2005年10月22日午後8時45分頃、ナイジェリア・ラゴス発同国アブジャ行きベルビュー航空210便ボーイング737-2L9(5N-BFN)が、ラゴス・ムルタラ・ムハメド空港を離陸直後にラゴスの北方約30kmの同国オヨ州リッサ村近郊の野原に墜落した。
この事故で乗員6名、乗客111名、計117名全員が死亡した。乗客にはアブジャで開催される会議に出席する途中の同国の政府高官が複数含まれていた。乗客の国籍は、大半がナイジェリアであったが、アメリカ国籍も1名含まれていた。
事故機は、離陸約3分後、ラゴスの西約24kmの大西洋上空を飛行中に技術的なトラブルを管制官に報告し救難信号を発した後、交信を絶ちレーダーアウトした。遭難地点に想定された海域ではナイジェリア国軍のヘリコプター2機が捜索を行ったが現場は確認できず、23日の夜明けを待って、捜索地域を拡大し、陸海で捜索活動を再開した。墜落地点が確認されたのは捜索を再開した直後の23日早朝であった。
事故当時ナイジェリア南西部は、広範囲にわたり雷雲に覆われ、とりわけラゴスからイバダンの周辺は激しい雷雨に見舞われていた。
事故直後、ハイジャックとの観測が流され、遭難地点を海上に想定して捜索を行われた。また、墜落地点確認後には警察などから生存者50名前後との情報が流れるなど混乱した。なお、ニジェール・デルタの反政府組織から犯行声明と要求が表明されたが、ナイジェリア警察当局はこれを否定した。
機体は完全に破壊され、墜落現場周辺には、サッカーコート1面分ほどの範囲にわたって焼け焦げた破片が散乱した。機体が地面に最初に激突した地点には、直径約20mの大きな穴が開いた。
ナイジェリア政府は24日から3日間、国家として喪に服することを決定した。またナイジェリア政府の要請で、事故調査にはNTSBとボーイング社が人員を派遣した。
ベルビュー航空は、1993年の創業以来12年間の運航歴を有するが、これまでにインシデントを起こした記録はない。同社はナイジェリアの富裕層や外国人を主な旅客としており、西アフリカ各地を主にボーイング737を用いて結んでいる。本件事故の発生を受けて同社ではラゴス便の運航を一時見合わせた。
事故機は1981年に製造された。