悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
00.06
2000.06.30:
帰宅途中のバスでとんでもないことが起こった。バスが突如急ブレーキをかけてクラクションを鳴らした。するとバスの前から、何とイノシシが3頭のろのろと道路を横切るではないか!
六甲山には野生のイノシシがわんさといる。そして時には町中へ出てくるのである。一度は団地内の盆踊りの最中に出たり、マンションの花壇を食い荒らしたり、話題には事欠かない。
多くはえさを求めてうろうろするので、食い物を持っていると突進してくる。そういう時には食べ物を放り投げて逃げないと、大怪我をさせられる。
自然が豊かなところに住んでいるので、子供が自然に触れるチャンスは多いのだが、イノシシが暴れるのだけはちょっと遠慮したい気分である。
2000.06.29:
昨日の続き。
私の場合、血糖値と体重の変化が相関関係にあるのだが、それとともにへその周囲の皮下脂肪の厚さも同じように変化するので外見的にも判断がつきやすい。皮下脂肪が厚くなると下腹部が張った感じになり、座った時に重く感じられる。
最近人からも「痩せたね」と言われる。また「そんなに痩せて大丈夫ですか?」とも聞かれるが、いつもこう答えている。「これ以上太ると医者に怒られるんですよ」(爆笑)
2000.06.28:
22日に書いた健康診断の時、同時に計測した身長・体重は177cm(当然だが変化なし)、49Kg、体脂肪率は何と13%であった。
糖尿病の主治医にいやというほど脅されて以来、カロリーを絞った結果がこれである。ざっと目分量だが一日当たり1800〜2000KCal、病気が発覚した十数年前に努力して減量した頃と同じくらいになった。
それにしても食事時間の前になるとものすごく腹が減る。間食をしていた癖が残っているのと、元から空腹になるとイライラしてくる傾向があったせいである。ここを克服して習慣にするまでがひとつのヤマ場である。しかし空腹を誤魔化すためにたばこの本数が増えた。
糖尿病による合併症と、喫煙による肺ガンのリスクが高くなるのとどちらを選べばいいのだろう(笑)
2000.06.27:
有珠山の噴火がまだ終息しないうちに今度は三宅島が不気味な動きをしている。聞くところによると、三宅島は20年くらいに一度噴火するらしい。
日本列島は本当に火山の噴火、地震が多い。それもそのはず、4つものプレート(ユーラシア、北米、フィリピン、太平洋)がぶつかっているというのは日本だけらしいから。そういう意味では日本全国安全なところはひとつもないのである。こんな狭い場所に1億2千万人も住んでいるのだから大変である。
それだけに天災は避け難い。しかし犠牲者は減らす事ができる。幸い、有珠山では一人も出ていないし、83年の三宅島でもなかった。今回も過去の経験を生かした万全の対策が取られる事を祈る。
2000.06.26:
自宅マンションの塗装業者入札が終わり、発注先を決めた。委員会のメンバーは素人ばかりで見積比較が非常に困難を極めた。それでも最終的には1社に決めないといけないから評価方法に苦労したのである。
まず見積内容がいい加減なものをふるい落とし、それから順次1社づつ消去していく方法を取った。そして最後に2社に絞り、挙手で多数決にした。延々2時間ああでもない、こうでもないと議論を続けたのである。幸いにして自分の意見に固執する人がいなかったのですんなりと決まったほうだろう。
次は管理組合の臨時総会で承認を得ることになる。
2000.06.25:
今日は投票日だった。
どういう結果になるか、毎度のことになるが私はいつも開票速報を深夜まで見ている。現在9時を過ぎたところなので、まだこれからである。前回の参議院の時から投票時間が長くなったので、以前よりもまして寝るのが遅くなっている。
ところで選挙の報道でいつも感じるのだが、現職とか新人とかの区別が何故必要なのか未だに理解できないでいる。現在は政党政治であるから、各政党の政策によって争う。そうすると政策の違いが問題になるのだから新人であろうとなかろうと、主張はほとんど変わらないはずである。もし違うとしても個人のキャラクターによるわずかな差でしかありえない。そこを強調する意味はどこにあるのだろう?
