2006年8月22日午後3時39分頃、独立国家共同体ロシア連邦・アナパ発同国サンクトペテルブルク行きプルコボ航空(本社ロシア)612便ツポレフTu-154M(RA-85185)が、巡航中に独立国家共同体ウクライナ・ドネツクの北西約45kmの地点に墜落炎上した。
この事故で乗員10名、乗客160名、計170名全員が死亡した。
事故機はロシア南部の黒海沿岸の保養地アナパのアナパ空港を午後3時5分に出発し、巡航高度35100ftを飛行しウクライナ上空を縦断してサンクトペテルブルグのプルコボ空港に向かう途中で、ロシア非常事態省によると午後3時37分頃メイデイを発し、午後3時39分頃レーダーアウトした。同省は事故直後にテロの可能性を否定した。
ロシア航空管制当局は、事故当時墜落現場付近の上空は気流が乱れており、強い雷雨に見舞われていたことから、事故機が激しい乱気流に巻き込まれたか、機体への落雷が事故原因との見方を事故発生当初から示していた。
フライトレコーダーの解析結果などによると、事故機の運航乗務員は、前方の嵐を回避するため約20km進路を変更したうえで上昇した。しかし、嵐の空域は運航乗務員の予測よりもはるかに発達しており、最も発達した部分で高度49000ftにも達していた。このため事故機は回避操作にもかかわらず激しい乱気流に飲み込まれた。乱気流突入から10秒の間に機体は高度11961mから12794mにまで押し上げられ、迎え角は46度、対気速度は0ノットとなった。事故機はそのまま回復不可能な深い失速に陥り墜落した。
なお、事故直後ウクライナ非常事態省は、事故機は高度10000mを飛行中に機内で火災が発生し、約20分に渡り緊急着陸を試みたが、脚が出ずに胴体から接地するような形で墜落したと伝えており、事故原因に関する情報が錯綜した。
プルコボ航空は、サンクトペテルブルグに本拠を置く航空会社である。後日の報道によると、同社では燃料の節約を強く乗務員に働きかけており、本件発生の遠因になったとの指摘も見られる。
事故機は1991年に製造された。