は学生時代に勉強、2年間東京に留学したとのこと。また韓国では日本語の教師をしたこともあるとのことだった。現在の会社で営業マンとして走り回っているが、女性だということで馬鹿にされたこともあるなど、人並みならぬ苦労したことがバネになっているようだ。
話は変わるが、例の上げ底靴などの「アムラー」スタイルは韓国でも大はやりしていると聞いた。但し、彼女自身は「何であんなものがはやるのか理解できない」と言っていた。昔から韓国は日本の流行に敏感だとは聞いていたが、こんなものまで感染していたとは驚きだった。

2000.01.20:

少し前の話だが、わけあってバイクに関する署名を頼まれた。内容は「高速道路での2人乗り禁止解除」と「高速道路の最高速度引き上げ」、それと「通行料金の引き下げ」である。ちょっとそれじゃ事故を起こしたときの危険度が増すとして断ったのだが、何か変な署名運動だと思ってたら意外なことがわかった。
そもそも署名のキャンペーンを張っていたのは、2輪車メーカー・ディーラー・ライダーが加盟する団体だった。なんとなく胡散臭い感じがしていたが、案の定最近の新聞記事でこんなのを見つけた。
さる2輪車メーカーの経営者がインタビューに対して「皆で需要を伸ばそうということで規制緩和してもらうよう各方面に働きかけている」と答えていたのである。おいおい、売るためだったら事故の危険が増してもいいのかよー!
それで冷やかし半分ながら件の団体のホームページを覗いてみたら、上記署名に関わるアンケートをやっていた。そしてその集計結果を見たらこんな数字が出ていた。「2人乗り禁止解除」、「最高速度引き上げ」共にライダーでも過半数の賛成は得られず、ライダー以外も含めると3割にも満たない状態だった。

2000.01.19:

私が「陸蒸気」組の中に机をならべて持ち込んだマシンのTFT、すこぶる評判がいい。机を通り過ぎる人達がこぞって「奇麗で見やすい」と言う。
どうやら家庭用のTVもブラウン管からTFTに切り替わっていくようだ。現に私が仕事で関わっている工業用TVも300万画素のCCDカメラとTFTが市場に回り始めた。画像関連の技術の進歩は最近非常に早い。通信やインターネット業界の伸びがマスコミで騒がれているが、世の中それだけじゃない。
我々の世代にとって愛着のある真空管やブラウン管が消え去るのは一抹の寂しさがあるが、地道な物作りの進歩は必要だろう。金融や商業が資本主義の発展を引っ張ってきたのは事実だが、基礎に物作りがあってこそ。そこで働く人達を犠牲にして単なるバクチによるぼろ儲けに血眼になっている姿は見られたものじゃない。

2000.01.17:

震災から5年目、私の思いは「神戸の街から」に書いたので繰り返さない。
朝出社したら正門に入ってすぐのポールにかかっている社旗などが半旗になっていた。そして正午には黙祷をした。神戸地区にいる数千人の社員本人の犠牲はなかったものの、家族あるいは派遣で入っている社員や重役OBの尊い命が奪われた。人々の心に刻まれたあの日を忘れないためにも、追悼の行事は今後も続けられるだろう。
6432名の魂よ安らかなれ。

2000.01.15:

今日と明日は大学入試センター試験である。我が家からは神戸大学が近いため、試験会場に連絡するバスは増便してピストン運転をしていた。毎年のことながら試験当日になると受験シーズンであることを思い出させる。もっとも我が子の場合はまだ何年も先の話だが。
今も昔も受験戦争は相変わらずである。いくら受験制度を小手先でいじくっても問題の根本、すなわち学歴社会と「落とすための試験」を変えない限り緩和されることはないからだ。
実は私自身は大学の受験戦争を経験していない。何を隠そう私は高専卒だからである。貧乏で大学に行かせてもらえそうになかったことと、受験戦争に巻き込まれることを嫌ったためである。それが良かったのかどうかはわからない。
受験生の皆さん、ご苦労様。