2000.06.24:
最近TVでプロバイダのCMをやるようになった。NTTのISDNの宣伝は以前からあったが、プロバイダのものはここ1ヶ月前くらいからである。恐らくIP接続の拡大を意識してのものと思うが、果たしてどれだけの人が理解できるだろうか。というのもタレントを使った単なるイメージ宣伝だけで、どれだけ料金が安いかとか付加サービスがどれだけあるかとかの具体的ポイントを強調していないからである。
「インターネットにすぐ接続できます」とか「簡単電子メール」とかのいい加減なPCの宣伝も困るが、プロバイダの存在意義すらまだ大衆に理解されているとは思えない現状で、誰がこんなCMに注目するか、数多くの”?”がつくのではないだろうか。
2000.06.22:
会社の定期検診でバリウムを飲んだ。40歳以上は毎年飲まされる。余り有り難くない飲み物だが、昔に比べてヌルヌルした感じが少なく、味もよくなったし量も減った。
ところで飲ませ方が検査技師によって少し違う。2回に分けて飲ませる人と一気飲みさせる人とがいるが、なぜそうなのかわからない。まあ、どっちにしても先に炭酸を飲ませるので、げっぷを我慢しながらバリウムを飲むのが苦しいことには変わりがないのだが。
げっぷを我慢しきれないドジな人は二度も炭酸とバリウムを飲まされる。幸いにして私はまだ経験がない(笑)
ここで不毛の2択の話を。バリウムと胃カメラのどちらがいいかと聞かれたら、私はカメラに手を挙げる。どうも人によって違うようだが、私の場合は喉にスプレーされた麻酔剤が良く効くせいか、喉越しは問題ない。むしろカメラが直径1cmしかない幽門をくぐりぬけて十二指腸に入る時の痛みの方が苦しい。
バリウムが好きになれないのは、直後に飲む下剤の効きが悪いからで、出したくても出ないあの苦しさは何とも言えない。真っ青になって脂汗を流すということを数回経験した。おまけにその日のうちにバリウムを出さないと腸内で次第に固まり、ますます(ピーッ)門から出にくくなる。一度は3日目まで滞留させて(ピーッ)門が千切れんばかりの思いをしたことがある。一週間以上も出ないとなると手術が必要になるケースもあるという。くわばらくわばら。
2000.06.21:
ちょっとした出張で関空を利用したが、驚いたことに空港のフェリーターミナル内にあった売店が閉店になっていた。やはり利用客が少なくなったのだろう。
考えたらK−CATは不便なところにあるし、乗り換えを何回もするのは本当に煩わしい。荷物を持ってバス=フェリー=バスと乗り継ぐのは骨が折れるのである。ちなみに三宮からの時間と料金を比較すると、
K−JET: 1時間強 2650円(片道)
リムジンバス:
1時間15分 1800円
JR(関空快速利用): 2時間弱 1660円
となり、フェリーが一番分が悪い。
私は大抵フェリーを使うのだが、その理由は家から直接タクシーで行ける距離であることと、K−CATでチェックインと出国審査ができる(あの関空の出国管理の慢性的行列は何とかならないものか)メリットがあるからで、神戸からの多数の乗客にとってはフェリーが便利とは思えない。付け加えて言うと、K−CATでのチェックインは国内各社関連しかできないという差別的待遇があるので、国際線でJAL以外を使う場合(格安航空券はまさにJAL以外の方が安い)は何の得にもならないのである。まだバスを利用したことはないので何とも言えないが、フェリーの乗客が減っているのは不景気のせいだけとは言い切れないような気がする。
2000.06.18:
どうも最近は「IT」とかいって、インターネットや通信を使うことが経済の活性化を示すように書かれることが多いが、若干の疑問を呈したい。
確かに情報のスピードは上がるし、情報量も増えるだろう。それに伴って生産性はいくらかでも上がるかもしれない。しかし問題は生産性が上がったのはいいが、その後の生産の伸びが期待できるかどうかである。
