2007年7月17日午後6時45分頃、ブラジル・ポルトアレグレ発同国サンパウロ行きTAM航空3054便エアバスA320-233(PR-MBK)が、サンパウロ・コンゴニャス国際空港に着陸時にオーバーランし、左方向にそれながら空港の敷地外の一般道を横切り、TAM航空系列の輸送会社が所有する航空貨物倉庫とガソリンスタンドの屋根に衝突し激しく炎上した。
この事故で乗員6名、乗客181名、計187名全員が死亡した。また地上でも輸送会社の従業員や通行中の一般道を通行中の車両の乗員などに12名の死者と数十名の負傷者が出た。合計で約200名が死亡したものと見られ、同国にとって史上最悪の航空機事故となった。乗客の国籍はブラジル国籍(日系人7名含む)の他、ペルー国籍1名、アルゼンチン国籍1名であった。
事故機は午後5時16分にポルトアレグレ空港を出発した。事故機の着陸をコンゴニャス空港に備え付けられていたビデオカメラが捕らえており、事故機が通常の着陸機の3倍近い速度で滑走路を走り過ぎていたのが明らかになった。
救助活動は約50台の車両を投入して行なわれたが、激しい火炎のため救出作業は難航した。また収容された遺体は1000℃もの高温に晒されたため損傷がひどく身元確認作業は難航した。
事故当時、空港周辺は低い雲に覆われ激しい雨が降っていた。同空港の滑走路は短く、滑りやすいため、最近数週間にわたり滑走路を閉鎖するなどして舗装等の改修工事が行なわれてきたが、排水溝工事は翌週に施行する予定となっており終わっていなかった。事故前日にも、この滑走路で双発プロペラ旅客機がスリップし滑走路を外れる事故を起こしていた。このため、事故直後には、事故機が着陸直後に濡れた滑走路面で機体の制御を失った可能性が指摘された。また、滑走路の安全性が完全に確保できる状態まで改修が進んでいなかったにもかかわらず、供用再開を当局が急いだとの批判も為されている。
サンパウロの中心部付近に立地する国内線専用空港であるコンゴニャス空港は、運用が過密なうえ、滑走路が短い(1940m×45m)ため、雨天時の着陸の危険性が以前から指摘されており、安全上の懸念から、今年2月に同国の地方裁判所が、同空港の規模においては大型な機種であるボーイング737-700、ボーイング737-800、フォッカー100による離発着が禁止する決定を行なったが、控訴審で異議申し立てが認められ決定が覆されていた。本件事故の発生を受けて、ブラジル検察当局は事故原因が解明されるまで同空港を閉鎖する許可を裁判所に求めている。
事故翌日までに明らかになった初期調査結果では、機長は滑走路の接地点を飛び越したことに気付き、ゴーアラウンドしようとしたとみられ、この判断が事故に繋がったとの見方が示されている。ボイスレコーダーとフライトデータレコーダーは事故翌日までに回収され、本件事故調査を支援することになったアメリカ国家運輸安全委員会(NTSB)に送られた。
事故2日後の19日にTAM航空が明らかにしたところによると、事故機のエンジン1基の逆噴射装置が事故の4日前から不具合のため使用不能となっており、本件着陸の際には機能していなかった。同社は、ブラジル民間航空行政当局の機材管理・運航規定においてこの種の不具合は10日以内に検査を実施すれば、その間は運航し続けて差し支えない旨が定められていると主張した。事故機の逆噴射装置が充分に機能しなかったという事実は、機長に無理なゴーアラウンドの決断を強いた可能性がある。
同国大統領は事故当日、今後3日間、同国が喪に服することを宣言した。
事故機は1998年に製造された。