2000.01.14:

またまた車内風景を一つ。今度はオッチャンである。
隣に座った50代に見えるオッチャン、座ると同時に毛抜きで髭をプチプチ抜き出した。それほど伸びているとは思えないが、本人は猛烈な勢いで抜いている。毛抜きに毛が溜まると一度しごいてまた繰り返す。抜いた毛は床に捨てていた。おいおい、大丈夫かよ、おまけに毛を散らして汚ねぇぞぉ〜。
−−−−−−−−
私は剃刀負けする肌なのでいつも電気カミソリを使う。するとどうしても一部に剃り残しが出る。この残った長いヤツが私は気になって仕方がない。それで1本づつ爪で掴んで抜く癖がある。こういう癖の持ち主は私だけでなく、時々見かける。抜くときは痛いし、抜いた後の毛穴に雑菌が溜まりやすいのであまり良くはないのだが、どうも気になる。
なお、私には痛みを快感と感じるような神経の持ち主ではない。念の為。

2000.01.13:

今日は通勤電車のトラブルでダイヤが大幅に乱れた。
私の乗っている電車の前を走っていた電車が故障し、40分くらい足止めを食った。夕刊を見たら、駅を発車しようとしたらブレーキが外れなかったとのことである。
故障した電車と後続の普通2本をその場で運転打ち切りにし、そのまた後の新快速を各駅停車に変更して切り抜けた。都心から離れる方向だったために電車の本数も乗客も少なく、乗客がホームにあふれて大混乱というようなこともなかったのが唯一の救いだった。

2000.01.12:

今朝、通勤電車で隣に座った女子高生、目元を良く見たら付け睫毛だった。おお、すごいのに出会った!(笑)向こうもこちらの視線を気にしているのがわかった。
最近ちらほらと化粧をしている女子高生を見かけるようになったが、付け睫毛をするほど大胆なのは初めて見た。
私個人としては別に学生の化粧そのものに目くじらを立てる気はさらさらない。ただ、携帯電話でもそうだが、これらの費用=お金は誰が負担するのか?という点が気になるところではある。
共働きしていても生活保護すれすれの貧乏所帯に育った私としては、自分の子供に贅沢品(どこで線引きをするかはむつかしいが)が買えるほどの小遣いを与えるつもりはない。「欲しけりゃ自分でアルバイトでもして稼げ」である。その方が金銭感覚が育っていいのではないかと思っている。
それともう一つ、「あれも買え、これも買え」の宣伝の洪水にはうんざりする。これでは無防備な子供たちだけを単純に責めるわけにはいかない。親のしっかりした教育も必要だが、学校での消費者教育をやってもいいのではないか。欧米では既に小学校から実施している。完璧とはいかないだろうが、いかがわしいキャッチセールスや訪問販売に対する警戒感は育てたいものだ。

2000.01.11:

最近、終身雇用・年功賃金が崩壊してきたとよく言われる。私の会社でも昨年から一般社員にも新しい人事制度が採用され、各職級においてある範囲内での昇給が業績によって増額とともに減額も有り得るということになった。せちがらい時代になったものである。
今、どこの会社でもこういう業績給が取り入れらつつあるようだ。しかし、ある人から聞いた話で、何が理由か明確ではないが彼の上司が査定の際に減額どころか「降級」させることを画策しているらしいと聞いた。
無知な管理職もいたものだ。普通就業規則で何か問題を起こした場合の処分規定というものは存在するとしても、懲罰的な人事考課ができる規定を定めることはできない。何故かというと組合運動などでの態度をネタにしての不当な差別を避けるとか理不尽な罰金を禁止する意味で、こういう類の明文規定は違法行為となるからである。
何を根拠にしているかは知らないが、愚かな管理職もいたものだ。時代劇に出てくる悪代官ではないが、部下を私物化し、専制支配を敷こうとする前近代的な考えの持ち主を時として見かける。
日本の企業の人事考課は明確な査定基準がないために、こういうアナクロニズムを生みやすい。今日本に導入されている「業績給」はそれをさらに助長しやすく、人間関係に亀裂を生じ易い制度ではないだろうか。