バブルの時に先行したのは土地とか株への投機であった。そしてその含み資産を元に金を借り、猛烈な設備投資に走ったのである。ところが一時的には経済は膨らんでも、国内での市場の狭さと輸出では円高でたちまち頭打ちになり、気がついたら借金だけが残ることになったのである。今回もきっかけが違うだけで同じ轍を踏むような気がする。
韓国でもやはり同じことが起こり、IMFが乗り出すことになった。簡単に言うと外貨準備は無視して設備を日本などから猛烈に輸入しまくり、その代金を払う時期になったら外貨不足になっていたのである。私の会社でも一時期韓国へ機械を売ることがあったのだが、その台数は工場設備の常識から考えても異常に多い発注量だった。
今のIT騒ぎも、GDPの伸びを下支えする消費の拡大がなければあっという間に消えてしまうだろう。経済企画庁が喜んでいるほど世間の状態は甘くない。私の周辺でも倒産は相変わらず多いし、何よりもリストラの嵐は止まず、失業者のレベルは一向に下がっていないのである。
2000.06.17:
小学校の息子の授業参観があって、出かけてみた。すると、何とコンピュータの授業をやっていた。既に何回かの授業があったらしく、今回は「メールを送ろう」というテーマである。
システムは先生用1台と生徒用10台をLANで繋いでいるだけのものだが、マシンは3年前に買ったというFMV−5133、OSはWindows95であるから遜色はない。アプリは教育用ソフトが入っている。惜しむらくはIE3のままであるくらいだろう。笑ってしまったのは「マイコンピュータ」が「生徒の机」、「ネットワークコンピュータ」が「先生の机」という名前になっていたことである。
さて、「メールを送ろう」というテーマで何をしたかというと、子供用エディタに写真を貼りつけ、コメント文を書いて先生用マシンのフォルダへ送るというものだった。「メール」というから電子メールを想像した私があさはかだった。それでも子供達ははしゃぎながらやっていた。
しかしこんな子供達の姿を見ているとつい覗き込みたくなるのが私の悪い性格。あるグループが変な操作をして別の画面を出してしまい、困っているのを見ると、つい声をかけてしまった。何しろ生徒30人に先生が2人ついているが、見るからに教える人数が少ない。それで私がちょっとしたヒントを出してやると、子供達はびっくりして私の顔をまじまじと眺めていた。
授業後に先生達と「教える人数がちょっと足りませんね」という話をしたら「そうですね」という答えが返ってきた。また神戸の学校全体に対する予算が乏しいらしく、Windows3.1のまま更新ができない学校もあるとこぼしていた。順次設備を拡充していくらしいが、時間がかかりそうである。
2000.06.16:
会社から最寄りの駅までマイクロバスがシャトル運行されることになった。
ことのいきさつはこうである。昼間は路線バスの運行が極端に少なく、出張や客の送迎はタクシーを使うことが多かった。それが年間に1千万円近くなっていたのだが、経費節減ということで重役がその事実を見つけて一喝し、即座にマイクロバスを配車することになったのである。
もともと路線バスが少ないことはわかっていたはずで、その気さえあればバスの手配くらい何ともなかった。ところがここの事務所の「言われたことしかやらない、できない」性格が見事に表面化したわけである。その反面、上から言われると即座に実行するあたりなんぞは「さすが」と妙に感心してしまった。
2000.06.15:
南北朝鮮の首脳会談は成功裡に終わったようである。何はさて置き、喜ばしいことだと思う。
分断されて55年、同じ血を分けた肉親が政治体制の違いから離れ離れになるという悲劇が一日でも早く終わることを祈る。
私のこの思いにはわけがある。同じ分断国家だったドイツのベルリンの壁を目の当たりにし、また物々しい警備と鉄条網や地雷原の中の一つの検問所を通ってその壁を通過した経験があるからである。
