2007年1月1日午後2時7分頃、インドネシア・ジャワ島ジャカルタ発同国同島スラバヤ経由同国スラウェシ島マナド行きアダム・エア574便ボーイング737-4Q8(PK-KKW)が、スラウェシ島中部の山岳地帯上空高度約35000ftを巡航中にスラウェシ島パレパレの南方約5マイル沖合の海上に墜落した。
この事故で乗員6名、乗客96名、計102名全員が死亡した。乗員乗客のうち乗客3名のみがアメリカ国籍で、その他は全てインドネシア国籍であった。
事故機は午後1時前にスラバヤを離陸し、午後3時15分にマナドに到着する予定であったが、午後2時7分にスラウェシ島マカッサルの管制官と交信したのを最後に消息を絶った。最後の交信で事故機のパイロットから猛烈な風(風速74ノット)に関する報告があった。墜落などの強い衝撃で作動する非常用ビーコンからの信号は付近の航空機や衛星が2度受信していたが、それぞれ別の場所を示していた。同国海軍などが、これらの情報からスラウェシ島西部の山岳地帯かジャワ海に墜落したとの推測のもと悪天候の中、捜索活動を行ったが、墜落地点はなかなか明らかにはならなかった。
1月2日朝になって、インドネシア国軍当局が、スラウェシ島マカッサルの北東約85マイル、同島中部ポレワリマンダル県の山中、標高700m地点に墜落しているのが発見されたと公式発表し、アダム・エアのスポークスマンも乗員乗客計90名の死亡を確認し、12名が救出された旨の公式発表を行なっていたが、夜になってこの発表内容を否定した。インドネシア運輸相によると、地元住民の噂話を国軍の駐在官が報告したことが誤った墜落現場確認情報に繋がったとしている。
1月2日からはシンガポール空軍も捜索活動に加わった。1月11日になってようやく尾翼と機内食用のトレイなどの残骸を海上で発見し回収することに成功した。1月25日にはアメリカ海軍が、1000m以上の深海からフライト・データ・レコーダーからの遭難信号を受信した。
事故機が消息を絶ったジャワ海周辺では、数日前から強い風を伴った悪天候が続いており、12月30日の朝には約630名が乗り込んだフェリーが沈没事故を起こすなどしていた。事故機も強烈な横風(時速約130km)に悩まされ、2度にわたってコース変更を行なっていた。
マナドはマリンレジャーで有名なリゾート地である。
アダム・エアはインドネシア・ジャカルタに本社を置く格安航空会社で、2003年12月に路線就航した。同国では、1999年に規制緩和を行なってから格安航空会社の設立が相次いでおり、経年機を多数用いるなどしていることから安全面への懸念が強まっていた。アダム・エアも2005年にジャカルタ発マカッサル行きの便が約4時間にわたって消息を絶ち、後に緊急着陸していたことが分かるトラブルを起こしていた。
事故機は1989年に製造され、直近の定期点検を2006年12月25日に済ませていた。