2000.01.10:

今日はハッピーマンデー方式での初めての「成人の日」。振袖姿の女性も見かけた。
去る「二十ン」年前、私はジーパンに人民帽という姿で祝賀会場に出かけた。別に毛沢東思想にかぶれていたわけではなかったが、当時の中国物産展で売っていた帽子を珍しさから手に入れた物だった。勿論安かった。それと、何よりも貧乏学生がスーツを持っているなんてことは有り得なかった。
それにしても、最近は人集めのためか、遊園地で成人式をやるとか、奇抜なアイデアもあるようだ。今になって考えると不思議に思うのだが、自治体が開催する成人式の意味は何なのだろうか。また、高い出席率がそんなに大切なのか疑問に感じる。
「奇抜なことをしないと人が集まらない。講演会を開いても私語が多くて不愉快だ」などの声も聞く。確かに講演中の私語や携帯電話は相手に失礼である。これはこれとして別の問題として存在する。だが、今の若い人達にとって成人式の意味とは何なんだろう。どうも今のやり方は時代に合わなくなってきているのではないか。
「成人の日」の主役はあくまで成人した男女である。成人して一人前の大人として扱われることについてどう思うのか、またどうこれからの人生をどうしたいと思うのか、そこを彼ら自身に考えてもらうという場にしなくてはいけない。大切なことはこれからの時代を担う彼ら一人一人の人生をどう暖かく見守るかということではないのか。
「個性」が重要になるこれからの時代、ただ一個所に沢山人を集めて式典を行うだけのスタイルは若者に似合わなくなっていくだろう。また単なるその日限りのイベントに彼ら自身が魅力を感じるとは思えない。彼らの声をよく聞き、責任ある大人としての彼らの声を反映する場にならなくてはいけない。

2000.01.09:

3連休は所用で飛び石にならざるを得ず、遠出をせずにいる。そんな中、今年の大河ドラマ「葵徳川三代」を見た。前にも書いたように、私は大河ドラマのファンである。
脚本はジェームス三木である。彼の作品は人間の強さや弱さを素直に描く。変に強がりを言うキャラクターは出てこない。それでどんなものになるか楽しみにしていたが、第1回は関ケ原の合戦だけの長いプロローグで、若干冗長であった。
ただ、少しだけ見えたのは秀忠をコミカルな存在として描こうとしているらしいことである。確かに彼は家康と家光の間にはさまって注目されることが少なかった。しかし、戦国の世を平定し、江戸時代の幕藩体制を築き上げた徳川家三代の中で秀忠の役割は決して少なくなかったはずである。さもなくば後数百年もの安定したシステムを短期間で仕上げることはできなかっただろうと思うからである。
ともあれ、ジェームス秀忠に期待しよう。

2000.01.07:

今日は少々頭に来た。
上司のハンコをもらった書類を提出先に持っていったら、ルールが変わったから書き直せというのである。おまけにその書類は今日が締め切りで、なおかつルールの変更は事前にまったく知らされていなかった。そして最後のきわめつけは、提出先の担当者も彼の上司に判を貰おうとして初めて「書き直して貰え」と指示されたというのである。
さすがの私もキレた。「変更するなら、正式な依頼書を持って来んかい!事前の連絡もなしに勝手にルール変えるのがお前らの仕事のやり方か!
精神衛生上非常に良くない出来事であった。

2000.01.06:

新年の挨拶で訪れる取引先との話題はもっぱら景気とY2Kである。
不景気がここまで続くと誰しもが先行き不安になる。銀行へは大量の資金を注ぎ込みながらその割には物作りの方へ回ってこない。なぜだろう?
個人消費ももうこれ以上切り詰められないところまで来ているの。加えてリストラの嵐が来るのではないかと雇用不安が広がっている。さる年配の管理職と話をしていたら、「終身雇用の時代はある程度アメとムチの使い分けがあったが、今は『ムチとムチ』で、若い人の将来に対する希望が持てない時代になった」とつぶやいていた。個人に対しても「生き残り」を要求しようという動きがあるようだが、我々はサバンナに棲む野生動物ではない。自然の摂理に翻弄され、死にもの狂いで生きようとする野生の命とは違い、人間は弱いものも強いものも互いに助け合うことによってこそ目覚しい進化を遂げて来たのである。