同じ顔つき、同じ言葉を喋りながらその間にある深い溝を埋めるのに幾つも年を重ねなければならなかった苦しみは、当事者でない私でさえも暗い影を落とした。西ベルリンで見た東西それぞれのTV番組は、私が目の黒いうちには壁がなくなることはないだろうという思いを強くした。だが現実は私の予想を裏切ったのである。
南北朝鮮についても当事者が努力を続ける限り時間が解決するだろう。もちろんそれがまっすぐな道であるかどうかは誰も保証できないであろうが。
彼らとは仕事での付き合いが多いこともあるので、喜びを共にしたい。またそう伝えることもあるであろう。
2000.06.14:
久々に青空が見えた。
金曜からずっと雲ばかり見てきたのと薄ら寒かったので、気持ちよかった。
でも仕事はちょっとややこしい話が続いているの、ちょっとうっとおしい。いずれもうまく行くとは限らない、そう解っていても思いは複雑である。
2000.06.13:
昨日の続き。
乗り物で下手に寝ると体がだるく、首と背中が痛いので、よっぽど疲れていない限り寝ない。夜行列車や長距離の飛行機でも数時間が限度である。加えて私は車窓の風景が変わっていくのが好きで、それも影響しているようだ。地図を眺めながら、今はどのあたりを通過しているのかを確認するのもまた楽しい。
ところで長身で唯一楽だと思うのが満員電車である。人込みで空気がよどんでいても首一つ分上に出ているので息がしやすいのだ。
2000.06.12:
長時間の通勤をしていて気付いたが、車内で居眠りをするとしばしば首が痛くなることがある。電車の場合、クロスシート(通路と座席が直角になっているタイプ)座席の背もたれの頂部に後頭部がのっかかる状態になり、首筋を痛めるらしい。長身の身としてはそもそも座席のサイズが合わないのである。
今の若者はいざ知らず、私の年代では背が高い方だから、日本人の平均身長に合わせて設計されたものはことごとく間尺に合わない。典型はバスである。まず椅子はやたら狭く、膝が前の座席に当たりそうになる。それが故にオバチャンが買い物袋を手首にかけて背もたれにある取っ手を掴むとその袋が私の足に当たる。おまけに当たっていても素知らぬ顔をする厚かましい人もいる。このことをヨメハンに話したら「なるほどねー」と妙に感心していた。
それから電車と違ってバスの天井は低いので、吊革が丁度顔のど真ん中に来る。仕方がないので立っている時は吊革に掴まらずに吊革を下げてある鉄のバーを握り、吊革は親指に引っかけてバーと一緒に握るのである。これで視界はすっきりするのである。
ついでに言えば飛行機も国内各社の座席は狭い。足が伸び縮みできると便利なのだが(笑)
2000.06.10:
小耳に挟んだ話だが、ガングロ・ヤマンバがすたれつつあるという。
それからルーズソックスも少しづつ減って、少数派になってきている。女子高生は今や眉毛とか化粧に移りつつあるのだろう。流行というのはそうしたもの、と言ってしまえばおしまいだが、確かに定着するものは少ない。
我々の世代でもジーンズだけが唯一生き残った。
2000.06.09:
例のI Love
Youウィルスは亜種が出ているもののかなり下火になったようである。会社の方でも最近はとんとお目にかからない。その一方で一時注目を浴びたHappyウィルスはその後も健在、月に数個は発見される。
次から次へと進化するウィルスと、今や週に一度は更新されるDATファイルの果てしなき戦いは今日も続く。それにしても知ってか知らずか、いつまでも古いDATファイルや古いバージョンのワクチンソフトを使っていたり、ウィルスに感染している添付ファイルを無警戒に開くユーザーがいることも、戦争に火を付けてるひとつの原因ではある。
2000.06.08:
今の事務所になって始めて為替予約の手続きを取った。たかが数千万円の話だが、ここでは十数年もの間外貨を扱うなどということがなかったので、私以外の関係者はあちこちに問い合わせをしているようだ。