2000.01.05:

心配していた、というよりも予想通りY2Kによるトラブルが会社でいくつか発生した。
ホスト系は正月休みに情シスのテストランで見つかっているが、クライアント+サーバー系は今日の本番までわからなかったものばかりである。典型的なものは・・・

1.古いDOSマシンはすべて電源投入と同時に1980年になった。
これは以前からわかっていた話なので驚きはしない。またDOSの日付を使わない単なる端末機なので2000年に設定し直しただけで実害はゼロだった。そういう意味では「Y2K対応済み」と言えるかも知れない。

2.ホスト系で、サブプログラムはY2K対応していたのにメインプログラムを直し忘れた、あるいは逆のケース。
昨年いやというほどチェックした「はず」なのに、「漏れ」ていたといううっかりミス。人間のやることだからミスは避けきれないが、担当者以外の人間によるチェックが入れば防げたのではないかと思えるフシがある。

3.海外出張旅費計算システムで、昨年入れたデータにアクセスできなくなった。
市販ソフトのY2Kバージョンアップで、昨年中にクライアント機は全部ソフトを更新したのだが、一部は古いバージョンの環境でデータ入力した後、年末ぎりぎりでソフトの更新をしたために、2000年になってから新しいバージョンで古いバージョンのデータが読めないというトラブルが発生。「上位互換」とはいうものの、新旧バージョンにまたがってデータがメンテされる場合の「落とし穴」とでも言うべきか。ユーザー用マクロを下位対応のものに修正して逃げ切るらしい。今年に入っての新規入力では発生せず。

2000.01.04:

昨日の徒歩で足がだるい。ある程度疲れない歩き方を心得ているので、20Kmくらいは平気なはずなのだが、運動不足だけは「慣れる」というわけにはいかないようだ。これで明日のほうがもっと痛いとなると、これはもう年のせいでしか有り得ない(苦笑)
明日は初出勤である。但し、常時フレックスタイムなので社長とか重役のくどい挨拶は聞かずに済む(笑)

2000.01.03:

何年ぶりかで国道2号線を尼崎のヨメハンの実家まで歩いた。15Kmを4時間かっきりである。以前は元日に大阪梅田まで20Kmを6時間かけて歩くのが恒例だった。車の量が少なく、空気が澄んでいるので気持ちがいい。震災時の脱出ルートにも使ったお馴染みのコース故、道に迷うことはない。
ちょっと運動不足が続いていたのでさわやかな疲れだった。

2000.01.02:

今日はえらくしつこい頭痛で半日寝込んだ。ぶらぶら散歩にでも出るつもりが、家の中で箱根駅伝とか大学ラグビーを観戦することになった。
ニュースでもやっていたが、Y2Kのマイナーなトラブルはやはり発生している。今後は多くの企業の仕事始めである1月5日、うるうの2月29日が大きなヤマ場になりそうだ。
自宅マシンではダイヤルアップを監視・料金計算をしているソフトが少し変な動きをしているようだが、設定ミスも考えられるのでY2Kによるものとは即断できない状態である。

2000.01.01:

皆様、明けましておめでとうございます。
各国の重要システムはとりあえず無事Y2Kの入り口を通過したようである。自宅マシンもこうして日記の更新をすることができた。但し個々のアプリがどうかは順次チェックしていくことになる。
このホームページ、今年は「昇り竜」のごとくアクセス数アップ・・・なんてことは期待できそうもないので、いつも通りコツコツと(実際はコソコソと言うべきか)更新を続けるつもりである。

今年もご用とお急ぎない方はぜひここを覗いていっていただきたい。