上司も「何故予約が必要か」、「予約をしたら何が変わるのか」と細かいことまで聞く始末。まあ、社内でも海外との取引とは縁がなかったところなので仕方ないのだが、海外からの電話に電話番の女性はパニックになるし、外人をホテルまで迎えに行ってから出勤したらフレックスタイムで遅く出勤したと勘違いされるわ、どうもギクシャクする。海外出張も私以外は滅多にないので、パスポートの申請の仕方を聞きに来る人もいる。
やはり世間は広い。国際化とか、IT革命とかマスコミははしゃぐが、日本全体でどれだけの人が海外との付き合いをしているのか、ましてや日常的に英語を使っている日本人は1%にも満たないのではないかと思う。確かに世界の情報が沢山入ってくるが、人々の身近になるのはまだまだだろう。但し、既に我々が手にする商品には輸入した原材料がいやというほど含まれてはいるのだが。
2000.06.06:
九州・四国が梅雨入りで、いよいよという感じにはなってきたが、近畿はまだ暑いといっても湿度が低いのでしのぎやすい。行き帰りの電車内も冷房が入ったが、風の直射を受けるとまだ少しひんやりする。
会社でもコーヒーメーカーがあるのだが、ホットで行くか、アイスで行くか、迷いながらの今日この頃である。
だが、季節は確実に巡る。一進一退を繰り返しながら。
2000.06.05:
実は先月のほとんどが週休3日だった。
今月からはいつもどおり週休2日である。生産調整の関係で前期の出勤日を減らし、後期の土曜日にもっていくという計算である。しかし変則勤務というのは問題が多い。
一つは体のリズムが狂うことである。確かに週休3日だと肉体的にも精神的にも楽になることがわかった。しかしそれはあくまで一時的なことであるので、体が元に戻るのに何となくうっとおしい感じがする。週休1日でも同じことが言える。
もう一つは世間一般とのズレである。こちらが休んでいるのを知らずに電話をかけてきたり、訪問してきて空振りになるケースが多かった。
昔某自動車会社が町の祭りの日に出勤日を設定して大問題になったことがある。我が身のことばかり考えて世間の迷惑を顧みないとこんなことも起こる。
2000.06.04:
もういい加減に「神の国」で辟易していたら、今度は「国体」である。かの首相は国民に挑戦状を叩き付けるつもりらしい。しかし、事実として彼は自らの墓穴を自分で掘っているに過ぎない。
「国体」=国の体制とうそぶいているようだが、この言葉は戦前天皇制を絶対視するものとして軍部に反対する者への攻撃材料として使われた。有名なのは美濃部達吉博士の「天皇機関説」に対する攻撃である。
美濃部博士は天皇を国家という法人の最高権力者として捉え、そのことを「天皇機関説」として長年学生に教えていた。ところがある日突然軍部・右翼から不敬として攻撃を受け、議会でも問題にされてついには貴族院議員を辞職させられるまでになった。その時に使われた攻撃の言葉は「国体明徴」、すなわち日本の「国体」は天皇が絶対的存在であり唯一無二のものである、ということだった。
その後美濃部博士は暴漢に襲われ、やがて二・二六事件に突入する。
「国体」についてこれ以上の説明は必要あるまい。
2000.06.01:
昨日の雨が上がって、ピーカン状態、気分がいいのでこの文章も仕事中に書いている(笑)
衣更えで学生たちの服装ががらりと変わった。それにしても何故6月1日なのかもう一つしっくり来ない。気温のことを考えると梅雨入りの頃が一番適当、というか本人の自由でいいのではないだろうか。
実は会社の冷房も昔は杓子定規で7月1日からだった。しかし梅雨になると汗が書類に落ちるとか湿度が高いので紙がヨレヨレになるとかで不満が続出し、そのうちに「試運転」という名目で気温に合わせて冷房を入れるようになったのである。企業でもこの程度はやるのだから、制服も「試着」(??)とかの名目でフレキシブルに対応してもいいのではないか。